protagonist
《017》
人は誰しも憧れを持っている。
こうなりたい、こうでありたいという理想像、理想の自分の姿だったり、もっと具体的にあの人みたいになりたいというはっきりとした目標がいたり。
俺も昔はヒーロー……いや正確には主人公に憧れていた。
物語の中心にいつもいて、周りには男女問わずたくさんの仲間がいる。最近は女の子多めだけど。
毎日は騒がしくも楽しい毎日で飽きさせない。
時は喧嘩もするけれど、最後にはしっかり仲直りしてより一層強い絆で結ばれる。
運動も勉強もそれなり以上に出来て、ルックスもいい。顔からキラキラが出るほどのオーラはないけれどそれなりに整った顔。何顔と形容すればわかりやすいだろうか。
そして自分のことを慕ってくれたり好いてくれたり素直になれずに敵対視したり、と関心を抱いてくれるヒロインがいる。
ここまで来るともう欲張りもいいところだ。
ただまあ言ってもいいのならばまだまだ欲しいものは尽きない。俺の中の理想の主人公像はいつも憧れでないといけないから。
《018》
「おい! おいってば! 」
俺は必死に遠ざかっていく桜ヶ丘を追いかけていた。なんだか今ここで追いかけなかったら桜ヶ丘綾という存在がもう2度と戻ってこないんじゃないか。そんな気がしてならなかったからだ。
「え? 林くん? どうしたのそんなに慌てて? 」
やっと俺の声に気づき振り返った桜ヶ丘本人は、案外というかいつも通りの桜ヶ丘だった。あのいつもの穏やかで母性溢れる桜ヶ丘だ。間違いない。
「いや……その……桜ヶ丘はみんなと遊びに行かないのかなって……」
「私? 私はいいの! 大丈夫だから! 気にしないで 」
「そっか……何が大丈夫なのかは知らないけど無理に誘うのも悪いしな。引き止めてごめん 」
違う。無理にでも誘いたい。
今桜ヶ丘の手を取り連れ出したい。
確かに邪な考えがないと言えば嘘になるが、今桜ヶ丘を見送ったらもう2度と手が届かない気がした。無性に。理由はなく。ただ直感がそう告げている。くじ引きをする前に沸き起こるあの根拠のない自信がそのまま反転したかのような不安が俺を包み込んでいく。
「じゃあ行くね。じゃあね林くん 」
「あぁ……じゃあな 」
ひらひらと白くて細い手を振って、彼女は身を翻した。
小走りで誰もいない廊下を行く桜ヶ丘の背中をやっぱり俺はただただ見つめることしか出来なかった。
俺は結局桜ヶ丘に色々なものを貰ってばかりで貰いっぱなしだ。
あずぴょんはああ言っていたが欠けた部分を埋めるなんてやっぱり無理だったんだ。慣れないことはしない。そんなこと最初から分かりきっていたのに。どうしてここまで主人公を目指してしまったのだろう。
一瞬でも主人公になれるんじゃないかって思ったんだろう。
ここはゲームの世界でプレイヤーは俺。
ここが本当にゲームかどうかはこの際どうでもいい。見せかけでもまがい物でも妄想の産物でも構わない。
それでも、こんなところでもやっぱり俺は主人公にはなれない。『3番目』にしかなることができないんだ。
現実ならまだしも、夢の中でさえ染み付いた負け犬特性は抜けない。生まれた時から定められたカースト制度のような階級。決して消えることのない血の刻印を背負って今日も俺は仕方なく生きている。
こんな思いをするならいっそ……一人の方が楽だったかもな。
誰と比べるわけでもなく、誰を目指すわけでもない。不良品は不良品のまま一点物のフリをして、自らにそう言い聞かせて動き出す。
ぎこちなく不快な音を立てながら。
《019》
いつ始まるのかな〜と思っていた梅雨はいつの間にか終わりを告げ、季節は今の暦で夏を示していた。
今までとは打って変わってガンガンに照りつける太陽に、風が吹けば熱風。なんと北風と太陽が手を組んで一気に攻めてきた。
湿気も少なく爽快感のある季節だとは思うがやっぱり暑い。梅雨の湿気による暑さとはまた違う暑さに苦しむ毎日だ。
そんな厳しい暑さには夏の風物詩、プールで対抗したいところなのだが残念ながらというか当然のことだとは思うが、わが校にはプールがない。
今どき高校でプールがある学校の方が多分珍しいだろうが。完全にアニメの見すぎだ。
とはいえ高校にプールがないおかげで盗難被害から難を逃れた女の子達も大勢いるのではと考えるとこの暑さも俺達の社会貢献の象徴のように思えてきてなんだか心までもこの空のように晴れ晴れとしてくる。
わけがない。
「おーっす……」
いつものように教室に入ると、歩くミラーボール兼スピーカーこと柳が机の上でうなだれていた。いつも良くいえば元気いっぱい、悪く言えばうるさい柳もこのようにへばる暑さ。これがまだ7月ときた。この先俺たちは特に問題がなければ8月を迎えるわけなのだが、さらに気温が上昇すると思うと寒気がしてくる。
地球温暖化が進んでいるご時世、それが原因かは俺は知らないが普通に我が国日本でも人間の体温を突破する気温というものを朝のテレビ番組で目にすることができるようになった。四季がはっきりと分かれている日本でさえこの有様だ。もっと暑くて降水量の少ない地域の人はなんで生きられるんだろう。溶けそう。もしくは蒸発しそう。
一応遮蔽物のある教室内にも朝から強い日差しが差し込み容赦なく生徒達のHPをごりごり削っていく。
既に教室内ではここに至るまでの道中で暑さにやられたであろう人が何人も見受けられる。机の上に置かれたペットボトル、首や頭にかかったタオル、と十分すぎるほど証拠が見受けられた。その光景だけで体感温度数度上がりそうなぐらいに。
かく言う俺はもちろん、あのスーパーマン早川でさえこの暑さには敗北を喫していた。やはり最強は自然ということせFAなのだろうか。「自然に打ち勝っちゃうぞ☆」と自信のある屈強な戦士がこの中にいれば申し出てほしい。
「いや〜クソ暑いんだけど外 」
「俺も林ももうグッダグダでよ~電車の中も冷房全然効いてねえの!」
「あの車両、運悪く弱冷房車だったんだよな……こんなクソ暑いのに 」
パタパタと机から取り出したキャンパスノートでとりあえず仰いでみるも、それは一瞬の快楽にしかならない。次々に滲み出てくる汗がつぅっと頬を滑り降りていった。
「運が悪かったなお2人さ~ん 」
「チャリ通のお前に比べりゃ俺たちなんぞ楽なもんだ。」
「あぁ......まったくだ......」
学校から家が近い柳は俺や早川とは違い自転車で通学している。
駅から学校は幸い近いのでそこまで苦ではないが、チャリ通となるとまた色々と大変らしい。
柳は通学カバンからスポーツタオルを取り出し額に滲む汗を拭いていた。表情や口調からもかなりのダメージを受けていることがわかる。
次々に教室に入ってくるクラスメート達も皆例外なく「暑さには勝てなかったよ……」というような表情を顔に表していた。
ところで女子高生も汗はかくんだよな? なんで臭くないんだろうか……不思議でたまらない。遺伝子的にはほとんど変わらないし、なんなら過ごしている環境もほぼ同じ。なのに雲泥の差ってぐらいに異なる印象を受けるのは一体なぜだろう……
「なあ早川」
「なんだい林さーん」
「女子高生って……普段何食べてるんだろうな」
「なんだよいきなり、そりゃあもちろん……」
ここでキーンコーンカーンコーンとわかりやすいやすいオノマトペTOP10に入るような音で予鈴がなった。
俺達は蜘蛛の子を散らすように急いで窓際から席に戻り、朝のHRの準備をする。
最近は担任の黒崎先生も担任の仕事に慣れてきたのか、前みたいに何もかも5分前とかいうこっちからしてみれば全然気の休まらない行動パターンではなくなったらしい。
1学期も終わるこの頃、俺たちだけではなく先生も慣れが生じてきてどうしても行動一つ一つに妥協の2文字が見え隠れする頃。
五月病なんて世間では言うが、実際問題重要なのは6、7月の今この時だろう。
春の勢いは既に消え失せ、新学年の不安は克服、その上夏を感じるには少々早いと来た。
中途半端がいちばんいけないと色々な場面で耳にするが、まさにその中途半端が今この時である。
とは言え俺だって妥協したい。出来ることならもう何もしないで生きたい。5000兆円欲しい。
そんな季節だ。だからたとえ桜ヶ丘綾の席が始業のベルがなっても空席だったとしても、それはおかしくはないだろう。
きっと彼女だって体調の悪い時はあるし、どうしても学校に行きたくない時だってあるだろう。にんげんだもの。
そんな俺の気持ちをよそに太陽はカンカンと今日も大地を照らしていた。
《020》
「おぉ……まあこんなところかな……」
テストは学生を2度刺す。
1回目はテスト本番。あんなに勉強してきたのに結構わからないだとか、勉強してない! もうダメだ! だとか試験中の生徒の脳内はそりゃもうどったんばったん大騒ぎだ。余裕を持ってテストに望める奴なんて本当に一握りしかいない。
そしてそのような人間は大体「え~勉強してないよ~やばい~」となんとなく周りの空気に合わせて大嘘をこき、結局素晴らしい点数を叩き出す。定期テストが別名「LIAR GAME」と呼ばれる所以はここにある。
2回目は無論テスト返し。テストを受けただけでは推測でしかなかった手応えがリアルに明確に疑いの余地もない点数という形で可視化されてしまう。
もしかしたらいい線いったのかも……!? という淡い期待もこの瞬間すっと音もなく消え去っていく……そんな経験をした人は少なくなんじゃないだろうか。ところがどっこい……! 夢じゃありません! 現実です………!
これで高校生活は2回目。テストに至ってはもう10回以上経験というアドバンテージのある俺ももちろん例外ではなく、きっちり2回刺された。
1日サボったら遅れを取り返すのに3日かかるとかふざけたことを抜かす人もいるが、それは言い過ぎにしても一定期間離れていれば能力がガクッと落ちるのは多分あってる。ソースは俺。いやー身をもって迷える学生諸君を救う俺ってば良い奴〜wwwwwww
今クラス中の人間がその顔に浮かべる表情は様々だが、皆一概にテストの得点一覧と順位の載った用紙を凝視している。穴が開くほど何度も見直すが、結果は残念ながら結果は変わらない。
俺の持っている1枚の紙に書かれている「順位:14/30」という文字ももちろん変わらない。これだけ見ればなんだ半分くらいじゃないか! と思うかもしれない。ただ実質浪人生の俺がこの順位は危ない。貯金だけでまあ楽にやりくりできるかなーと高を括っていたがこれまた現実の強大さに思わず膝をつく結果となった。
次回は素直にテスト勉強をやろうと心に決めた瞬間であった。
「おぉ~半分くらいですか~なるほどなるほどー」
俺の前で意味ありげに頷いている彼は数少ないテストに余裕を持って参加するイカれたやつの内の1人である。
「前回より上がったんだからいいだろ。お前はどうだったんだよ。まあ大体察しはつくけどさ」
「ほいよ~」
早川は躊躇いなく成績用紙を俺に手渡した。この行動がもうやばい。俺みたいなプライドのない奴か自分が人に見せても恥ではない点数だと心のどこかで思っている奴しかできない。
全教科下に並ぶ数字は1桁。総合順位は3位。
「いや~やっぱり強いなああの2人! どう勝てばいいか全然分かんなくてさ~」
「竜崎さんと神原さんか。前回に引き続きあの龍神コンビがワンツートップだもんな 」
龍崎咲と神原奏。彼女達は前回の中間テストに引き続きワンツーフィニッシュを決めている。
そして我らが早川様は3位。相変わらずなんでもそつなくこなすこいつは一体なのものなのか。こいつらの頭の中はさっぱりだ。
こういうやつはどこにでもいる。まあそれなりに勉強しているんだろう。それはわかる。
でもやっぱり根本が違うんじゃないかとも思う。基本スペックが違いすぎる。
2000年代初期のPCで現代のスパコンに挑むのは無謀だろう。そうだろう。つまりはそういうことだ。
「そういえば桜ヶ丘も頭いいんだよな~」
「桜ヶ丘さんっていかにもできそうな感じだもんね。わかるよ~」
「いつもなら有能故にとんちんかんかますお前に突っ込むところだが、今回ばかりは反論の余地なしだ 」
「だよね~」
桜ヶ丘綾もまた優秀である。前回の中間テストの順位はしっかり4位。どの教科もまんべんなく点数をとるバランス型。今度ぜひお勉強を教えて欲しい。
問題解けたら撫でて欲しい。
俺は横目でちらっと右の列にいる桜ヶ丘を見た。一番後ろだから残念ながら後ろ姿しか見えない。だがその後ろ姿からでも彼女の母性は感じられる。俺は多感な少年だからな。
しっかり者の彼女のことだ。きっと今回も妥当な順位だったんだろう。特に高ぶったり落胆したりするような素振りは見えない様子からも察しがつく。
ちょうど今日文化祭に向けての委員会があるしその時にでも聞いてみるとするか。
期末テストが終われば目の前にはもう夏。空に花火、キッチンにスイカ、街には可愛い浴衣の女の子。夏の風物詩がぽわぽわっと脳内に浮かんできた。手を伸ばせば届きそうな夏、せっかくだから思いっきり楽しんでやろう。
《021》
その日の午後は予報大ハズレの豪雨だった。
確かに朝からあまりいい雲行きではなかったなあと思っていたが、まさかここまで降るとは思ってもみなかった。当然のごとく傘を持ってきてない。先が思いやられる。
外の天気とリンクしているのか、クラスの雰囲気、いや、学校全体がなんだかどんよりしている、そんな気がした。
「そーいや桜ヶ丘。テストどうだった? 」
放課後の委員会のあと、教室で帰り支度を進めている桜ヶ丘にそれとなくさっきの話を聞いてみることにした。
俺と接戦というわけでもないし、大体想像がつくしで興味があるわけでもなかったが、間を持たせる取り留めのない話のひとつとして使わせてもらうことにした。タイムリーな話題だし丁度いい。
「テスト……テストねえ……今回はちょっとダメかな……」
頭のいい人間が言うとかなり嫌味ったらしく聞こえるセリフだが、少しはにかんでいるように見える桜ヶ丘にはまったくもってマイナスの感情がわかなかった。可愛いは正義ってはっきりわかんだね。
「またまた~そうは言っても全然いいのが桜ヶ丘さんじゃないですか~も~」
「だからホントにダメだったんだって......こんなんじゃいけないのに......」
意外にも桜ヶ丘の反応は良いものではなかった。それどころか表情は妙に険しく切羽詰まってる人の顔をしている。
はにかんでいると見えた表情も、よく見れば焦りが見える。つい普段の表情から補正をかけてしまったのだろうか。
「ちなみに何位だったの……? 」
「24」
「へ? 」
「24だよ……もうどうしようもないよね……」
完全な悪手、間違い選択肢を踏んでしまった。状況と相手次第では即バッドエンドもありえた。桜ヶ丘の度量に感謝したい。
ともあれあの桜ヶ丘が24位!? そんなの何かの間違いだ。前回から20位も順位を落とすなんてそんなのは信じられない。嶺士郎知ってるよ。桜ヶ丘はそんな不真面目な子じゃないって。一体どうしたのかな? かな?
「ま、まあそんな時もあるさ……まだ二回目だしさ? 」
テスト後気まずくなるシチュエーションランキング堂々の第一位。順位とか点数を聞いたら自分よりもしたかつ思いのほか相手が悪かった時きたああああ!
やってしまった……今までずっとテスト結果の話をする相手もいなかったからつい忘れていた! やってしまった……
桜ヶ丘は相変わらず険しい表情をしていた。相当ショックだったのだろうか。いやそりゃそうだ。ショックじゃないわけない。
24位という順位は決して最下位ではない。それでも下に数人存在することを忘れてはいけない。しかし、今回24という数字に意味は無い。問題は前回4位だったのに今は24位という落差にある。
明らかに変わってしまった、堕ちてしまった自分をこうもはっきり順位という形で突きつけられた時、果たしてしょうがないと割り切れる人間はどのくらいいるのだろうか。
なにか言おう言おうと頭では思うも口がもごもごするだけでなんの音も出ない。
しかしそんな沈黙を外の雨がうまいこと埋めてくれた。やはり偉大なるは自然。母なる地球。
教室にはもう他に誰もいない。
テスト終わりかつ外も大雨なので大抵の人はさっさと家へ帰る。それが最善策だ。
テスト明けだっていうのに委員会の会議で2人残された俺達は、いつもの教室にいるはずなのに、なんだか外界から切り離された空間。箱庭に閉じ込められた、そんな気がした。今までも、そしてこれからもこの閉鎖された空間の中永久の時を過ごすヴィジョンが脳裏にチラつく。
「ねぇ……林くんはさ、本当に辛い時頼る人って誰? 」
桜ヶ丘は足元に下ろしていた視線を俺に向けて問いかけた。下から上がりきっていない目線がナチュラルに上目使いを演出していたが、あざといとは雰囲気的に思えなかった。
「んーそうだな……無難に友達かな。あとは意外かもしれないけどネットの人とか。顔が見えないし知らない分言いやすいことってあると思うんだ 」
出来るだけ平生を装い軽い感じで受け答えをする。深刻な感情に深刻な感情で向き合うのは時に最善策ではないことがある。むしろその後の広がりを考えると入りはこの方がいいと俺は思っている。
俺は自身の回答を見直すかのように過去に思いを馳せていた。
友達がいなかったあの頃。俺はSNSに熱中してた。
学校では話す人がない。でもうちに秘める思いをどこかに吐き出したい。そんな時にであったのがSNSササヤイッターだった。
そこでいろんな人と話した。アニメの話、学校の話、恋愛の話、親の話、将来の話。
いろんな話をしたし、聞いたりもした。
俺がぼっちでもそれでもうまいことそれを否定せずに生きていけたのはネットの海にいた彼らのおかげなのかもしれない。
特に仲の良かった女の子。俺と同じぼっちの女の子。確かハンドルネームは……琥珀。きっと俺なら彼女に相談するだろう。解決はできないかもしれない。けれど、同調はしてくれるだろう。同意はしてくれるだろう。結局人に相談するってのはそういうものを求めているからだ。
結局どんなアドバイスを受けても実行するのは誰か。自分だ。
アドバイスする人間に責任も損害も発生しない。お前のせいで、お前があの時ああ言ったから、と失敗したら言われるかもしれないが、ここでアドバイスをした人間を責めることはおそらくできない。
だって悪いのはその人ではなく、その人の言葉を選んだ自身なのだから。
だから他人の意見を鵜呑みにして行動する人なんてまずいない。よっぽど自分に自信が無いか、自分を持っていないか。相手を自分以上に信頼しているそんなこともありえるかもしれない。
「そっか……ありがとう。参考になったよ。それじゃあ私帰るね! 変なこと聞いてごめん!」
「待てよ 」
椅子から立ち、急いで立ち去ろうとした桜ヶ丘の手を……腕を俺はとっさに掴んでいた。
指先にザラッとした感覚がはしる。人肌の感触ではない。でもこれを知っている……そうだかさぶただ。手首のあたりを血管とほぼ垂直に走る傷跡。思い浮かぶ事は一つしかない。
「なんか思い詰めてるんだよな? 野暮なのかもしれない。でも、でもさ。俺には……頼ってくれないのか? やっぱり力不足か……」
「えっと……その……」
桜ヶ丘はあからさまに驚きと戸惑いを顔に表す。予想外だっただろう。俺もだ。だいぶ出過ぎた真似をしたと思う。たった数秒前のことなのにもう恥ずかしさがこみ上げてきた。
桜ヶ丘は少し黙り込んだ。俺も彼女に応えるよう口を噤んだ。そうしなければいけないと思ったから。
「ごめん……ごめんね? 大丈夫だから! そんな大したことじゃないから!」
しばらくの沈黙の後、そういって彼女は俺の手を優しく振りほどいた。優しく振りほどいたなんておかしな表現に思えるが、そこに荒々しさ、鬱陶しい何かを取り去る気持ちは感じられなかったから。ただそっと醜い身体を見せまいと隠すように体を翻して。
1人教室に残された俺はあの指先の感覚と、去り際に見えた桜ヶ丘の手首を反芻していた。
導き出される結論はひとつ。バカでもわかる。鈍感主人公でもきっとわかる。
自ら手首を切り裂く彼女。なにが彼女をそうさせたのか。
俺に出来ることは無い。言葉にされなくてもさっきの行為にはそんな意味がこもっている。
こんな俺にできるのか?
本当に普通の高校生の俺に?
神の加護もない?
優秀な血筋もない?
変にモテない?
世話焼きな幼馴染みもいない?
特殊能力もない?
勇気も決断力も運命力もない?
そんな俺に?
その瞬間ぶぶぶっとポケットの携帯が震えた。こんな時でも反射的に確認してしまうのが中毒者の性だ。
スマートフォンの画面を見ると映し出されていたのはあずぴょんからの着信。迷わず通話をタッチする。
「先輩、これはゲームです。先輩はゲームやったことありますか? あれってゲームオーバーになったらどうなるか知ってますか? 」
「いきなりなんだよ……? ゲームオーバー……? そりゃあセーブしたところまで戻されるとかじゃねえのか? 」
「そうです。そして忘れないで欲しいのですが、先輩今ゲーム、やってますからね。すっかり忘れてると思いますけど。だから大丈夫です。先輩がゲームをプレイする時思い切った行動ができるのはなんでですか? セーブがあるからですよね。もし1回でもゲームオーバーになったら2度とプレイできないゲームがあったらそりゃあおっかなびっくりプレイしちゃって全然何もできません。クソゲーもいいところです 」
「何が言いたいんだよ……まさかアオハルクエストにセーブ機能があるなんて言わないよな。馬鹿馬鹿しい 」
あずぴょんは電話越しにフフッといたずらに笑った。
「ふっふっふっ……そのまさかです!セーブするのは私ですが悪いようにはしません! 先輩は思いのまま、欲望のままに突っ走ってください。先輩のことを思う優しい後輩からの囁かなプレゼントです! 」
「ちょ、おい待てよ! 」
そういって俺の返事を待たずに通話は終了した。
まだ物語は終わっていない。むしろここから始まるぐらいだ。けれど、今のあずぴょんは俺の中の迷い、不安、戸惑いを全てかっさらっていった、そんな気がする。
失敗を恐れなくて良くなった人間の底力、見せてやろうじゃないか。
いつか夢見たヒーローに……主人公に今こそなる時が来た。
あとがき失礼します。天々座梓です。Missing√シリーズいかがでしょうか。
書いててやっぱり地味な展開で色々不安になってきます。もっとも「98%現実」なので当たり前なのですが…...
嶺士郎くんは今回の話でもあったように本当に普通の高校生です。でもそんな彼を主人公へと変えてしまうようなセーブ機能。きっとこれを読んでいる普通のあなたもセーブ機能があれば色々思い切ったことできるんじゃないですかね.....?
と、そんなことを思いながら、ぜひ彼に自分を重ね合わせあなたの手で桜ヶ丘綾を救ってみてください。
それでは




