『03』/02
凡そ、10年ほど前の事――
ロアザーリオとバーフェルブールの統治圏境に程近い、とある町――
そこに、奇妙な男が流れ着いた。
東方風と言えば東方風だが、見た事の無い服装。
顔立ちも近辺の人間とは風合いが異なる様だった。
しかし、服装にしろ髪型にしろ、随分と放浪したか、何か災難にあった様にボロボロで――
町の広場に倒れこんだその男を、町の住人達の大半は遠巻きに見るだけだった。
「――むっ? どうした、そこの御仁」
そんな男を助けたのは、町の顔役だったとある男――
名を、トマーシュ=レガナと言った。
彼は医者であり、随分と昔にこの町に移り住んだ。
田舎町には似つかわしくない、開明的で開放的、良くも悪くも開けっぴろげな男であり――
しかし腕の確かさで、町の人間達からも慕われていた。
「皆、手を貸してくれ。流石にこの御仁を、この老骨が家まで運ぶのは骨が折れる」
「し、しかし先生――その方は――余所者ですよ?」
「何を言うか!! 儂とて余所者だった。もっと言うなら、御主等の祖とても――」
「――ああ、まあ、そうなんですが――本当に御人好しなんだから、先生は」
この時点で、その男は意識を失っていた。
次に気が付いた時は――
・ ・ ・ ・ ・ ・
「む――こ、此処は――」
何処かの屋内、と考えられる場所で――
「あ、おきた!!」
「気が付いたよじいちゃーん!!」
「――み、みみ――?」
目の前の子供たちに呼ばれ、どたどたと駆けて来る音――
「こら、あんたら!! 一応その人病人なんだからデカイ声出さないの!!」
扉が開いてそこに立っていたのは――一人の女性だった。
「おう、気が付いたか。死なずに済んで重畳重畳」
その後ろから顔を出す老人。
「その――すみません、お尋ねしても?」
男は恐る恐る、目の前の人たちに訪ねた。
「ここは、『桃源郷』で、そちらの女性は『西王母』様でしょうか――?」
「……ん? お主、もしや――」
「何言ってんのおっちゃん、ここはアールフトゥルの町で、爺ちゃんの家。
んでもって、これは俺らの母ちゃん――いてぇっ!?」
「母親をこれ呼ばわりする奴がいるか!!」
「おひげー、もじゃもじゃー」
返って来たのは、とても賑やかな反応であった。
男――呉用は、そんな喧騒も耳に入らない程。
目の前の耳の長い、栗毛色の髪の女性に見とれていたのだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
呉用は、物思いに耽っている。
いや、半分は夢現、とでも言えるような感じかもしれない。
何せ――呉用は、自分の過去をあまり振り返りたくないからだ。
それでも、脳裏を過去が過ぎっていくのは――多分、花栄に逢ったからだろう。
「――あなた」
不意に呼ばれて、そちらを見る。
そこには、夢とも回想とも付かない脳裏で、自分が見とれていた女性が立っている。
「――シーファ。どうしたね?」
「どうしたね、って、全く――夕飯だとさっきから『板』を鳴らしているのに、気が付かなかったんですか?」
「――すまん、思ったより深く寝ていた様だ」
そう言って、額を掻く呉用。相手は一つ溜め息を吐いて笑う。
「子供等は手が掛からなくなったのに、こちらの方が手が掛かるんですからねぇ」
「すまんすまん」
「こんなんで、御義父さんは『中央に伝手が有ったら官僚に推薦している』とか言ってたんですから――
御義父さんもだったけれど、学者というのは、生活不適合な人が多過ぎますよ」
そう言いながら、彼女も横に座る。
「――あんまり、穏やかだから――つい、な」
そう呉用は答える。
今の呉用は、亡くなったトマーシュ老の跡を継ぐ様に、医者の務めと晴耕雨読の日々を送っていた。
目の前の菜園――種々雑多に、取り取りの花や葉が生えている。植えているのは、薬草の類だ。
トマーシュ老がこの町に根付いたのも、この薬草の類が理由だ――
ここアールフトゥルは、かつて地に下りたエルフ達の中の一群が、大きな群れから離れて築いた街――
もっと言うならば、かつては隠れ里の様な村だったという。
暮らし始めてから色々と聞いた内容は様々だったが、凡そ、この周辺の薬草の保護や研究が目当てだった様だ。
――『地のエルフ』と呼ばれる集団の中でも、比較的温厚な考え方の集団だったのか、はたまた別か。
『普遍人』と呼ばれる普通の人とも、一定の距離で暮らし――
幾年月もの経過で、人と変わらない程の寿命になるまで人と交わって行った。
そんな人々が、静かに、穏やかに暮らしている街――まあ、田舎に特有の閉鎖性はあるが。
かつて梁山泊で、無数の戦いや事務の山や、毎夜の様な酒盛りの喧騒の中で人生を送った。
だが、こうして繁る薬草を見ていると、自分本来の性情はこういうモノだったのだと思わないでもない――
――本当に、そうだろうか?
花栄の口にした事に、血が騒がなかったか?
バーフェルブールの貴族を見て、中央の役人どもを思い出さなかったか?
ロアザーリオの軍閥どもを見て、地方の賊軍どもを想起した事は無いか?
天下にきな臭い気配が充満しているというのに――こうしているのは――
「そうそう、手紙が届いていましたよ? 『識密見淵』殿から」
――あんな、若者たちに、それを投げて置くだけで良いのだろうか?
「――筆まめな事だな、『智の異天』殿も」
まだ年若い風でありながら、鋭敏に過ぎる程の『智慧』を持っていた青年を思い出す。
「仕官のお誘いでしょうねぇ――
貴方に会いに来た旧いご友人も、そうだったのでしょう?」
言い当てられて、呉用は額を掻く。
「――冒険は、君に花を持ってきたアレで最後で良い」
「――あらあら。遭難しかけて、流石に懲りたのかしら」
「ぐむ――まあ、それもあるが――私は『無用』だよ、『無用』で良いのさ」
ぺら、と手紙を見ながら考える。
――もし自分が、本当に知恵者だったならば――
かつて、想像が付いていながら友を救えなかった自分は、その時点でそれを名乗る事は出来無い。
そう思う故に――呉用はそんな風に口にする。
「まあ、お好きになさいな――
私は私として、貴方を見守りますから。さあ、食事にしましょう」
そんな風に言って立ち上がる、妻・シーハウ――は、家の中へと入っていく。
手放すには――あまりにも得がたい、当たり前の幸せが、ここにある。
こちらの発音に慣れなかった頃――
そう難しくも無い筈なのに、事在る毎に何故か『シーファ』と呼んでしまい、困らせた――
今では呉用の呼び方に合わせ、自身もシーファと名乗っている。
――だが、それだけで無い事も、知っている。
――彼女は、未亡人だった。
今も『狩人』である彼女だが、もっと以前の駆け出しの頃――
大怪我を負った彼女を手当てしたトマーシュの息子に、ぞっこん惚れ込み、結婚し――
――自分が辿り着く少し前――
「…………」
――過去と決別させてまで、得た幸福。
その相手が、厄介な――この上なく厄介な方へと踏み出す。
――彼女なら、笑って送り出してくれるだろう。
だが――それで、自分は――
「――宋江殿――俺は、どうすればよいのでしょうなぁ……」
天に輝き始めた星に、呉用は呟いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「手紙は書きましたが――多分無理でしょう。
他の方も動いてらっしゃるとは思いますが、いい加減諦めた方が良いかと思いますよ?」
ユキヤ――『智慧の異天』は、そんな風に呟く。
目の前の青年は、それをじっとりとした目で見る。
「――その理由は?」
「権威にたなびく人ではない、という印象と、すっかりと隠棲したがっているという印象からです――
それに、金銀財宝の類を積んでも、位階をちらつかせても、あの人の心は動かないでしょう」
「それを何とかする為に、貴殿に頼み込んで居るのではないか――!!」
「よせ、オアークウッド。カウランドールの伝手で無理に動いて貰っているのだ。
本来ならば『異天』殿らは、世俗の位階とは一切関係なき判断を委ねられている。
頼んでいる我々が、その判断にあやを付けてはならんよ」
言って傍らの男を制するも、青年の目は不満げである――だが、ポツリと漏らす。
「他の『知恵者』の情報が無いではない――ありがとう、『智慧の異天』殿」
「ええ。お役に立てず――ああ、そうそう。
エルフ達は協力は惜しまない、との事でしたよ、『一位の皇継』殿。
いっそ、彼らの智慧を借りてはどうでしょう」
その言葉に、苦笑いを浮かべ――
「如何に私も近いとは言え、それで『建国戦争』を繰り返してもな――まあ、良しなに伝えてくれ」
「はい――御役に立てず」
部屋から出て行くユキヤを見ながら、彼は思考を巡らす。
「――いかがなさいます?」
「エルフどもは手出し口出しが過ぎる、あまり深々とは関わらせたくない。
逆に巻き込まれたくも無い、とも言える――カウランドールの様な者はまた別だがな」
「然様ですか」
「ああ――加えて――『貴族連』どもを重用し過ぎてもな。
功を焦って、余計な手出しをされては困る――オーレよ、何故私が、お前を傍に置いたのかわかるか?」
そう『一位の皇継』に問われ、オーレ=カイル=オアークウッドは考え――
「……オアークウッドの『力』がお目当て、では無いのですか?」
「それもある。だが、もっと単純な事だ。事は至って単純。
失態から、劣等劣等と蔑まれたお前だが――」
ザクザクと、言って欲しくない言葉を言う相手に、しかし反論は出来ない。
「――策の練りは兎も角も、遣り様そのものは然程間違っていない、と踏んだからだ。
必要な資材と人員を手配し事に当る――遣り様は間違っていない。
マリーメイアの様な規格外を、そうと看做せなかったのは反省すべき点だがな」
「…………」
「与えられた『命令』を、愚直にこなす事の出来る能力もある。
ならば、あと必要なのは、もっともっと綿密な策と――裏切り寝返り等起こさない駒だった――
無論、それらを駆使しても尚、と言う事もあるが――
遣り様としては、『廷臣派』の主流な遣り様だ――違うか?」
「――私自身が、裏切る事は想定されないので?
……或いは、父が、貴方に私を押し付けたのは、と――」
そう問うたオーレに、『一位』はクツクツと笑う。
「俺を、お前が、裏切って何とする?
父からも蔑まれ、下手をすると廃嫡されかねないお前が、男爵家と言えども継げる目は、俺に従う事ぐらいだ」
口調が僅かに変わる――演技なのか、そういう性格なのか――未だ、分からない。
「『三位』に付いても良いが、どちらかと言えば『容認派』だぞ?
『聖樹教』内でその手の派閥が伸張し、『魔詠人』がその名誉を回復すれば――
お前の家の今やって居る遣り様は、立ち行かなくなるぞ? 今でも、そうだろう?」
静かに、しかし冷然と告げる青年に、オーレは黙るしかない。
……実態を、よく把握している。
恐らく、語る事以上に、もっと深く。
「何――俺の下で功を上げるなら、成った暁には、公爵家にでも婿入りさせてやる。
どこの、等と贅沢は言うなよ? 無理矢理に繋げた所で、巧く行かないのは分かっていよう?
「――――」
外面は、完璧である筈なのに――自分の家の、家族内の事まで言い当てられ、身震いする。
「だが、見果てぬ夢を見る前に――」
「――はい。幾人かには接触しては居ります」
恐ろしい――だが、それほどに、有能な将だとも言える。
賭けるに値する――自分の家等、霞む程に。
「御指示の通り、二度会えなんだ者は今は数名です。
もっとも、単に不在だった可能性も多いですが――中には、これはあるいは、と思う大駒も」
「ほう――何者だ?」
興味が湧いたのか、『一位』は問う。
「『真名』はまだ判然としません。ただ、『ゴヨウ』の様に、隠遁生活を送っているようです。
才知流麗というか、非常に口が巧いようで、知恵者として名が知れ始めて居ます。
周囲には、『ハクタク』と名乗って居るようです」
「――『ガリョウ』でも『ホウスウ』でもなく、『ハクタク』か――」
「ご存知なのですか?」
「前者二つは、異邦の英傑の渾名だが――『ハクタク』を号した英傑は聞かぬな」
そう言いながら、『一位』は考え――
「……私自身が、会いに行ってみよう。
もしも、正体を隠そうとして、しかし能力を求める者を誘っているのならば――
あるいは、『三度会いに行く』その行動で、正体が見えるかも知れん」
「誘う、ですか?」
「ああ。『ハクタク』とはな――有徳な王の治世に現れるという、異邦の『神獣』だ。
それを字に使うというのは――『その意を知り、私を求める有徳の王は居るか?』と言っているのだろう」
そんな風に、オーレには理解の及ばない知識を呟く『一位』。
「……流石、としか言い様が在りません」
「何――耳がいいのは血筋、と言いたいがな――
所詮は、幾星霜と積み上げてきた知識を拝借しているに過ぎんよ」
髪を掻き上げた彼の耳は、彼の母同様、尖っている――
・ ・ ・ ・ ・ ・
着々と動いている――ユキヤは心の中でその印象を呟いた。
『一位』も『二位』も、着々と。
『三位』の陣営は貴族の予備的な部分も有るから、表立ってではないが――
そう考えながら、一時見た『四位』を――そして、その後ろに居る者を思う。
「――動きが無いではない――が、他の陣営に比べて静かなのは――」
そこまで考えて、溜め息を吐く。
蛇蝎の坩堝だ――何処も彼処も――
あの『再会』――そう呼べる確証も、実は未だ無いのだが――
そこからの二年の中で、自分は様々な人と知り合い、様々な知識を得て――
……それでも尚、何も成せていない。
確かに『竜』を退治したりはした。人を助けた、と言えるかもしれない。
だが実際は――もっと悪辣で深刻な事は、そのままにして――
――其処彼処に蠢くもっと性質の悪い悪意は、棚上げにしては居ないか?
……お前なら。
時々に過ぎる、この記憶の、この人物が、お前であるなら――
もっと、鋭く――この世界の病巣を抉れるんじゃないのか――?
「――『神の枝』という別勢力もある。どう動く気だ? お前は――」
知れば知る程に信じられなくなる『智慧の異天』は、かつて友だったろう者に、縋る様に呟いた。




