サーバムリン村の猫
婆様、四度の語りです。
今回は平和、かつ自分の欲求に従って書かれたお話。
おや、ちびすけや、婆は今おやつは持っとらんよ。
おうおう、膝がお望みかね……ようし、ええ子じゃ。
学者の先生にもご挨拶するがええ。
そう言やあ、ちいと子供向けかも知れんが、このちびすけに縁の深い話があったの。
……それも聞きたいと?
ふむ、じゃあこんな話ゃあ、ご存知かね。
南隣のサーバムリンは、学者先生もこの村に来る途中に通りなすったじゃろ。
この子に限らず、あの村の猫の子孫達ゃあ、皆気が良くて大層賢いちゅう話じゃよ。
昔々、サーバムリンにサフィットという羊飼いの一家が住んでおった。
サフィットの家では鶏も飼っとったし、村の作物を鼠どもから守る必要も有ったで、猫を飼う様になった。
羊を追うのに大きな犬も飼って居ったが、二匹は兄弟の様に育てられ、折り合いも大層良かった。
朝早くに犬は主人のサフィットと共に羊を追いに出かけ、猫は村に残って鼠や鼬が悪さをせぬよう見張る。
夕方に犬が戻ってくると、鶏小屋の隣に建てられた大きな犬小屋で一緒に餌を食べ、のんびりとその日の出来事を話したりした。
「しかし、君は毎日村に居残りだ。
退屈の様にも思えるし、楽をしている様にも思えるね」
「僕には羊を追うのは難しいからね。
君みたいに長く走っていたら、すぐにへばってしまうよ!」
「走るのはとっても楽しいじゃないか。
たまには一緒に羊を追ってみたい物だね」
「そうは言うけれど、村には見張りが必要だ。
僕だって、寝てばかりという訳でもないんだよ」
「仕事を交代してみるかい?」
「さっきも言ったけれど、僕に羊を追うのは無理だよ。
それに、君は僕より体が大きいから、狭い所に逃げ込んだ鼠を捕まえたりするのは、あまり向いていないかも知れない」
「向き不向きは確かにあるね。
僕がもう少し小さな体なら、時々入れ替わるのも楽しそうだ!」
「そうかも知れないね。
でも、僕は君の大きな体にくっついて眠るのが大好きなんだ」
ある日の昼前頃、村に一匹の傷ついた鼬が腹を空かせてやって来た。
サフィットの飼う鶏の雛を狙ったが、鶏小屋に忍び込もうとした所を猫に見つかり、あっけなく押さえ込まれてしもうた。
「やい鼬め、ウチの鶏も卵も、手出しなんかさせないぞ。
お前のような不届き者は、この場で喉笛を噛み切ってやる」
「助けてくれ、腹が減って仕方が無かったんだ!
後ろ足の怪我さえ無けりゃ、こんなにあっさり捕まりゃしなかったし、それ以前に野原にでも出て鼠なり狩るという物だ」
見れば確かに、右の後ろ足に大きな傷が有った。
「ううむ、二度とこの村の家畜に手を出さないと誓うか?」
「もちろん、誓うとも」
猫はひとまず鼬を放してやったが、鼬は腹が減っておったし、猫に押さえ込まれたせいで疲れ切っておった。
「仕方の無い奴だ。
丁度良い、少しの間物陰で休んでいろ」
鼬が猫の言うとおりに物陰に隠れると、猫は母屋の方へと入って行き、大きな声でおかみさんに飯をねだった。
やがておかみさんが餌を運んで来るのと一緒に、猫が戻ってくる。
おかみさんが母屋へ帰ると、猫は鼬を呼んだ。
「ようし、出て来い。
半分は暮れてやる。
喰ったら村から出て行くがいい」
鼬は猫の餌を半分少々喰らい、何度もお辞儀をして礼を言った。
村外れまで送る道すがら、猫は鼬に言った。
「いっそ、お前さんも人間の仕事を手伝っちゃどうかね」
「そうは言うが、人間は俺達から毛皮を獲るんだ。
難しい話だよ」
その日の晩飯を食べてから、犬と猫はまたのんびりと話をした。
「今日は昼飯が半分だったから、お腹が減って大変だったよ!」
「ははあ、何かやらかしたのかい」
「そんな事は無いよ。
猫は悪戯ばかりしていると思われちゃ心外だ」
「そりゃあすまなかった。
言ってくれれば少し分けてあげたのに」
「いいんだ、君のほうが一杯働いたのには違いないさ」
別のある日の昼前頃、猫は村の入り口で日向ぼっこを楽しんでおった。
すると、遠くに小さな影が見えた。
こちらに歩いてくるその姿は、緑色の肌に小さな赤い帽子を被った子鬼じゃった。
腰にぶら下げられた小さな鉈には、赤黒い錆がびっしりとこびり付いておったのを、猫は見逃さなんだ。
「やあ、旅人さん。
何処からお越しで、何処へ行くんだい」
子鬼が村へ入ると、猫は声を掛けた。
「俺が何処へ行こうが、何処で足を止めようが、お前の知った事じゃ無かろう?」
そう言いながらも、猫がじぃっと自分を見つめてくるので、子鬼は目を背けた。
猫は子鬼が視線を逸らしたのを確かめると、村の建物の多い方を背にする様に、子鬼のそばへと寄っていった。
「まあそう言わずに。
猫は自分の育った土地から出て行く事はなかなか無いからね。
余所の土地の話を聞いてみたくなる事もあるのさ」
足を止めた子鬼の側で、猫は用心深く耳をそばだてながら言う。
「東から来たのさ」
子鬼は言いながら一歩進む。
「ふうん、東か。
どんな所なんだい」
猫もそれに合わせて一歩進む。
「この村を出たら、西へ行く」
子鬼は言いながらまた一歩進む。
「ふうん、西か。
何か面白い事でも有るのかい」
猫もそれに合わせてまた一歩進む。
こんな調子で、子鬼は一言口にしては一歩進み、猫もそれに合わせて話をしながら一歩進む。
日暮れ頃には、子鬼と猫は村の反対側の入り口まで進んでおった。
「とうとう反対側まで来てしまった!」
子鬼は吐き捨てる様に言うと、猫を一睨みしてから、ずんずんと足を進めて村から出て行ってしもうた。
その日の晩飯を食べてから、犬と猫はまたのんびりと話をした。
「やれやれ、今日は昼飯を食べ損なったから、目が回りそうだったよ!」
「なんだい、また遊びに夢中にでもなったのかい」
「まあそんな所さ」
「ちゃんと食べなきゃ駄目だよ。
言ってくれれば、僕のを分けてあげたのに」
「いいんだ、そんなに体を動かした訳でもないからね」
また別のある昼下がり、猫は村の入り口の柵に乗っかって、ぼんやりと物思いに耽っておった。
前の晩に雨が降ったせいで、道はぬかるみ草叢は湿っておった。
お陰で昼寝に向いた場所は何処かとか、犬や羊どもが足を滑らせておらんじゃろうかとか、他愛も無い考えを巡らせておったところ、遠くに人影が見えた。
人影は真っ黒で、頭には小さいが二本の角が、尻には先のとがった細長い尻尾が生えておった。
悪魔が相手となると、さてどうしたものかと猫は思案したが、ひとまず時間を稼ぐ事にした。
「やあ、旅人さん。
何処からお越しで、何処へ行くんだい」
悪魔が村へ入ると、猫は声を掛けて地面へと降りた。
「ふん、人間に儂は見えぬが猫には見える、だがお前ら猫なんぞは恐ろしくはないぞ。
儂が行く先に人間が居るなら、その人間に災いを降りかからせるだけの話よ」
悪魔は牙の見える口をかっと開き、猫に向かって哂って見せた。
「そいつは面白いお話です。
私達猫にとって、悪戯は大きな楽しみですよ!
けれど、この村に住む薬屋の婆様は呪事にも明るいですから、もしかすると悪戯の邪魔をされるかも知れませんね」
とっさに猫が言うと、悪魔はふむ、と顎に手をやり考え込んだ。
「となると、その婆は儂の姿が見えるのか」
「用心するなら、そう考えた方が良いでしょうね」
「ならば、その婆からどうにかしてしまうか」
「では、お手伝いしましょう。
あの婆様には、一度薬瓶を投げつけられた事が有ります。
怪我こそ有りませんでしたが、何かやり返してやるには良い機会です」
そう言うと、猫は悪魔に案内を買って出た。
「けれど、その姿のままでは目立ちますね。
先に婆様に見つからぬよう、姿を変えたりは出来ませんか?」
「馬鹿にするでない、儂ほどの悪魔となると、呪文を唱えれば如何様な姿とて自由自在よ」
「それでは、とても小さな何かに化けてはどうでしょう。
蚤にでもなれば、それこそ人目には付きません。
私の体に乗っかっていけば、婆様の家までお連れしましょう」
悪魔は猫を見つめながら少しの間考え込んだが、やがて頷いた。
「蚤ほどの小ささなら、却ってお前も儂には手が出せぬ」
そう言うと、むにゃむにゃと怪しげな呪文を口にした途端、悪魔の姿は掻き消え、そこには小さな蚤が現れた。
「ではどうぞ。
私の毛にしっかり掴って下さいな」
猫に促されて、蚤になった悪魔は猫の背中へと飛び乗った。
歩き始めてすぐ、猫は悪魔に言った。
「流石にこう小さいと、何処に乗っかっているのか私でもよく分りませんね。
今はどの辺にくっ付いているんですか?」
「ちょうどお前の背中のてっぺん辺りだ」
「そうですか。
それはそうと、私の血を吸うのは御免蒙りますからね」
そう言いながら水溜りの横へ来た途端、猫は背中から泥水の中へと仰向けに寝転んで、背中をこれでもかと擦り付けた。
猫は暫くの間水溜りに寝転がったままだったが、半時もするとようやく起き上がった。
「ちぇ、最後の足掻きに刺されたか」
そうぼやくと、猫はサフィットの家へと戻る事にした。
その日の晩飯を食べてから、犬と猫はまたのんびりと話をした。
「今日はおかみさんに体を洗われた。
僕は洗われるのが嫌いだって知っているのに!」
「まあまあ、一体どうした事でそうなったんだい」
「蚤に咬まれて、背中から泥に浸かっちゃったのさ」
「そりゃあ仕方がないよ。
でも、水浴びは気持ち良い物じゃないかね」
「僕は猫だからね。
ああ、痒いし落ち着かないったらありゃしない」
「毛繕いなら手伝ってあげるよ。
落ち着いたらぐっすりお休み」
こうしてサフィットの猫は村を見張る仕事を続け、その血を受け継いだ子孫として、サーバムリンでは賢くて懐っこい猫達が生まれるそうじゃ。
このちびすけも、サーバムリンの猫達の血を引いておるで、懐っこくて賢い子じゃよ。
それから、この話と関わりが有るかはっきり分らんが、サーバムリンの東隣にユストリントちゅう村があるんじゃがの。
そこでは、いつからか鼬を飼って、猫のように躾けとるそうじゃよ。
扱いがちぃと難しいで、誰にでも愛想が良いと言う話でもないのが、玉に瑕じゃな。
ただ単に猫を主役にして、明るいお話にしたかった。
本当にそれだけだったという。
目新しさは無い気がしますね……ううむ。