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0 プロローグ~婚約者とのお茶会~

 『これは、ないわー』

 ルシールは心の中で呟き、目の前の婚約者を冷めた目で見て、紅茶を飲む。せっかく婚約者とのお茶会のために用意したお菓子とそれに合わせて選ばれた紅茶も味が感じられない。


 「手作りらしいけど、おいしいよ。ルシールも食べる?」

 ルシールの婚約者のロジャーは年齢よりは幼く見える甘い造りの顔に満面の笑みを浮かべてルシールに大きなクッキーを差し出した。先ほどから、伯爵家の用意したお菓子には手を付けずに、持参した可愛らしいピンクの包装紙から取り出したクッキーを頬張っている。テーブルにはポロポロとクッキーのカスが落ちている。


 「遠慮しておくわ」

 ルシールは顔色も変えずに、淑女の笑みを顔に貼り付けたまま答えた。

 

 「なんかね、婚約者が甘い物が苦手みたいで、せっかく作ったのに受け取ってもらえなかったんだって。可哀そうじゃない? 騎士科の授業後の鍛錬の後に、泣いているのを見かけてさ。僕が代わりにもらってあげたんだ。ほら、騎士道精神っていうのかな? これも人助けになるよね? 手作りらしいけど、けっこうおいしいよ」


 聞いてもいないのに、ご丁寧に経緯を説明する婚約者にルシールは静かに紅茶を飲むだけで、返答をすることはない。


 ありえない。まず、貴族として、婚約者や家族ならまだしも、初対面の他人の作った物を無防備に食べる事がダメだ。ロジャーは子爵家の次男で、騎士の家系なのでその辺りは大らかなのかもしれない。しかし、婚約者であるルシールのパートランド伯爵家に婿入りし、伯爵家当主になる身としてはそれぐらいの常識は身につけて欲しい。何度、伯爵家の教育係やルシールが口うるさく注意しても、所作も話し方も行動も次期伯爵家当主としてふさわしいものにならない。


 婚約者であるルシールへの当てつけもあるのだろう。騎士科の生徒の婚約者や姉妹は、授業後の鍛錬の後に、軽食や飲み物などを差し入れをする風習がある。ルシールは、一度もロジャーに差し入れをしたことがない。


 意地悪で差し入れに行っていないわけではない。勉強と父の手伝いに明け暮れているルシールにはそんな暇はないのだ。亡き母親の代わりに家政の取りまわしをしている。その上、領地運営科ではなく騎士科に進みたいという婚約者のわがままを聞いて、自分が領地運営科に進学した。淑女科や騎士科と違って、難易度も学習量も桁違いだ。いつまで経っても、伯爵家の当主教育を受けない婚約者にしびれを切らして、ルシールが当主教育を受け、父に付いて領地の視察や仕事も少しずつ行っている。


 ありえない。婚約者の目の前で、伯爵家の用意したお菓子には手も付けずに、別の女にもらったクッキーをおいしそうに頬張るなんて。いつまで経っても、伯爵令嬢の婚約者としての自覚が芽生えないと思っていたが、もう見切りをつけるべき時だ。


 『上等だわ。婚約破棄して差し上げましょう』

 婚約者の嫌いな淑女の微笑みを浮かべて、ルシールは心の中で啖呵を切った。


 きっとルシールに前世の記憶がなければ、この出来事だけで婚約者に見切りをつけることはなかっただろう。五歳の時に元々体の弱かった母が亡くなった。その時に衝撃的に前世の記憶がよみがえったのだ。前世の記憶を思い出した時は、頭がおかしくなったのだと思い、錯乱したが、周りは母を亡くしたショックでそうなっているのだと、いぶかしがられる事はなかった。


 ただ、その記憶は偏っていて、自分の名前や家族についてはあまり覚えていない。今世より文明の進んだ日本という国で暮らしていたようだ。鮮明に覚えているのは、自分が自立して働く地味な女性であったこと。そして、初めて恋をした顔がいいだけのクズな夫の言いなりになり、金をたかるだけのヒモ夫に尽くしていたこと。


 あの時、この記憶を思い出したのは、今世こそは間違いを犯さないようにという警告だったのかしら?


 だんだんと記憶が馴染むにつれて、今世の自分の立場や環境に感謝した。確かに、文明や便利さは前世の方が進んでいたが、自分には自由恋愛は向いていない。貴族として、政略結婚をして、恋愛とまではいかなくても、誠実で穏やかな関係を作れればそれでいい。幸いな事に、穏やかで気の合うロジャーという婚約者がルシールにはいた。それも今日までの話だけど。

 

 それに、前世の自分は性格もうじうじして自己肯定感が低かったようだ。今の自分は貴族として生まれ育てられたからなのか、生まれ持ったものなのか、どちらかというと物事をはっきりさせる強い性格だと思う。


 もう、搾取されるのはまっぴらごめんだわ。自分の努力もお金も。


 頬にクッキーのかけらをつけて、楽しそうに話す婚約者を前にルシールは婚約破棄に向けてすべき事を脳内でリストアップしていった。

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