第十話 パンデモニウムにて
≪パンデモニウム≫
薄暗い部屋に、大きく豪華なテーブルが置いてある。それを囲む椅子もまた高級品だ。部屋の中に飾られている絵画や調度品はどれも歴史的価値の高い物ばかりだ。
「おい、聞いたぜベルゼ。お前、人間の街で腕を落として来たんだって? その腕はちゃんとくっついてんのか。ギャハハ」
下卑た笑い声が鼻につく、ベルゼはその笑い声を聞いてにっこりと笑った。機嫌が悪い時だったら、何も言わず殺しにかかっている所だ。
「マーモは昇格したての新米魔王なんだから、口の利き方に気をつけなよ。何なら僕が君の首を斬り落としてあげようか?」
ただの脅しではない、本当にそれが出来る実力がベルゼには備わっている。しかしマーモもおいそれと引き下がる訳にもいかない、序列『魔王』の称号はダテではないしプライドもある。
マーモが挑発的なベルゼを睨みつけると、一変して空気が変わる。
「はぁ、誰が誰の首を斬り落とすって……? やれるもんならやってみろよ、ベルゼ」
マーモの挑発にのり鎌を取り出そうとすると、ベルゼは腕を掴まれた。
「その辺にしとけ、ベルゼ、マーモ。魔王七柱同士、本気で争うのは禁止事項だろ?」
「わかったよ、ルシフ。君がそう言うのなら仕方ないなぁ」
ベルゼは大人しく引き下がる。マーモは不満そうに舌打ちをして椅子に腰掛ける。それを見たルシフはベルゼの腕を離し、椅子に腰掛けた。
ルシフは内心うんざりしていた。こういう些細なことで殺し合いに発展するのは珍しくない、同じ魔王という称号の中で、誰もが自分が一番だという虚栄心を少なからず持っている。マーモはとりわけそれが強い。隙あらば誰かを蹴落としてのし上がる、そうやってマーモは魔王の地位まで登ってきたのだ。
「ベルゼ、セルトガの街で何があったんだい?」
ルシフは表面上は優しくベルゼに説明を求める。魔王七柱をまとめるという役割の上では、仕方のないことだったが、彼のストレスは溜まる一方だ。本当の所この三人の中で一番暴れ回りたいのは彼だった。
「実はさぁリリア・メイデクスと、二つの加護を持つお兄さんに会ったんだよね。びっくりでしょ? 二つ同時に加護を宿すなんて初めて見たよ。しかも一つは龍神の加護だよ! 不思議だよね、この世界は驚きで満ちてるよ!」
ベルゼは満面の笑みで興奮して話す。最近退屈していたベルゼにとって『ユウシ』との出会いはかなり刺激的だった。新しいおもちゃを見つけたという喜び、そのおもちゃをどうやって手に入れ、どう遊ぶのか? それを考えるとベルゼの興奮は止まらないのだ。
その話を聞いて、マーモが驚いて声を荒げる。
「龍神の加護!? 嘘だろ、竜人族はとっくの昔に滅んだはずだぜ? そいつ……竜人族の生き残りか?」
「二つの加護持ちは間違いなく人間だったよ」
「そもそも人間に龍神の加護が宿るなんてありえねぇだろ、種族によって宿す加護は決まってんだからよ」
マーモは険しい表情を浮かべる。その表情を見たルシフは、少し驚いた。マーモは基本的に自分の利益に繋がることにしか興味がない。そんな彼の口癖は『金にならないからほっとけよ』だ。
「ありえないなんて決めつけてかからない方がいい、何が起こるかわからないんだ。我々とて全能ではないんだからな。それにしても、マーモがお金以外のことに興味を示すなんて珍しいじゃないか。どういう心境の変化だい?」
もちろんマーモは『ユウシ』という人間には興味がない、興味が湧いたのは竜人族の方だ。
魔族の中でも貨幣が流通している、中には人間と商売をしている者もいる程だ。金が好きなマーモは幅広く商売をしている、奴隷商はマーモの一番の資金源だ。
マーモが一瞬考えたのは、竜人族を量産して奴隷として売れないか? という下卑た思考だった。しかしベルゼが絡んでくるなら考えを改める必要がある、理由は『面倒』だからだ。
ルシフの問いにマーモは鼻で笑うように答える。
「はっ、別に興味はねぇさ、ただちっとばかし驚いただけだよ。たかが人間だろ? 加護なんて持ってたって、ろくに使いこなせやしねぇさ」
マーモの発言を聞いてベルゼはクスクスと笑う。
「何がおかしい?」
マーモはベルゼを睨みつけて冷たい声を放つ。
「いや、あのお兄さんには腕を斬られちゃったけどさ、三百年くらい前にマーモとやり合った時、君は僕の腕を斬り落とすことすら出来ずにやられちゃったじゃん……忘れたの?」
過去の出来事を持ち出し、明らかに見下してくるベルゼに対しマーモは、歯をくいしばり激昂した。虚栄心の強いマーモからしたら当然だった。
「何だとベルゼ! もうあん時とは違ぇんだよ! もう一度――」
「――いい加減にしろ。ベルゼもだ」
ルシフが仲裁に入る、口調に怒気が混じっていた。こうしてまた彼のストレスが溜まっていく。
マーモはルシフの迫力に押されて、一瞬身体が硬直した。本能的にルシフが自分より上だと認めてしまった瞬間だった。それも仕方がないことだ、魔王の中でルシフは一番の実力者であり、皇帝エレグリオスの息子でもある。
「ルシフそんな怒んないでよ、僕が悪かった。マーモもごめんよ」
そう言ってベルゼは舌を出した。まるで悪戯がバレて謝っている子供のようだ。容姿が子供なだけに性質が悪い。
「リリア・メイデクスの方はともかく、あのお兄さんは侮らない方がいいと思うよ」
「ベルゼの言う通りだ、あまり人間を甘く見ない方がいい。千年以上前、そうやって人間を甘く見た結果があの『ヤハルの大結界』だ。永い時間閉じ込められてまだ懲りてないのか? この世界の食物連鎖の頂点である我々魔族が、何故人間に後れを取ったのか……よく考えろ」
「そうだよ、マーモ。エレグリオス様が欲しいのは、この世界だけじゃないんだからさ、また閉じ込められる訳にはいかないんだよーだ」
ルシフの話をベルゼが補足すると、マーモは諦めたように二人の意見を聞き入れた。
「わーったよ。そんで他のヤツらはどうしたんだ?」
「全員を一度に呼ぶと必ず争いになるからな、お前らだけでもこの通りだ。だから時間をズラして伝えてある。それより現状で厄介なのは、獣人族だ」
そう言ってルシフは深刻な顔をする。
「獣人族の王『ガルフノーム』だっけ? 大したことないだろ、ルシフは神経質になりすぎなんだよ。俺はそんな金になんねぇ案件はパスだ。ベルのヤツに任せとけばいいだろ。あいつの領地から一番近いんだしよ」
ルシフは溜息をつく、ついさっき『侮らない方がいい』と言ったことを、マーモはまるで理解していないからだ。
「まぁそう言うと思ったから、マーモには期待していないさ。獣人族の件はベルフェアに任せるつもりだったしな」
これはルシフなりのマーモに対する嫌味のつもりだったが、気付かなかったようだ。気を取り直してルシフが冷静に話を進めると、ベルゼが口を挟む。
「そういえば血塗れの魔術師って言ったっけ。あれは何者なの? レヴィに任せといて大丈夫なの?」
「レヴィが誰も手を出すなと言っているからな、もう少し様子を見よう。レヴィも、もう少し情報を開示してくれてもいいんだけどな、後で聞いておく」
ルシフは腕を組んでまた溜息を吐く。
「現時点では大した問題ではないが……もし、リリア・メイデクスが聖女の力を覚醒させたら面倒なことになる。今のうちに始末しておきたいところだが……ベルゼに任せていいか?」
「いいよ! むしろ僕に任せて欲しいなぁ、昔拾ったおもちゃを使ったら、面白いものも見られそうだし。多分あのお兄さんと一緒に行動してると思うよ。雪原のニヴルに向かったらしいから、ローセルに任せてみようよ」
ベルゼは楽しそうにはしゃいでいる。その様子を見てマーモは小さく舌打ちをした。
「ローセルか、あまり従順なヤツじゃなかったはずだが」
「大丈夫だよ、ちゃんと首輪を付けてあるからさ!」
マーモはベルゼの話を聞き下卑た笑みを見せる。
「俺もその首輪のおかげで稼がせてもらってるがな。おい、ローセルを死なせるんじゃねぇぞ、俺のお得意様なんだからな」
「それならベルゼに任せるよ、でも本来の任務を忘れるなよ? 『器』見つけるのが最優先だ」
ベルゼは口を尖らせて不満そうな顔をする。
「わかってるよ、でも本当に存在するの? 『不死の加護』なんて。僕たちも知らない加護が存在するとは思えないんだけどぁ」
「それを調べるのも任務の内だからね、ベルゼには期待してるよ。それじゃお前らはもう帰っていいぞ、残りの連中には私が伝えておこう」
ベルゼは笑顔で手を振り、マーモは不敵な表情を浮かべたまま姿を消した。
ルシフは眉間を指で押さえて顔を伏せてから、強くテーブルを叩いた。
「愚図どもが!!」
一人になったルシフは、隠していた本性をさらけ出し怒声をあげた。




