今から会いに行きます
「はぁ.....今日も疲れた」
仕事疲れから出る溜息が静かな駅のホームに響く。
(仕事辞めたいなぁ...)
ふと、そう思ったとき、別のところからも溜息を吐く音が聞こえた。きっと、俺と同じように仕事で辛い思いをしている人が吐いた溜息だ。
隣を見ると、スーツを着た女性が大きな溜息を吐いていた。
(うわ...すごい溜息だな...)
そう思い、その女性のことを見ていると、目が合ってしまった。
(やばい!見ていたことがバレたか!?)
すぐさま目を背け下を向いた途端、電車が来た。助かった。
翌日
辛い1日が終わり、再び駅のホームで溜息を吐く。隣には昨日の女性がいた。昨日と同様に溜息を吐いていた。
(あの人も仕事で辛い思いをしているんだろうな)
俺は女性に同情した。
帰宅して思ったんだが、あの溜息が仕事の辛さによるものとは限らないよな。
決めつけで同情したことが恥ずかしい...
あの女性を見かけるようになって1週間が経った。俺には当然ながら休日がある。そして、遊びに出かけるときもいつもの電車を利用するわけだが、その帰りには必ずあの女性がいる。
(彼女には休日がないのだろうか)
立つことさえままならない彼女を見て、俺は自然と声をかけてしまった。
「あの...ぐ、具合悪そうですけど、あの、大丈夫ですか。」
(って、俺は何をやってんだ!これじゃあ、怪しい人みたいじゃないか!)
「はい...大丈夫なので、お気になさらないでください。」
「全然大丈夫には見えっ....いえ、急に声をかけてすみません。」
このまま女性の隣にいるのも気恥ずかしいので、俺は距離を取ろうと歩き出した。
すると、背後から音がしたので振り返ると、女性が倒れていた。
俺は不思議と冷静だった。こうなることが予想できたからだ。ただ、冷静でいられた一番の理由は、女性が限界を迎えている姿を見ていたのにもかかわらず、何もしてあげられなかった自分に憤りを感じたからである。
俺は駅員を呼び、救急車を呼ぶように話した。
―――遅い。
救急車が来るまでのたった数分が俺には長く感じた。
(早く来い!!)
何もしてあげられない、ただ待つだけがこんなにも辛いなんて思わなかった。
救急車が来てからはあっという間だった。ボーっとしていたら、いつの間にか俺まで病院にいた。しかし、俺はあの女性とは何の関係もない赤の他人だ。だから、俺は医師に一言伝え、早々に帰宅した。
あの女性が倒れて数日後、俺は気になって仕事に集中できなかった。
(あの人は大丈夫だろうか。お見舞いとか....いや、知らない人がお見舞いとかおかしいだろっ!)
「何考えてんだよ俺.....」
「おい!ボーっとしてる暇があったら仕事しろよ!」
「申し訳ございません!今すぐ取り掛かります!」
上司に怒られ、すぐに仕事に取り掛かる。今は目の前のことを考えることにした。
「はぁ~....」
本日の仕事も終わり、いつもの駅へ向かう。そして、いつもの場所で電車が来るのを待つ。
「す、すみません!」
突然、隣から声を掛けられたので、驚きながら声がした方へと振り向く。
「あなたは.....」
俺は、目の前の人があの人であることを認識した瞬間、嬉しさが込み上げた....が、それを我慢して言葉をつづけた。
「体調は良くなったんですか?」
「少しだけですけど....良くなりました」
「その....無理だけはしないでくださいね。もし、仕事で辛いことがあるなら、辞めてもいいと思います。」
「確かに仕事で辛いことがありました。でも、それでも辞めるわけにはいかないんです。」
無理して微笑みながら言う女性を見て悲しくなった。
何でそこまで頑張るんだろうか。
無理をして自分自身を傷つけたら元も子もないじゃないか。
その思いが俺を動かした。
「俺に相談してください!会って間もないやつにこんな事言われて変に思うかもしれませんけど、愚痴を聞くことだけでもできると思うんです。なので、もしまた辛い思いをしたら、お、俺に相談してください!」
(らしくもない.....俺がこんな事言うなんて....でも、辛い思いをしてて、無理して頑張っている人を見過ごすなんてできない!)
「ありがとうございます。そう言っていただけてうれしいです。」
「いえ、突然変なこと言ってすみません。そ、そうだ!辛いことがあったらここで会いましょう!そして、お互いに愚痴を言い合いましょう!」
焦って言う俺を見て女性は微笑んだ。
(あっ.....今度は無理して笑った感じがない。凄く綺麗な笑顔だ。)
俺は彼女の微笑みに見惚れてしまった。またこの人に会いたい、そう思った俺は明日になることを楽しみにしていた。
(こんなに明日が楽しみに感じるなんて久々だ。早く明日にならないかな~)
翌日
俺はやる気に満ち溢れていた。今までは、淡々と生きて、仕事をしていただけの人生だったが、あの女性に出会えたことで今までにないほどの気持ちになっている。
「失礼します!本日の分の仕事を終えたのですが、他にやる事はありますか。あれば、是非私にやらせてください!」
「あ、ああ.....じゃあこれを頼む」
上司は前日とは全く異なる俺を見てかなり引いていたが、俺はそんなことは気にせずに与えられた仕事に取り掛かった。
そうして時間は経ち、勤務が終了した。
俺は、大きな声で挨拶をし、あの女性に会いたい気持ちを必死に抑えながら仕事場から出た。
しかし、駅のホームに着いても誰もいない。
俺は、昂っていた気持ちが少し冷めてしまった。
(今日はたまたまタイミングが合わなかっただけだ。だいたい、今日会う約束なんてしてなかったしな。)
「はぁ......」
客観的に見ても分かりやすいほどに落ち込んだ。ここに来ればいつかは会える、そう信じて電車に乗り込んだ。
しかし、何日経ってもあの女性は現れなかった。俺は日に日にモチベーションが下がっていく一方だ。
仕事も手がつかず上司に怒られてばかりだ。
もうあの女性には会えないんだと思い、仕事帰りの駅のホームで電車を持っていると、隣から声を掛けられた。俺って単純な男だ。あの女性の声が聞こえただけで、口角が自然と上がってしまった。
「あの.....お、お久しぶりです。わ、私のこと....お、覚えていますか?」
「は、はい。覚えてます!」
笑顔で女性の方を向いた途端、俺は涙が出そうになった。
―――――何でそんなに辛い顔してるんだよ。
「また、辛いことがあったんですか?こんな俺でよければ愚痴を聞きます。あ、でも、話すのが辛かったら話さなくてもいいですからね。」
「わ、私.....やめることにしました。だから、最後に.....あのとき助けてくれたあなたにお礼を言いたくて.....」
「お礼なんてっ!気にしないでください!俺はただ.....あなたの辛そうな姿をただ見ているだけなんて耐えられなかっただけです。まあ.....人によっては偽善的な行為に見えてしまうかもしれませんが....」
「私は...そんなこと思いませんでした。」
「そう言っていただけて嬉しいです。」
「ありがとうございました。」
「いえ....気にしないでください。」
その言葉を最後に、お互いに黙り込む。もっと話したいのに言葉が出てこない。
「この後、寄る場所があるので私はこれで...」
女性は後ろを振り返りそのまま歩きはじめた瞬間、俺は思わず声を出した。
「あの!もしよろしければ、連絡先を交換しませんか?そ、その下心とかそういうのではなくて、お互いに愚痴を言い合おうって話をしたと思うんですけど、実際に愚痴を言い合いたいと思って.....どうでしょうか....?」
「.....はい」
女性はあまり乗り気ではない様子で連絡を交換した。俺は、連絡先を聞けた嬉しさで女性の様子に気づくことはできなかった。
「それじゃあ、近いうちに連絡しますので、お互いに色々と話しましょうね!」
そう言って俺たちは別れた。
次の日の朝。
俺は仕事に遅刻した。そう、人身事故が起きたのだ。
(最悪だ.....よりにもよって何で俺が乗ろうとしていた電車で人身事故が起こるんだよ。遅刻することを連絡したのに、会社に到着したら何故か上司に怒られたし、気分が悪い。)
俺は、人身事故を起こした人を恨んだ。
きっと、あの女性もこの人身事故によって少なからず影響はあったはず。
これは、お互いに愚痴を言い合うためのネタになるかもしれない。
そう思った俺はスマートフォンをズボンのポケットから取り出し、つい昨日交換したばかりの女性の連絡先を開き、メールをした。
しかし、その日は女性からの返信がなかった。
次の日になっても、その次の日も電話やメールをしてみたが、返信が全くなかった。
全く返信が来ないので、どうしたら良いかわからないまま過ごしていたら、いつの間にか休日になっていた。
(うーん、忙しいのかな....これ以上送ると迷惑になりそうだし、しばらく様子を見てみるか...)
そう思い、俺はテレビをつけて適当にチャンネルを変えながら見ていると、ニュースであのときの人身事故について取り上げられていた。
「ニュースに取り上げられる程にひどかったのかな?まあ、かなり遅延したからな...」
そして、亡くなった人の名前が公開された。
―――えっ?
何かの勘違いだ、たまたまあの人と同じ名前の人なんだ、そう自分に言い聞かせてニュースを見続けた。
呼吸がまともに出来ない程に冷静さを失っていた。
―――早く続きを見せろ!!
たった数秒が長く感じる。いろんな感情が渦巻いて吐きそうだ...。
しかし、そんな時間も終わりを告げる...
俺はやるべきことを全て終わらせ、あの女性と出会った駅のホームへ向かった。
―――今、会いに行きます。