011 困った子
宿っていた精神がてっぺんのアンテナ塔から流れ出て行った結莉。とても霧がかる汗の乾かない湿度ではないはずなのだが、錐の先端部となったアホ毛の先から人魂のような煙が空高くに昇って行ったように見えた。ああ、幸多からんことを。
……何がありましたかね?
非常事態ボタンが押されて緊急避難用発電機が作動していたから良かったようなものの、主電源にばかり頼っていたら今頃命をむしり取られた残骸が手に握られているところだった。
気力を吐き出し尽くして、手の指一本も動かす動力源を失ってしまったのであろうガールフレンド(仮)は、鉄板焼きのごとく熱されて湯気の立つアスファルトに座り込んでいた。上からソースを垂らせば、あっという間にお好み焼きの完成である。
「……今、何かした……?」
「道端に落ちてる石にでも転んだんじゃないのか……?」
庭園の縁石でないのだから、ミラーを見ていなくて正面衝突をしたとて損害は微々たるものだ。重量比が余りにも差がついていて、エベレストとマリアナ海溝の高低差などミジンコだ。見えないダニより悪さをしない分、良心的な設計になっている。
何もない平坦な道路で躓くのは、老人の到来を告げるお手紙のようなものであり、結莉には無縁のはずだ。そもそも、つんのめってなどいない。
言い訳でももっとマシなものを作ってこい、と国語科の教師に添削でダメだしを食らう典型的な駄作など、彼女に通用するはずがなかった。
「……それじゃあ、私の髪の毛を握りこんでるのはどうしてかな……?」
水掛け論は、生産性の無い素手での殴り合い。レフェリーが勝敗判定できないほど、双方共に消耗してしまう。ジムで筋肉を育てたボディビルダーとそこら辺をほっつき歩いている一般人で争わせたとしても、仲間内でやるような海水浴場での掛け合いと何ら変わらないのだ。
……そういえば、海なんて行ったことないな……。
内陸の民は、塩が大量摂取できる沿岸部を夢見る。南国の過酷さを勉強してこない不真面目な人間どもが移住を将来の希望として掲げるように、内陸国に在住している隆仁のような野山しか知らない非常識は海岸を美化してしまうのだ。
家からの眺めが良いと購入を決めても、日頃の風景に人は飽きてしまうもの。きっと潮風がやってくる地では海などありふれた光景なのだろうが、それでも幻想を捨てきれない。
生身の体では引き分けにしかならない対決など、仕掛けるだけ労力をロスする。ならば、どうすればいいのか。
正答を導き出すのに、場の雰囲気や配慮は捨ててしまう方がいい。解決策は、いつだって常識破りのその彼方に広がっている。
「……拾い上げようとしたんだけど、間に合わなくて……」
「上から引っ張るなんて、まさか須藤くん、私の髪の毛を……?」
「すみませんでした。そんな趣味はございませぬ、お嬢様」
消防車を連れてきて、高圧ポンプで綺麗さっぱり洗い流してしまえばいいのである。根性論や精神論など、確固たる証拠の前では武器を投降するしかないのだから。
納豆をかき混ぜていなかったせいで、隆仁は結莉に粘る術を封じられた。何より、謝罪文が口から飛び出している時点で軍配は決まったようなものである。
「……アホ毛は触らないでって言ったよね!? 小学校から、やり直そっか?」
「佐田さんが先生役で六年間付き添ってくれるなら、それでもいいかな」
中学で出来た友達は雀の涙で、その宝石の欠片も進学でおじゃんになった。そこから更に時を遡及しても、空っぽの壺が置かれているだけである。
結莉が担任として就いたクラスは、阿鼻叫喚の嵐となるだろう。人混みに揉まれて頼るべき人からはぐれた子供たちの切ない悲鳴と、親の避難が猛威を振るっていそうだ。
畏怖しなければならないことは、彼女に知恵が働くという事実だ。腐っても数学計算機であり、クレームを精密解析して論破していく。言いくるめられた保護者は、もう歯向かう武器をもぎ取られたも同然になる。
『こうして一年二組佐田学級は、開かずの扉となった』とテロップが出る報道番組は、ネガティブを好物とする人間たちには大好評に違いない。
……個人的には、それでもいいと思うけどな……。
結莉が幼い子供たちにまで魔の手を近づけないことは想像しがたいが、ゼロとまでは言い切れない。自作ワークを家庭に購入させるなどと言った悪徳商法の道には進まないでもらいたいものだ。
「……私が須藤くんの先生になるなら、一週間は逆さ吊りにしちゃおうかな?」
「冗談でもダメじゃないですかね……」
特定の生徒に対する嫌がらせは、教師が一番やってはいけない『いじめ』である。これ以上のことは、口が滑って獄中生活に直行したくなければ触れないことだ。
「……それにしても、ダメだって言われたことをしちゃうなんて、やっぱり躾が必要だよね? どこか、自動販売機に鞭でも売ってないかな……」
カップラーメンやその他食品の自販機も中々見かけないというのに、懲罰道具をプラスチック越しに公然と見せつけるのは勇気のいる行為だ。根絶されるのがオチである。
……しっかし、自販機っていうキーワード、いい気分しないな……。
姫君が金を巻き上げようとした挙句自分はその土俵にも立っていなかった事件が発生したのは、記憶に新しい昨日の午後。顔写真付きで指名手配されているのだが、まだ犯人が捕まる気配はない。隆仁が捕まえようとしても、きっと逆襲で自分が掘った落とし穴に埋められる。
今のところではあるが、風向きは風下から背中を支えるように吹き抜けている。この状態が続くと、逆転での入賞も不可能ではない。
一度入った熱源はタイマーがセットされていて、あと四時間ほど待たなければスイッチが切れない。赤ん坊よりも小さく映る熱球は、慈悲なく必殺ビームを母なる星に照射し続けている。
結莉は、ようやく地に足をついて立ち上がった。肝心のアホ毛は、能天気にダンスを踊っていた。異星人と説明されても納得してしまうくらいには、ご主人と下僕の息が揃ってしまっている。
「……私の困ったアホ毛ちゃん、掴まれたら力が全部抜けていくんだ。……悪用したら、今度こそスキャンダルで信用なくしてあげるからね」
「その時は一緒に地獄行きだな、お嬢ちゃんよ!」
「……女の子が使える最強の武器で、その希望をぶった切ってあげるよ……」
そう告げる間もなく、彼女は隆仁の懐に入り込んできた。これは、猫だ。冬にコタツへ入り込んでくる、だらしないニャゴニャゴだ。
自らを魅力的にしようと文字通り猫を被る美少女に詰め寄られて、心拍数を正常値に収められる男などこの世に存在しない。ぶりっ子は嫌われるという書き込みをよく見かけるが、現実を観察すると真っ赤な嘘であることが読み取れる。
飼い猫にしてリードをつけたいところではあるが、家に懐く生き物を搦め取っても尻尾をそっぽに向かれるだけだ。毛づくろいしているのを遠くから眺めている時、マタタビに目が無い癒し系少女は輝く。
……俺に、対抗できる必殺技が無いんだよな……。
誰もが一目惚れしてしまうと言うことは、美貌に酔った目が虚ろな奴隷をいとも容易く生み出せるということなのである。ゾンビを倒してもゾンビ使いにダメージは入らない。
真実が透き通って見れる神から授かった得能を備えていたとて、色気の魔力に下った外道を排除するには至らない。リアルRPGでは、ラスボスよりも恐れれられることも間違いなしだ。
魔法の効果が切れて、結莉の信管が復活した。ハンマーで衝撃を与えると、爆発して小銭と紙幣だけが吸い上げられるのだろう。
「……サービスタイムはここまで! ここから先は、一秒一万円となってまーす!」
「……将来経営者にだけはならないでおこうな?」
利益ばかりを追い求めて、宣伝費が膨らんでいく未来が水晶玉に映し出される。夜のお店でバッタリ再会……という漫画にはしないでいただきたい。
……とは言ったけど、真面目に相場を考えたくなる自分がいる……。
当てもない浮浪者を門前払いできるだけの地位があるとするのならば、結莉はそれを統括するマネージャーまで昇進する。決定的に欠けているビジネスセンスを存分に活かし、傾けてしまうだろう。
彼女をレンタルできるという噂が学校内に広まれば、生徒をかいくぐって先客に生徒指導がやってくる。鉄心を持つ結莉のことだから、大した問題ではないような気がするのは佐田検定中級者の立派な証だ。
「どんな目で私を見てるの? ドルマークが目に灯ってるけど……」
良し悪しはともかく激辛ラーメンなど比較にならない個性の陰に隠れてはいるが、名探偵の素質もある。
数学と論理的文章がごちゃ混ぜになっている、いわば水一杯をバケツで計測してしまったような白米もどきを、ものの数分で分解できるのが彼女なのだ。演算を情報と掛け合わせていくことで、世の中の全ては丸裸になる。
告白で恥じらいを見せた結莉のうぶな心は、もう戻っては来ないのか。平らになった上まぶたが、隆仁に催促をかける。
嫌悪を示すジト目すら、特殊性癖をお持ちの方々にはアジャストしてしまう。彼女が人前で生活する限り、恋愛問題から目を背けることはできないであろう。
……お金のことは、佐田さんが言えることじゃないのでは……?
自らを棚に上げるなと反論したくもなる。先制攻撃をしておいて、平和を促進しましょうという講和会議でサインをするわけが無いのだ。
と、虎を味方につけずに頑張ってみたものの。
「……佐田さんを釣り広告にしたら、一時間で何円稼げるかなー、と」
澄んだ心と不純の塊の重さ比べをしてはいけない。
水商売やキャバクラは墓場まで持っていく。セクハラで訴えられたくないのなら、自己防衛が基本である。
絵の具を水に垂らしたように、結莉の瞳が広がっていく。金というエサには、大魚も喜んで飛びつきたくなるようだ。
「……利益の十五割くらいくれるなら、やってもいいかな」
「ちょっと、小数点を付け忘れてませんかね?」
特価価格と言うよりも、倉庫の維持費を削るための最終手段のような歩合だ。スポーツでよく百二十パーセントの力を出せと叱咤激励されるが、どうあがいても出来ないものは出来ない。そんなことが起こり得るのならば、全員スーパースターになれる。
金貸しで暴利と言えば、十日で一割の利息がつくものが一般的だ。グレーゾーンを無限回重ね合わせた色の金利であり、陥落した者たちは行方不明になる。
それが、十五割。シャーペンの芯を貸す代わりに二本くれと要求されているようなものだ。むざむざ没収されに契約を結びはしない。
原価にいくら取り分を付け足しても、そのままマイナスになって返ってくる商売が何処にあるだろうか。金持ちが札束をドローンでばらまいた方が世の為になる。
ただし、完璧に思われた結莉の将来設計図も抜け道があった。
「……利益がマイナスになったら、その十五割払ってくれるってことだよな?」
「……そこは、須藤くんがなんとかしてプラスにするの!」
他力本願でどこまでも金を生み出そうとしている。リスクを冒さずにリターンを得ようとしても、そう上手く事は運ばない。
なぜ結莉が地雷へと変貌するルートを選んでしまったのかも、想像がつかない。
「するわけないだろ、赤字になるんだから」
芸人よろしく、ノリツッコミで不完全彼女の頭を薙ぎ払った。凛々しく立ち上がった子分たちを巻き込んで。
「ふぇぇぇ……。……アホ毛を触ったら……、だめ……」
……どうやら、他人が触っただけでもノックアウトされてしまうようである。
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