【05】/10
理想と現実は凡そ、乖離しているのが常の物。
無理押しは禁物である――彼は、常にそう生きてきた。
それは、巨大な義務を負った故の処世術で有り、師の教えでもある。
ロアザーリオ『第一軍』――
その治めるロアザーリオ北東方面の地と言うのは、同地への侵攻に当たり、最初の根拠地であった領域である。
ロアズ人の王国――『ロアズ王国』の勢力範囲が西寄りであったのもあるが――
分割される以前の『南征軍』の大所帯、その巨大な軍営を置くのに都合が良かったからでもある。
――各軍団それぞれに再編されていったとは言え、基本の基本の根拠地である事に変わりは無く。
そして、それ故――『一軍』の筆頭は、極端に寄った意見をもてなかった。
「しかし、それでは行き詰まり――見回せば解ろうもの。
はや幾百年を過ぎ、各軍勝手に動き回り――これでは最早――」
師はそう言っていた――然り、とは思った。
では何が入り用だろう――
「公人としての貴方は、尊敬に値する。
だが――一個人としての貴方には、何らの魅力も感じない。
極論するならば――貴方は未来へ至れない」
直接では無いが、自分が手塩に掛けた『若木』は、そう言って自分の手を離れた。
これを以ってすれば、と思っていたが――否、理想とは、儘成らない、そう――
「――始まりから数百年。
同じ大樹から枝分かれしたと言え、完全に同一のモノへの帰趨等不可能だ。
――無意味、と言い換えても良い。分かるか? 我等は既に、異なるが故に分たれているのだから。
そして異なっていると言う事は――と言っても、貴殿には関係ないか。
……何れ、敵対は無論せぬよ。しかし、無意味に協調・協力をせねばならんでもなかろう」
双璧たる筈の『二軍』はそう返答をした。
――無理に、とあれば――身内にも反発を招くか、と――
――守旧であった訳ではない。
危うい『理想』に乗るのを是としなかっただけだ。
それが何故――仕方在るまいと動き出した、その途端に――
「――それもまた、時流ですよ」
あくまでも自然体に立つ、その異世界の男は、残酷な事実を告げるのだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
哀れむは、失礼なのだろうが――呉用はそんな気持ちで相手を見ていた。
男は土埃や灰に塗れながらも、敢然と立ち上がりこちらを見ている。
「――時流、か」
「――時流でしょう。
実際の所、貴方の今回の『進軍』――十年前ならば、通っていたでしょう。だが、通らなかった」
「――『野盗連合の騒乱』が、原因か――」
「――いえ」
そうではない――其処ではないのだ。
確かに貴方の部下たる一軍の『部将領主』達が遠因のそれは、溝を更に深めただろう。
だが――其処ではない。
「……分からん。何故だ」
「――七年に成りますか。貴方と私が、最初に会ってから。
――あの時に申し上げた通りの事です」
愚かな男よ。賢き故に、愚かなる男よ。
貴方は、捨てては成らぬ事を捨てたが故に、破れたのだ。
「――ギェヌン=イムガである事を諦めた故に。
人である事を諦めたが故に。貴方は人の意地に――
或いは、『何も為せぬ賢者』、その亡霊に負けたのです。
そして、それは、実際の所、貴方の敗北と言うよりは――」
「――違う!!」
折れた剣で尚斬り掛かって来る――その腕に鎖を巻きつけ、今度は腰から相手を払う。
「――哀れなり、ギェヌン=イムガ。
怪物に取り憑かれた自覚無き男よ――目を覚ましなされ。
貴方の師は、十年前のあの日に、たった一人の『小童』の『人』の論理に敗れ去ったのです」
背から地へと落ちる相手に、呉用は静かに告げる。
・ ・ ・ ・ ・ ・
――十年前。
『三軍』の前任者を追い詰めた師の策は、自分が『切り札』として育てて来た筈の者に崩された。
『二位の皇継』という存在の、器の片鱗を見たその事件は、自分の中では『是』であった。
――『師』もまた、その大器を認めた筈だった。『大きな謀は必要ない』とまで言い切った。
――もしや、の懸念はあった。
その言葉が、逆の意味であったのならば?
自分という存在を見限り、より大きな器へと乗り換える心算の言葉だったならば?
しかし、師は自分の下を去るでもなく、それから数年後に寿命を全うした――
様々な状況に対応する為の指標たる遺言を残して――
――そこまで脳裏を過ぎり、ギェヌンの脳裏に、再びの疑問が沸いた。
何故、師は、様々な状況を見据えた詳細を残しながら――
「それこそが、貴方の師の失敗ともいえます。
――人でなしの腹の底に、老いて沸いた人の執念と言いますか。
――デュラ=カハルという鬼札を育て、図らずもその謀を砕いた貴方を――
……自分の計略の『贄』にして、成し遂げる心算なのでしょう――己の絵図面の完成を」
――黙れ、と言う事が出来ない。
自分に渦巻く疑問――『何故に、上手く噛み合わないのか』への答えに、余りにも相応しい解だ。
――そして、それ故に、ただ相手を呆っと見る事しか出来ない。
――尖った才能を使いこなすのは、苦労が絶えない。
凡庸な万能を使いこなすのとは異なる苦労がある。
あえて言えば、『気苦労』と『労苦』の違いだ。
尖った才能と言うのは、極端に言えば特殊な歯車の様なモノ。
それを上手く適合させるには、軋轢が起きる分の油を頻繁に注すか、配置そのものに気を配る必要が出る。
が、それ程の手間を掛けても、良い結果に繋がるかは別の話。
相性が余程良い場合以外は、無理に手を伸ばす必要は無い――
新規に陣営を構築、という段階から行うのなら話は別だが――それをやれる状況は限られている。
唐突に、師の教えの中の一節が過ぎった。
……七年前、この男を手に入れるのを諦めた時と、同じ――
・ ・ ・ ・ ・ ・
「申し訳在りませんが、今回は御縁が無かった、と言う事で」
そんな風に言って立ち去ろうとする呉用を、ギェヌン=イムガは不思議そうに見つめる。
「――何故だね、学士殿。待遇が不満かね?」
「いえいえ。とんでもない。
提示して頂いた待遇の内容は、バーフェルブールの――
そうですな、領主補佐官にでも匹敵する様な、私如きには勿体無い内容です。
其処が問題ではないのです」
「――では、何故だね?」
そう言い募るギェヌンに、呉用は静かに考え、答える。
「……端的に申し上げるなら、『私ではお役に立てないから』です。
現在の『一軍』は、先達――あなたの師が造った『機構』が完璧に機能している。
態々部外者である私がしゃしゃり出て、更に手を入れる必要が無いでしょう」
「――断る理由としては、弱いな」
「――然様ですなぁ……ただ、世の中には、言葉にしてしまうと取り返しの付かない軽口も有りますからな――
――まあ、それを言うならそもそもあの言葉こそ、言わぬが花だったかもしれませんが」
「『誰でも一定の功を上げうる機構で、勝った負けたも無いものだ』か。
一つの事実としてその通りだろう――連中にはいい薬だ。
それに貴殿は、余人の評を気にする人間とも思えないが」
昨日の朝から、今日の夕まで。然程長くない仲ではあるが――
ギェヌン=イムガは呉用の中に、確実な才と、師に似た性質を見出していた――
この男は取るべきだと、自分の『勘』が告げている。
「――申し訳在りませんが――私とこの『機構』、相性が悪く感じます」
――同時に、自分が思考していた事を相手が語り、心の何処かでホッとしている。
「誤解を覚悟で言うならば、この機構、『賢者』が造った『愚者』の為のモノなれば」
「――自分が『賢者』とでも?」
「いえいえ、とんでもない。我ながら、言い方が不味いな、相変わらず……
――『物を考える者』と『それに素直に従う者』の為の物です。
私の様に、自分自身でああだこうだと考える者が混じってしまうと――」
「……言いたい事は分かった」
――呉用の言う所の『機構』――
そして、その『物を考える者』とは、師である『ティゲニウス=ズーフ』のレベルの者なのだ。
『従う者』とは、他ならぬ自分であり、その下の部下で有り――
――詰まる所。この学士を『入れる』のは、賭けに等しい。
師からの教えを統合すれば、そういう結論に成る。
「……貴殿が、我が旗下に居れば……」
そこまで言って、言葉が喉から出なかった。
「――つけぬ侘びでも在りませんが、一言助言申し上げます」
「――なんだね」
学士は、それまでに無いほど穏やかに微笑んで言う。
「――偉大なる者が、常に勝つとは限りません。
賢明なる者全てが、常に誤らぬとも限りません。
短い会談では有りましたが、『貴殿は貴殿のまま』で行くべきかと存じます。
濡れ紙を破る如く、城壁を破れずともよいでは在りませんか。
道脇に生える花を、いとおしげに見つめるその目で、民を見つめたとしても――」
・ ・ ・ ・ ・ ・
「――心を捨てた故、師の『下心』を、見抜けなかった、と?」
ギェヌンはそう呻く。
「麒麟も老いぬれば駑馬に劣る――いや、策を巡らし得た故、駑馬とも言い切り難いですが。
非情な判断を取らねば成らぬ事も有る、そういう立場や職掌――
それ故に合理的に、心を捨ててあくまで合理的に判断を進めた果てに、心の喚きに負けた――」
あるいは、最初からそうする心算だったのかもしれないが――
と、その事を呉用は告げられない――それでは、この男は、あまりにも悲惨すぎる。
策士が策の為に育て、策の為に殺される等……
その思考の一つ一つは分からないが、功績や業績の繋がりを見ていけば、見えて来るものもある。
『題目』の上では、『一軍の、ひいてはロアザーリオの安定的発展』。
だが――恐らくはそれだけではない、というより、それは『手段』なのだろう。
何の為の手段か、となると――崇高な何かから、口に出すのも憚られる様な理由まで、様々に考えうるが。
少なくとも――権威の結集で済ませる事では無い。
それならば、単に『二位』に馳せ参じればそれで良いだけだった――でありながら――
「――それでも、貴方には、まだやれる事がある。
だからこそ、貴方を態々誘引する手を打ったのだし――」
「――生かさず殺さず、情報を引き出そうと?」
「それも有りますが、今や貴方自身が一番疑っている事でしょう。
いや、疑うと言うよりも、懸念だな――『あの怪物は、どの程度まで根深く策謀を張っていたのか』と」
呉用の言葉に、ギェヌンは――
「――やはり、貴殿ならば――」
バスッ
「――!?」
立ち上がりながら呟いたその言葉を、彼は最後までは語れなかった。
その胸元には、大穴が開いていた――『一軍将』に代々受け継がれてきた、『名物』の筈の鎧に。
「……これは――どういう――」
「――やはり、仕掛けは、あったか――」
その兜に、怪しげに光る宝石を見て、呉用は兜を脱がせて遠くへ放った。
「呉用、頼みが――」
「なんです?」
「敵対、したかったのでは、ないと、デュラに――それと、執務室の、政務帳簿を……」
そう言うと、彼は動かなくなる。
「――最後まで、『義務』に殉ずるのか、貴方は……
『真面目』に過ぎる――いや、そう育て上げられたのか……」
そうして――ギェヌン=イムガは、あまりにもあっさりと、暗殺されたのだった。
融通が利かない、不器用な個人としての性格や、あまりにも酷い劣等感に苛まれたその生を、呉用は知って居る。
……だから、何処か、『嫌い』だった――
「――やってくれよったな、誰かは知らぬが」
友ですらない、いや、むしろ敵だった筈の相手の死に、呉用は静かに立ち上がり――
# # # # # #
――それは、既にして次の手へと移ろうとしていた。
まだ足りぬ――そう感じて。
見通しが立つには、いまだ足りぬ――そう思案して。
見るべき道筋の前を立ち塞ぐ『藪』を刈り払う如く。
見るべき景観の前に生い茂る、『草』を抜き去るが如く。
無造作に、作業的に――
――それ故――
鋭く冷ややかな視線に、気付きもせず――
# # # # # #
「――だからー!! なんで軍師が直々に罠の中に入ってるかな――!?」
呉用が振り返ると、其処にはアビーとニーナが立っていた。
「――捕らえ損ねました、すみません」
「其処じゃねえよ、すっとこどっこい!!」
「す――うん、罵倒されるのは分かりますが、分かる言葉で……」
「ええい、何がどうなってるの!?」
予定と違う場所に、火の手が上がっている事。
呉用が現地のど真ん中まで来ていた事。
色々と、想定と違うところ所だらけだ。
こちらから知らせた条件で立てた呉用の策――
それは、ロフトックの爺様の立てた陣を利用して、ギェヌン=イムガを捕らえる手筈の筈だ。
外輪山に火の手が上がって焦っては分かるが、自身で直接捕らえに入る必要が有ったとは思えない。
……その陣を立てた当人からして、斬り掛かって事切れている始末――
「命をもっと大事にしろよ!! どいつもこいつも!!」
「落ち着いて、アビーさん」
「ちょ、ま、ニーナ――きゅぅ(^q^)」
「あ、力入れ過ぎた――」
物の見事に絞め落とされるアビーを横目に、呉用は周囲を見回した。
――所謂、『魔術』による狙撃。
それも、あらかじめ何らかの『付与』を施した装備、恐らくはさっきの兜を与え、それに向けて撃った――
恐らく、外輪山からだろう――傷口の確度からそう見える。
そして――魔力の収束があったのなら、アビー=ウィルが先んじて別方面から動けた筈だ。
収束の過程をすっ飛ばし狙撃を行うとすれば、その過程で使用された物は限られる――
――『光銃』だろう。
――呉用の脳内で、高速で絵図面が組みあがっていく。
「――ニーナさん。近くに代行――ベルさんが居るはずです。
ギェヌン=イムガとロフトック殿の死を、両軍に告げさせてください。
指揮を執って、外輪山の北東部分を囲め、と」
「呉用さんは――」
「それがすんだら――息子が南東方面に居るはず。そちらにも伝令を――」
ニーナは思わず息を飲んだ。
そこには、学者的な涼やかな笑みの壮年は居ない。
バヂィン!!
「――っあっ――なに、するんです、おお――……」
思い切り平手でぶん殴られた、と気が付くまで数秒を要する強烈な平手だった。
頬が、痛いのを通り越して熱い。
あまりの痛みにしゃがみこむ呉用に、ニーナが詰め寄る。
「冷静に!! その人とどういう絆が有ったか知りませんけど、頭を使う人がそんなんでどうするんですか!!」
「ちょ、いや、ほ、頬、有るよね、己……」
「加減はしましたよ!! アビーもだし、みんなかっかかっかし過ぎです!!
戦争なんでしょ!? 犠牲がゼロで終わる訳が無いです!!」
――あまりにも当然の事を言われ、呉用の頭が急速に冷える。
「――すみませんね。なるほど、そうだな。
頼まれた事を果たしもしないで、仇討ちの為だけに猛るのは、卑怯ですね」
すう、と一つ呼吸をする。
――ロフトックという男の引いた火の陣の残り香が、鼻を付く。
「――この匂い。一瞬だけ爆発的に燃える物を使ったか。
――となると、この陣は、やはり追い立てる為以上のものでは無い。
……頼んで聞くとも思わなかったが、そうでもなかったか――」
イズマの残兵が、一軍の鼻を明かしてやりたがっている、というのは聞いていた。
――態々、何故最前線に出て来てしまったのか、という感はあるが――
それは恐らく、死に場所を求めた老兵の矜持なのだろう。
――本来、何年も前に切り結びながら死ぬ心算だった。
そう出来た筈が、状況が許さなかった。
だが、状況の根源を見た瞬間、抑えが効かなく成る程、火が点いてしまった。
「――馬鹿め」
ギェヌン=イムガも、自分が態々此処へ出向けば、どうなるか想像しなかった訳でもないだろう――
イズマ衆の恨みをどれ程集めているか、『個人としての』彼が考えなかった筈も無い。
だというのに、のこのこと軍勢を率いてやって来てしまった。
自分で率いて、と決断する『方向』へ、追い立てた自分の言う事ではないが――
個人としての彼には、詫びたい心が残っていたと言う事なのだろう。
――もしも、単に兵を送っただけだったならば。
それら全てを平らげて、彼が出て来ざるを得ない状況にする腹心算があった。
だが彼は、呉用の見立て通りこの場所にやってきて、呉用の願いとは異なり、死んだ。
「全く――莫迦め」
当人に突出した才は無くとも、人を育てる才があった筈の男。
デュラ=カハルという『化物』――
その素地を築いたのは、それに適切なものをあてがったギェヌン=イムガに他ならない。
それを――あたら、自分が認められないから、潰そうとした者の悪意。
――自分で言っておきながら、なんという様か。
『ティゲニウス=ズーフ』の悪意、その本質の所――見立て違いをしていたかも知れない。
「――暗殺の片棒を担いでしまった不始末は、拭うとしますか」
呉用の目に、再び爛とした光が宿る。
「――独りで勝手に行ったら殴り倒しますからね。グーで」
「……そうですね、それは顔面が消し飛びそうなので、勘弁してください。
それに――行くにせよ、然程遠くまでの必要はないと思います」
外輪山の北東を見つめ、呉用は呟いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「――どういう事だ、ありゃ――」
「おい、屈めって……」
間道に入った、『離反』した小隊の隊長二人が、尾根筋へと抜ける道の途中で見たのは――
――――
……――
自分たちと同じ様な『兵装』をした小隊が、何時の間にか陣を組んでいた光景だった。
位置は、山の中腹ほど――だが――
「……どうなってるんだ? 何時の間にこんな所に進んでた?」
「――当代の軍将のやり方と、少し違うな」
繰り返しになるが、二人はそこそこの軍歴を持つ。
むしろ、その長さ故に小隊長に成ったと言っても良い――
その軍歴の中で、ギェヌン=イムガの指揮する戦いに加わった事は10数回。
蛮族・獣魔の討伐が殆どではあるが、回数としては相応に――下手をすると直下の部将よりも多い。
――そして――
「雪崩れ込んで行ったのは、仕方ねえ。
普段ならもう少し『溜まり』を作ってからやったんだろうが、そこは相手が上手かった。
追い立てられる形で、幾分か引き込まれた感じだしな。
――だが、あんなのが居たなら、無理に中央まで流れ込まなくて良かった筈だろ」
「――側近連中も知らなかったって事か?」
「あの坊ちゃん方が知っていたなら、こっちを一旦押し留める為に、こっちに向けて剣抜いてただろうよ――
おまけに、あの武器を見ろ、『光銃』だ――んなモン、伏兵に許す連中か?」
「……くせえな」
「臭すぎてどうしようもねえよ――『軍将』、誰かに『ヤラれた』んじゃねえか?」
一方が口にした言葉に、もう一方が渋い顔に成る。
「……なあ、俺、兵士になんぞ成りたくなかったし、何度逃げようかと思ったか知れねえ」
「知ってる。今正に逃げてるじゃねえか」
「だがよ、軍将その人が嫌いだったんじゃねえ。
金払いもちゃんとしてたし、勲功があったらその分はしっかりと払ってくれたしな」
「……おいおいおい、止せよ。
恩義なんてねえだろ、あっちにゃ当たり前なんだから」
「その当たり前さえちゃんとしてねえ連中だらけだったのを、一応とは言えちゃんとしてくれたんじゃねえか。
御蔭様で帰りたい家庭を持てた――『故郷』に何ざ帰りたくもねえが、ロッホバーネの『自宅』には帰りてえ」
片方の言葉に、今度はもう片方が渋い顔をする。
「――バカ、お前――なら益々だ――さっさと退こうぜ」
「言ってるのは分かる――恩だ何だって言う訳でも無いが――
……息子によう、男らしく生きろって言っておきながら……
その息子持てる権利をくれた相手が、こんな所で訳分からず殺されて――
――黙って見てるのは、男らしくねえ気が……」
「……ああもう、やだねえ、全く、俺は娘に会いてえ。それだけだ。
――くそ、ああもう、ケツ捲って逃げて、どっか別の街に逃げ込む心算だったのに」
深々とした溜め息――自分の頬を、音を発て無い様に張り――男は身を翻す。
「――『凱旋』出来るなら、その方が良いやな」
「――ああ――っと、待て。気に成ってたんだが、連中、なんで火を点けてんだ?
態々、此処に誰か居るって報せる必要が何処に――」
「……狼煙代わりかもしれねえな」
「――イズマの山に火をつけて狼煙ってお前……」
何処に報せる……と言いそうになって、男はぱっと思いつく。
「――あの連中、ひょっとして……」
「……気に喰わねえな。ほんとに。
『四軍』の思うままに踊らされたって事じゃねえか?」
「『四軍』とは限るめぇが――気に喰わねぇのは同感だ」
唾を吐き、それぞれ自分の小隊へと走っていく男。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「――間違いない。ある種の『目印』だ」
「流派とか、そういった物の特定は出来ますか?」
ベルの呟きに、そう問いかける呉用。
「……仕込みが細かいな。これだけの事を出来るのは、多くは無いだろう」
「因みに、流派とかは無いから――無くは無いけど、そこまで分化してる訳でも無いし」
「ああ――有るのかと勝手に思ってましたが、無いんですね」
アビーが途中から答えるのに、呉用はそう返す。
「――まあ、誰かは分かるけど」
「……これだけの『掘り込み型』に心当たりが?」
「うん。陣営の特定には至らないけど、出所の『人』は確定――リック=バーゼック」
「……成る程。お前の元・同僚か」
「今は『一位』の『影の軍勢』に居るらしいけど――ただ、技術なんて譲り渡しが利くからね。
供与した技術から、別の誰かがやった可能性もある――多分だけど、そっちが本筋かもね。
手ずからやったモノにしては、ちょっと冗長性が無い」
兜から外された『宝石』を弄びながら、そう語るアビー。
「……あの、皆さん」
ビュガッ
「バンバカ撃たれてるのに、余裕過ぎませんか?」
「『魔素』操作の基本式位の代物だから、平気平気」
飛んでくる光の弾は、アビーの張った『傘』に悉く弾かれているが、ニーナは気が気でない。
「……だが流石にうざったいな」
バジィ
「――高所に陣取るのは、兵法の基本。まあ、分っていらっしゃる。
おまけにメクラ撃ちで良い仕掛け。さぞや楽しい狩りでしょうな」
不愉快そうな顔で、呉用は呟く。
「――だが、基本は基本。そして――私を舐めたな。誰だか知らんが」
飛んでくる光の弾を厭わず、呉用は前に出る。
「――始めましょう」
その言葉を合図に、ベルに再編された兵たちが動き始める。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「――始まったぞ」
平地の方で兵たちが展開するのを、アロケルは見ている。
「……お師匠の真似事をするとはな」
その顔には、失笑が浮かんでいる。
「――皆、構えろ。当たりは適当で良い」
その指揮をする連中には、火矢が番えられている。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「――火矢の到達を確認」
「……裾からの火計で来る心算のようだな。
ふん、頃合だ。引くぞ。『光銃』は仕込んで置いておけ。
起動方式は六番――それで、勝手に撃ってくれる筈だ」
面白くも無い、という表情で、その男は部下達に命じた。
全員、一軍の兵装に身を包んでいるが――その顔には、神経とも血管とも付かない筋が走っている。
――ギャン!! ギャン!! ギャン!! ギャン!!
「――どうした?」
「尾根筋に逃げていた、『一軍』の小隊の連中が、武装やらを打ち鳴らしている様子です」
「――はっ。窮したか――間道を抜けて、一目散に逃げるならば、と思っていたが。
死にたいならば、死なせてやろう――全員、白兵戦用意をせよ」
男の言葉に、部下達は剣を抜く。
「この地点までは、直接『降りて』など来れない。斜度がきつすぎるからな。
――北東方面に抜ける間道を、切り抜けながら進む。案ずるな、所詮は『只人』連中だ」
男の言葉に、部下達は間道へ向けて走り始め――
ズルっ
「!?」
「な、なんだ!?」
いきなり転倒する。
「――はい、どうも。『ヌメリ坂』へようこそ。
『お前たちの地獄はこれからだ』――なんてな」
その光景に、のんびりとした声が降ってくる。
――その坂の上に、紅葉したような赤い髪の人影が居る。
「因みに、デート中断させられて、最悪に不機嫌なんで、手加減とか一切しないから。
――死にたい奴だけ掛かってこいや」
そう言って中指を立てたのは、ジン=ストラテラだった。




