第十一話 稀代の魔法使い
夕食を終え、俺は宿を出てさっき見つけておいた酒場に行くことにした。食事の時にワインを飲んだりはしたが、こうして酒を飲む目的で店に行くとなると、久々だからなのかワクワクする。知らない土地で……というか異世界で酒をたしなむなんて、贅沢な気もする。
店の中には暖炉があって暖かい。ランタンが灯す暖色系の明かりが、いい雰囲気を醸し出している。カウンターの他に、木のテーブルと椅子が並んでいて、客は二、三組いるだけで空いていた。
いい雰囲気だな、こういうクラシックな店は嫌いじゃない。前はこうして一人でよく飲みに行ったものだ、大勢で騒ぐのはあまり得意じゃないからな。
「いらっしゃい」
白髪の混じった義足の店主が、カウンター席に視線を向けて無言で案内する。
店主は少しぎこちない足取りでカウンターに入る。
俺はカウンター席に座りメニューを確認しようと辺りを見回したが、そんなものはなかった。いつもならビールを注文するとこだが、この世界に日本で飲むようなビールはない。それはリリア達に確認済みだ。仕方なくビールに近いエールを注文した。
「お客さんは旅の人ですか? 見かけない顔ですね」
店主からエールを受け取り一口飲んだ。
これはこれで悪くない、芳醇で濃厚な味わいと飲み応えがある。思わず本来の目的を忘れてしまいそうになる。いやもう忘れてた、魔女の情報を集めるんだった。
「ああ、今日この町に着いたんだけどよ。あの氷の魔女ってのは――」
その時店に客が入って来た。店主は入り口に視線を向ける。
「ユウシ、ここにいたの」
リリアに見つかった。キュイールがいるとまた面倒だから一人で来たのによ……。適当に話を聞いて『何もわからなかった』とリリアに報告する予定が狂ってしまった。
ゲンナリした所でキュイールの姿が見えない事に気がついた。
「あれ? キュイールはどうしたんだ」
「寒くて外に出たくないって、それにあまりお酒が好きじゃないみたいね」
面倒なことにならなくて済みそうだ、キュイールがいるといちいち突っかかってくるからな。酒が入った状態であいつに嫌味を言われたら殴ってしまいそうだ。
「あいつ酒が苦手なのか……んならいいけどよ。んでリリアは一人で飲みに来たのか」
リリアはカウンターの俺の横の席にちゃっかり腰掛け、温かいココアを注文した。
「ち、違うわよ。私は情報収集に決まってるでしょ? 酒場には色々な情報が集まるのが基本よ。ここに来るまでにも聞いて回ったんだけど……ニヴルを支配してる悪魔の手先で、ものすごく嫌われていることくらいしかまだ聞けてないのよね」
リリアはガッカリして顔を伏せた。
「俺も嫌われてるのは知ってるよ。この目で見たからな、ちなみに俺も嫌いになりそうだけど」
実際は『なりそう』ではなく嫌いだった、いや細かく分類するなら『苦手』という方がしっくりくるだろう。何ならもう会いたくないまであった。あれだけ恥をかかされた相手だし、おまけに幼女だ。本気になったらこっちの負けという変なプライドもある。
その時店主がリリアの注文したココアを持って来た。
「お待たせしました。もしかしてそっちのお客さん、さっき広場で暴れてた人かな?」
リリアはココアを受け取り、俺は苦笑いして店主の質問に答えた。
「ああ、ちっとあの魔法少女に話があってよ。はるばるこの町まで来たんだが、話を聞いてもらうどころか、いきなり魔法をぶっ放して来やがった」
「旅の人と魔女が暴れてたって、噂を聞いたのでもしかしたらと思ったんですが……昔はあんな娘じゃなかったんですけどね」
店主は表情を少し曇らせた。
俺は店主の雰囲気と表情が気になった、明らかに何か知っている。あの魔女の関係者か何かだろう、俺は詳しく聞いてみる事にした。
「何か事情を知ってんのか? よかったら話してくれよ」
店主は少し考えてから、酒のボトルを手に取りそれを磨きながら話しだした。
「私は、あの娘――シーブルと同じ今はもう廃村となった『スノーク村』の出身でしてね。シーブルは稀代の魔法使いの家系で、氷の加護を宿して産まれ神童などと呼ばれていましたね。小さい頃のシーブルはよく笑う心の優しい娘でした」
リリアは興味深く店主の話に耳を傾けている。
「小さな村でしたが、平和で村人は幸せに暮らしていました。あの日が来るまでは――」
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雪原地帯ニヴルに小さな村があった。のどかで、いかにも田舎といった村だ。雪原地帯にあるといっても、この辺りは年中雪が積もっている訳ではない。とても裕福な村とはいえないが、村人はそれなりに幸せに暮らしていた。
村の中心部から少し離れた大魔法使いブリーズの家には、古びた書物や、様々な魔法道具・薬品が所狭しと置かれている。
「ブリーズ様、この魔法薬の配合なんだけど――」
「シーブルは物覚えがいいねぇ。きっとあたしを超える魔法使いになる。魔法薬はこの村には欠かせないから、しっかり習得しておくれ」
ブリーズはしわくちゃの顔を、もっとしわくちゃにして笑顔を見せる。
幼いながらも懸命に学ぶ孫娘が可愛くないはずがない、教えがいもあるから自然と笑顔の一つもこぼれてしまう。
「ブリーズ様! 今度は氷の魔法を教えて欲しいな。ブリーズ様は昔、魔法で悪い魔族と戦ってたんでしょ!?」
シーブルは目を輝かせて言った。ブリーズは困ったように苦笑いを浮かべる。
可愛い孫娘に戦いの術を教えるのは、まだ早いのではないだろうか? そんな思いを抱いているのは明白だった。
「魔族と戦ったって言っても、母親に連れられて少しだけだよ。母様は『蒼氷の姫』なんて呼ばれて、それはもう強かったからねぇ。シーブルはまだ小さいんだから、そんなことは考えなくていいんだよ。魔法はね、大切な人を守ったり助けたりする為の力。けど、もう少し大きくなってからだねぇ」
ブリーズの話を聞いても、シーブルは明らかに納得していない。
仕方のないことだ。ブリーズの気持ちや、言葉の意味を理解するにはシーブルはまだ幼過ぎた。
「あたしは早く強くなって村のみんなや、お父さん、お母さん、ブリーズお祖母様だって守れる魔法使いになりたいわ」
ブリーズはそっとシーブルを抱き寄せて、頭を優しく撫でた。孫娘の純粋で優しい気持ちが心を優しく溶かしていくようだった。
「ありがとうシーブル。本当にお前は優しい娘だねぇ。でもお前がそう思うように、あたしもシーブルを守りたいと思ってる」
「でも、あたしも少しは戦えるようになりたい」
ブリーズは一つため息をついた。熱意に負けたというより、まだ幼い孫娘の想いに応えたくなってしまった、それにブリーズは知っている。シーブルが魔法を悪用するような人間じゃないってことを。孫に対して甘いというのはどこの世界も同じなんだろう。結局ブリーズは魔法や加護の扱い方を教えることに決めた。
「じゃあシーブル。今日帰ったらお父さんに教えてもらいなさい。ラニアールには氷結魔法を少し仕込んである。才能はあんまりだったけど、基本くらいは教えられるだろうからねぇ」
「本当!? ありがとうブリーズ様!」
「明日からは、氷の加護の基本的な扱い方も教えよう。でも魔法薬もしっかり覚えるんだよ、わかったかいシーブル」
「ブリーズ様は魔法を教えてくれないの?」
ブリーズは軽くため息をつく。
「じゃあ、ラニアールには教えられないとっておきの魔法を教えてあげようかね。まだ未完成だけど、シーブルがいつか完成させておくれ。完成するまでは誰もいない所でこっそり練習するんだよ」
この時ブリーズの脳裏に浮かんだのは『禁術指定魔法』だった。本来なら教えるべきではない未完成な魔法だ、しかしあえてブリーズは危険な魔法を教えることにした。いつかシーブルにその魔法を完成させてほしいという思いと、魔法の力がどれだけ怖いものなのか、それを教える為だった。
ブリーズの表情が急に険しくなると、シーブルはその雰囲気に圧倒されてかしこまった。
「人を殺めてしまうような魔法を本当は教えたくないんだ。でも、お前が大切な何かを守らなければいけない時が、いつか来るかも知れない。悪意に抵抗するにはやっぱり力が必要になる、お前がその時に正しいと思えることをする為の力なんだよ。よく覚えておきなさい」
いつもと違うブリーズの言葉や口調が、シーブルは少し怖くなった。ブリーズが異変に気付き、笑顔を作って取り繕い頭を撫でる。
「シーブルは心が優しい子だから大丈夫、明日から忙しくなるよ。それは覚悟しときなさい」
ブリーズの言葉を耳にした途端、シーブルは飛び跳ねて大喜びしている。
それを見てブリーズは微笑んだ。