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Missing √  作者: 双葉 ミリカ
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 《031》

 正義の反対はまた別の正義。

 そんな話を聞いたことがある。

 確かにそれはそうだと思う。

 結局のところ正義なんてのはより多く望んだ人が多いこと……多数派が正義になる。それだけのことだ。


 守るだけが正義じゃない。

 支持者が多ければ破壊や殺戮さえも正義になりうる。

 独立のために血を流す。昔ヨーロッパではよくあったことだ。そこで人を殺すことは果たして悪だっただろうか。


 日本でも戦国時代。自分の一族を繁栄させるため、守るために相手を殺す。

 これは悪だっただろうか。


 正義なんて思っているより軽くて、薄っぺらくて、信用出来ない言葉なんだ。

 それでも人々は正義にすがる。

 正義を振りかざす。

 正義を自称する。

 正義を盾にする。

 正義を信じる。


 万能の何かとでも思っているのだろうか。

 いや、ある意味では何にでもなれるし何にもなれないその姿は万能の存在そのものなのかもしれない。


 《032》


「林くんのせいだよ……もうおしまいだよ! 」


 俺は眼前で何が起きているのか全く理解することが出来なかった。

 確かに、この手で俺は桜ヶ丘を助け出しもう全てのかたはついた。いわば今はエンディングだ。

 なのになんだこの有様は。ヒロインが怒鳴り、喚き、泣き崩れる。過去にそんな終わり方があっただろうか。いやない。おかしい。


「え、ど、どうしたんだよ桜ヶ丘……? 俺なんか気に障るようなこと言ったか……? 」


 あいにく童貞の俺はこんな時どんな顔でどんな声をかければいいのか知らなかった。圧倒的経験不足とでも言うのだろうか。

 これほど自分の非モテさを恨んだ日はない。

 やっぱり戻ったら早川に弟子入りしよう。


「何もかもだよ……林くんのせいで……台無しなんだよ! 私もうどうしたらいいのかわからない……」


 桜ヶ丘はますます俺への憎悪をむき出しに、ボロボロと涙をこぼす。声は掠れ、今にも消えてしまいそうだ。


「わかったわかった! 1回! 1回落ち着いてくれ。話はちゃんと聞く。俺が悪いなら謝る。頼むから泣き止んで落ち着いてくれ話してくれ。な? 」


「……わかった。ごめん……」


 必死の説得もあり桜ヶ丘は息を整え一旦落ち着いた。

 惨めなのは完全に俺だった。泣き崩れる女の子を前にただただへこへことするしかできない。その涙を出すことは出来ても全然止められない。

 酷いやつだ。まったく。


 落ち着いた桜ヶ丘は怒りの表情を崩しはしないものの、ゆっくりと口を開きその理由を語り出した。


「私の家ね、お父さんいないの。私が今よりもっと小さい頃に死んじゃってさ。それから私と妹2人をお母さんは女で1人で育ててくれて。私なんか高校にも行かせてもらった。すごく嬉しかったの。高校に行けるってわかった時 」


 桜ヶ丘は先程とは打って変わって淡々と冷静にことを語った。


 俺はその異様な光景に、ただただ黙って彼女の話を聞くことしか出来なかった。


「でもね、同時に不安もあった。家計は大丈夫なのかって。お母さんはいつも大丈夫って言うけど実際全然大丈夫じゃないのはわかってた。わかってたのにどうすることも出来なかった。今年の3月、お母さん倒れたの。お医者さんに過労だって言われた。逆に今まで二本足でたって働いてたのが不思議だってくらいに限界だったみたい。すごく、悔しかった。お母さんはこんなに頑張ってるのに私は何も出来ない。ただのうのうとスネをかじりながら生きることしか出来ない。そんな自分が嫌だった。辛かった。苦しかった 」


 桜ヶ丘は内容と裏腹に悲しい顔はしていなかった。むしろ強く凛々しい目をしていた。


「高校を蹴って働くって手も考えたけどそんなことしたらここまで私の高校のために頑張ってくれて笑顔で送り出してくれたお母さんへの裏切りになると思ってやめたの。結局高校に入学して、林くんに出会った 」


 俺の知らない桜ヶ丘。あの日、駅で出会った桜ヶ丘より前の桜ヶ丘。

 雪崩のように言葉が押し寄せ、俺の頭の中で「桜ヶ丘綾」を作り上げる。

 出来上がったソレは紛れもなく桜ヶ丘綾その者だったが、今までの桜ヶ丘よりもどこか歪で黒っぽい影がかかっている。


 違う。こんなの桜ヶ丘じゃない。

 認めたくない。認めたら負けな気がする。

 嫌だ。これを桜ヶ丘綾だと認めるのが。


「最初は何もかも上手くいっていた。そもそもの状況を考えればなんにも上手くいってないんだろうけどね。それでも私は楽しかった。高校生活が。もちろん林くんと一緒に委員会の仕事してる時も。林くんってさ、すごいがさつで注意力散漫でいつも気だるそうにしてるけど、でもそんなところが好きだった。私ってさ長女だからどうしてもそういう目で見ちゃってさ。ごめんね? 」


「謝ることじゃない。俺も桜ヶ丘と過ごした時間はすげえ楽しかった。だから今日も来たんだ 」


「林くんが私のために頑張ってくれたのは嬉しいの。申し訳ない気持ちもすごくすっっごくあるんだけど、それでもやっぱり嬉しくないわけがなかった。もしかしたら最初からこんな展開を心のどこかで望んでいたのかもしれない。でもね、現実ってそう上手くいかないだ 」


 桜ヶ丘は俺の隣で椅子に深く座り直した。

 一瞬桜ヶ丘の重みが椅子から無くなりふわっと中のスポンジが跳ね返る。


「身体売れるって知ったのは中間テストあたり……2ヶ月ぐらい前かな。ネットでたまたま見かけて。今までは全然そういうものは自分には縁のないものだと思ってたんだけど、どうもそれががあったみたい。最初は痛かったなあ。本当に気持ちが悪かった。嫌で嫌で嫌でたまらなかった。家に帰って何回も体と髪を洗った。それでも汚れは落ちないの。体にはもう液も何もついてない、匂いだって消したはず。なのに思っちゃうの。私は汚いって 」


「もういい……もういいよ。もう十分だ。聞いてられない」


「待って。ちゃんと全部聞いて。逃げないで。じゃないと私は理不尽に林くんを怒鳴りつけたことになっちゃうから。お願い」


 もう聞いているこっちが辛かった。

 この話を目の前で聞かされて辛くない人間が果たしてこの世にいるのだろうか。俺には信じられない。

 俺の知らない世界のことを彼女は語った。

 知らないことに驚いた。怖かった。


 でも俺の感じたこの恐怖なんて当人……桜ヶ丘が感じたものに比べれば全然大したものではないだろう。


 俺は静かに首を縦に振り、彼女の話に再び耳を傾けた。


「激しい嫌悪感もあったけど、その分お金はどんどん溜まっていった。そういうところはきっちりしてるのかよってちょっとムカついた。それでも、例え死にたくなるほど嫌でも、自傷に走るぐらいでも、私はこれを続けるしかなかった。家に帰ると笑顔で私を迎えてくれる妹たちを見るとやっぱり私がなんとかしないとってなるの。こんな汚れたお姉ちゃんでごめんねって何回誤ったかわからない。でもやっぱり……やっぱり続けるしかない。それが現実だったの」


「そうか……ようやく全部繋がった……」


 桜ヶ丘は自らを売ることで家計を助けていた。親のどちらにも頼ることは出来ない。そして自身は妹たちを養わなければならない。でも高校を辞めるのは裏切りになると思った。


 そんな葛藤の末にたどり着いた、「桜ヶ丘綾が我慢をすれば他の誰も不幸にならない世界」がこれだったんだ。


 そして俺はそれをおせっかいの正義で壊してしまった。

 確かに桜ヶ丘には自分を、自分の体を大切にして欲しい。こんなことは一刻も早くやめて欲しい。


 でもやめたらどうだ。今にも崩壊しそうな桜ヶ丘家は誰が支えるのか。

 数少ない収入源が絶たれたらどうやって生きていけばいいのか。


 社会保障制度? そんなものは残念ながら宛にならない。1億人をゆうに超える日本人全員を救い、幸福にすることができないのは元々わかっている。周知の事実だ。


 だったら強く、泥にまみれても、汚れても、地べたを這っても生きなければいけない。


 いつまでも夢を見ていた。現実なんてなんにも見えていなかった。何がヒーローだ。何が主人公だ。バカじゃねえのか!?

 こんなの悪役だろ。最悪最低の悪役。

 自分がいいことしたと思っている救いようのないクズ野郎。目も当てられない。


「桜ヶ丘……本当にすまなかった。ただの押しつけだった。俺はな、正義の味方になりたかったんだよ。でもわかった。無理だ。誰でもなれるそんな安っぽいものじゃないんだ、正義の味方ってのは。俺が使っちゃいけない言葉だったんだ。すまない。何を言ってももうどうにもならないのはわかっている。それでも言わせてくれ」


 警察署の休憩室。その時その空間の時間は止まった。もちろんこれは比喩だ。

 俺も、桜ヶ丘も、言いたいことを全て言い、空っぽになったその身をなんとか支えるのが精一杯だったんだと思う。

 もう何も残っていない。弾切れの銃は使い物にはならない。


 静寂の中、俺は1人今までのことを走馬灯のように頭の中に巡らせいた。

 その一瞬、瞬く間に流れる記憶は全部いつの間にか黒ずんでいた。


「私の方こそごめんね。なんの説明もしないでただただ怒鳴って喚き散らして。最低だよね、私。悪いことしてるのに、助けてくれたのに逆ギレしてさ。許せないよね? 」


 その時の桜ヶ丘は、何故か笑っていた。

 ボロボロで、もうどうしようもないその笑顔から、俺は目を逸らした。



 《033》


 警察署で親に引き取られ、俺は親に引き取られ家に帰った。桜ヶ丘の方は高校の先生と警察の人が言っていたので、おそらく担任の黒川先生だろう。若い女性だし偶然とは思えないほどの適任者だろう。まだ運は残っているみたいだ。


 俺は母さんに色々聞かれ、ちょっと怒られた。そりゃ怒るわなわかりますぜお母様。

 でも意外と説教は短く内容も気をつけろとかその程度のものだった。それどころかよくやったなだとか、大事にしなよとかそんな言葉をかけさえもした。


 ダメだ。そんな母さんの態度に惑わされてはいけない。

 俺は桜ヶ丘の生活をぶっ壊したんだ。

 俺は取り返しのつかないことをした。

 きっと彼女は退学だろう。いくら家のためといえども世間はこのような行為を許してはくれない。世界は、現実はそういうものなのだ。


 これからどうするんだろうか。

 きっと桜ヶ丘のことだ。学校も行かずに働くんだろう。今まで通りに。


 そんな彼女を止める、叱りつける権利を誰が持っているのだろうか。いや、誰にもそんなことは出来ない。彼女こそ、正義なのだから。


 その途端、急に携帯が軽快な音楽とともに震えだし、驚きのあまり俺はひょいと立ち上がった。1回で止まらないのを見ると電話かなんかだろう。


 画面を見るとあずぴょんからの着信だった。

 今はなんとなく誰とも関わりたくない気分だったが、流石にあそこまで助けてくれたあずぴょんを無視するほど俺はクソ人間ではない。いや、もう既に十分クソ人間だ。


 俺はそっとタッチパネルをスライドさせ電話に出た。


「先輩……今大丈夫ですか? 」


「まあ一応」


「あの……途中でいなくなってすみません! その……ちょっとビビっちゃって……ごめんなさい! 」


 あずぴょんにしては珍しい下手に回った物言いだった。よほど申し訳ないと思っているんだろうなと余計に伝わってくる。


「いいよいいよ。どうしようもなかったしな。あずぴょんは悪くないよ。悪いのは俺1人だ」


「いや……先輩を上手く導けなかった私の責任が大きいです。今外出てこれます? 家の前で結構です」


 警察署から帰ってきて少したち、時計は短い針が8を指していた。

 外は夏といえどももう暗い。一体これから何を始めるつもりだろうか……?


「わかった。今行く」


 とりあえず家の前でいいと言われたのでササッと靴を履きなんと言うわけでも無さそうに玄関を通過する。


「あれ……? あずぴょん? 」


 目の前のは金髪ツインテールの貧乳女子がしっかり立っていた。


「だから言ったじゃないですか。家の前で結構ですって」


「ホントだったのかよ……こんな時間に大丈夫なのか? 」


「大丈夫ですよ! なんたって私はゲームマスターですから! 」


 先ほどの口調とは打って変わって結構元気そうなあずぴょんだった。少し安心。


「で、今から何をするっていうんだ?もう突入はゴメンだぞ」


「いえいえ、違います。前に私がいったセーブのこと覚えてますよね?」


 セーブ。いつかあずぴょんが言っていた。「この世界はゲームなんだからセーブができる。失敗してもやり直せる、その気持ちを持って欲しい 」と。


「もちろん。……まさか!? 」


「えぇ。そのまさかです。やり直しましょう。今から。セーブってのはこういう時のために存在する機能なんですから 」


 満を持して登場した切り札。ファイナルウェポン。

 これならこんな悲惨な失敗をなかったことにすることができる。

 え? 失敗もまた成長の糧になるだ?

 そんなことが言える失敗は大した失敗じゃない。死んだらおしまいだろ? そこまで行かなくても腕がなくなったとか、友達を助けられなかったとかあとの糧どころか足枷になる失敗もある。そんなものはなかった方がいい。


 なかったことにするのは罪ではない。逃げでもない。合理的な苦しみや悲しみとの戦い方だ。立派な戦士だ。


「さぁ、私の手を握って目を瞑ってください。そう、力を抜いて……落ち着いて……」


 俺は戦う。立ち向かう。理不尽で不条理で残酷で救いようがなくてどうしようもない現実と。


 惨めでも泥臭くてもかっこ悪くてもたとえそれが逃げと何ら変わりなくても、まっすぐ向き合うその姿を誰が笑うだろうか。笑うやつは知らん俺は知らん。



「では行きますね。file02、ロード」



 その刹那、身体にかかる重力が消え、その身体も消え、意識だけが暗闇へを落ちていった。


 冴えない男子に残されたカードを切りに。

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