03 空を飛ぶねことうみがめの幽霊と、竜
あれからもう、早一週間が経とうとしている。
あのあと、「後でお返ししますね」の言葉通り、一度はどろどろに溶かされた包丁とバットはなんの痕跡もなく元通りになって返却されて、こっそり台所に戻す方に骨が折れたのはさておき、私たちは今後のことについて打ち合わせた。
まず何よりも、呼び出すタイミングは必ず事前に連絡すること、特に平日の昼間は絶対に呼び出さないこと。
親バレしたくないので、夜でも約束の時間以外は絶対に呼び出さないこと。
これが守られなければ座禅の修行でもなんでもして、感情が動かないように、そちらの思い通りにならないようにする努力を最大限にするし、そのほか考えられる限りの方法でそちらを煩わせる、みたいな感じ。
ていうか初日と翌日はたまたまよかったけど、幹也は特進クラスだから、日によって七時間授業だったりするし、葉介はもっと悪くて、なんと部活がある。大会前だったら帰りが10時すぎることもあるし、土日もどちらか片方しか休みじゃない。ただでさえ自由時間が少ないのにマジでしんどい。
そういう私だって、週に二回、塾がある日は遅くなる。毎日毎日親から隠れて異世界召喚されてたら、間違いなく日常生活が破綻する。
葉介は不思議と割り切ってしまって、早いけど部活引退するかな、とかのんきなことを言ってるので、私はあわててメイン窓口を葉介と交代した。二年生の春に部活をやめなくちゃいけないとか、そんなの人生に影響する。
ていうかこれはいったいいつまで続けなくちゃいけないんだろう。
例えば大学に入ったら私だってサークルとか入ってみたいし、飲み会って終電近くまでやったりするんじゃない? 知らないけど……。
さらにもっとかかると、結婚とかもムリじゃない? それは困る。
感情を搾取されるのはまあ受け入れたけど、人生まで搾取されるのは受け入れてない。
葉介は「一体何をいまさら、それ覚悟せずに安請け合いしたの?」ってあきれてるけど、あの瞬間まではどうしたら請け合わずにすむかしか考えてなかったんだから仕方ない。
とりあえずだけど、私たち三人のこれからしばらくの、おおまかな予定表はクラージュへ出した。
剣道部の葉介は朝練も夕練もほとんど毎日あってめっちゃ忙しいので、平日は夜の11時から12時までの一時間で勘弁してもらう。
代わりにテスト一週間前からテストの最終日までの二週間は部活が休みになった上、テスト中は午前中で学校が終わるから、その間はテスト勉強もグラナアーデでする。
特進クラスの幹也は逆に、テスト期間も授業が短くならないかわり、毎日一時間ずつの延長授業があるだけで……いや私はごめんだけど、夕方の自由がききやすい。
テスト期間中でも、特別の勉強は必要じゃないから、葉介よりはまだ……だけど、幹也は一人の時間がないとダメなタイプで、静かに過ごすのが好きだから、全部グラナアーデでの時間にはつぎ込めない。
今の状況に一番向いてないタイプだから、様子を見てほしいとお願いした。これは断じてゆずれない。
私は週に二回、苦手科目の数学を一時間半やる塾があって、その日は少し遅くなる……のと、きょうだいの中で一番社交的なタイプで、友達と遊びに行ったりがかなり多い。余裕はあるけど、ヒマかというとヒマじゃない。
本当は帰りがけに友達とパッとしゃべってカラオケ行ったりしたいんだけど、それはあきらめて、前日に翌日の予定を聞いてもらう形で落ち着いた。
それから当然、夕飯の時間に万が一でも帰りが間に合わなかったらヤバいから、ご飯は食べてから行きたいし、アメリカ出張中のお父さんとちょくちょくテレビ電話してるから、ヒマな日でも実際夜八時くらいまでは家にいないと突然呼ばれたときにまずい。
あとこれは絶対なのが、必ず幹也か葉介を呼ぶときは、必ず私をセットにすること。
クラージュにデメリットのある話じゃないから抵抗されずに取り決められたけど、私にとって一番大事なのがこの条件だった。
だって、変態のストーカーがいるところにきょうだいを一人で向かわせる家族がどこにいる……?
赤いストーカー・ナルドリンガと青いストーカー・シダンワンダがいる限り、私がいないときには葉介も幹也も呼び出さないでほしい、三人揃っていられることってあんまりないかもしれないけど、少なくとも必ず、一人で呼ぶのはやめて、ってお願いしてある。私も含め。
ナルドリンガもシダンワンダも控えめな笑顔が怖いからよけい怖い。
『身の安全は保証します』って言われてるけど、まずクラージュをいまいち信用してないし。
けっこううるさく注文をつけたつもりだけど、クラージュは笑顔でスケジュール表を受け取って、今のところ……まだ一週間だけど……その通りにしてくれている。
大丈夫なんだろうか。今のところ最初にビビるだけビビらされたあとは、搾取されてる感じがあんまりないんだけど。
ノルマとかないの? って聞いたら、ぼくにはそれと似たようなものがありますが、気にしないで、みたいなことをクラージュは笑顔で言った。
こわい。ノルマが私たちじゃなくてクラージュに課されてるところが。
一切の覚悟が決まらない。何させられるかもわかんないし。多分不安なのもクラージュの手のうちなんじゃないだろうか。
――いいよ、鉱の姫、やるよ、って言わされたあの晩のことを思い出すと、私も胸が痛い。
岸に戻った私を見る幹也の目は、ますます絶望的っていか、あきらめきった悲しそうな感じで、ずっと黙りこくってしまっていた。
幹也には悪いことをしてしまった……。幹也が悲しそうにすると私もすごい悲しい。今となっては幹也の気持ちもわかりまくるし……。
でもほんとに、クラージュも言ってたけどマジ、私たちに抵抗する方法はないわけだし……前向きに受け入れるのと後ろ向きにあきらめるのとでは今後のメンタルに影響あるわけだし……。
私たちはあずまやから遠目に見えていた、あのお城の一室、紅玉鉱脈か青玉鉱脈か軽銀鉱脈か、とにかく私たち用に与えられた部屋で呼び出されるようになった。
呼び出したら入れ墨だらけの魔法使いAは無表情で私たちを見下ろしてふいっとどこかへ行ってしまう。
そしたら、葉介と幹也は別行動、私は幹也優先で付き添う。
葉介はかなりこっちの世界を楽しんでるみたいだ。
へとへとになるまで剣道をやってるはずなのに、11時すぎにこっちにくると竜の厩舎へ飛んで行って1時過ぎくらいまで日本に帰らない。翌日七時には学校で朝練を始めてなきゃいけないのに、そっちもバリバリこなしている。体力がやばい。私にはついていけない。
ついていけないので私が眠くなったら引きずって帰ってる。
反対に……幹也はもう、完全に内に閉じこもってしまった感じ。
一応幹也の性格を考慮したのと、三人がバンバンいなくなると怪しまれるから、家でのアリバイ作りもまあ必要なのとで、平日のうち二日と休日のどちらか、のシフトでグラナアーデに来てもらっているのだけど、初日からしてまず、与えられた個室でふて寝してたところ、シダンワンダが執拗に膝枕をしようとするので完全にキレてしまったのだ。
こっちにいる間の幹也は、私や葉介が相手でも、ほとんど口もきいてくれない。
ふて寝もさせてもらえない幹也は、とにかくお城の中を歩き回りまくっている。動いている間はべたつかれないからだ。先頭幹也、隣に私、後ろにシダンワンダとクラージュ、みたいな、変な行列を作って歩きまくる。
幹也が歩き疲れたときはトイレに閉じこもる。
止めてもやめないシダンワンダのノックがまた執拗すぎるので、根負けしてだいたい15分くらいで出てくる。で、また歩く。
おかげですっかり廊下に詳しくなってしまった。あと厩舎。ドラゴンの生態。
感情を搾取するのが目的だから、クラージュも幹也へフォローは入れてくれないし、葉介はほっとけばそのうち機嫌直すでしょ、くらいに思っててほったらかしだし、加減を知らないシダンワンダがべったりするせいで火に油だしで、さすがの私もこの状況ではうまく幹也の機嫌が取れない。
幹也のいる日は葉介のことをほったらかしにせざるを得ないところ、葉介が赤いストーカー・ナルドリンガのことを特に気にしてないのが不幸中の幸い……でも本質的にはシダンワンダと多分一緒なんだろうな……。
本当は葉介のことも、ストーカーと二人きりにしたり目を離したりしたくないのだけど、今は幹也が放っておけない。
考えてみれば、今日はなんか気が乗らないからムリ、みたいなときこそ、こんな風に無理やり呼び出されてムカつかされる、っていうパターンが私もこれからきっとあるんだろうな……。
想像するだけでムカつくけど……。
今夜の仲良し三きょうだいのうち、幹也はお休み。家で多分本かなにか読んでるだろう。
真っ黒の魔法陣が、真っ白の床からまたしゅるしゅる縮んで魔法使いAの入れ墨へ収納されていくのもそろそろ見慣れてきたような気がする。
出迎えは三人。クラージュが胸に左手を当てて、もう片方の手をゆったり広げる礼をする後ろで、赤青二色のストーカーが立っている。
今晩私がお供してた葉介は、「や」とか「よ」とか、一文字でクラージュ、魔法使いA、それにナルドリンガに挨拶して、私がついてくるのも確認しないで、ドラゴンの厩舎へすっ飛んでいった。
その背中を赤いストーカーナルドリンガが駆け足で追う。
葉介のこの、状況に対してあんまり悪く言ったり、恨みを表明したりしないところはなんか、ほんとにすごいなって思う。
というかむしろ楽しんじゃってるし、ナルドリンガのことも仲良く……はないにしても、あの隙あらば足を舐めようとするストーカーともほどよくやってけるのはマジ才能だ。きょうだいの中で一番私が社交的、と思ってたけどそれはうぬぼれだったかも。
葉介とナルドリンガはなんか、いい関係を築いていけるかもしれない。
私がガードしなくっても。この世界のドラゴン、かなり知性を持ってる感じだから、ドラゴンの目から見て犯罪的なことは止めてくれると思うし、厩務員さんもいるし、その人はいい人そうだし、私がいなくても二人きりになることはない。
私は今日はなんとなく、その二人を追わずに見送った。もしかしたらお邪魔虫になってる可能性さえ感じたからだ。
愛さえあればストーキングもコミュニケーションだから。知らないけど。心配だけど。すっごいすっごい心配だけど。
残されたのは私とクラージュ、魔法使いA、青いストーカーことシダンワンダだ。
幸せそうなナルドリンガとは反対に、シダンワンダは私と葉介しか来なかったからか、ぽろぽろ涙をこぼし始めた。
もしかして、幹也が来ない日はいつも泣いてるんだろうか……? いつもは葉介と一緒に飛び出して行ってるから気づかなかったみたいだ。
なんかあのー……さすがの私も心が痛む。
アイスの棒を盗まない、足をなめない、トイレの前で待ち構えない、程度にコミュニケーションしやすい姿勢を取ってくれれば、私もちょっとは取り持とうかという気持ちになれると思うんだけど。こんにちはさよなら程度のあいさつも、できればほしい。
クラージュからも適当に言い含めておいてくれないだろうか。まずは交換日記から、みたいな。
あんまりストーカーを刺激しないように、やさしめの声を心掛けて、私はそっと話しかける。
「ええと……シダンワンダ。……今日は私と遊ぶ?」
シダンワンダはガン無視で部屋を出て行った。
私はクラージュと魔法使いAと部屋に取り残される。一瞬心を痛めただけにムカつきもひとしおだった。
……そういえば魔法使いAの名前なんだっけ。
ちらっと見上げた魔法使いAは、めっちゃ怖い顔で……と思ったけど、よく見たらほとんど無表情というか、カピバラ程度に珍しい動物を見るような視線を私に向けつつ、スンッてしていた。
というかこのことには2、3日前から気づいていて、普通にただ暗い人なのかなという気がしていた。めっちゃ話しかけにくいことには変わりないけど。
目と目があったせいで、Aは何か用でもあるのか、と言わんばかりに私を見下ろしている。
どうしよう、名前なんだっけって聞きにくい……。
「ジュノ・リブラン・コルトワール」
沈黙が重いな、やだな、と思い出したころ、クラージュの涼しげな声が聞こえた。
……名前覚えてないのを見透かしたんだろうな……やだな……。
思わずちょっといやな顔をしてしまったが、ジュノ・リブラン・コルトワールはその通り、とでもいうようにうなずいて、で、去っていった。
やばい。明日もリブラン・コルトワールのところまで覚えてるかわからない。でもたぶんもう一回名前教えてって言ったら傷つくかもしれない。
でもどうすることもできない。部屋に、私とクラージュ・なんとか・なんとかが取り残された。
彼は愛想よくほほえんで、立ちっぱなしだった私へ椅子をすすめた。
「こんばんは、花奈さん。今日は葉介さんとは別行動ですか?」
「まあね……葉介のことは心配しなくてもいいかなって気がしてきて」
心配なのは幹也と、この悪い魔法使いと二人きりになってしまった私自身のことだ。
クラージュの、泣きながら出て行った女の子を一顧だにもせずに、あと無視されて腹を立ててる私にも、それぞれ一切フォローらしきものを入れずに世間話に突入するところ、こわいなーって思う。
たぶんぜんぜん興味が無いんだろう。私にもシダンワンダにも。
……という、あきれ半分の感情が顔に出てたのか、それとも石の出具合を感知する仕掛けかなにかがあるのか、さらにそれともクラージュは私がクラージュにムカつくことさえ織り込み済みで挑発してるのか、ほとんど表情を変えずに、やさしげに言う。
「あなたがシダンワンダをどうするのか見ていようと思って」
無責任な。幹也とシダンワンダの問題は、私とクラージュの問題だと思ってほしいんだけど。
「たとえばムカつきの気持ちから生まれたサファイアは濁っているとか、そういうのないの? クラージュ、私たちを拷問するつもりはないって言ってなかった? 怒らせたり失望させたり」
「………」
さすがにこれにはクラージュも、一、二秒くらい思案げにした。
「少なくとも幹也にはシダンワンダのこれ、間違いなく拷問になってるけど」
さらに言い募ると、またクラージュはまばたき一つ分くらいの間、だまった。
「そうですね……。こちらで起こることで不愉快な思いをさせているのは、こちらの不行き届きです」
……口先だけの信用のならないやつだ。
私は追及をあきらめ、というか見捨て、自分の時間を過ごそうかなと考え始める。スマホは圏外だからなにか適当に、暇つぶしを考えなくちゃ。お城の中で、できることを……。
ここは……、静かなところだった。
この世界に来てからというもの、生きた人間はジュノとクラージュ、ナルドリンガとシダンワンダしか見ていない。
ほかの鉱脈もいる、って話だったのに、気配すら感じたことがない。
いや、鉱脈どころかメイドさんとか執事とか、そういうのもいない。代わりを務めるのは顔と命のない人型機械、あと、クラージュ。
お城も、ふしぎなつくりのお城だった。
小高い丘を選んで建っていて、遠目にも分かった通り、ものすごくアンバランスな構造をしている。
地面に接してる、狭い一階フロア部分……といっても体育館くらいはあるのだけど、そこからエレベーターと一体になった螺旋階段が三方に分かれて上階層へ伸びており、風船みたいに膨らんでいく。
それに柱を兼ねたみたいな尖塔があちこちからぴょこぴょこ飛び出していて、それに中東風の丸い屋根や、西洋風のとんがり屋根がいりまじってくっついて……まるでびっくり箱を開けたみたいだ。
壁はほとんど全面色とりどりのステンドグラスの窓で飾られていて、月の光が照ると、元は白い色の壁も床も、全部が虹色に光る。
照明は用意されてるけど、月の出ているうちはあまり使わず、廊下をあえて薄暗くして、その光を楽しむ趣向だそうだ。
城内はおおむねドーナツ型の構造で、外円に廊下がぐるりと取り巻き、内側に向けて台形の部屋がついていて、わたしたちも一部屋ずつもらっている。ほとんど使ってないけど。
そちらも同じようにステンドグラスと白い壁で飾られていて、『暮れ方、明け方の城の輝きは天上もかくあらんというほどですよ』ってクラージュは言って多分なんか誘ってくれたみたいだけど、二人が見たがるかよくわからなかったのでハハハって流した。
私はかなり見たいけど……二人は多分いやがるだろう……。
他にも、図書室があったり音楽室があったりする。らしい。
さらにはダンスホールがあったり温室があったり、スカッシュみたいなスポーツができる運動スペースがあったり、普段の料理をする厨房以外に、鉱脈たち専用の調理室もあって、クッキー焼いたりケーキ作ったりできるんだとか。見てないけど。
ほかにもお裁縫専用の部屋、染物専用の部屋もあるとかなんとかかんとか。見てないけど。
代わりに、お城のくせに、謁見の間とか執務室とか会議室とかそういうのはない。らしい。事務スペースはちょっとだけある。らしい。
ただただ、鉱の姫が、楽しく暮らすためだけのお城だ。牢屋といってもいい。やりたいことはこの中で全部やらせてやるから出ていくんじゃないぞ的な……。
他の鉱脈の子もお城の中にいる……らしいけど、今のところはまだ会っていない。
夜遅くて、会わせてってお願いできるような時間じゃないし、まだそこまでくつろいで、色々お願いしたいような気分でもないし。
あとクラージュの監視がきびしい。
監視っていうか……いやでも感覚的には監視だ。搾取されている感覚はなくても監視されている感じはめっちゃある。
なにしろトイレ以外はどこにでもついてくる。トイレ行きたいなーって思ったら、いつの間にかフワッと気配が消えて、トイレから帰ってきたらまたフワッていつの間にかいる。こわい。何も言ってないのに。それ以外はだいたい全部いる。
いや、ナルドリンガとシダンワンダは二人がトイレに行くときも、言い含めないとついてくるらしいから私はまだ恵まれてる方かも……? いやだまされない。ヤバい。こわい。
監視が厳しい中でも楽しめそうなことと言ったら……やっぱり図書室だろうか? 私に読めるかは知らないけど、洋書だって挿絵を眺めたりするのは楽しいんだし、なんとか今晩ちょっとの間の暇つぶしくらいにはなるだろう。幸い、幹也の競歩に付き合ってる間に図書室っぽい部屋のドアは見つけてある。
気乗りしないながら、ここにい続ける方がよりいっそう気乗りしないし、さて、と歩き出そうと思った瞬間、ふと、クラージュが思いついた、みたいに言う。
「――子猫を見に行きませんか、花奈さん。実は図書室には、物語のたぐいは置いていないんです。図書室では退屈するかもしれません」
「見透かさないでくれるかな!?」
思わず友達みたいに突っ込んじゃって後悔する。
「せいいっぱいおもてなししますとお約束しましたね。普段はなかなかそうはいかないけれど、今日はぼくにエスコートさせていただけませんか。
子猫の飼育小屋は竜舎のそばにあります。葉介さんが大声を出せば十分聞こえる距離ですよ」
「見透かさないでくれないかな……?」
とはいうものの、これは私の悪い癖なんだけど……面白そうなこと始められるとついついていってしまうところがあるというか……あらがう理由もデメリットも、私の反骨心以外にはなかったので、私はクラージュの隣をとぼとぼついていった。
もしかしたらクラージュと二人きりになるのは初めてかもしれない。
ふだんはしない世間話らしきことを、クラージュとした。というか、一方的に質問をうけ、私が一方的に答えた。だってしょうがない、クラージュに興味がないんだもの……。何の疑問も浮かんでこない……。
クラージュのほうは相手が話したいことを見つけ出して質問するのが上手なんだな、とぼんやり考えながら、とぎれない会話のおかげで気まずさを感じずにすむ。
「三人とも植物から名前をとっておそろいにしているんですね」
「うんそう、三つ子だったからみんな体重軽めだったの。で、三人力を合わせて一本のすばらしい木になりなさいって意味がこもってて」
「すてきですね。花奈の字はどのような意味があるんです?」
「顔を見て決めたって言ってたけど、かわいいお花をつけて、すてきな実をつけなさいって意味だって。幹也は長男だったし、特に軽かったから丈夫に育ちますように、って名前になって、葉介はなんか空気読んでる感じだったから、軽やかに楽しく、って葉介……」
「生まれたてのころからそうだったんですね」
「うん、生まれたころからずーっとそう……私たちはずーっと、よりそって育ってきた一本の……あ、これはなし。ちょっとクサいから」
「わかりますよ。とても」
……ほんとに分かってくれてるんだろうか。最近葉介も幹也も忘れちゃってるみたいなのに。
この変な形のお城から少しだけ離れたところ、真っ白の湖畔のあたりに竜の厩があり、葉介は毎晩そこにいりびたっている。
牛なら牛舎、豚なら豚舎とか呼ぶことを思うと、竜舎って呼ぶのがまあ適当だろうか。これがものすごく広い。ドーム状の目の粗い檻がついており、夜のグラウンドみたいに全体を明るく照らされていて、ほとんど昼間みたいに明るくて……舎っていうかもう牧場かもしれない。
あまりに広いその牧場の中に、一つ小さな温室がしつらえてあったのは遠目に見て気づいていたけど、その中で、猫とか、そのほか見たこともないような鳥とかを飼ってるのにはもちろん気づいていなかった。
クラージュはその草木あふれる、竜舎とは正反対に明かりを最小限に落とされて青くうすぐらい温室に私を招き入れると、中央の噴水の前に据えてあった、磨いた石のテーブルセットへ私を案内した。
クラージュが猫を見ませんか、とわざわざ誘うだけあって、植木にまぎれてそこらじゅうに猫がいた。
しかもクラージュの言う通り、葉介の様子がちゃんと見える。
葉介は窓ガラスの向こう側で、自動人形に手綱を取って引いてもらいながら、竜にまたがって緊張の表情を浮かべていた。
これならまあいいか、と、私は冷たい石の椅子へ腰かける。
クラージュのいうことにのっかるようでしゃくだったけど、正直めちゃくちゃかわいかった。猫の集会に混ぜてもらったみたいで。
わりと広い温室の中でも、絶対にテーブルセットのまわりでくつろぐとみんなして決めているようで、猫たちはしばらくの間、私をじっと見つめていたけど、そのうち、テーブルの上まで音もなく駆け上がってきてくつろぎだす。
クラージュは私の手のひらをとってそのうえに、たぶん猫のおやつを少しのせた。猫たちは品をたもちつつよってくる。
「鉱脈たちと遊ぶのに慣れていますから、愛想がいいと思います」
クラージュもすでに、毛の長いゴージャスな白い猫を膝の上になつかせていた。よく見ると背中に小さな翼が生えている。
私の手のおやつも、茶色の二、三匹がたかって舐めあう。空いた手で背中をなでさせてもらった。
「こちらはさる鉱脈が革命の折に連れて逃げた猫で、純血種とよべるのはもうこの一匹のみ。先祖は主人の危機の折、黄金に輝く四対の翼を顕したのだとか。
そちらは別の世界の産です。数十年前にやってきた鉱脈が、ひとつがいで連れてきたものの子孫。口から冷気をふきますので気をつけて」
クラージュがおどけた風にちらと視線だけを上へ上げる。つられて見上げると、透き通ったうす緑のうみがめが、ガラスの天井のそばをゆうゆうと通過していった。
「えっうみがめ」
「あれはうみがめの幽霊みたいなもの。人にはなつきませんが、こうしてゆっくり過ごしていると、向こうがぼくらを気にしなくなります」
「マジで……」
私が感心まじりのため息をつくと、クラージュはしばらく黙って、猫と遊ばせてくれた。
猫の毛はなめらかだった。どこを撫でたらいいかわからなくて背中をそーっとなでていると、猫のほうから不出来な人間を指導するように、寝っ転がって脇腹を示したりする。正直めっちゃかわいい。
きめこまかい柔らかい毛のしっぽを手首にからめてするするとなで返されたときは、上手になでられたごほうびみたいに思えて正直めちゃくちゃうっとりした。やばい。これは入りびたってしまうかもしれない。
葉介はあの竜のほうがいいんだろうか……気位が高くてなかなか撫でさせてもくれない竜より、見た目がかわいい猫とカメのほうが断然いいとおもうんだけど……。
クラージュは非現実的なほどきれいな蝶が、噴水のふちで、るり色の翅をまばたきのようにゆらめかせて水を飲んでいるのを見つめている。
猫はふしぎと蝶を気にしない。もしかしたらあれも、蝶の幽霊みたいなものなのかも。
「湖城シュツルクにいるのはみな、行き場のないものたちばかり」
「…………」
一緒にしないで、と言うのもおとなげない気がして、黙っていた。
……あと、実は一理あるような気がして、黙っていた。
私は、行き場をなくしたりしたつもりはないんだけど。学校には友達もいるし、お父さんは単身赴任だけどお母さんはいてくれるし……
でも、葉介は幹也のことも私のこともほったらかして竜に夢中だし、幹也は視線も合わせてくれないし。
ずっと一本の木でいようね、って思ってるのはもしかして私だけなんじゃないかって、もしかしてそう思い知らせるためにあえてクラージュは私たちきょうだいの名前の話なんかを世間話のふりをして振ってきたんじゃないかって、さっきの話とあいまって、なんだか、すごく心細い気分だった。
猫たちは三々五々、テーブルをとびおりて木登りをしに行ったり、テーブルセットをはなれていく。
お客の少なくなったテーブルを見下ろして、おや、という表情をクラージュはした。
「……猫たちもおなかがいっぱいになったみたいですね。――少し歩きませんか。めずらしい花も咲いているんですよ」
心細かったので、これから先もっといやな思いをするんじゃないかっていやな予感さえしつつ、でも断る理由も見つからない。クラージュの立ち上がったのにあわせて、私は立ち上がった。
「……―――」
でも、動けなかった。窓の外が見えたから。ガラス窓の向こうに葉介が見える。
「……花奈さん?」
クラージュが私の視線を追う。
「葉介が飛んでる」
葉介が飛んでいた。竜にまたがって。竜は10メートルいくかいかないかの高さをぐるぐる回っている。
地面には介添えしていたはずの自動人形が倒れていて、ナルドリンガが棒立ちでそれを見上げたままだ。
私がのんきに猫と遊んでる間に。葉介たちの二人の表情は見えない。
「――そのようです。……あなたはここにいてください」
クラージュは落ち着いた声音をつかいつつ、私の肩を背中がわからそっと押して、下がっていろの合図をしたけど、私は全力疾走で温室からとびだす。
すでに葉介の足はあぶみから離れていた。竜が気まぐれに飛び回るのに合わせて、ときどきお尻が浮いているのもわかる。葉介はもともと運動神経がいいけど……明らかに落ちる寸前だ。
「花奈さん!」
クラージュの声が背中から追いかけてくる。答えてる余裕はない。
「葉介!」
「か……な、お前、今日は来ないんじゃ……!!」
「そんなんどうだっていいじゃん!」
葉介に余裕はなさそうだった。近づいてわかる。ナルドリンガは微笑んで見上げていて全然役に立ちそうにない。
「降りてこれる!?」
「……無理!!」
真下までくると、ドラゴンの翼が広がっていて全然葉介の様子が見えない。端的な返事だけが返ってくる。
どうしよう。どうしよう。
クラージュを探すと私のすぐそばまで来ていて、小さな銀色の笛をくわえて竜を見ている。犬笛みたいなものだろうか。竜を落ち着かせるような……?
効果は出てるのか出てないのか、竜は上下に跳ねるような変な飛び方をするのはやめたけど、まだ、落ち着いて地面に降りてこようという気持ちはなさそうだ。
せめて、せめてあぶみに足が届けば……
いや。
間に合わなかった。
葉介が宙に投げ出される。
悲鳴をあげる余裕もない。葉介が落ちる。すごい高いところから。
受け止められるはずもないのに私は駆け寄って両腕を伸ばした。
でも、どうしてか私も前へつんのめって……
「花奈さん!」
私のことはクラージュが後ろから引き寄せて支えてくれたのだ、と一瞬おくれてわかった。
アクセサリーがじゃらじゃらでごつごつ当たって、布だらけで視界が一瞬さえぎられる。あえてさえぎったのかも。葉介が落ちるところを見ないように……私はクラージュを突き飛ばし、でも離れきれず、首だけのがれる。
「葉介!!」
葉介はすぐそば、ナルドリンガの腕の中にいた。無事だ……多分。
どういう方法でか、ナルドリンガが受け止めたらしい。見た目に似合わない怪力で、赤い髪の美少女は苦もない風で葉介を横抱きにしてにこにこしている。
「よよよ、葉介、け、けがは……」
「平気……花奈は?」
私と葉介は青ざめたまま、互いにだれかそのへんの人に抱かれているきょうだいをそれぞれ見つめあった。
私が胸をもう一度押すと、クラージュはゆっくり離れたけど、ナルドリンガはそういうニュアンスが伝わらないらしい。口で葉介が噛んで含んでおろせと言って、ようやく葉介は地面に足がつく。
「あ、あ、あ、ありがとう、クラージュ……」
「すみません。ぼくの責任です。説明不足でした」
お礼の返事は謝罪だった。
「いや、俺が悪い」
葉介はかぶりをふる。
背中の乗員を振り落とした竜はまだゆうゆうと飛び回っているので、わたしたちは竜舎のそばへ移動した。ふと舞い降りる気分になったとき踏みつぶされないように。
私は情けないけど腰が抜けていたので、地べたに座り込んだ。
なぜか、そしていつの間にか、ジュノも来ていて、ただ険しい顔で、黙っている。
やがてクラージュが聞く。
「……なぜこんなことに?」
「俺が調子にのった」
言い訳は男らしくないとか、そういうことを考えているんだろう。でも反抗期を超えてもうすでにしばらくたったはずの葉介は、私が冷たくにらんでも黙ったままだった。
「――自動人形はナルドリンガが?」
あの場所に放置されたままの、自動人形を見やってクラージュが問いかけてやっと、葉介は言った。
「そろそろ飛びたいな、って俺が言ったら、はい葉介、ってナルドリンガが自動人形に触って……細かくは見てなかったけど、そのあと人形が倒れて、竜も飛んで……」
クラージュの眉のあたりに憂いがはしる。
「……鱗でも剥いだかもしれませんね」
「えっそれ……」
それ、虐待じゃない?
まだにこにこして葉介にぴったりくっついているナルドリンガがよりいっそう不気味に見える。
「俺が悪いんだよ。竜の制御の方法も知らないのに、面白半分で言ったから」
私のドン引きの表情をみとめたのか、葉介は何度もくりかえす。クラージュはそのようすをじっと見ていて、やがて言った。
「……鉱脈の従者に倫理は存在しません。何の気なしでも、そういうことは口に出さないように」
葉介はうなずく。それから、クラージュの視線は私へ。クラージュは膝をついて、私と視線を近づける。
「花奈さんも無茶はしないで。心と重力を操ることはできないんです」
「そうだよ、花奈、お前は怪我無いの?」
「えっないけど……なんで?」
二人の視線が集まって、ついでにクラージュからは手までとられ、若干ひるむ。
「いや……」
ひるんでいるのは葉介も同じだった。でも、最終的には言った。
「いや……俺が落ちたときナルドリンガが花奈を押してたから」
「えっ」
そんなことあったっけ。
全然記憶になくて私はナルドリンガを見た。ナルドリンガは一切こっちを見ないし何も言わない。にこにこ幸せそうに葉介を見ている。
しょうがないのでクラージュを見つめると、クラージュはゆっくりしたまばたきだけをした。肯定よりの意図をくみとる。
そうか、そういえばつんのめって転んだ気がする。それを支えてくれていたのがクラージュだった。
なんていうか……押してごめんねとか、竜の鱗をはがしてごめんなさいとか、なんとか言ってほしい。
葉介がけがをしないですんだのは確かにナルドリンガのおかげだけど、もとはと言えばナルドリンガが原因だったみたいだし、という、この……この感じ……このもやもや……
「……今日は帰ろう、葉介」
私は立ち上がった。
正直腰は抜け気味だけど、正直ナルドリンガが不気味すぎて、ここでのんびり過ごすとかどころではない。
「それがいいでしょうね」
私に合わせて立ち上がったクラージュも、思いがけず送り出してくれる風だ。
葉介は何も言わなかったけど、すぐジュノが軽くうなずいて、さっそく、しゅるしゅるジュノの入れ墨が動き出し、私たちに絡みついていく。
一転、悲しげなのはナルドリンガだったけど、ちょっと今は、ナルドリンガのことをおもんぱかっていろいろ調整する気分じゃない。