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05 うそつきの狼

 実際すごいいやだったのだけど、そもそも召喚には抵抗できないし、シダンワンダがもっと幹也に迫るかも、と聞いたら、私に選択肢はない。そもそも抵抗できないし。


 待っていたのはクラージュ、ジュノ……そうだ。

「ジュノ・リブラン・コルトワール」

 私が少し得意になっていると、ジュノはうなずいた。合っていたらしい。

 で、部屋から出て行った。昨日クラージュが言ったとおりだ。召喚送還のときにだけジュノはいる。

 

「時間を割いてくださってありがとう。いらっしゃい、花奈さん」

 クラージュはいつもの、胸に左手を当てて、もう片方の手をゆったり広げる礼に、会釈のような軽いおじぎをつけくわえた。

 金色の宝飾品が触れ合ってしゃれしゃら涼しい音を立てる。

「学校から直接いらしたんですか?」

「隠れるのたいへんだったから」



 家には学校の友達とカラオケに行くって言ってある。

 念のため学校の自転車置き場から自転車を隠しておいて、放課後になるとめっきり人が減る、特別教室棟の女子トイレの個室に閉じこもった状態で、あのお茶会のあくる日の夕方五時、召喚を私は受けた。

 ほんとにヒトカラでもしてればよかったんだけど……カラオケルームは外から覗けるから、念には念をいれて。

 マジでバレたくない。とくに幹也には。うらぎり者だと思われたくない。


 だから格好は制服のブレザーなんだけど……思えば、シャイな幹也はもうちょっとマシなかっこうをしてたけど、私と葉介はここに来るときはいつもジャージだった。葉介はドラゴンの世話をさせてもらうからで、私はいざというとき全力ダッシュで逃げられるようにだ。



 五時。明るい夕方だった。

 いま来ればこれがあるってことはすっかり忘れていたけど、いつだったかクラージュに、天国みたいですよって勧められたきりあきらめていた夕方のお城の光景を、私は思いがけなく見ることになった。


 クラージュにうながされて部屋のドアを開けた瞬間、廊下いっぱいの光の氾濫に飲み込まれる。


 ほんとうにきれいだった。

 明々と燃えるようなオレンジ色の斜陽が強くステンドグラスを照らして、夕焼けを色とりどりに刻み、床や壁や私、クラージュへ散らす。

 いつもの夜も夜できれいだったけど、やっぱりまばゆさはくらべものにならない。

 きれいだった。

 宝石を熱く溶かしたみたいな光を浴びながら、私たちは歩いた。


「朝焼けはまた違った雰囲気になりますよ」

 クラージュはささやくように言う。

 きっとそうだろうと思う。かなり見たいような気がするけど、今これを見てるだけで罪悪感がすごいから、やっぱりこれ以上は二人をうらぎりたくない。

 幹也の機嫌のよさそうなときに声をかけてみよう。これから幹也が、ここで機嫌がよくなることがあればだけど。

 すなおにうなずく私に、クラージュは苦笑めいた気配を向ける。理由はしらない。


 

 私たちは絢爛きらびやかな廊下を抜けて、屋上庭園に行った。


 屋上は庭園になっている。

 庭園は一面に水を張ってあり、その、水盤になったところへたくさん島を作って橋を渡してある。そういう構造だった。


 水面は夕焼けを映して、風にさざ波を立ててはきらめいている。

 底にはガラスみたいな銀色に透き通った石がしきつめられて、いっそう輝かしい。


 島はいろんなのがあった。楽器を置いた島、芝生を敷いた島、下から光が射す島、ソファを置いた島。

 水盤の水は縁から下へとめどなく流れ落ちて、中庭から見ての噴水も兼ねている構造だ。水が出てくるところは……見た感じなさそうだけど、どこかにあるんだろう。これは魔法じゃなくて……なんだっけ、ええと、技術なんだから。



 ひらけているので、クラージュが私に誰と引き合わせようとしていたのかはすぐわかった。

 その野性的なこどもは、芝生の島で大きな狼と一緒にくつろいでいる。



 遠目にも狼だってすぐわかる。狼がめちゃくちゃでかかったからだ。

 2メートルは間違いなく超えていて、感覚的には熊ぐらいはある。

 灰色とあかがね色のまじった色の毛並みが夕焼けに照り映えて、小山かなにかかと思ったくらいだ。


 対してこどもは小さかった。

 巨大な狼のそばだからだれがいても小さく見えるだろうというのを差し引いても小さかった。たぶん10歳くらいだろう。明らかに中学ぐらいの年頃までは届いていない。


 寝ぐせが飛び跳ねたみたいな薄茶のショートカット、日焼けしたほっぺたの高いところは赤くなっている。

 目がくりくりっとしててかわいいけど、ボーイッシュな女の子なのか、男の子なのかはまだちょっとわからない。


 というのも、服装がすごかったからだ。洗濯だけはされてるらしき、よれっとしたシャツとごわっとしたズボンの上に、胸と首と太ももを守る革の鎧をつけて、背中にマントと細身の剣を二本。腰にはベルト、ベルトにはナイフ、ロープ、何かの小袋が並ぶ。


 異世界人だ……。たぶん、異世界人だ。

 たぶん、グラナアーデとは世界観が違うタイプの……。

 ウィッチャーとかベルセルクとか、ファンタジーファンタジーしてるタイプの……。


 鉱脈だろうか? 確かクラージュは、鉱脈はこの世界から見ての異世界人だって話してた気がする。地球人には限らないのかも。



 どういう挨拶をしていいかわからなかったから、私はしばらく黙っていることにした。

 クラージュが先に説明しといてくれたらよかったんだけど。


 クラージュは十分離れたところからその子供と狼へ声をはりあげた。

「こんにちは、ソワレ。この子、狼が見たいんですって。ご一緒してもいいですか?」


 ソワレ、と呼ばれたその子は緑色の大きな目でこっちを見た。

 すごい目力だ。夕焼けの中でらんらんと光っている。


 はめている大きな皮手袋は、大きすぎるのか手首を紐で無造作にしばっている。その手にはでっかい生肉の塊があった。狼のごはん中だったらしい。

 私が観察している間、ソワレも狼も、私を観察していたらしい。ソワレは、2、3秒の間黙っていた。

 どこかでなにか固いものが転がるような音がして、ガラスの砂利が落ちたのかな、なんて思ってると、彼女はぱっとむじゃきな表情を浮かべた。

「いいぞ。見るだけな」

 声を聞いてやっと、女の子だということがわかった。

 私はうなずいた。かなり興味があったけど、牙がすごいからかなり怖い。


 私はクラージュのうしろをおっかなびっくり、そっとそっと歩き、彼を盾にしつつ、ソワレから2メートルくらい離れたところで立ち止まった。

「こちら、花奈さんです。こっちの世界にお勉強に来ているんですよ」

「そうだと思った。軍隊っぽいかっこうだから」

 軍隊っぽいかっこう……制服のことだろうか。


 ソワレは足元の大きな樽……生肉がたくさん入っていたけど、そこへ食べさせかけの肉をごろんと投げ込み、むしり取るように皮手袋を外して、出てきた小さな手を差し出してくれる。

 私も手を出して握手した。


「ソワレだ。軽剣士ライトフェンサーのソワレ」

 名前といっしょにジョブを言わなきゃいけない感じだろうか……?

「……高校生の花奈です」


 ソワレはうなずいた。続けて紹介してくれる。

「こっちは狼のラグル」

 細かいことにはこだわらないタイプのようだ。

 握手を終えて、ソワレはもう一回手袋をはめなおす。

 紐で手首をしばるのを手伝おうとしたけど、ソワレは器用に口も使って縛りなおしてしまった。いいのかなそれ、生肉触った手袋だけど……。


「ラグルは賢い狼だけど、あんまり近くで大声は出さないほうがいい。視界から外れるのもやめとけな」

「わかった」

 猛獣なんだな……やっぱり狼だから……。


 私はすぐ逃げられるように、立ったままソワレを見下ろすように狼とソワレを眺めた。

「狼って何食べるの?」

「今はウシの足をやってる。朝メシはシカ。昨日の夕メシはトリ。野生だったらなんでも食べる」

「人間も食べる?」

「ソワレの地元じゃ人間を食べたらモンスター扱いで、ギルドに討伐依頼が出るな」

「なるほど」

 そういう世界観か。私はうなずいた。

「花奈、ちょっとしゃがめ」

 ソワレにうながされて、私はおそるおそるそうする。ソワレやラグルと視線の高さが一緒になって、ラグルの迫力が増す。

 その状態でソワレは、両手で支えたウシの足へラグルに食らいつかせ、口元を顎でさす。

「正面に並んでるのが肉を食う歯。上下四本の一番でっかいキバはものを食うためというよりえものを押さえつけるために使う。奥歯はあとで見せれそうなら見せてやるけど、それほどするどくない。奥歯でやられた傷のほうが実は治りにくい」

「なるほど」

 私はうなずいた。食べるものは似てるけど、葉介がいっしょうけんめい世話しているドラゴンの歯とは全然違うみたいだ。私たちは黙ってラグルが生肉へかじりつくのをながめていた。

 口元からは肉と骨をかみ切る音がして、おなかからも胃袋の動いたみたいな、ゴロゴロいう音が聞こえる。野生だ……。


「強そうだね」

 私がいうと、ソワレはじっとラグルの顔を見つけたまま言った。

「強そうだけど、たぶん心の弱い狼だ。メシをソワレの手からじゃないと食べないらしい。ちょっと油断すると多分かむ」

「ひえっ」

 びっくりしたあまりのけぞると、しりもちをつく前にクラージュの手が私の背中をささえてくれた。クラージュは立ったままだ。狼にはあんまり興味がないのかもしれない。

 私が転びかけたのが面白かったみたいで、ソワレが声をあげて笑った。

「油断しなければだいじょうぶ。たぶんな。ソワレがちゃんとしつけてる」



 ……動物園に来たみたいで楽しいけど、クラージュはどうしてソワレに会わせたんだろう。わざわざ私へ時間外労働を言いつけてまで。

 というか、ソワレも鉱脈だと思ったんだけど、違うのかな。今こうして見るソワレは明らかに、狼の世話係だ。感情労働をしてる感じじゃない。

「ソワレはラグルのお世話係なの?」

 単刀直入に聞くとソワレはやっぱりうなずいた。

「花奈もこの世界のにんげんじゃないんだろ? ソワレは、ラグルの世話をするためにこの世界に呼ばれている」

「なるほど?」

 やっぱり異世界人だ。でも、鉱脈ではないのか。鉱脈以外の人間も、労働者としてこっちに呼び出されてるんだろうか? ……ちょっと非効率な気もするけど。


 ソワレの、ラグルを見つめる表情があきれ顔に変わる。

「ソワレの信じる神様がここにはいないからあんまりいたくないんだけど、ソワレじゃないとメシを食わないって言われちゃな。

 一日二回、朝メシと夕メシのときに。報酬があるからやってるけど、ソワレもソワレで冒険があるから。なんとかしてソワレ以外からもメシを食うようにしたくて、今がんばってるとこだ」

「人見知りなのかな」

「そうかもな。……今日は機嫌が悪いみたいだ。花奈は牙を見てもおびえないし、ラグルの機嫌が良ければ、花奈にもメシやりを試してもらうかなって思ったけど」


 いやいやけっこう怖いから、……と、言いかけて、私は凍り付いた。


 指先がぴりつく。髪がざわついて、震えたいのに震えるのもいけないような気がして身動きがとれない。ただ、背筋にぶわっと冷たい汗が浮く。


 牛の足にかじりつくのをやめて、ラグルは私をじっと見ている。見ているというか、にらみつけていた。



 すごい目だ。


 灰色とあかがね色のまじった毛並みの奥で、昏い色の目が底冷えしてきらめいて、私の目を見つめている。


 威嚇とかいうレベルじゃない。これは殺意だ。憎悪がこもっている。


 こんな目を、私は、動物からも人間からもされたことがない。


 わかった。

 きづいた。このラグルの正体に。



 1秒あとにわたしが生きているのかも、自信がなくなってしまった私を、クラージュはそっと、自分のローブの布のあまりで覆ってくれた。

 ソワレはこともなげに言う。

「……にらむだろ?」


 にらむだろって。そんな生やさしいものじゃない。でもソワレは気づいてないのか、こともなさそうに続ける。


「にんげんの言葉がわかる狼なのかなって思うことがたまにある。

 にんげんの言葉が分かるなら、ソワレがいなくてもちゃんとメシを食えって言ってやれるんだけど」



 クラージュのローブの中で、体の表面だけはあったまってきても、怖すぎて返事できなかった。

 『気づいた』ってことがバレたらキバと前の歯と奥の歯でバリバリに噛み砕かれるんじゃないかって気がして。


「――ラグルをごきげんななめにしてしまいましたね。我々はこれで失礼しますよ」

「そうか。じゃあな、花奈」


 ……マジで腰が抜けていたので、ソワレにさよならのあいさつもできなかったし、クラージュにぎゅうとかきよせるように抱えられて、やっと、息をするのを思いだす。

 背中を向けて歩くのが怖かったから、すごく、助かった。



 クラージュの肩越しに見たソワレは、手を振ってくれてたから、かろうじて手を振り返せたけど、ラグルがこっちを見てるかどうか、毛並みの奥の視線の先を、確認する勇気はない。



 

 ――廊下にはあちこち、映画館のロビーみたいにソファーが置かれていて、ステンドグラスのキラキラを眺めながら休めるようになっている。

 私とクラージュは、そのソファに腰かけて、しばらく夕焼けで輝くステンドグラスを眺めた。

 角度の落ちた夕焼けはますます明るく、私たちを燃えるように照らす。

 心臓のいやなドキドキはいつまで経ってもおさまらなくて、しかたなく私はそのまま心臓をばくばくいわせたまま話し出した。


「……クラージュ」

「はい」

 クラージュの相槌は、いつもと変わらずおだやかだった。

「ソワレは鉱脈なんだね」

「はい」

 クラージュはうなずかずに答えた。

「ラグルがソワレの従者なんだね」

「そのとおりです」


 ラグルの目を見たらわかった。あれはヤバい目だ。

 あんな目で見られたことは今まで生きてきた中でも一度もなかったけど、どういうやつがああいう目をするかはわかっている。

 ラグルが執着するってことは、ソワレがラグルのそれだ。そういうことだろう。



 ……やばいものを見てしまった。やばすぎて笑いがこみあげてくる。

 夕焼けがまぶしくて、目頭がなんだかじわっとした。


 笑いがこらえられないので、聞いてくれるかもわからないまま話しはじめた。



「……なんかね、思ったの」

「……」

「今日の私、私らしくないなって」

「……そうなんですか?」

 静かな相槌はあった。

「ほんとはっていうか、いつもはね、今日みたいに一人で来いって言われたらこう言うんだよ。

 『ここで話せないことなら聞きたくないな』って。

 そうするとだいたいの子は引き下がるから」

 クラージュはくすっと笑った。

「必殺技ですね」

「たまにね、めげずにその場でしゃべりだす子もいるから、そういうときは聞くの」

「へえ」

「プリントを回すとき乱暴だよとか、そういうのは直すけど。理不尽だなって思ったら、あいづちを全部、やばいね、ですますの。で、言いたいこと全部言い終わって落ち着いてきたころに言うわけ」

「なんと?」

「自分でもそう思わない? って」

「二段構えだ」

「そう、二度刺す」


 この話はするか迷った……けど、ほんとはこの話がしたかったんだよな、と思いいたって、つづけた。

「……葉介がわりと学校でモテるんだよね。だからそういうことがわりとある。だれだれちゃんが葉介君に近づいてキモいから、家族としてだれだれちゃんに花奈ちゃんから言ってよ、とか」

「困りますね」

「そうかな? 幹也に行かれるのが一番困る。葉介本人が言われるのもかわいそうだなって思うし、わりと引き受けてたよ。

 うまくいってたかはわかんないし、泣かれちゃったりケンカになったりしたことも多いけど、三人の中では一番、そういうのの要領が良いほうだと思ってたから、正直ショックだな」


 できると思い込んでいたことが、全然、うまくいかないのが。

 幹也の心を守りきれてないのが。

 

 きっとクラージュは、私に何かをあきらめさせようとしていて、それを薄々察していたのに、手の内に自分から入り込んでいって、結局鉱の姫の従者に怯んじゃって屈しちゃったのが。


 なんだかもう、情けなくて。


 クラージュは視線を少し落とした。彼の指にも重たげな指輪がたくさんはまっていて、クラージュがゆっくり拍手するように指輪どうしを触れ合わせるたび、指輪から金色の火花が、ぱちぱち軽い音と一緒に散った。

「……すみません。怖い思いをさせましたね」



 まあね。

 確かに怖い思い、したわ。


 そういう気持ちだった。

 明日になったら元気いっぱい、またふだん通りやれるような気もしたけど、今は無理だった。

 たった一にらみでこんなにされちゃったことにも傷つく。私は幹也を、葉介を守りたくて、こうやってわざわざ誰にもないしょで乗り込んできたっていうのに。

 ……多分マジの悪意とか嫌悪感とかいうものを正面からぶつけられたことがなかったからだろうな。そういう分析だ。


「目で見るのが早いだろうと思ったんですが、浅はかでした。目の合う距離まで近づく前に止めなくてはならなかった」

 そういう反省はいいので、ていうかそういうことを言われると、私の不出来さ、根性の足りなさを指摘されている気がする。今はそういう批判を受け止められる気持ちにない。

 それに、もっと聞かなくちゃいけないことがある。


「あれは……従者と鉱脈の関係の、いっちばん悪いやつだね」

「……悪いパターンの一つの例、でしょうか。説明が難しい……難しいことばかりなのですが……」

 まばたき2クール分くらいの沈黙のあと、クラージュはゆっくり話し出した。


「――ラグルリンガは、最初は人間の姿をとっていました。シダンワンダやナルドリンガと同じように」

「………」


 びっくりしすぎてあいづちが打てなかった。

 いや、でも、そんなものかもしれない。

 もとは砂だったんだから、人間から狼に変身するくらいお手の物かもしれない。


「ソワレとラグルリンガは、ファーストコンタクトから失敗しました。

 ソワレと出会ったラグルリンガはまず、青年の姿を取りましたが、ソワレはラグルリンガを受け入れなかった。幹也さんと同じように。

 ソワレにはあなたたちと同じように、元の世界に大切なものがあり、仲間がおり、何より冒険者だった。

 ソワレのいうところの冒険者がどんなものかは、具体的にはわかりかねますが……どうも、ギブアンドテイクの関係を大切にするひとびとのようですね。

 冒険を積み重ねたうえで、命を預けあう関係性を築き上げる。相手が敵か味方かは、常に判断を繰り返す……」

「なんとなくわかるよ」

 クラージュはうなずいた。


「ソワレには戦う力があり、従者特有の無償の愛が理解できなかった。あなたたちと同じように、従者の美醜を判断材料に入れない子だった。

 ……美形が目の前にいてかしずくと、たいていの鉱脈はどんなに混乱していても、少しはもったいないかな、と思うみたいですけどね、本当は」


 クラージュが冗談っぽく言ったけど、全然おもしろくなかった。褒められてる気もしないし。

 私は肩をすくめるだけで返事しなかった。


「……戦闘になりました。ソワレに切りつけられてもラグルリンガは抵抗しなかった。我々がソワレを止めようとすると、ソワレは我々とも敵対し、ラグルリンガはソワレに味方した。

 ソワレは、自分がつけた傷から血を流しながら、それをかばうそぶりも見せない男におびえ、拒絶し、むしろ我々を頼りに思うようになり、ラグルリンガは……もはや、説明するのもばかばかしいような事態に。

 ――結局ソワレは、自分がこの世界にとってどういう存在か知りません。説明できていないので」

「……それもなんとなくわかる」

 クラージュももう一度うなずいた。


「ラグルリンガが恋しがれば恋しがるほど、ソワレは受け入れられないのだということにラグルリンガが気づいたときには、もはや、ラグルリンガとソワレは話し合いができる状態ではなかった。

 ラグルリンガは、姿を変えて、ソワレのそばにいることを選びました。

 元の姿のラグルリンガは、狼のラグルリンガの縁者ということにして、食事をやめた狼を思うあまりに混乱したゆえのことだから許してほしい、もう二度と姿は現さないからと。

 我々は姿を変えた従者と鉱脈の、新たなファーストコンタクトをそんな風に演出し、今に至ります」

「それで通じたの?」

「ふしぎでしょうか? 通じました。あっけないほど簡単に。人間は自分に理解できる答えを求めるものですから。

 後からソワレも、自分は狼に育てられたから、あいつの気持ちがやっと分かったと言っていました。

 ラグルリンガは観察していたのですね。ソワレの衣服に狼の毛がついていたことを」



 ――そんなにまでして、どうしてラグルリンガはソワレが好きなんだろう?


 自分を自分でなくしてまで。シダンワンダやナルドリンガもそうなんだろうか?


 それに、そんなにまでして、どうしてこの人たちは宝石が欲しいんだろう?


 ……そりゃ、私だって宝石をもらえるよって言われたらうれしくなっちゃうけど、でも、誰かのことを誘拐してまで欲しいものじゃない。

 それを、百代ぐらいも続けているなんて。



 私は湖のことを思い出していた。


 真っ白の湖が透明になって、きらきら金の針を散らしてゆらいでいたことを。

 それに、今目の前でこんなにも明るく輝くステンドグラスのことも。


 こんなに、もっと面白いものがいっぱいある、地球よりずっと文明が発展した世界で、まだ富とか宝石とかそんなものが、人権よりも価値のあるものとして取り扱われていること自体、なんだか絶望的に思える。


 ソワレや幹也や私や葉介を誘拐したり、受け入れられないものをだまして受け入れさせたり、鉱脈の従者たちだって、地球だったらストーカーだから捕まえたりするのに、野放しにして、結果自分を傷つけさせて、そうしてまで、どうして……



 気持ちがもうついてこなくて、座っている元気もなくなって、私はずるずるソファに横倒れた。

 クラージュはすかさず、私のスカートのすそをかばって自分の上着を私の腰にかけてくれる。

 ……クラージュだって。クラージュだって、こんな風に、私のちょっとしたことまで気にかけてくれるのに、どうして、どうして、もっと大切なことを、どうして…… 



 しばらく待っても、くやしくて何もしゃべれなかったので、私はビロード張りのソファに涙を吸わせながら言った。

「……帰る。あんまり遅くなると心配するから」

 クラージュは静かな声でささやくみたいに言った。

「……わかりました。ジュノを呼んできます。ここで待っていてください。……また、今夜」


 ……どうして、どうして、どうして……


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