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07 よけいなお世話だったのかも

 翌日は満を持してというか、早すぎた埋葬というか、幹也もグラナアーデに来る日だった。


 出迎えはいつもの面々、クラージュ、ジュノ、シダンワンダとナルドリンガ。

 シダンワンダがぱっと表情を明らめて、幹也は顔をしかめる。



 ……やっぱりだめだ。私は一歩前に出た。


 私は前日、まるたんぼうにされて、結局帰るぎりぎりまでそのままだった。

 なお、よいしょとマネキンを運ぶみたいに縦抱きにされた私をクラージュから受け渡されたときのジュノの顔は、まるでナマコ程度に珍しい生き物を見たときみたいだった。えっさわりたくない、そういう感情がちょっと出てた。


 シダンワンダとは当然会えず、それきりだったから、説得も交渉もなにもしていない。このままだとまたいつもの競歩モードだ。


 幹也へ駆け寄りかかるシダンワンダから、とりあえずまずは盾になろうとして、私が一歩前に出た瞬間、だれかがぎゅうと私の手を取り引き止めた。

「ん!」

「ん」

「ん?」


 背中にガチャガチャしたものが当たって分かった。クラージュだ。クラージュはつけてるアクセサリーがやったら多い。

 昨日からの一件からなんだか、クラージュとの接触が増えた……ような気がする。いやもとからだったような気もする。

 とにかく背中がべったりくっついて、しかも手まで握ったまま離れないので、きょうだい三者三様、違った声が出た。


「……なに? なんかそういう展開?」

「違うし!!」

 葉介に軽い感じで聞かれて私は悲鳴をあげた。私がシダンワンダに話しかけるのを止めようとしてるだけだ。やってみるだけならタダなのに。

 ていうかそういう葉介こそ、ナルドリンガをすでに片腕に絡みつかせている。絡みつかれているというか。

 私のうろんな目を向けられて葉介も悲鳴を上げる。

「俺も違うし!!」

 ほんとでござるかぁ~??


 うろんなやりとりがあって、二人のあいだでは決着がつかなくなり、やがて二人して助けを求めた。

「ねえ幹也!」

 幹也のほうもそれどころではない。いつもみたいにさっさと出ていきたいのに私のことが気になって出て行けず……みたいな、複雑そうな顔で壁に張り付いている。


 ……やっぱりだめだ。幹也がかわいそう。

 私はクラージュの手を振りほどき……ほどこうとして、やっぱりほどけない。

 クラージュはぎゅっと私の手を握り直し、私にだけわかるように小声で言った。

「分かりました。花奈さん」

 なにが?

 振り返った私の背中すぐ後ろで、クラージュが言った。

「幹也さん、こちらへ来ていただけますか」

「…………」

 幹也はとっさに従いがたいようだった。誘拐犯だから当然だ。そうだ、そういえば誘拐犯だったわ。


「幹也、こっち来て」

 私も幹也を呼ぶ。クラージュは言った。

「シダンワンダヘ命じてください。まず、今夜はいけませんと」

 ……永久によくないんだけど。

 ていうか、コミュ障の幹也だから、拒否の意思を口に出すのも難しいんだけど。だから私がいつも苦労して……


 幹也は警戒心もあらわにじりじりこっちによりながら、シダンワンダにも背を向けないように、壁を背に壁を背に、言った。

「近寄るな。今日はだめ。どこか行ってて」

「……えっ」

 思わず口からちょっと声が出た。出ちゃったものはもうひっこめられないけど、続きは胸の中だけでいう。



 幹也が言えた。


 やだって言えた。やだって言うのけっこう大変なのに。

 コミュ力ゼロ点の幹也が! 頭が天才なかわりコミュ力ゼロ点の幹也が! なんの前触れもなく、できるようになった!!


 みあげるものを感じつつ……釈然としない。引き離すべからずの原則はどうしたんだ? これが通じるんなら、あの競歩の日々はなんだったんだろう? 一日だけとかならいい、みたいなガバい判定なのかな。……たぶんそうかな。


 シダンワンダはとてつもなく悲しそうな顔ですがろうとしたけど、結局その通りにした。涙をぽろぽろこぼして、部屋から出ていく。



 クラージュは特に幹也の偉業について騒ぎ立てることなく、昨日クラージュがこうしたいって言った通りに説明した。

 これからシダンワンダを見ることも聞くこともしなくていい方法があるよって。

 見たくないものを見ないようにする、聞きたくないものを聞かないようにする、一種の道具が。

 最初はいろいろ命令しなくちゃいけないから心配だったけど、大丈夫そうだから託しますって。


 もちろん私のほうでは文句があったから、でもとりあえず、幹也の様子を見ることにして、じぃっと我慢して、だまったままでいる。

 昨日はきちんと説明を聞かなかったけど、クラージュとおそろいのメダルかなにかを装備すれば、視界のフィルタリングとノイズキャンセリングができるそうだ。自動翻訳機能もついていて、こちらの本も自由自在に読めるようになる。



 幹也は眉間にしわをよせながらも静かに聞いていて、ちょっと考えるそぶりを見せてから言った。


「見えなくはなりたくない。虫と同じでどこにいるかわからないの嫌だから。でも本が読めるのは魅力だな」

 クラージュはうなずいた。

「ではそうしましょう」

「ノイズキャンセラーも同じ理由で使わないけどまあほしい」

「そのように」

「それ、持って帰れる? 花奈もうるさいときあるし」

「幹也!」

 傷ついた。

「電源がこの世界でないと取れません。申し訳ありませんが」

「わかった」


 物静かで落ち着いた、いつもの幹也の話しぶりだった。


「では、いかがしましょう? シダンワンダのことは?」

「……………………」

 葛藤があった。沈黙としてはかなり長かったけど、私もクラージュもしんぼうづよく待つ。


「……おれから言う」

 幹也が。幹也が自分から言おうって決意を。

「三メートル以内に近づいたり触ったりトイレで出待ちしたりするなって。それより下のことなら我慢できるかな」

 クラージュに捕まったままの私が聞く。

「……それより下って?」

「名前呼ばれるとか。できれば名字がいいけど」

「すごい」

 感激しきって、私はつぶやいた。幹也はほっといてくれ、って顔で眉間にしわを寄せる。

 


 かくしてもう、今までの苦労は、競歩に付き合ったとかソワレとラグルリンガにめっちゃビビらされたとかクラージュにまるたんぼうにされたとか、そういうのはなんだったのかというくらい、かんたんに話がついた。


 幹也はおとなしく、クラージュが山ほどつけているアクセサリーのうちの一つ、メダルみたいなのクラージュとおそろいで首からかけるようになった。

 これがノイズキャンセラー。感じは首からかけるタイプの虫よけ装置に似ている。


 設定の仕方もさっさと覚えた幹也は、今日はダメと言い聞かせてあるシダンワンダからも解放され、競歩の間に見かけていた図書室へ一人でさっさと向かって行った。



 ……あっけない。あっけなさすぎる。

 ……あんなに手が付けられない感じだったのに。どういうこと?

 葉介も竜舎へ出て行って、ジュノもいつも通りどこかへ行って、部屋に取り残された私が首をかしげると、クラージュは困り笑いを作った。


「幹也さんのものの考え方を見誤っていました。話せばわかるのは、幹也さんのほうですよ。

 花奈さんは、あなたのために幹也さんが苦労していたらどんな気がしますか?

 たとえば、花奈さんがぼくと破滅的にうまくいっておらず、あなたとぼくを取り持つためにシダンワンダと幹也さんが心ならずも協力し、シダンワンダが幹也さんにくっつくのを拒めなかったとしたら?」


「…………!!!」



 がーん。



 雷鳴とどろきのSEがほしい。


 痛いところをつかれすぎて私はよろめいた。

 わかった。全部わかった。

 全部わかったから、もうなにもこれ以上聞きたくない。


 耳をおさえてわーって叫びながら走り回りたいくらいだけど、幹也が耐えてたからと思って、ただただ小さくなって聞き入るにとどめる。


「あの日幹也さんは、きょうだいの前で口づけされて恥ずかしかったのです。あなたが世話をやくことも。もしかしたら、我々が後を追っていなければ、適当なタイミングを彼自身で見つけ出して、ほどよい距離を保っていたかも」


 まさに。まさに。


 そうだよね。そっか葉介もわかってたかもしれない。

 葉介冷たいって思ってたけど、幹也のほっといてもらいたいって気持ちをくんでたのかも……あああ。


 クラージュはすこし考えるようなそぶりを見せる。

「……そうですね。幹也さん自身も拍子抜けしたかもしれません。それも、よかったかもしれません。

 あなたが裏切って、ぼくと協力関係をもち、なにか秘策を打ち出したのかと思いきや、言うことは大したことがなかったので」

 聞きたくない……

「幹也さん自身で解決せよとうながされた形になり、受け入れやすい気持ちがととのったのでしょう。

 戦力外と思われるのは、寂しいものですよ。男ってそういうものです」

 そんなの女だってそうだ。

 男のきょうだいが生まれながらに二人もくっついている身分なので、そういうのは百万回言われてうんざりしている。



 私がうんざりしたのは感じたんだと思うけど、クラージュは気にしないそぶりでお茶の支度をはじめた。


 マジでこの人には感情を揺さぶられる。


 やるかたないけど特にすることも思いつかないので、私はソファに腰かけた。

 ふて寝でもしようかな。帰る時間になったら起こしてもらう。


 ……それにしても、突然手持ち無沙汰になってしまった。ほんとに寝ようかなって思うくらい。


「花奈さんにはちょっと遠回りをさせてしまいましたが、結局よいところによい形で収まったんですよ。

 花奈さんが苦心したのを感じて、幹也さんもすこし我慢することに決めてくれたんですから。あなたの働きあってこそ」


 ……ほんとにこの人は感情を揺さぶってくるな。

 言ってほしくないことを聞かせてイラつかせたあと、まさに誰かにねぎらってほしかったことを、無駄な苦労をさせた本人がねぎらうんだから。マッチポンプとはこのことか。

 イラッときたので思わず恨みがましい感じで言う。


「こんなにスラッといくなら、ラグルリンガにも会わなくてすんだのに」

 でも、クラージュは背を向けたまま、ゆっくりかぶりを振った。

「……いいえ。少なくともあなただけは、知っておくべきです。

 ほんのささいなきっかけで、鉱の姫の従者はかんたんに怪物になりうるということを」



 重い。


 でも確かにそれも、まさに昨日の私が思ってたことだった。



 今、幹也がコントロールできてるからって、ずっとコントロールできるままとは限らない。

 幹也は、自分が、一方的に我慢してるって思ってる。多分、私に免じて。そのうち爆発する。多分。


 もしかしたらラグルリンガが狼になったみたいに、幹也から『ふつうの人付き合いができるようになって』ってお願いすれば、シダンワンダもそうなれるかもしれない。わからない。まずシダンワンダにその力があるのかないのか。

 多分クラージュは、ないって思っている。


 私は……私は、あるって信じたいけど。でもそれってただの願望だし。

 シダンワンダのことを信じられるくらいの付き合いがそもそもないし。

 幹也はだれかを教えて導いてあげられるくらいのコミュ力、ないし。

 クラージュはあるって思ってるみたいだけど、さすがにそこまでは、幹也、無いし。


 だからなんとかして、シダンワンダのことを確かめたい。クラージュの目を盗んで……。



 考えてるだけでへとへとになってきたので、クラージュがいれてくれたはちみつフレーバーのお茶を飲んだ後、私は悩んで、葉介とナルドリンガのところへ向かった。

 つまり、最近はほとんど温室に行っちゃってたので、遠巻きに見てばかりだった竜舎へ。


 葉介はかなりモテるので女の子あしらいはうまいし、なにか参考になるところがあるかもしれない。

 ほんとは『〇〇ちゃん××なんだけどそれって△△だよねー□□ちゃんどう思う??』みたいなのキライなんだけど、背に腹は代えられない……。


 馬を飼う厩のサイズ感を私は知らないけど、竜舎はかなり広い。

 馬を飼うなら、馬が一頭ぐるっとその場を一周できる程度の区切りに入れて、顔をぴょこっと出してるのが私の馬の居住スペースのイメージだけど、なにしろドラゴン本人のサイズがそもそもサラブレッドの三倍くらい。

 プライドもすっごい高いので、房みたいなそんな狭いところでは落ち着いて過ごさない。

 ふだんは牧場全体を使ってのんびりすごし、眠るときだけふかふかの干し草がしかれたスイートルームみたいな房に戻る。トイレは別。猫みたいだ。


 竜の見た目はなんだろな……わりとがっしりした西洋風のドラゴンで、外骨格っていうのかな、筋肉の奥にちゃんと普通の骨もあるんだけど、さらに皮膚の外側にも、鱗というよりむしろ骨に近いようなしっかりした鱗がついていて、手入れにはたいへんに気を遣う。

 ……ナルドリンガはこれをもいだわけだけど……。

 口をきいたりはしないが、人の気持ちを敏感に悟るので絶対にナメた態度はとってはならない。


 竜はかっこいいけど、たとえばこれから地球人と竜の物語が始まるとしたら、その主人公は葉介であって私じゃない。

 ので、竜とそのすみかの説明はこのへんでおわり。


 私もわりと動物はすきだけど、ずっと幹也にかまけていたのでそういう気持ちを多分竜の方に読まれており、『気もそぞろの小さい人間に私は媚びたりしないわ』って雰囲気。

 明らかに葉介が近寄ったときと私が近寄ったときとで態度が違う。


 性格も猫に似ていて、あんまりいっぱいかまいすぎない私のことを『礼儀をわかってるやつ』程度に気に入ってくれてるのは感じるけど、私と葉介、どちらを気に入ってるかといえば、やっぱり鱗を毎日丁寧にみがく葉介だ。

 たまにうっとうしがられてるけど。絶対猫をなでたほうが癒し効果のコスパはいいと思うんだけど……いや、これは好みかな。



 そういうわけで、未だに気もそぞろの私をよそに、葉介は今夜も大きいブラシと小さいブラシ、タオルの濡れたのと乾いたのをせっせと使って一頭の竜をせっせと磨いていた。

 で、その片手間に、私の悩みを聞いて葉介は言った。


「誰かの何かをあれこれどうこうしようっていうのがそもそもおこがましいし。

 きょうだい離れする時期なのかもよ。幹也も花奈も」


「…………!!!」



 がーん。



 雷鳴とどろきのSEがほしい。


 痛いところをつかれすぎて私はまたもよろめいた。

 クラージュがとっさに私へ手を差し伸べるくらいショックを受けてたのだけど、葉介はドラゴンに夢中で私の様子には気づいてないみたいだ。


「きょうだいだって結局はそれぞれ別の人生を歩んでいかなきゃいけないんだし。人間関係って、ああしろこうしろって外野が言うもんじゃないだろ。

 いいじゃん。幹也とシダンワンダは二人なりの距離感を見つけるだろ。ほっとけよ。仕えていらんってわけにはいかないらしいんだから」


 いや、あの、でも……確かに……。

 ……いや、でも、それは通常の場合であって……。


 葉介はやっぱり冷たいように思える……。


 まだ未練が残る私はしどろもどろに言った。


「でも……だって、やばいよ。ほっといたらトイレまでついてこようとしてたんだよ。サイコホラーだよ」

「で、幹也はシダンワンダと話して、落としどころを見つけたんだろ? いいじゃんそれで。

 そのあとまたモメてもそれは二人の問題だし、手に余ると思えば幹也も俺たちに言うだろ」


 でも……でも、葉介はラグルリンガを知らない。

 ラグルリンガが……交渉決裂した鉱脈の従者が、どんな目で回りの人をにらむか。



 私はかぶりを振った。

 しゃがみこんで、まっすぐ葉介を見られなくて、だからバケツの水をブラシでぐるぐるかきまわしながら水面へ向かって言う。


「幹也は……そういうの苦手なんだよ。落としどころ、とか、二人の問題、とか、誰かに助けてって言うのとか……。

 言われる前に誰かが助けてあげなくちゃ……。だって、してあげられるんだから……。ここには私たち、三人しかいないんだから……」


 それこそ言われる前からかいがいしく、赤ん坊か貴族の世話でもするように、竜の鱗のかゆいところがないか気にしてやってる葉介が、なんか自分のことを引き合いにされたんだと思ったらしく、まあそうなんだけど、ちょっと手を止めて私を見て言う。


「人間と竜は違うぜ」

「人間と従者も違うんだぜ」


 あっ。

 口がすべった。


 私と葉介のあいだの空気が凍る。

 口調をまねつつなんか適当なことを言って茶化そうとしたら、つい本音が出た。



「……花奈…」


 案の定葉介はとがめるような視線を私に向ける。


 そりゃそうだ。ラグルリンガを見るまで、私もクラージュにそういう視線を向けてたはずだ。


『〇〇ちゃんと××ちゃん同中だから同類だよハブろ?』みたいなのもキライだったのに……。いやでもラグルリンガとシダンワンダは似すぎている……シダンワンダとナルドリンガも……。


 ……。いや。

 まさに。それもまさに、私がしたくない・されたくないことだった。

 ここではそういうことばっかりやっている。


「ごめん」

「俺じゃなくてナルドリンガに謝れ」

「ごめん、ナルドリンガ」


 確かに私の謝り方はぶっきらぼうだったけど、だいたいナルドリンガは私に見向きもしない。

 何も聞こえてないみたいに、手に水の入ったバケツをさげて葉介に寄り添い、うっとり主人の横顔を見つめ続けている。



 ほらあやっぱり変だよぉ、ふつうのコミュニケーションをとれる生物じゃないんだよぉ、この状況、不気味だなって思わないのぉ、って訴え続けたい気持ちは確かにあったけど、今言っても逆ギレになる。

 葉介はもうしばらくは話を聞いてくれないだろう。あーしまったな。



 もう一度水面へうつむいたあと、顔が上げられなかった。

 主義に反したことをやりたくないのにやって、当の本人たちからは迷惑がられ、でも明らかに従者は倫理観とかそういうのを超越してて、ほっとくの自体、私の倫理観とか主義に反する感じで……



 いや、もう、ほんとに、私にできることってなにもないのかも。


 さざなみがくるぶしを濡らすみたいにひえびえした絶望感が押し寄せてきて、私はとりあえずその場をはなれることにした。


 一応、私がいなくなっても葉介とナルドリンガ、二人きりにはならないしな、葉介はジュノが飛んでくる笛をちゃんと首にかけてたしな、と心の隅っこで思ったけど、この隅っこの思い自体、よけいなお世話の心配、って感じに思える……。


 竜舎からお城まで、そう離れていない距離だったけど、歩くのもしんどくて、葉介たちから十分はなれたと思えた道端で、私はしゃがみこんだ。

 クラージュは、まるで小さな子供がそうしているのを眺めるように、私の隣に同じようにしゃがみこんで、私の顔を覗き込む。


「……どうしようクラージュ。マジで、私には、もしかしたら荷が重いのかもしれない……。

 私の力では、幹也も葉介も、守ってあげられないのかもしれない……」


 あのヤバいサイコパスのストーカーたちから。


 ナルドリンガやシダンワンダが隠し持っていたアイスの棒のことや、ラグルリンガのこととかは、従者と鉱脈を引き離せないからには教えるわけにはいかないって思う。怖すぎるからだ。

 これからもしかしたら、ちゃんとした信頼関係が築ける可能性が万に一つはあるかもしれないのに、これを教えちゃったら1が0になる。


 なのに、そこらへんをぼかしながら、でもやっぱり気を付けて、ってちょうどいいくらいに説明するのが、私にはできない。



「……あきらめますか……? それもいいでしょう。ぼくはあなたに従います」


 私の顔をのぞきこみながら、クラージュがささやく。

 もうこれ以上血が冷たくなることなんて無いだろうと思っていたのに、まだ背筋が冷たくなった。



 観察されている。試されている。ここでへこたれるかどうか。

 おととい、もうずいぶん前のことに感じるけれど、ラグルリンガを見に行こうと言われたたった二日前のこと、クラージュが私に従うように、私もクラージュに力を貸してと頼まれたことを思い出す。

 私がクラージュにとって、まだ利用価値があるかどうか、あるいはもう使い物にならないのか、見極めようとしている。



 恥ずかしい。こんなにから回ることってある?

 やばいやつににらまれただけでへこたれ、いざ本人たちにアタックしてみたら余計なお世話きわまってて、余計なお世話を承知してたはずがちょっと口をすべらせて叱られて。

 恥ずかしすぎて、一か月くらいほとぼりが冷めるまで幹也とも葉介とも口をききたくないけどクラージュはめっちゃ顔を覗き込んでくる……。

 私の心が折れてダサくなってないか確かめてくる……。



 まだやれる、とも、もうやれない、とも、答えられないでいると、クラージュの口からほうと息がもれた。溜息だったかもしれない。


「すみません。また、いじわるしてしまいましたね。……ほんとうは、優しくしたいのですが」

「サイコパスだ……」

 また口がすべった。クラージュからくすくすって笑い声がしたけど、ほんとに笑ってたかどうかはわからない。

「いらっしゃい、花奈さん。いいものをお見せします」

 クラージュは立ち上がって、私を見下ろす。



 ……抵抗する気力もなくて、絶対ロクなものじゃないだろうな、ラグルリンガとかそういうのだろうな、とにかくなんかの理由でめちゃくちゃ傷つくんだろうな、と思いながらも、とぼとぼクラージュの後をついて歩く。


 クラージュはゆっくりゆっくり歩いて、やがて小さな小さな小屋にたどりついた。


 階段を作るためだけの小屋。

 陰気な地下霊廟へさそう階段室。


 一番最初、はじめてグラナアーデに呼び出されたときの小屋だった。


 クラージュが先に行って、急な階段をくだっていく。クラージュはときどき私を振り返った。

「気をつけて。転ばないように」


 私がうなずいたのは、クラージュは見てなかっただろう。



 下りきった先の地下霊廟は、最初に来たときと同じ、金色の霞がかってうす暗く、石壁につくりつけられた棚と並べたてられた壺、箱、盃は、華やかなお城に慣れてしまった目に、よけい陰気に映った。


 棚に、三つならべられた箱がある。

 赤と青と、銀色の箱だ。銀色のお盆に乗せられて、縁からころころとめどなく宝石をこぼれさせている。

 ほかにも宝石を生んでる箱はいくつかあったけど、三つ並べられて、同じように、こんなにもたくさんの石を出している箱はその三つだけだった。


 こぼれた石はカラカラ鳴りながらお盆に落ちるなり、どこかへ消える。


 これは、私たちの石だ。

 アルミとルビーとサファイアの原石だ。……アルミに原石があるのかは知らないけど……。


 石はそれぞれにさざめいて、とめどなく、生まれては消え、生まれては消える。



 クラージュはルビー、サファイア、アルミの石を消えてしまう前に一つずつ指で捕まえて、私の手のひらに乗せた。


「……頑張ったあなた方へ、報酬をお渡ししていませんね。好きなだけお取りなさい。この宝石はすべて、あなた方鉱脈のもの」


 ほんとにそうだろうか。


 これは私と、幹也と葉介の感情の結晶。感情って、誰のものでもないんじゃないだろうか。


 そうなんだ、とか、ほんとにそうなの、とか、相槌を打つ元気がなくて、ただぼーっと、帰りたいな、帰りたいな、と祈るような気持ちでいると、クラージュはもう一つ言った。


「花奈さん、ひみつを一つ教えましょう。

 鉱脈は、感情によって石を喚ぶけれど、呼び出せるトリガーになる感情はそれぞれ別に定まっています。

 紅玉鉱脈(ナルドリンガ)は熱情、蒼玉鉱脈(シダンワンダ)は悲嘆。……軽銀鉱脈(エギナリンド)は奉仕の感情で石を呼ぶ。

 ――でも、ぼくからは花奈さんたち三人とも、皆、違う感情を抱いているようには見えない。

 ふしぎですね。鉱の小函はものごとや感情のある一つだけを取り上げて反応するけれど、ほんとうは感情は複雑で、熱情だけを抱くひとも、悲嘆だけを抱くひともいない。もちろん、純粋な奉仕の感情だけを抱くひとも」


「……そうなんだ……」



 最初はそうなんだ、以上の感覚がなかった。

 そんなに秘密にしておくべきことかな。ふうんそうなんだ、で終わりじゃないのかな。


 そのことを教えられて、で、疲れてたので、あんまり難しいことは考えたくなかったけど、私は二つだけ考えた。



 一つは思い出したこと。


 クラージュはついこの間、たしかこう言っていた。

 『誰かが、神的な意思を持つ存在が、人間と宝石をただの感覚でセットにして、人為的に生み出したのが鉱の姫』だって。

 クラージュはあのとき、化学式的にはほぼ一緒のサファイアとルビーを、別の宝石として切り分けて数えていることを根拠に挙げていた。


 そのときはこのことしか説明してなかったけど、もしかしたら、はたから見て区別のつきにくい感情まで、ルビーっぽい感情、サファイアっぽい感情、アルミっぽい感情として、カテゴリ分けして数えていることも、ひそかに根拠として持っていたかもしれないな、っていうこと。



 ――コンピューターが人間を栽培して動力源にしてるってところから始まる、私が生まれる前の古い有名な映画がある。

 それによるとコンピューターは、人間の体温だかや、脳みそが出す電気信号だかをエネルギーとして採取していて……要するに感情だよね。コンピューターは活発な電気信号をゲットするために、培養槽の人間たちに夢を見せる。

 けど、頭の中までは覗いたりしない。仮想空間に干渉したりはするけど。


 感情ならなんでもいい、っていう風に徹底してデジタルじゃない分、はんぱにアナログな、感覚的なところを残してる分、グラナアーデの神様のほうがもっと邪悪だ。



 斑入りの白梅を白い色カテゴリに押し込んで、真っ白の銀雪に並べたみたいな。

 日のささないほとんど真っ暗な深海を青い色カテゴリに押し込んで、真夏の昼空と並べたみたいな。


 私は知っている。というか思い出した。一つの感情に呼応して宝石を吐き出す宝石箱を、クラージュに見せてもらって。あまのじゃくに。いや、たぶん素直に。クラージュの言っていたことが、時間をかけてやっと、飲み込めてくる。



 口や態度でどう思っていても、葉介は怒ってるだけじゃないし、幹也は悲しんでるだけじゃないし、私も心配してるだけじゃない。

 葉介は確かに怒ってるけど、それは私のことを心配してるからで、幹也は悲しんでるけど怒ってもいて、私は心配してて、悲しくって、むかついている。


 表情や態度や言葉からなにか一つだけを見つけ出して、それだけが相手の考えてること全部だって思いこむのはへんだってことを。


 感情は0か1かじゃないから。

 怒りとか悲しみとかが0じゃないことを受け止めるのにはまだちょっと時間がかかるけど……。


 思い出したら、少しだけ、落ち着いた。



 二つ目は……怖い考えになってしまった、っていうやつ。このことを内緒にしておくために最初教えられなかったのかな。


 私たちが何を考えているのか、誰かが覗いているのかな、っていうこと。


 

 私たちがここにやってきて鉱の小函と結びつけられた時点で、私たちも鉱の姫の従者と同じ、観察して楽しむ、お人形さん遊びのための道具なのかな。


 ……私たちと従者とは根本的に違うって思ってたけど、実はあんまり、違わないんじゃないかな……。……それも、悪い意味で……。


 と、考えたところで私はやめた。疲れてるとロクなことが考え付かないものだ。なんか飛躍してるし。



 鍵垢を覗いてるような後ろめたさを感じつつ、私はここにお尻をおちつけた。


 あの小函は心電図みたいなものだ。

 ここにいれば、少なくとも二人の身の上に、めちゃくちゃびっくりしたとかめちゃくちゃ怒ったとか悲しんだとか絶望したとか、そういうことが起こってないってことがわかる。めちゃくちゃ喜んだりはたぶん今はしないだろう。


 クラージュが長い薄いメダルがたくさんついた袖をしゃらしゃら振ると、金色の粉がたくさん散って固まって、いったいいつのまに、そしてどこからそんなにもたくさんの粉が、と思うくらいの立派な金色の光るクッション二つになった。



「すみません、重荷を背負わせてしまって。あなた自身の従者にも苦労させられますね、あなたは」

 クラージュはそこへエスコートしてくれて、うつぶせの姿勢に私を押し込んだあと、袖をしゃらしゃらまた振って、金色の粉を肌掛けみたいに乗せてくれた。


「……気が済むまでここにいてください」

「ありがとう。ここにいる間は、三日分くらい」


 私は人をだめにする魔法のゲーミングクッションで、じゅうぶんに自分をだめにした。



 ――これで、今日一日の主な出来事は終わり、と言いたいところだけど、まだビッグイベントが待っている。

 帰りがけ、私は一人の女の子とすれ違う。

 真珠を生み出す真珠鉱脈、地球からさらわれたきりもう2年も帰っていない、日本人の塔子さんに。



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