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「リナちゃん、ユキでーす。お邪魔します…」
鍵が開いている扉を開けると、玄関先で細い腕を組んだ無表情なリナちゃんが待ち構えてい
た。
「…随分ギリギリだね。すぐ来てってあれほど言ったのに」
「でもまだ5分前だしいいじゃん、あはは」
「ねえユキ、なんで急に呼ばれたんだと思う?」
「さあ…こっちがききたいよ」
リナちゃんの顔が歪んだ。ああじれったい、とでも言うように。
「わからない?ねえまだ私の気持ちに気づかないの?あんなになんでもしてあげてるのに…」
靴を脱ごうと屈む私を上から睨む。なんだか怒っているなあ、なんてそのときは思いながら、一度靴にかけた手をとめて立ち上がり、リナちゃんと目を合わせた。
「ユキって…ほんとに他のことなんか見てなかったの?」
「え、他って?見てないってどういうこと」
私を軽く睨みながらどんどん近づいてくる彼女の勢いに押されるように、私は徐々に後ろに下がる。玄関先は本来靴で歩くところなのに、そんなことは気にせずに素足で迫りながら、リナちゃんは私の目を真っ直ぐに射っている。
「だからさ、悠ばっかり気にして私や周りのバイト仲間がどう思ってるかなんて気にしたこともなかったの、ってこと」
「はあ?なんか、悪いことしたっけ…」
「何その言い方」
私の体は背後にあったドアに無理矢理押し付けられた。リナちゃんの手が私の両肩を掴み、離してくれそうにない。ほかの女の子より体格がいい自覚がある私を、ほかの女の子より明らかに細いリナちゃんが圧倒しているなんて。
「あのねえムカつくんだよ。幸せそうな顔で他の男のこと話されるとね、私の頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されるような不快な気持ちになる」
急に怒りをぶつけられ、一瞬思考が止まった。まず、なんでリナちゃんが怒る必要があるのかさっぱりわからない。他の男って、別にリナちゃんと付き合っているわけでもないし、っていうか女同士だし…何故そんなことを言われなくちゃいけないんだろう。リナちゃん、彼氏はいないにせよ作ってないだけでモテているのに。
「リナちゃん、他の男って言うけど私たち付き合ってるわけじゃないじゃん?ほら、女同士だし。それに悠くんのことを話して、何が悪いの?」
「『何が悪いの』って言い方そろそろやめてくれないかな?私のこと怒らせてんの?」
早口に冷たく彼女は言い放った。鋭い声が奥の部屋へ響いている。…もしかしてレズビアンなのかな?だとしたら、「女同士だし」なんて言い方はよくなかったな。悠くんのこと惚気けるのも悪かったな…こんなに怒ることない気もするんだけど。
「ご、ごめん」
「何がごめんなの?自分がどんなことをしでかしたかわかってないくせに、まさかとりあえず謝っとこうなんて思ってないよね」
「いや、さっきの言い方はまずかったかなって」
「そうじゃないよ…本当に何一つ知らないんだね、周りのこと」
「そ、そんなことないよ!やるべき仕事も無事終わったけど、バイトはまだ続けるつもりだから迷惑かけないように頑張るつもりだし、悠くんのことだって…」
「二言目には『悠くん、悠くん』って結局あいつのことしか見えてないんじゃん」
「で、でもバイト以外ではいくら仲良くたって悠くん以外にはあんまり会うこともないし」
「へえーそうなんだ?まあそうか彼氏さんがいるんだもんねえ、いいよね二人でならサボるのも怖くないもんね」
「…はあ!?そんな、ことは…」
本当は度々あった。悠くんと二人で飲んだ翌日なんかは外に出る気がまるで起きないので、二人ぐらい欠けたってそんなに変わんないし明日多めにやればいいやってサボって、結局その翌日も遊んだりまた飲んだりしていた。
「…ごめん、なさい。お仕事サボって、ごめんなさい」
「ねえそれだけじゃないのわかってるよね?」
「え」
「あいつの話、にこにこしながらするでしょ。それがムカつくのはね、私だけじゃないってこと。全くわからないよねえ?バイト以外ではあんまり会うことないって言うけどサボることなかったらバイトだけでもほぼ毎日のように顔合わせてんだよ?そういうときに仕事の合間に不満をぶつけたりもするんだけどさ、そういう話今まで私たちとしたことなんて数えるほどしかないでしょう?」
「え…」
自分が悪いのはわかっているけど、あまりにも受け入れ難い言葉だった。じゃあ普段休憩時間に話し相手になってくれたり、ちょっと気を利かせてお菓子くれたりしていた同期たちも私のいない間に陰口叩いてたってことになるのか…?
「ああよかったねふうんそうなのってね、相槌打つ方も疲れるんだよ。惚気話まで全部心から聞けるわけがないわけ、ほんと、恥ずかしくないの?」
リナちゃんの指が私の顔に触れた。私の口の左下にあるほくろのあたりをゆっくりなぞるそれは、夏なのに少し冷たかった。
「ユキ、私はあなたが好きなの。あいつじゃなくてかわりに私だったらなんて毎晩思うの。毎日LINEで惚気話を聞かされてうんざりすると同時に、私もそういうことユキにしてあげたいなってすごく思うの。でもあいつがいるからそれができない。それにユキはあいつしか見てないから私の気持ちなんか気づかないどころか全く見ようとしない。その上仕事はサボるし二人だけ独立してるように見えるから周りを苛立たせる。そういうことだよ?でも私はねえ、そんなユキが大好きなの」
そこで初めてリナちゃんが笑った。どちらかというと右側の口角を上げて、少し楽しそうにしている。でも目は笑っていない。
「あがって。どうぞ」