007 取っ組み合い
首に巻かれてあったリードを引っ張られて戻って来た隆仁をたしなめて、結莉は頬を緩ませている。
「よしよし……、いい子だね……。後で骨を持ってきますからねー」
「……野良犬を手なずけたらいけないって、公園の看板にも書いてあるぞ」
野良犬を相手にするにしても、ドッグフードの方が喜びそうなものだが。頭を撫でないのでは、尻尾を振るわけが無い。人間は敵であり、窮地に追い込まれた野生動物は必死に噛みついてくる。
……佐田さんに付いていって、本当に正しかったのか……?
曲がりなりにも自分の意志で決断したものが、工事現場の掘削で揺らいでいる。建築基準法に満たない強度の粗悪鉄鋼であり、取り壊し命令を受ける可能性は大だ。
彼女に食いついていくと言うのなら、おごらせられる未来も当然存在はしていた。これも策略にまんまと飛び込んだ事故の失策だと、割り切っていくしかない。
「……須藤くん、そんなに落ち込まなくてもいいよ?」
「奢らされて幸せになる奴がいるわけないだろ……」
美少女に格好つけたいと見かけを大きくしてしまう目先のことしか考えていない男子は、偽の幸福感を味わえることだろう。何とも頭がお花畑であり、痛いしっぺ返しを食らうところまでがお約束だ。
「……それもそうなんだけど、ほら、これ」
大太鼓をフルスイングしたような、耳をつんざく低周波で後ずさった。自動販売機を揺らすとドリンクが出てくることがあるらしいが、それは武勇伝ではなく恥の宣伝である。近所迷惑で隣人がしゃしゃり出てくることは無かった。
結莉が叩き壊しそうになった、自販機のステッカー。でかでかとした書体で、数弱から金をふんだくろうとする魂胆が見え見えの誘い文句が書かれていた。
『ルーレットに当たればもう一本!』
ご丁寧に、ストップボタンが真下に設置されていた。ワンコインスロットのドリンクサービス付きとそう違わない。風営法違反で明日にでも撤去されていそうだ。
「……須藤くんに目押し力があったら、もう一本出てくるんだよ! やったね!」
「……押したところで止まるなら、ギャンブル破産なんかしないんだよな……」
未成年者でも、ゲームセンターでスロット相手に愚痴を呟いているおじさんを見かけたことはある。プログラムに忠実に操作されているものに、チャンスもダメ押しもあるわけが無い。
隆仁の賢明な忠告は真っ向から無視され、腕を手繰り寄せられた。スロットの席に座るのは、隆仁のようである。どこまで他力本願なのだろう。
結莉は、おもむろに手を差し出した。指にタコの出来ておらず、誠に勉強の形跡が見られない。勉強部屋にこもってテスト勉強を失神するまで追い込む人よりも点数が高いとは到底思えない。
彼女に合わせて、右手をハイタッチさせた。上から隕石が降ってくるとは想定していなかったらしく、お金に容赦ない美少女は前方に体がつんのめっていた。
「よっしゃあ! 一点取ったぞ!」
「ナイスー! ……って、そうじゃない! ジュース代だよ、ジュース代!」
昨日牛丼を自腹で二杯頼んだ隆仁に配慮して、個々は私がと胸を叩いて先頭に立ってくれはしないのだろう。美人は奢られて当然という思考の人には、どんな念仏もどこ吹く風だ。
……一か月間汗水たらして稼いだ、百六十円……。
隆仁たちが通っている高校は、アルバイト禁止である。学年通信で在校生の数字と入学当初の数字で辻褄が合わないと思っていたら、アルバイトで退学していたというのはここだけの話だ。
漫画にもゲームにも興味を失くす無音室に閉じこもって修行をした見返りに生まれた、この小銭たち。貢ぎ代に消えるとは、さぞかし百円の裏側で咲いている桜も無念だろう。
「……はやく、早く……! 売り切れちゃうよ……」
「どうやったらひとりでに売り切れるんだよ……」
「誰かに予約されちゃうかもよ?」
「卸売りの倉庫じゃないんだから……」
怪奇現象に悩まされている結莉をスルーして、小銭入れに虎の子を吸い込ませた。
……グッバイ、今月の娯楽。
やる気の無かったボタンが、緑色に光った。入れられたコインの、最後の輝きである。
「……連打したら、何本でも出てきそうだね……」
「犯罪者予備軍だな、こりゃ……」
連打するほどスコアが上がるわけでは無いのだ。入れたお金分しか、リターンは戻ってこない。
……さあ……。
結莉は、もうコーラが手に入ったとばかりによだれを垂らしそうになっている。それはそうだ、目の前のボタンを押すだけで念願のものがタダで手に入るのだから。
自分自身で罠にはめた相手は、そのことを一生忘れない。表向きは従順にしていても、密かに報復の時を待っているというものだ。
隆仁は、コーラに目を輝かせている同級生を押しのけた。
「……! 最初から、そういうつもりで……」
「……お金の持ち主が自由に選んで、何が悪いんだよ……」
異種目格闘技決勝第二ラウンドが、開幕した。形勢は、自動スクロールの左端に徹している可憐な女子高生が優勢のようだ。
……おいおい、聞いてないぞ……。
女子は男子に比べて、筋肉が付きづらく腕相撲でも負けることが多くなってくる。決して運動不足でそうなるわけではなく、どんなアスリートでも辿る運命と言っていい。
低い姿勢に持ち込んで踏ん張ろうとする隆仁と、がむしゃらに割り込もうとする結莉。性別が反転したかのように、自販機の正面が遠くなっていく。
「……私の、コーラ……。コーラ……」
彼女の視線の先にあるのは、期間限定増量と煽り文句の付いたペットボトルコーラ。不要な物でも、割引されているものなら何でも買ってしまうのではないだろうか。
飲み物の恨みは、ダイナマイトよりもエネルギーを持つ動機になる。炭酸の亡者となった少女は、身体の制限を外してしまっているのだ。火事場のバカ力も、このタイプに分類される。
……このままだと、押し負ける……。
取っ組み合いに敗北したという噂が流れては、一人で学校を歩けない。地域新聞の一面に飾られて、須藤家末代までの恥だと伝承されていってしまう。
払い戻しレバーは、右側。幸いにも、隆仁が確保しているポジションにある。溜まっているポイントを失くしてしまえば、流石の軍師結莉と言えども諦めてくれるだろう。
だが、隆仁は重要な事を失念してしまっていた。こんな奴がいるから、高学歴でも使えない人員が量産されてしまうのだ。
「……そんなこと、させない!」
ワシは、急降下して野兎を獲る。ウサギからしてみれば理外の一撃であり、逃れる術はない。二次元に生きる者は、三次元からの接近に気付けないのだ。
結莉は、一か八か体を投げ出した。まさに、視野狭窄を突いた魂の一撃であった。
伸びていく彼女の腕を弾き飛ばそうとする隆仁と、コーラ目掛けて頭突きをかまそうとする異端の人。
VTRで見てみると、ボールは僅かにライン上だったようだ。
『ピッ』
機械の作動音がしたかと思えば、商品の下のランプが消灯した。これで、隆仁の剰余金はゼロになった。
パラシュートも開かずに、制服姿の美少女が落下してくる。アニメでは野暮なシチュエーションでも、現実でそうはいかない。
食パンをくわえたヒロインと正面衝突すれば、パンを弁償させられる。壁ドンなどした日には、セクシャルハラスメントで社会の敵というレッテルを貼られる。空想のありたきりな恋の予兆は、ただの危機でしかない。
自業自得だからと言って、今にも墜落しそうな飛行機を見捨てるわけにはいかない。スポーツでも、対戦相手には最大限の敬意を払うものだ。
「……おい!」
助ける義務のない、散々自分をからかった挙句金を巻き上げていった少女。
満足でまばゆい笑顔がこぼれている彼女の下に、腕を潜り込ませて。
「……」
アイドルが恋愛禁止であるのは、ファンの夢を奪わないためだ。一昔前まではトイレにもいかないと信じられていたほどである。
結莉は、残念ながら現実の三次元に存在する物体である。物体であると言うことは体積を持ち、質量も付加されている。
……ここで王子様抱っこが出来れば、ちょっとは見直してくれるかな……。
もう叶わない空想が、淡い青の風を連れて吹き抜けていく。
日頃ジムで鍛えていない一般男子高校生の筋力では、彼女に耐えきれなかった。
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