マッドサイエンティストに目覚めた翼竜の野生
間断無く鳴り響く銃声と壮烈な爆発音が、もう間近にまで迫っている。
研究所の随所に設けた防衛システムも、護衛として配備していた竜人兵の部隊も、私が計算していた程は保たなかったようだ。
人間サイズにまで成長させた爬虫類を二足歩行出来るように遺伝子改造した竜人兵は、私としては自信作だ。
だが、謀反を恐れて知能を高く設定しなかったため、高度な作戦行動が苦手になり、形式通りの戦闘しか出来なくなってしまったのは、今回の敗戦の大きな要因と言える。
「知能を人間並みに引き上げた上で、絶対的な忠誠心を植え付ける。これらが両立出来ていれば、或いは…」
今更このような繰り言を呟いていても無意味な事は、重々分かっている。
「この大野生物学研究所も、今日が最後の日か…」
感慨に浸る猶予など、もう私に残されてはいない。
別れを告げる時が迫っていた。
学会から追放された憎悪を糧に生体兵器の研究へ没頭した日々にも、南近畿地方の片隅に設けた我が研究の牙城にも。
覚悟を決めた私は背広に忍ばせたピルケースを取り出し、中のサプリメントを水無しで嚥下した。
「これから私がとる行動は、自殺行為でもなければ負け犬の逃走でもない。天才的頭脳を守るための勇気ある転進なのだ…」
そう呟いた、次の瞬間。
一際大きな爆発音が空気を揺るがし、軍用ブーツの無粋な足音が、私の潜む地下培養室を土足で踏み荒らしたのだ。
紺色の制服に黒いアーマーとヘルメットで武装した女性士官が、一気に雪崩れ込んでくる。
「目標補足!直ちに包囲開始します!」
完全武装の下士官達は訓練された精密な動作で私を包囲し、着剣したアサルトライフルを直ちにポイントした。
鋭利に磨かれた銃剣と、鈍く輝く無数の銃口。
そして何より、武装した小娘共の眼差しが私を冷徹に見据えている。
その冷静で精悍な眼差しは、年頃の娘というよりも訓練された猟犬を思わせた。
「お、おのれ…」
国際平和の守り手を自称する、人類防衛機構の兵隊共め。
権力の犬でしかない貴様等如きに、私の崇高なる理念が分かってたまるものか。
「大野総一郎博士!生体兵器密造と武装蜂起準備の現行犯で、貴方を逮捕拘束します!」
軍装した小娘共を指揮する若い女は、OLを思わせる黒いパンツスーツ姿だったが、その鋭い気迫は部下達とは桁外れだ。
遅れて駆けつけた警官隊など、この女に比べれば単なる民間人に思えてくる。
人類防衛機構の中でも事件捜査に特化した、特命警務隊の捜査官に違いない。
「大人しく投降なさい。抵抗すれば容赦なく射殺します。」
「私の学説を認めなかった愚か者共め…我が研究成果であるサイバー恐竜の力、思い知らせてくれる!」
小娘共に怒鳴りつけながら、私はリモコンのボタンに力を加えた。
培養液に満たされたカプセルが炸裂し、太古の恐竜をサイボーグ化させた生体兵器の群れが、雄叫びを上げて次々と解き放たれていった。
「我が愛しきサイバー恐竜達よ…全てを破壊し尽くすが良い!」
サイバー恐竜が巨体を揺さぶって荒れ狂う度に、研究所の施設がみるみる倒壊していく。
何もかも御誂え向きだ。
そして予定通り、一羽のサイバー翼竜が私目掛けて急降下で突っ込んで来た。
機械と融合したプテラノドンの優雅なフォルムと硬質でメタリックな質感が、実に美しい。
「ああっ!サイバー恐竜が大野博士を捕食した!」
「自らが産み出した生体兵器に食われるなんて…道を踏み外した科学者には相応しい末路ね!」
アサルトライフルを武器にサイバー恐竜へ応戦しながら、小娘共が好き勝手に喚き散らしている。
『そう信じたければ、そう思っていろ…』
頭をサイバー恐竜の嘴にくわえられながら、私は軽く口元を歪めた。
「このままでは我々も巻き込まれます…直ちに脱出の後、支局からの増援部隊と合流して総攻撃を開始しましょう!」
「はっ!承知しました、長堀つるみ主任!」
小娘共の喧騒を子守歌代わりに、私は意識を手放した。
麻酔と細胞融合薬を配合したサプリは、痛みを完全に消してくれるはずだ。
脆弱な人間の身体とは、これでお別れだ。
次に目覚めた瞬間、私の身体は大空を舞っていた。
「やったぞ…成功だ!私は自由だ!」
煙を上げて炎上する研究所の廃墟と、荒れ狂うサイバー恐竜の姿が、眼下に小さく映った。
私の頭脳を捕食したサイバー翼竜と融合変身し、脱出の後に再起を図る。
全ては事前の計画通りだった。
しばらくはサイバー翼竜としての生活を余儀なくされるが、支援組織と合流すれば恐竜人間への再改造手術が出来るので問題ない。
それに、翼竜の喉元に浮かんだ顔で眺める景色も、なかなか悪くない物だ。
私は文字通り、天にも上る心持ちだった。
この時までは…
最初のうちは順調だった。
壮絶な戦闘の末、研究所から脱走したサイバー恐竜は全て撃破され、人類防衛機構は私を死んだものと判断した。
これで私は、晴れて自由の身。
後は支援してくれるテロ組織の保護を待つばかり。
気まぐれに湖の水面へ己が姿を写してみたが、これもなかなかに悪くない。
サイバー翼竜の容姿については以前に言及した通りだが、融合変身を遂げた現在では、喉元に人間だった頃の私の顔が浮かび上がっている。
血の気が失せて紙のように白い、デスマスク染みた私の顔が。
人面瘡を彷彿とさせる今の姿は、常人ならば薄気味悪く感じるのだろう。
しかしサイバー恐竜への変身を遂げた私としては、人間性からの超越を実感出来て、なかなかに満足だった。
だが、私の身体には予想外の変化が起きていた。
理性が時折失われ、野生の捕食衝動そのままに行動してしまうのだ。
鶏に飼い犬。
乳牛に競争馬。
次々に貪り食った。
厳密には私ではなく、私の顔の上にあるプテラノドンの口が食べたのだが…
アイツが物を食べると、私も味覚を感じてしまう。
鮮血の滴る生肉を引き裂く感触と味覚が、この頃は快感になってしまった。
人間にまで食欲が湧いてしまうのは、もはや時間の問題だ。
人目に付くのを避け、金剛山の奥地に潜み隠れて野生の猪や野兎で飢えを満たしたが、日に日に私の理性は失われていくばかりだ。
私は計算に入れていなかったのだ。
所詮は運動面を司るだけで、人間の理性の敵ではない。
そう侮っていたプテラノドンの脳が、これ程までに強力な野生の本能を有していた事を。
かつて西日本学園大学で生物学の教鞭を取り、古代生物のクローン蘇生を提唱して脚光を浴びた私の頭脳が、こんな形で失われてしまうなど、あってはならない。
しかし、私の研究所は既に灰燼と化してしまっているし、協力者がいなければ再改造手術すらままならない。
今更になって自首しようにも、サイバー恐竜に変身した私は、人里に出れば速攻で殺処分されてしまうだろう。
仮に運良く人間として認められたとしても、犯した罪の重さを考えれば、極刑は免れない。
こうなってしまった以上、今の私に残された希望は、技術提供を見返りに協力と幹部の椅子を確約してくれた武装テロ組織が救出してくれる事だけだ。
それにしても、組織は何をグズグズとしているのだろう。
まさかとは思うが、私を切り捨てたのではあるまいな。
有事の際の保護を条件に、竜人兵士の塩基配列図と一部のサイバー恐竜の設計図を手土産として提供したというのに。
頼む、助けてくれ。
私を助けてくれたら、より高性能なサイバー恐竜が開発出来るのだぞ。
だが、私が人間として理性を持って思考出来るのも、もう長くはないだろう。
最近ではプテラノドンの野生本能の方が私の理性を上回り、この身体の主導権を握りつつあるのだから。
この私の顔が、サイバー翼竜の喉元に浮かび上がった単なる人面瘡と成り果てるのも、そう遠い日の事ではなさそうだ。
そんな絶望的な考えを巡らしているうちに、やがて私の身体は徐々に制御が効かなくなり、止まり木代わりの大木から脚を離したサイバー翼竜は、夜の空へと舞い上がった。
野生の衝動に駆られ、血に飢えた捕食本能を満たすために…