第三十四話 初めての実戦
演習場はガレニア教会から歩いて五分もかからない場所にある。
聖都ラビナスの治安を維持するガレニア騎士団の訓練の他に、娯楽目的の見世物にも使用されるため、観客席もある。
屋根がないので雨が降ると試験が延期になる可能性もあるが、今日はあいにくの晴れだった。
キュイールは、いっそ延期になればと思うほど今日の試験が憂鬱だった。
ガレットとの稽古でも結局一度も勝つことが出来なかったのだ。これからの実戦と試験の結果のことも考えると、怖くなって足が震えていた。
キュイールの様子を見たレイユは、不敵な笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「何だよキュイール、もう怖くなってきたのか? 本当に情けないヤツだな。今日の実戦が一番大事なんだぜ、お前もわかってんだろ。まだ遅くないから、恥をかく前に辞退したらどうだ?」
レイユがそう言うと、残りの三人が笑い出した。
キュイールは何も言い返せなかった。悔しいし腹も立つが、レイユの言っていることは的外れとも言えないからだ。しかし何よりキュイールには言い返す勇気がなかった。
すると演習場に主教が現れる。そしてそのすぐ後に現れた人物に、キュイールの意識は釘付けになった。
「リリア……様」
キュイールは、十年ぶりにリリアに会った。約束通り従者候補となってここまで来たのだ。
十年ぶりに見るリリアは息を呑むほど美しかった。
金色の髪の毛は長く、きらめいている。ローブを着込んでいたが、微かに見える身体のラインはすっかり大人の女性だった。顔つきは少しあどけなさを残しつつも、色気を感じさせた。
キュイールは思わず見惚れてしまう。
しかし目的は達成された訳ではない、キュイールは気を引き締める。
すると主教が候補者の前に立ち、話を始めた。
「それでは、試験の内容を説明する!」
主教の話が始まり、キュイールは背筋を伸ばし耳を傾ける。
「これから一人ずつモンスターと戦ってもらう。武器は各自用意したものを使ってくれて構わない。勝敗が全てではないが、従者たる者は強くなければならない。危険だと判断した場合は、こちらで対処するが命の保証はないと思ってくれ」
キュイールは試験の内容を聞いて心臓の鼓動が早くなる、初めての実践だったからだ。命のかかった戦いなどしたことがない。父親との訓練のみで、モンスターを相手にしたこともなかった。
リリアは少し心配そうな顔つきで見ている。
「それでは始める! キュイール・ペストレア、前へ」
一番始めに名前を呼ばれ、キュイールは心臓が止まりそうになった。
固くなった身体で前にでる。歩き方はぎこちなかった。
その様子を見て他の候補者は、後ろでクスクス笑っている。
闘技場の端にある通路には鉄格子がしてある。
主教が合図を送ると鉄格子が開けられて、ドスンドスンと大きな足音が聞こえてきた。
咆哮とともにトロールが現れる。
「グァアアア!!」
キュイールは震えた手で剣を抜き構えると、トロールが巨大な木の棒を振りかぶって突進してきた。話では聞いていたが、実際トロールを目の当たりにすると恐怖で身体が固くなる。
三メートルほどの巨体で、自分を殺そうと襲いかかってくる。
キュイールは瞬く間に恐怖に支配される。必死で横に走り、何とかトロールの攻撃を避けた。
このまま逃げ回っていても何も始まらないし、終わらない。今ここで特訓の成果を見せないで、いつ見せるんだ、やるしかないんだと、自らを奮い立たせ覚悟を決めた。
そしてキュイールは後ろに回り込み、トロールの足を斬りつける。すると切り口から血が噴き出した。
キュイールは顔に返り血を浴びて、一瞬身体が硬直する。
モンスターとはいえ、初めて生き物を剣で斬ったことに改めて別の恐怖を感じてしまった。
自分が死ぬかも知れない、という覚悟はある程度出来ていたが、モンスターと言えど相手を殺すという覚悟は、全く出来ていなかったのだ。
「グォオオオオオ!!」
トロールは咆哮とともに木の棒を振り回す。硬直していたキュイールの脇腹に木の棒が命中して、数メートル吹き飛んだ。
倒れたキュイールは口から血を吐き出し、せき込んだ。上を見上げると、トロールが木の棒を振りかぶっている。
「うわぁぁぁ!」
避けたくても身体が言うことを聞かない、キュイールは死を覚悟して、目を閉じた。
火炎魔法【火炎弾】
主教の放った火の弾丸がトロールの後頭部に直撃して燃え上がる。トロールが倒れると、主教は槍でトロールの眉間を貫いた。
「キュイール、下がりなさい。試験は終わりだ」
キュイールはホッとしてしまった、悔しいより先に安堵してしまったのだ。そんな自分が何より許せなかった。
試験は絶望的だった、何より十年ぶりに再会したリリアに、みっともない所を見せてしまった。キュイールは口についた血を袖で拭い肩を落として演習場の端に座り込んだ。
そして次の試験が始まる。他の候補者達は順調にトロールを倒していく。もちろん苦戦を強いられている場面もあったが、キュイールの無様な負けっぷりと比べると天と地の差があった。
その光景を見ながらキュイールは自己嫌悪に陥って、リリアの方に顔を向けることが出来ない。
「では最後だ! レイユ・ビスクイ、前へ」
いよいよレイユの番だった。トロールが現れるとレイユは何度も浅く斬りつけて、痛ぶっている。
わざと挑発をしたり、決められる所で決めずにまるで殺すことを楽しんでいるようだった。
火炎魔法【火炎弾】
レイユは魔法を放ちトロールの身体が焼けただれると、肉の焦げた臭いが立ち込める。
やがてトロールは力尽きて倒れた。
「何だよ? もうおしまいかよ、張り合いがねぇなぁ。もう少し楽しめるかと思ったのに」
レイユはそう言いながらトロールの身体を軽く蹴った。
レイユの強さは、候補者の中では圧倒的だった。しかし、キュイールはレイユの戦いぶりを見て、こんな人間が従者になるなんて納得がいかないと思っていた。
試験は終わり、候補者が再び演習場の中央に集められる。キュイールは肩を落として歩き出した。
その時レイユが倒したはずのトロールの身体がピクリと動いた。キュイールはそれを見逃さなかった。
突然起き上がったトロールは、リリアに襲いかかる。




