019 密室にて
カラオケ編開始です。
繁華街に立ち並ぶ娯楽店は、流れゆく人々を取り込もうと勧誘に励んでいる。迷惑防止条例を無視する悪徳な業者から、規則を上に置いて行動する律儀な引き子まで、多種多様だ。前者は警察や暴露系人間の台頭によって減少傾向にある。
誰でも歓迎の開かれた店が多い中でも、会員制を崩さないものがある。厳密には非会員でも入店は出来るが、料金が割高になるところが大半だ。
……カラオケって、どうして会員制のところが多いんだろうな……。
無料で登録できるとしても、客に手間をかけさせて引きこもりを門前払いする理由が思いつかない。利点があるにはあるのだろうが、結莉に尋ねれば少しは靄が晴れるだろうか。
テレビで、歌の上手い一般人が美声を披露する機会を見ることも増えてきた。一昔前なら芸能人が独占していた番組でも、徐々に部外者の出演が認められてきている。
カラオケの採点方法について、クエスチョンが付くことが一つある。それは、採点方法についてだ。
音程という絶対的な値だけでなく、ビブラートやフォール等の技術も加点される。加点要素の計算式を公表してくれなくては、点数を公平だと評価できない。全国平均点しか出すことの出来ない隆仁の遠吠えである。
「……折角女の子と二人きりだって言うのに、元気ないよ?」
「俺は連れて来られただけで……」
「二つ返事でOK出してくれたのは、誰だったかなー……」
無論、一人カラオケなどお金と時間の無駄だ。楽譜を購入して鼻歌を歌っている方が経済的である。特に、隆仁のような余裕の少ない学生にとっては。
持久走でぶっ倒れた結莉は、平常通り運転している。当たり前が遅延していることはあっても、体力ゲージが空になったことは無い。
……何処までも計算ずくだよな……。
自分を名前で呼ばせたいのも、親近感を持たすため。気を失ってでも、評定が下がらないのであれば大歓迎。数式と袂を分かち合う儀式にでも参加したのだろう。
数字は嘘を付かないが、画面に表示されたデジタル数字に命を預けられる人間がどれほどいるだろうか。だいたいが成功すると述べられていても、想定し得る限り最悪の結末が脳裏にちらついてはまともな判断を下せなくなる。
常に最善手を追い求めてくるハンターは、逃げ惑う獲物にとって抹消しておきたい存在だ。打ち負かそうとして、戦法辞書に載っていない奇襲や単騎特攻を採用したくなる。
……数学って、残酷なまでに正確だから……。
最初の数度は、運がついて連勝するかもしれない。素人がルーレットで三連単馬券に金をはたこうが勝つときは勝て、プロの分析屋が予測を基に一点買いした本命の単勝が大番狂わせで紙屑になることもある。
しかしながら、その幸運も長く続かない。勝率の高いものと低いものが相対すれば、試行回数を増やせば増やすほど借金が積み上がっていく。
対抗心を燃やしても、定石の教科書まで燃やしてしまってはいけないのである。
「……さてと、須藤くん。カラオケに来て、まずするべきことは何でしょうか? 八十文字以上で簡潔に述べよ!」
「歌う」
現代文の試験で、投げやりになっても出てきそうにない解答だ。画数でも八十に届いていない。文はおろか文節も単語も一個だけとは、侮辱されたと勘違いされてスピーカーから怒号が聞こえてきてくる可能性すらある。
二人ではスペースを余してしまう、カラオケのソファ。部屋を取り囲むように設置されてあるが、寝転んでもまだ荷物置き場が出来る。
中央にあるガラステーブルの上には、注文表と書かれた小冊子が裏返しになっている。最新式の音源を注文することは叶わなそうだ。
部屋が大きすぎて、どうにも脚のゆすりが収まらない。静かな部屋でコツコツと宿題を進めたい隆仁が滞在するには、場違いすぎる。
男子の付き合いで手を引かれていたら、今頃課題のワークを終わらせていただろう。勉強というアイデンティティを育む貴重な時間が、結莉に吸われているのだ。
……それでも、佐田さんなら行きたくなるのは、魅力に負けてるんだろうな……。
クラス全員で宴会を開くのではなく、私用として美少女から『二人きりになろう』という誘惑。国民を第一に考えている政治家もハニートラップに引っ掛かることがあるのだ、隆仁が降伏して何が悪いのか。
この甘いのか辛いのか分からないひとときが偽物となって消えてしまっても、共有した時間の濃密さまで記憶から消滅することは無い。学生の義務は、青春を経験することと言って差し支えないのだから。
「……うーん、須藤くんはカラオケ初心者だね? この部屋に名を轟かしている佐田教授が、直々に講義してあげましょう。もちろん、授業料は払ってもらうよ?」
「入学金は免除ですかね?」
「あ、そっちもちょうだい」
偏差値が公表されていない大学に強制入学となった隆仁。教授が一人しか在籍していない大学は、存在意義すら怪しい。至急大学名を募金箱に改名する必要がある。
「まずは、そのメニューを開いてくれたまえ。何か、思う事があるだろう?」
「はい、佐田教授! 肉と油の塊が皿に盛りつけてあります!」
フライドチキンに、唐揚げ。高カロリー食のオンパレードが列をなしていた。日々の運動と食事制限で培われてきたムキムキボディも、脂肪の大軍にかかれば生活習慣病の谷へとまっしぐらだ。
ここまでくると、大学界を永久追放になりそうな結莉の言い分が、おぼろげながら文字として飛び上がってくる。
……いきなり、食事ですか……。
カラオケに食事がセットであるのは、重々承知している。腹に物を入れることで歌うエネルギーも充填されると言うもので、正午を回ろうとしている時刻の選択としては真っ当だ。
胸を手に当てて、寄生系彼女の立ち振る舞いを思い返してみよう。
財布を忘れたと言い張って、バッグから現金が顔を覗かせたのはまだ先週。券売機で発行されたチケットを返還するわけにもいかないので仕方無いが、隆仁にとっては痛い出費であった。
コーラに関しては、擁護のしようがない。事前に購入した新鮮なペットボトルを隠し持っていた罪は、極刑を選択することに躊躇させなくなるほどの重罪である。
……裁判長の椅子に座れたら、どれほど嬉しいか……。
現在の裁判所は、結莉が管理している。判決内容から逮捕状の発行まで、一人の女子高生が牛耳っているのだ。欠員が出る時は、彼女が転校してしまう時になる。
暑さでレールが原生林へと入り込んでしまったが、ともかくお金が絡むと危険なモンスターに早変わりする。アニメの返信シーンなどの予告は入らない。
「……もう分かったよね? 何をするにも、まずはエネルギー補給をしないと!」
博士号の証書を脱ぎ捨てた結莉は、早速備え付けの受話器へと手を伸ばしていた。
デジタル化が叫ばれているこの時代、連絡手段として普及しているのはスマートフォンだ。緑の公衆電話を常用している人は、天然記念物として保護しなければならない。
飲食店でも、タブレット注文が浸透し始めている。店員がオーダーを確認しに行くよりも間違いが起こりづらく、客としても好きなタイミングで注文できるので人気なのだ。
このカラオケは、どうやら電話で注文する仕組みになっているらしい。電話応対は詐欺への対処しか知らない隆仁には、中々敷居が高い。
「……このフライドチキン、三箱くださーい! それと、コーラふたつも」
家族に電話をするようなノリであるが、受話器の向こうが可愛らしい声なら許されるのか。怒鳴られた様子も無く、結莉は通話終了ボタンを押した。
対応はともかく、内容にいちゃもんを付けたくなったのが隆仁だ。
「待―て待て待て待てい! ここから先、一歩たりとも通しはさせず!」
「活用間違ってるから、もう一回高校一年生からやり直そうか?」
理系になら気付かれないと踏んでどんな盾でも突き通す矛を売り出したが、見事に矛盾を突かれてしまったようだ。同じく理系の隆仁が語るようなことではない。
それに、高校一年生に戻されては結莉と接する機会が激減してしまう。新たな被害者の発生を防ぐためにも、自身の未来を勝ち取るためにも、首輪を外して野放しにしてはいけないのだ。
……どっちかと言うと、俺がリードを付けられてる気がするんだけどな……。
「……とにかく、もう注文しちゃった。須藤くん、頑張って食べてね」
「人の分まで勝手に頼まなくてもいいだろ……」
「それなら、何をオーダーするつもりだったの?」
同伴者に一切の確認を取ることなく、注文を確定させてしまった結莉。人のお金で代替しようとする傾向の強い彼女の行為だからこそ、余計に反感が湧く。
だが、フライドチキンもコーラも、隆仁が目星をつけていたものだ。血糖値の低下で焦った脳は、いずれ同じものを選択していたことだろう。
結莉の専制政治には、自由が無い。独裁政権だから当たり前ではあるが、民主主義に慣れて久しい男子高校生には負荷が高い。
一般人が絶対王権を手に入れても、革命で倒される。国民の不満が爆発し、それがピラミッドのトップで贅沢残間をしている王族に集中するからだ。
彼女の権力独占は、打ち崩されることが無い。政権を傾けるような綻びを表に出さないのが上手いこともあるが、一番は善政を敷いていることだ。
飴と鞭を使いこなすことが、権力者への第一歩。結莉は、若干十六、七歳にして習得してしまっている。
……奢らせるのがムチだったら、どんな話でも嫌がらずに聞いてくれるのがアメ。上手くやってるよな……。
シーソーの両端に、質量の異なる物体が置かれている。それらは時を追うごとに密度が変化し、バランスは常に変動していく。
先端が地面に触れないようにするには、微細な平衡感覚が求められる。そよ風が吹くだけで片側になびいてしまうシーソーだ、一秒たりとも気を抜いてはならない。
「ほーら、図星でしょ? さっすが、天才と言われるだけの才能はあるね!」
「自画自賛もほどほどに……」
利用者の意見をサイト元が捏造しているフェイクサイトはネット上に転がっているが、口頭でやる人がいるとは思わなかった。
「……ところで、お金はどういう風に分割するおつもりで?」
「うーんとねー、本当は須藤くんに全額背負ってもらいたいんだけど、私も鬼じゃないから……」
結莉の頭に、割り勘という平等な手段のレシピは入っていなかったようだ。借金をなすりつけられている気がして、荷が重い。
鉄柱にぶら下げてある肩かけカバンには、隆仁の財布が入っている。この閉鎖空間を出ていく頃にはすっからかんになっていないことを祈るだけだ。
……誘って来たの、佐田さんなんだけど……。
飲食代を格好つけようと全額奢る気持ちは少なからずあるが、彼女の横柄な態度には折半する意思すら減衰してしまう。
まだ十二時を回ったばかりだが、デイタイム終了間近まで戦闘が収束しなさそうだ。幸いにも、部屋をフリータイムで借りているので料金がかさ増しされることは無い。
「……私と須藤くん、一対九っているのはどうかな!?」
「事故の責任割合だとしても嫌だな……」
これでは、隆仁側が全面的に敗訴してしまっている。この数字をみてやる気が漲ってくるのは、ひいきの野球チームが勝っている時くらいだろう。
条件を吊り上げるのに顔色が変化しない結莉は、七変幻の狐である。眉に唾を突けても真実が見えてこないと言うオマケつきだ。
「……男は度胸、だぞ? そんなのじゃ、誰にも告白されないよ?」
「関係ないだろ。……佐田さんのは告白に入らないと?」
豊富に蓄えられた胸を拳で叩かれても、その揺れに目が行って名言がすり抜ける。男女の差を煽るキャッチコピーは、もう時代遅れだ。
「……それは、須藤くんが……」
『ピンポーン』
……全く、丁度いいタイミングで水を差されてしまうものだ。
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