誕生日3
「……あ、あの! 渡したいものがあるんです」
恥ずかしさが限界を超えたわたしは、この流れなら渡せると思い、彼からそっと離れると、テーブルに置いてある自身のバッグから彼への誕生日プレゼントを取り出す。
フィリップ様にソファに座らないかと提案すれば、彼はすぐに移動してくれて。わたしは彼の隣に座ると、小さく深呼吸をした後、おずおずと紙袋を差し出した。
「本当に本当に、大したものではないんですけれど、お誕生日プレゼントです。受け取って頂けますか」
「…………俺に?」
「他に、今日お誕生日の方がいるんですか?」
そう言って笑えば、ぽかんとした表情を浮かべたフィリップ様は、戸惑った様子のまま「ありがとう」と言い、受け取ってくれた。開けてもいいだろうかと尋ねられ、恥ずかしいからできれば家で開けて欲しかったけれど、小さく頷いた。
まるで宝物を扱うかのように、ゆっくりと丁寧に袋を開けていく。そしてネックレスの入った箱を取り出し、そっと開けた瞬間、彼の瞳がひどく驚いたように見開かれて。
やがてその視線は、わたしの首元へと向けられた。実はわたしも今日、同じものを身につけて来ていたのだ。
「これは、君と、」
「はい、お揃いです。ええと、嫌だったら着けなくても、」
そこまで言いかけたわたしは、言葉を失った。
フィリップ様の透き通った金色の瞳からは、ぽた、ぽたり、と真珠のような大粒の涙が静かに零れていて。彼が泣いているのだと理解するのに、かなりの時間を要した。
「……すまない、あまりにも、嬉しくて」
まさか、泣くほど喜んでくれるだなんて思ってもいなかったわたしは、戸惑いを隠せずにいた。
……この人は、どれだけわたしのことが好きなのだろう。
彼の表情や言葉に、じんと鼻の奥が痺れる。わたしは視界がぼやけていくのを、ぐっと唇を噛んで堪えた。
「一生、肌身離さず身に付ける。本当にありがとう」
子供のように、ひどく幸せそうに微笑むフィリップ様の笑顔に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
それと同時に、身体の奥底から嬉しさと愛しさが一気に込み上げてきて、泣きたくなる。彼のことが好きだと、わたしは痛いくらいに思い知らされていた。
フィリップ様は涙を拭い、照れ臭そうに小さく笑うと、再び紙袋の中を覗き込んだ。
「まだ、あるのか?」
「は、はい。自信はないんですけれど」
そして彼が取り出したもうひとつの小袋の中身は、わたしの手作りのクッキーだった。レックスと買い物に行った後、ジェイミーにも相談してみたところ、何か手作りのものもあると尚いいと言われたのだ。
流石にもう刺繍はいいだろうと思ったわたしは、手作りのお菓子を贈ることにした。それからは我が家のシェフと何度も練習し、可愛らしい型を使ったことで、今回ばかりは見た目も味も普通のクッキーが出来上がった。
「これも、ヴィオラが?」
「はい。わたしの手作りです」
彼は「嬉しい」と目を細め、花の形をしたクッキーをひとつ摘むと、口に入れた。何度も味見をしたけれど、やっぱりどきどきしてしまう。
「……とても美味しい。驚いた」
「本当ですか? 良かったです」
「上達、したんだな」
美味しいと言って貰えたことで安堵するのと同時に、ふとひとつの疑問が浮かぶ。
わたしは今まで、彼に手作りのお菓子を贈ったこともなければ、お菓子作りが苦手だと言う話をしたこともないのだ。何故上達したということを知っているのだろう。
丁寧に残りのクッキーを袋にしまうと、彼はネックレスを早速身に付けてくれた。まるでフィリップ様の為に作られたのではないかと思えてしまうくらい、よく似合っている。
「本当にありがとう。人生で一番、幸せな誕生日だ」
「こちらこそ、喜んでいただけて良かったです」
彼はわたしから視線を逸らすと、ぽつりと呟いた。
「……幸せというのは、怖いものなんだな」
「えっ?」
「いつか終わりが来てしまうと思うと、怖くなる」
終わりが来てしまうとは、どういう意味なのだろう。尋ねようとした途端、不意にノック音が響いた。
「フィリップ様、そろそろ戻るようにとレックス様が」
「わかった」
そう返事をすると、彼は「戻ろうか」とわたしに手を差し出して。わたしは疑問がいくつか残ったまま、彼と共に会場へと戻ったけれど。
「あれ、フィリップ。そのネックレス、さっきは着けてなかったよね? まさかヴィオラからの誕生日プレゼント? ていうかヴィオラも同じの着けてるじゃん、お揃い〜?」なんて言い、冷やかし続けるレックスを含め、色々な人にお揃いのネックレスについて突っ込まれて。
羞恥で死にそうになっていたわたしは、いつの間にかそんな疑問は、頭から消えてしまっていたのだった。
◇◇◇
「まあ。無事渡せたのね。良かった!」
それから数日後。わたしはお父様に連れられ、家族ぐるみで付き合いのある知人の夜会に参加している。正直行きたくなかったけれど、ジェイミーも招待されていると知り、報告もしたかったわたしは、重い腰を上げてやって来ていた。
夜会はかなりの大規模なもので、沢山の招待客がいる中、わたしはジェイミーと壁際でお喋りに花を咲かせていた。
「クッキーも美味しいって言ってくれたわ」
「本当に良かった! 勧めておいてなんだけれど、あなたは昔からお菓子作りは苦手だったから、心配していたの。まあ、フィリップ様なら何でも食べたと思うけど」
「なんでそんなこと、言い切れるの?」
「……怒らないで聞いてくれる?」
上目遣いでそう尋ねてくるジェイミーに、嫌な予感しかしない。それでもわたしがこくりと頷けば、彼女は「エヘヘ」と笑うと、口を開いた。
「あのね、私、学生時代に調理実習でヴィオラが作った激マズ……じゃなかった、ブタさんのおやつ的なものをいつも貰っていたんだけれど」
言い直す必要がなかったのでは? と突っ込みたくなるのを堪え、わたしは彼女の言葉に耳を傾けながら、手に持っていたジュースが入ったグラスに口をつける。
「それね、毎回フィリップ様にあげてたの」
「っげほ、ごほ、」
次の瞬間わたしは吹き出し、死ぬかと思うくらいにむせていた。本当に待ってほしい。
あんな、人間の体内に入れると健康に害がありそうな、美味しくもないものを、なぜフィリップ様に。
「いつだったかしら、夜会でたまたまフィリップ様と顔を合わせた時に、ヴィオラはいつも調理実習で作ったものをどうしているのか尋ねられたのよ。誰かにあげているのかって」
「…………え、」
「人様にあげられるようなものじゃないから、いつも捨てているみたいですよって答えたわ。そしたら、それを俺にくれないかって言われて」
「…………」
「捨てるくらいならフィリップ様にあげたほうがいいかなと思って、それからは私がもらうフリをして彼にあげてたの。隠しててごめんね?」
戸惑うわたしに、ジェイミーは尚も続けた。
「でね、一度だけ渡す時に、本当にこんなものを食べているんですか? って聞いたの」
「う、うん?」
「そしたら、真っ黒こげのクッキー、目の前で全部食べてくれて驚いちゃった。フィリップ様、涙目になってたけど」
「…………っ」
「だから、卒業までずっと渡してたわ」
「本当はね? ヴィオラはフィリップ様に嫌われているっていつも言っていたから、全部話して誤解を解きたかったけれど、フィリップ様は絶対に言わないでくれって言うし……私が勝手に余計なことをしていいものか悩んでいるうちに、卒業になってしまって」
「……うん、わかってるわ。ありがとう、ジェイミー」
もしも彼女が話してくれていたとして、当時のわたしがそれを信じていたとはとても思えない。その気持ちだけで、嬉しかった。勝手に渡していたことも責める気にはなれない。
それにしても、フィリップ様がそんなことをしていたなんて、想像すらしていなかった。
手作りだからといって酷い失敗作を自ら食べるくらい、彼はわたしのことが好きらしい。やっぱり、嬉しいと思ってしまう。あんなものを作り出していたことが知られていたなんて、ひどく恥ずかしいけれど。
「……ヴィオラ?」
顔に熱が集まっていき、両手で頰を押さえていると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれて。視線を向ければ、そこには学園時代の同級生達と共に、シリル様が立っていた。