『04』/14
引き起こされた様に感じ、一瞬だけ意識が戻った。
しかし、寝起きの夢現の様な霞んだ意識の中、正確な状況を捉える事は難しかった。
「――心配掛けた、すまんな」
決まり悪そうに頭を掻くその人影を見て、彼女は安心して再び眠りに落ちた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
生体反応は確かに止まった筈――
『禍衣』はそう思いながら、巨大化したバケモノと対峙する、目の前の人影を見ていた。
もっとも、それが人なのか、はたまた別の何かなのか、彼には分からなかったが。
頭頂部から、後頭部に掛けて、何本かの、角。
単に伸びたモノも、枝分かれしたモノもある。
それが、背中側までも続いているらしい事が、彼の視界には捉えられた。
正直を言うと、目にも分かる圧という点では、先程まで荒ぶっていた少女程ではない。
分かりやすく、実測物理に及んでいるエネルギーが感じられないからだ。
実際――彼の『感覚器』は、『魔力』の流れを捉えるのには不向きだ。
エネルギーの流れになり、周囲を削り取っていた――
今、その存在に抱き起こされた彼女のソレならば、微に入り細に入り捉え得るが――
「――全く、この局面で『双顎』はノビてしまっているし……」
自分よりかは知覚出来るであろう人物は、先程別の少女を庇って吹っ飛ばされ、壁に埋まっている――
……結局は、言葉の上で悪党を気取っても染まり切れないのだ、こいつは、と思う。
自分も、あるいはこいつの様にシンプルであれば、と思わないでもないが、どうにもそう言う風に動けない。
――恐らくは、自分の身に起こった事――
そして、本来なら起こる筈の無かった事の為に、自分の中身は捻じ曲がってしまっている。
――とはいえ、今この局面で、どちらが『敵』か判らない程馬鹿では無い。
「――――」
――だが、手出し出来ない。
目の前の人型――まだ少年の幼さを残すそれから発せられる、気配の為に。
静謐が満ちる、とでも言えば良いだろうか。
静けさが広がる、何て事は物理的には有り得ない筈――
いや。音波の相殺現象とか、そう言った事で、有り得ると言えば有り得るのだが、そういった事では無いのだ。
まるで、無音の森の中に居るかの様な、静けさ。
下手に動けば、空気が割れ砕けて、そのまま自分も割れ落ちそうな。
uuuuUUuuggggggwww――
そんな機微に等お構い無しに、怪物は手を、触手を伸ばそうとする。
だがその手が、その存在に触れる事は無い。
伸ばし、払い除けられ、砕かれ悲鳴を上げ、それを再生して手を伸ばす。
「――出来の悪い悪夢だな、まるで」
『禍衣』がそう呟くのと、戦況が動いたのはほぼ同時だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「相手が嫌がっている事を理解する事も出来ない――か」
そんな風に呟きながら、俺は一歩前に出る。
すると、相手はジリジリと後退した。
「おいおい、ふざけんなよ。『構ってチャン』。
先にやらかしたのはそっちだろうが――」
その様に、言葉とは裏腹に、俺はすっかりと興味を無くしていた。
――というより、
『バタバタぶっ倒れてるのが何人も居るので、お前になんか構ってる暇ねえよ、失せろよ』
――と言うのが本音だが。
Gyyooooo
それは俺が意識を逸らしたのが気に入らないのか何なのか、一声大きく吠えると飛び掛ってきた――
「うるさい」
ゴバァッ
唐突に、戦槌めいた形状の炎が、相手を殴打する様に炸裂する。
「――おう、アビ――ぃぃだだだだ!?」
「勝手に死んで勝手に生き返って、なにやってんのあんたは!?」
「やめ、やめて、もも肉むしれる!!」
めっちゃ強い力で、太ももをぎりぎり握られた。
分かってる、煽ったのお前だけど痛い程分かってる!!
何で『敵』庇っちゃったとか、痛い程!!
だから物理的に痛めつけるな、さっきのも悪かったから!!
「――まあ、いいや、良く考えたら、あんたがド級にアホなのは前からだわ」
言いながら肉塊に――というか、吹っ飛んでぶつかった、壁の方に向き直るアビー。
「――ところで、あんた、何時までシオをぶら下げて戦うつもり?」
ぶら下げてって――言い様考えようよ。
手を思い切り握ってて離れないんだよ、こいつ。
「なんつう甘えん坊だ、この子も……
というか、あんたへの依存度高すぎるわよ、これわ」
「俺に言われても……」
「反動っちゃ反動ですからね、手の掛からない子だった訳ですし」
おう、手の掛からない子だった、原因が何かを言って居るぞ。
「大丈夫か、お前も」
「見て分かる通り、反動で動けません」
……無理矢理這い寄って来なくて良いんだよ?
「いやー、驚いた。私もカッと成るって有るんですね。まさかアレ口走るとは」
「――なんだったの、あの術?」
「ああ、あれは――『術』というより、『デバッグコード』みたいなもんで――
存在構成要素に直接介入して分解するんですよね――
権限無いから使えない筈なんですけど」
いや、お前、意味が分からん。使えない筈のコード走らせたの?
「――ま、ジンの傍に居たら、異常事態は分刻みですから、今更驚きませんが」
うん、無理無理立ち上がらなくて良いから。あと、指差すな。
・ ・ ・ ・ ・ ・
立ち昇った土煙が治まり、その姿が再び見え始め、アビーは溜め息を吐いた。
グネグネと触手が束になり、腕のようなモノを構築している。
それも、三対六本。冗談キツイ、と思う。
転がっていた肉塊を吸収し、それを模倣する形を取ったのか、別の意味があるのか、それは分からない。
だが、その姿は酷く醜怪ながら――『阿修羅像』の様な風合いを見せていた。
――『仏』を真似るなら、せめて中も真似なさいよ。
心の中で口走る――その視界に移るのは、球体の肉塊に、グロテスクな穴が空いた魂。
清浄とは程遠い様に、吐き気すら催す。
――あんたらもあんたらで、一体――
今度は別の方をちらと見て、そう呟く。
――そこには、『森』の様なモノが見える。
『社』を取り囲むように、そして『森』を守るように。
相互が補完し合う様に捩れ混ざる、密接な魂。
――流石に、妬けるな。
そう思い、溜め息を一つ吐くアビー。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「いやはや、とんだグロ仏像ですね」
止めろってば、土煙晴れて見えてきたけど、意識から外してたのに。
つか、再生力高まり過ぎだし、手数は足りんし……
「くっそ生意気な。受け流しやがったか?」
口悪いな、お前。カティのがうつってますよ、アビーさん。
「さて。どうしますかね? どう控えめに見積もってもピンチなんですけど」
「――さっきのは……」
「いや、『魔力量』の問題じゃなく『才能』の問題でもなく、死にますよ?
私も生きてるのが不思議ですから、曲がりなりにも『人』であるアビーにはお勧めできません」
「えー」
「えー、でなく。反動で吹っ飛んでないの、不思議なんですよ実際」
なんで俺が無事と分かると、緊張感さんが何処かに逃げるんだよ……
ミヂッ
ミヂッ
ミヂッ
げぇっ!! 来る来る来る!!
「ここはまあ」
「それがベターか」
……こっちを見るな。まだ『この状態』が何なのか不明なんだから。
確かに『見得て』る事が段違いにクリアで多様には成ったけど、それが――
――期待に満ちた目で見るんじゃありません!!
なんとかかんとか、やってしまうでしょうが!!
「――うむむ。出来るか分からんが。やってみるか」
「ほう!! 何かあるのかライデン!?」
「ライデンじゃない」
『アガザル』との何度かの戦いを思い起こしながら、俺は構える。
「『烈焦低樹』」
呼び掛けに答えるように、相手の足元に低めの低木が繁る――
Gyooooo
――馬鹿め。何も考えず『素手』で払う奴があるかよ。
――GYYYYYY!!!!
「おうっ!? 効いたけど、なんですあれ?」
「――細かい棘がいっぱいあるんだよ、あの樹」
「えげつないモノ呼ぶね、お前……あの樹って……」
GYuuueeeeeee
「やっぱりじゃん。『漆』の仲間だったろ、あれ。めっちゃ掻き毟ってる」
「植物学的な種類は多分違うんだけど、な」
博物学的に系統立てて観察してないけど、メッチャかぶれるからな、あの樹。
……植物寄せの個体じゃなくて良かった……効かない奴には効かないもんな……
ブチッブチブチブチッ
「……自分で引き千切りやがったか。うん、あれいっぱい出して逃げるか」
……いや、なんで二人して前に出てるの?
「――奇遇ね、アウル。ひょっとして私のやる事分かった?」
「……いや、貴女の能力の系統考えた上で、今のアレ見たら多分やるかな、と」
「――何言ってんの、二人とも」
「「いいから今のもっかいハヨ」」
はい、分かったから、爛々とした目でこっち見ないで。
「――『烈焦低樹』」
再び俺はそれを展開する。だが、相手も馬鹿じゃないらしい、跨いで避ける。
「――『空気操作』『密度変更』」
アウルが何事か、物騒な言葉を吐いた。
――と、唐突に――天井に空いた穴から、青白い光が零れる。
「……なんだ?」
「『月光』です。空気操作して屈折率変えて、レンズみたいにして」
「……あの。地下深くのヴァンパイアとかいたら、それで全滅頼むわ」
「そこまで有効な焦点絞り出来ないと思いますけど――
――カンッ――
――彼女には、十分見たいですね」
見ると、其処には、月光に照らされながら杖を地面に突いた、アビー。
「――――」
自分には良く分からない『言葉』を唱えている様だ。
それは、よく通る高音だが、意味が理解出来ない。
「――……――」
その『詠唱』に応じる様に――
俺の出した『植物』が、急速に『繁茂』し、『成長』し、『枯れて』いく。
――ただ枯れただけではない。
そこから、何か水蒸気のようなモノが立ち昇り、一塊の水滴になっていく。
「――なんじゃ、そりゃ」
「いみじくも、貴方がかつて言ったじゃないですか。『普通の魔女』って」
「…………」
言ったよ、言ったさ。だけどな。
普通の魔女は、『植物から、空気中で、魔術的に毒素だけ抽出』しねえよ。
「――アウル、『壁』は?」
「いけます」
とんっ、とアビーがバックステップし、それを追う相手がアウルの『壁』に弾かれた、その瞬間。
――ぱんっ
その水滴は、はじけ飛んで、『壁』の向こう一面に飛び散った。
GYYYYYYYYYYYYYY
モロに喰らった相手は、しかし、そのまま『壁』に腕を叩きつけようとし――
――――
ビクンッ、と体を揺らすと、ブルブルと震え、全身を掻き毟りだした。
「……えげつねえ」
『漆』の原液を水風船にして投げ付けたようなもんだろ、これ。
「こんぐらいされて」「あたりまえ」
ワー、コワイナー、コノ二人ー。
「私の大切なもんにアヤ付けるんなら、コンぐらい覚悟しろ」
「全くです。人の大事なもん傷もんにしくさってからに」
怒りのベクトルが訳分からんし。
・ ・ ・ ・ ・ ・
胡乱な頭で、敵が自分の体を掻き毟る光景を見ていた。
力加減が無いのか、その指先は自分自身の肉体にやすやすと突き立ち、むしり削る――
しかし、その触れた所もまた酷く痒いのか、今度は別の腕で掻き毟る。
まるで無限の責め苦だ――『双顎』はそう思った。
確かに、『お遊び』であんな事をする連中には似合いだが――あまりにも哀れか。
そう思った彼は、転がっていた剣を拾い上げて、一つ大きく跳ね――
――ブヂン
狂い悶える怪物の首を、切り落としたのだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「収まった……か」
施設の外で、警備員達を退避させていたカティは呟いた。
「みたいだけど……あんた、よく戻らなかったわね?」
「武器も無しでどの面下げてあの場に飛び込むのよ」
ザミーの言葉にそんな風に返しながら、別の方を向く。
「むしろ、あんたは何で戻らなかったの? イゾウ。
ジンの魔力消えたとかザミーが騒いでも、微動だにしなかったし」
警備員達から聞き取りをしているイゾウは、ふっとそちらを向く。
「――心配はしてねえから、かな」
「ほう?」
「そもそも、アレが魔力が消えただけで死んだと判断するのは、早計に過ぎるだろ――
実際、生きてんだろ? 今は」
「まあ、滲む様に消えて、また戻りましたけど……」
「大方、変な魔術使ったか何かしたんだろ。
匂って来る死の匂いが濃密過ぎて、鼻も効かないけどな」
それに、と続けながらイゾウは呟く。
「アビーもアウルも居たしな。
大切に思う相手を簡単に死なせるほど、あの二人は安くないだろ」
・ ・ ・ ・ ・ ・
実際の所の問題として――今回は、かなり不味かった。
意識が遠退く様な一撃を食らった事もだが、後の連中がまともに戦えなくなっていたのが不味かった。
うーん、主軸一人だけでは詰む段に入り始め――いだだだ!?
「まーたー馬鹿な事考えてるでしょ、あんたわ」
「なん!? 馬鹿な事って、なんだ!? いででで!?」
やめ、耳を引っ張るな、やめろ!!
「自分ひとりで何とかしようとするなと、アレほど!!」
「ちが、そっちは考えてないぃぃだだだだ!!」
まだそこまで考えてないですよアビーさん!!
体が動いちゃったのは事実だが!!
「……いっそ本陣の椅子に、釘かなんかで磔にした方が良いですかね?」
「こええよ!! 何言い出してんだお前!?」
まじで何でお前まで怒ってんだよ、アウル!!
「――なんだ、守りたい者、在るんじゃないか」
そう言いながら、血刀をぶら下げたまま、前に立つ『双顎』。
「大切にしたい者が有り、それの力も強力であり――
なのに何故お前は、独りで戦おうとするんだ?」
「――そっくりそのまま返すわ――何で悪の部分を自分で引っ被ろうとしてんだ、あんたは」
そう俺が返すと、それはピクリと反応した。
「――さて、何故だろうな?」
「はっ、この嘘吐きめ。その方が気持ちが楽だからだろうが」
俺がそう言うと、相手はにやっと笑った。
――だが、その笑みは、なんだか酷く乾いていて――
「――あー、もう。
取り敢えず、目の前でいちゃいちゃされるのは腹立たしい。
帰るぞ、『禍衣』」
「好き放題に暴れた挙句に……すまんな。ジン=ストラテラ」
良いんだよ、苦労人さんよ。見通し甘い系とか言ってすまんな。
「――ついでだ。俺とお前の差を、もう一段見せ付けておこうか」
振り返る事も無く、『双顎』は片腕を上げた。
「『神竜』、処分しろ」
その一言が響いたか否かの一瞬で――
バグンッ
地面から竜の首が生え、アガザルを飲み込み、天井の穴から外に出る。
それは、一際大きく首を振るったかと思うと、アガザルは大きく飛ばされ――
キュキュキュ――バジュっ!!
ブレスとも魔術ともつかないエネルギーの帯で、完全に焼き潰された。
――おう、そりゃあな。そういうモノも在るだろうとは思ってたさ。
「――出までがまだ少し掛かるな――だが、こんなもんだ」
うわ、むかつくわ。俺だって大破壊する術ぐらい有りますー(無差別)。
「さてさて。次に会う時はどの程度に成ってくれるのか、楽しみだ」
そう言うと、『敵』二人は、霞の様に姿を消した。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「――よう。『ウェイ=クビン』」
『転移』から姿を現し、軽薄に告げるそれに、身が固まる。
「うむ。よく無事で――」
「はっはっは、言っとくが、資料はそのまま向こうに渡るぞ?
適当な言い訳は考えて置けよな?」
つかつかと歩み寄り、肩に手を置きながら、それは言う。
「もっとも、アレをそのまま利用なんて出来る筈も無いか。
そして、そもそもで『攻め手』になる『モノ』は無い――何の意味もないだろう?
『真闇』の旦那には、俺から上手く言って置くし――な?」
バシバシと肩を叩きながら、それは何故か笑顔を絶やさず――
「――次に水を差したら、分かるよな?」
「……それが脅しに成らん事は、分かるじゃろうに」
「はっ――再生する端から竜に食わせ続けるとか、色々あるさ」
そう言うと、相手は剣をテーブルに置いた。
「もっと強くしろ。強度だ。素材はまだ有るだろうが、必要なら言え」
そう言うと、ニヤニヤと笑ったまま、部屋を出て行く。
「……違うな。あやつの目では無い」
得体の知れない感情の振れ方をする目だが、あの幻影のそれではない。
「――まあ良いわ。目的の為に、精々利用させてもらおう」
安穏と眠る事は出来ないが――そう呟きながら、魔術師は笑った。
・ ・ ・ ・ ・ ・
面倒なルートに入ったかもしれない――アウルはそう思った。
シオは『魔王』の片鱗を見せた。
アビーは、その能力の深淵を覗かせた。
自分も、通常の『権限』なら有り得ない段階のコードを使えてしまった。
ジンを巡って、全てが起きた。
そのジンは、気がつくと角も消え、『疲れた』と一言残して気絶した。
――望むと望まぬに関わらず、彼と関わった存在は、成長していく。
まるで、ジンが望むがままに。
――それは、果たして、ジンの意志なのか、はたまた別の何か、ジンの中に宿る者の――
「――何難しい顔してんの?」
アビーが不意に掛けた言葉に、自分は驚いた。
「――え? あ?」
「いや、さっきから呼んでたんだけど、全然気がつかないとか」
「……マジデスカ」
「うん、2、3分呼んでた」
――流石に不味い。感覚器が鈍って――いや、違うな。
その位深く、黙考していたのだろう。
「うーん……カクカクシカジカ」
「ないわ」
自分の疑問に、アビーは即答した。
「自分から突っ込む生き物が、実は自分の命を呼び水にして周囲を成長?
こいつが? 何処の『霊能力ヤンキー』よ。こいつは――」
はあ、と深く溜め息を吐き、アビーは続ける。
「――少なくとも、私もあんたも、シオも戦う事を望んではいないと思うよ」
「――私もですか?」
「頼りないとかじゃなく、女性蔑視とかでもなく、単純に嫌なんだと思うよ。
自分の周囲が傷つくの。それ位なら自分が、って思ってる」
その横顔を見て、アウルも溜め息を吐く。
「――正にそうですね。というか、『四位』勢力、そんな人だらけですけど。貴女も含めて」
「――私は、そんなご立派じゃないよ」
「――ところで、知ってます? この世界、重婚とか犯罪じゃないんですよ?」
「ふー――……は、はぁ!?」
ごぢんっ
「ちょ、ジンを取り落とす位取り乱さなくても」
「な、なんでいきなりその話に成るのよ!?」
「いや、アビーさん、シオに遠慮してるのかな、と」
「関係ねえわ!!」
――そう、貴女も。笑っていた方が良いですよ。
さっきまでの泣きそうな、それを堪える顔は何ですか。
そんな風に思いながら、さらにアビーをからかってみる。
「――あんたはどうなのよ?」
「……どうでしょうねぇ。こんな冒険野郎の嫁とか、苦労耐えないでしょうし」
「よ、嫁って――」
「おやおや、意識しちゃいました?」
「あーうん、たまにあんたが、『死ぬんじゃね?』ってアイアンクロー喰らってる理由分かったわ……」
――そう。暗く成っている場合ではない。
この人と関わったその時から。或いは『邪神』に起こされた時から。
自分は、とうに焦がれてしまっていたのだ。
あんなバケモノの世話だけで終わるのではない、そんな日々に。
・ ・ ・ ・ ・ ・
遥か深淵、或いは天上。
それは身じろぎをした。
心には、不愉快としかない。
足りない。
全然足りない。
アレもこれも、それも何処も、なにもかも。
手を伸ばすに、邪魔な者は分かっている。
――排除しなくてはいけない。
しかし、排除すれば、また面白くも無い無味乾燥な日々が来る。
天秤上の二つの事に、それは懊悩する。
懊悩は更に深く。身動きを出来ない程に深く――




