『03』/interlude02
「親父の心配も、理解は出来るんですよ」
ショリショリと野菜の皮を剥いている青年の言葉を聞きながら、花栄は自分で獲って来た鳥の毛をむしっている。
「普通に考えれば、『料理人』ってのは、それこそもっと若い自分から誰かに師事するとか――
そういう風にして『一流』の味や技を盗んで成るもんだ、ってのも分かるんです」
「――お前さんが成りたい『料理人』とは、違うんだろ?」
「ええ。困った事に」
手を止めず、次から次へと野菜を剥いていくその手際は、熟練のそれだ。
自分に同じ事が出来るかと問われると、まあ、無理だろう。
「――昔の親父なら、別に止めなかった――
というか、止めたとしても、あんな無茶苦茶な手に打って出る様な人じゃ、無かった筈なんですけどね……」
「――そこら辺も、お前さん、よく分かってるんだろ?」
「……そうなんですよ。あの一件が、親父が直接下した手でない事ぐらい、良く分かってるんです――
――ただなあ――と、ね。我ながら、狭量ちゃ狭量ですけど……」
青年は、そこまで呟くと、剥いた野菜を巨大な寸胴にゴロゴロと突っ込む。
「――異郷でも、親子関係がままならぬのは、同じか」
「花栄さんのとこも、そんなでした?」
「――俺の家はむしろ、俺の好き放題で振り回されっぱなしだからなぁ……
存分に恨まれてても、仕方が無い――」
田舎の要塞の副長官とは言え、安定した暮らしを友の為にブン投げる様な男だ。
さぞや苦労しただろうし――恐い思いもさせた。
夫としても父としても、ろくな者じゃなかったはずだ。
「――自覚があるからなあ、花栄さんは――
いや、親父だって――
立場が変わると、人間てのは、変わっちゃうもんなんですかねぇ……」
青年の寂しそうな呟きに、花栄は言葉に詰まった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
青年の名は、フィガロ=アールボンという。
前述した、バッジョ=アールボンの息子である。
現在彼は、『二位』の旗下で『調理番』を勤めている。
その味の評判は悪くない。少なくとも、野戦で疲れた連中の腹には好評だ。
無論、自分の腕が、バーフェルブールだので通用するか、と問われれば、否と言える――
だが、自分が目指すのは、そういった所ではないのだから、とも思う。
フィガロにとっての、『美味』というものの原体験は、幼い頃の事だ。
――とは言っても、貴族連中の様な珍奇な味だの繊細な味だのという物とは無縁だ。
――今でこそ、父親は一級巡礼司だが、フィガロの幼い頃の父親は、三級程度の地位だった――
権威の上では聖職だが、その生活は、普通の一般人となんら変わりない。
その仕事も、巡礼に出た人間たちの先々で、宿の手配などをする程度のもの。
一級連中の様に付け届けがくる訳でもない。
要するに、普通の家庭で、普通の生活を送る――
ただし、その生活そのものが、旅から旅に近い――そんな一家だったのだ。
そんな中、ある時、巡礼の一人が野盗の一団に襲われた。
まあ、無い話ではない。
騎士を連れ歩いている聖職者、といっても、そこは人の子。
馴染みの『家』に一人で出向こうとして襲われたのだ。
夜に伴回りも無しとは、無用心極まるが、まあ、その人も若かったのだろう。
だが、この時――バッジョ=アールボン一家も、その近くに居た。
彼らに庇われた『巡礼者』はどうにか逃れたが――
アールボン一家は、野盗連中をひきつけたまま、逃げ――道に迷う羽目になった。
いや、どうにかこうにか相手はまいたのだが、ランタンが壊れてしまっていた。
――とにかく、雨もそぼ降りだす中、歩き通し――
着いたのは、樵だの狩人だのに食事を提供する様な、あばら家同然の食堂だった。
もう、大体お分かりだろう。
冷えた身体に、その食堂で出されたスープの味は、染みた。
考えてみれば、残り物も残り物、異様に濃い味に煮詰まった様な味のはずなのだが、彼には美味だった。
父は、その際の功績を相手に認められ、二級に上がった。
多分に口止めなどの意味もあったのだろうが、純粋に一家は喜んだ。
父も、その才知が、やっと芽吹いたのだろうか。
順風満帆に、という訳でもないが、着々と階位を進めていった。
――もっとも、その頃から、次第に――自分たちはすれ違ってしまったのだろう。
振り返るに、フィガロはそう思う。
母と自分は、旅から旅の生活ではなく、父が手に入れた家に住まいし。
父は父で、その仕事に邁進し。
決定的に成ったのは、母が死んだときだろう。
――いや、帰ってこなかった、とかそういう事ではないのだ。
父は必死に帰って来た。
あらゆる手を使い、あらゆる方法を辿って、最後は息を切らせて走って――
妻の死に目には、間に合った。
――問題は。
「――フィガロの事、よろしくお願いします」
「――ああ、もちろんだ」
――母と、父の間では、その言葉の内容が、違ってしまっていた事。
・ ・ ・ ・ ・ ・
料理人になる、という願いを、一蹴したりはしなかった。
だが、学ぶべき所が違う、と言い出した。
街場の酒場でではなく、一流の料理人に師事しろ、と。
自分は宮廷料理人に成りたい訳ではない、と言い。
父はお前の為にならん、と引かず。
――自分は家を飛び出した。
或いは――そこで終わっていれば――
数年後に顔を合わせ、仕方の無い行き違いだった、等と笑い合えたのかもしれない。
だが、実際は――
父は、通常なら貴族出でなければ成れない様な、一級に抜擢。
自分は自分で、そこそこ名の知れた、街場の料理人に成りつつあった。
――ここでも、どちらかが、そこまで到って居なければ、と思わないでもない。
――ある時、自分の味覚がおかしくなっている事に気がついた。
単なる疲れ、と思っていたそれは、運の悪い事に食通と名の知れた商人が来店した日に、最悪のものとなった。
世話に成っていた、おかみさん達の面子を潰してしまった――
そんな事を言う人たちでは無いし、気にするな、とも言ってくれたのだが――
夜中、酒に酔いながら、街を彷徨していた。
味が全くしない、そんな酒を浴びるように飲みながら。
「美味い仕事だったぜ、なにせ――」
そんな声が、安酒場の戸口から聞こえてきたのを聞いた。
「――どっからそんなの仕入れたんだよ?」
「さあな? 俺は預けられたのを、卸しただけだしな――」
「しかしおっかねえなあ、何処の誰か知らねえが、料理人一人潰すのに、そんな――」
……何故、その言葉を、そんな風に理解出来たのか。
酒に酔った頭で、存分に悲劇ぶっていたからか?
さあ、としか、答えようが無いが――
――目を覚ますと、ボコボコにされて、橋の上に転がっていた。
「――目が覚めましたか?」
目の前に、一人の女が居た。
「貴方は確か、『夜長鳥亭』の料理人の方でしたね?
こんな所で喧嘩する為にある手では無いでしょうに。
どうなさったのですか?」
霞んだ視界の中、その顔を見れば、何度か飯を食いに来てくれたお嬢さんだった。
言ってはなんだが、場違いな雰囲気――
だが、美味そうに食べるその姿は、自分に『始まり』を思い出させてくれる、そんな人だった。
「俺……俺っ――」
何故かは分からないが、ボロボロと泣いていた。
なんで、どうして、こうなってしまうんだ――俺は――俺は――
そんなにも、許せない事を、しているのか、と――
「――はいはい。大丈夫ですよ」
そんな自分を抱き、ポンポンと、背を叩き続けてくれた。
――彼女が、『聖女』と思っていたら、そんなのは無理だったろうが。
・ ・ ・
「――まあ――親父だけの意向でじゃ無いのは、分かりますけどね。
多分、頼んだ相手から下へ伝わるうちに、余分な思惑まで抱えてそうなったろう事は、分かります――
――『夜長鳥亭』自体、商売敵も居ましたしね」
「ふむ――成る程。『上意下達』は、しっかりしなくては成らんな。
何度か聞いていた話ではあるが、ちと考えさせられる」
「ええ、そ――いやいやいや!!
なんで剥いてるんです!?」
隣に座って『長玉葱』を剥いていた青年に度肝を抜かれる。
「暇だ。暇過ぎる上に手慰みになる書物を持って来なかった。だから剥いている」
「――いや、その、『二位』様?」
「なんだ?」
「……未来の皇帝がやる事じゃ……」
「決まっても居ない事を。別段、皇帝になる事が目的では無いしな」
そんな事を言い、『二位の皇継』は目をシパシパさせる。
「おう、これだこれだ、この刺激。
天地の間には、思うに成らぬ事があると思い出させる、この刺激――」
「いや、冷水に浸したり、水ん中で剥きましょうって――そもそも、花栄さんは」
「あっちで細かい毛を焼いてるぞ――くぅー!!」
『二位の皇継』にこんな面が在るなど、知って居る者の方が少ないだろう――自分とて、知らなかったのだ。
――噂に聞いていた、『恐ろしの子』が、こんな風な奴だった等。
・ ・ ・ ・ ・ ・
知って居る限り、この人物は、人というよりは『象徴』として育ってきた人だ。
というのも、生まれた時から『皇継』となる事を宿命付けられて居たからだ。
『一位』が『廷臣派』から選ばれた段で、その対である『軍閥派』からも――
政治を然程に知らないが、それは当然のというか必然の事だったのだろう。
彼は、生まれながらに、実の親にではなく、選抜された者達の手によって養育される事が決定しており――
個人としての名も、家名も受けず、『二位の皇継』をそのまま個人名に使用して育ってきた。
『恐ろしの子』、というのは、そのあまりの武才にある。
師とした剣士を、一年ともたず使い潰す。
師とした軍師を、半年と待たず論破する。
そんな風に、彼は育ったのだ。
そんな風に育てられた、とも言えるが、それに応える器であったのだ。
それこそ、初陣で、獣魔の大将首を掻っ切る程度に。
・ ・ ・ ・ ・ ・
『聖女』の紹介状を携え、初めて見えた時の事は覚えている。
「――ひょろいな」
いきなりそう言われて、固まった。
「そんなので、『骨切り包丁』を持てるのか?」
「……待って下さい。ええと、その――今、どういう、料理を?」
言われた言葉に、正直ゾッとしたのを覚えている。
『骨切り包丁』、というのは、獣の解体の、本当に最初の最初で使う奴だ。
ある程度に切り分ける為の、包丁とは名ばかりの、でかくて重い『刃物』だ。
「――炊事番は交代で行っている。案内しよう」
相手の後を付いて行きながら、重ねて問う。
「……専門の、なんか、料理を、やって来た、方は……」
「居たら基本、各地の砦に回している――野戦にまで連れ出すのは稀だな」
角を曲がって、その場を見た瞬間、自分は叫んだ。
「――アホかぁぁぁぁぁ!!」
まな板にのっけた野菜に向かって、なにを振り下ろそうとしてんだ!!
そもそもでその野菜、別に振り下ろさなくても切れるでしょうが!?
「くっくっく――分かったかな? これが、我が軍の、『野戦料理』の程度だ」
その笑い声を聞き――その瞬間、自分は、まんまとこの青年の策に嵌っていたと知ったのだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「御蔭で、ちゃんとした飯が食えるようになったと、全員が喜んでいるぞ」
「――むしろ、なんで学ぼうとしなかったんですか……」
「『食えれば良し』、というのが、ロアザーリオの気風だからな。
移り住んだ頃の貧しかった頃でないのだから、ちゃんと作ればいいのだが」
そればかりは仕方ない、と溜め息を吐く。
溜め息を吐きたいのはこっちだ。
「『兵とて人』、ですよ?」
「くく、染まってきたな、料理人。『戦詩』の一篇を吟じるとは」
そう言うと、相手は笑う――染まりたくて染まったと思ってんのか、この人……
「――お前は、俺の願いを知って居るな?」
「……ええ、いきなり言ったじゃないですか、あの日」
「そうさな――『同志』として過分無しと見たからな」
大仰過ぎる。何を言っているのやら。
「――たかが料理人に、何を求めてるんです」
「決まっているだろう。美味い飯だ」
どこまで本気か分からない調子で、彼は言う。
「――何。俺もお前と同じ様に――鼻を明かしてやりたいだけだ」
「――誰の、ですか?」
その言葉に、彼は――
「お高き者、全て」
そんな言葉を呟き、ニヤリと笑うだけだった。




