魔王様の妹様は勇者様を籠絡したい
「――え、勇者?」
シューゼリアン=ジュリエラーナ・ベルンゼット・リズヘル。略してシュゼット。
名前が長いことを除けばいたって平凡である私は、恋人の突然のカミングアウトに思わず声を震わせた。
勇者。
それはもしかしなくても、魔王を討ち滅ぼさんとする英雄の称号ではなかっただろうか。
そういえば、最近やけに強い勇者が北の地から見出されたと聞いた気がするけど、まさかそれか。
黒髪紅目という、カラーリングだけみれば魔族っぽい彼がまさかの勇者様?
しかも、魔王城まで到達しそうな勢いだと噂の勇者だとか言っちゃう?ねえ言っちゃうの?
――とてつもなく嫌な予感がする。
身を震わせた私の手を取りながら、魔族カラーリングもとい勇者(仮)である私の恋人、ヘルゼー・ブリット君は心底申し訳なさそうに眉を下げた。
「今まで黙っていてごめん。でも、君にだけは言っておきたくて」
言外ながらも遠回しな肯定が来た。
もうダメだ私は最悪な運命を引き当てたらしい。
耳を塞ぎたかったが、残念なことにヘルゼー君の両腕でがっちり捕らえられていて身動きが取れない。
くっそー。一般人にしては力が強すぎると思ってたんだ。
けど、もしかして魔族が擬態してるのかなぁーなんて思ったことはあっても、まさか勇者とは。
逆だよ真逆。予想大ハズレ。
思わず舌打ちしかけた私の頬へ、まるで壊れ物を触るような繊細さでヘルゼー君の手のひらが触れた。
「大丈夫だよシュゼット。僕は負けない。きっと魔王を倒して、君に平穏を約束する」
君には辛いかも知れないけど……なんて私を気遣う言葉が続いた気がしたけど、普段なら聞き逃さないようなそれは、残念ながら私の耳を滑って行く。
「ヘルゼー君……」
私を大切にしてくれているのは痛いほど分かった。うん、ありがとう。
――でもね。
貴方の言う魔王って、私のお兄様なんだよね。
+++
「はぁ・・・・・・」
深いため息が唇から零れる。
あのあと、どうやって戻ってきたのか分からないけど、気付けば魔王城に帰ってきていた。
帰巣本能すごい。
自分の思わぬ特技の発見に渇いた笑いを浮かべていると、曲がり角の向こうから見知った顔が歩いてきた。
うわ。出たよ元凶。
思わず顔をしかめてしまったのは許される事だと思う。
「……どうしたシュゼット。誰かに苛められたのか」
艶やかな金髪を無造作に垂れ流し、感情の表れにくい碧眼で不思議そうに私の顔を覗き込んでくるこの人こそ、件の魔王様ことルーシェルグ・リズヘル。私の実兄だ。
金髪碧眼と栗色の髪と目という、かすりもしないカラーリングであっても、正真正銘血を分けた兄妹なのである。
魔族の色彩遺伝は訳が分からないからね。良くある事よくある事。
「……シュゼット?」
無言で見上げる私を訝しんだのか、兄様が更に顔を寄せてくる。
眉間のしわが再び寄るのが自分でも分かった。
この世界、魔力が全てなので美醜についてはあまり追求されないが、お兄様は目の覚める程の美人なのである。ちなみに私は平凡に毛が生えた程度の容姿なので、美形顔にはむやみに近寄って欲しくない。
その上恋人の宿敵と分かった今、私が顔をしかめるのは当然の対応で……ああごめん。私が悪かったから兄様泣かないで鬱陶しい。
「誰にも苛められてないわ兄様。でも、気分が最悪なの。お願いだからしばらく私の部屋に誰も近づけないで?」
「シュゼットが私をないがしろにっ……!おい、シュゼットの赴いた地を大至急調べろ。憂いの原因があるかもしれん。辺り一帯跡形も無く消し去れ」
いや、私の対応いつもこんなものでしょうに。
それはともかくとして。
「そんなことしたら一生口聞かないから」
近くに控えていた側近に物騒なことをのたまう兄様に間髪入れず釘を刺す。
兄様のことだ。止めなければ確実にやるだろう。
というか、どれだけ阿呆な命令でも王命は王命。誰かしら動くのは目に見えている。
「シュゼットが、私と口を聞かない、だと……!?」
「魔王様、お気を確かに!進軍を取りやめればシュゼット様とて魔王様を無碍にはなさりますまい」
まるで雷に打たれたかのように崩れ落ちた兄様と、視線だけで必死にフォローを求める側近の隣を横切り自室を目指す。
兄様が涙声で何か訴えてくるけど無視である。一回付き合うと後が長いんだこれが。
ああ。どうして魔族ってこうも野蛮なのかしら。
まあね。人のこと言えない自覚はありますけど?だけど、妹が苛められた(かも知れない)から取り敢えず辺り一帯荒野にしてこいって、我が兄ながら過激すぎない?
だから討伐隊組まれて更には神託の下るような勇者が出てくるんだよばーかばーか。
「お帰りなさいませ。シュゼット様」
心の中で思う存分恨み言を吐き出しながら勢い任せに扉を開くと、メイド服に身をつつんだ球体関節人形が出迎えてくれた。
「アリエッタ……」
「まあ、ひどいお顔。お茶を淹れますわ。どうぞ、おかけになってくださいまし」
アリエッタに促されるまま腰を下ろしつつ、考えるのはヘルゼー君のこと。
まさか、敵対組織を通り越して、勇者ご本人とはなんという運命の悪戯だろう。
「絶対こっち側だと思ってたのに……」
アレは絶対に魔族系のカラーリングだと思う。騙された。外見詐欺だ。
憤ったところで、そういえば身近に魔族っぽく無いカラーリングの人が居たことを思い出す。
魔王がそういうカラーリングなんだから、勇者が魔族カラーだって不思議は無い。騙された……。生まれた時から詐欺られていた。つらい。
「外の恋人の件ですか?」
「そうなのよ……って、なんで知ってるの」
流れるような返答に思わず返事を返したけど、ちょっと待てどうしてアリエッタがヘルゼー君の事を……。
目を瞠る私なんてお構いなしに、アリエッタは紅茶の入ったカップを差し出してくる。
……うん。まあ、飲むけれども。
「シュゼット様の予定を把握しておくのもメイドの勤めですので。――まあ、ぶっちゃけ尾行です」
無表情から繰り出されるまさかのストーカー宣言に、私は気が遠くなった。
身体がないと不便だからと人形に憑依しているが、私担当メイドであるアリエッタは気配遮断特化のゴーストなのである。
元々は諜報部隊に所属していた子で、側近いわく、他に類をみない力量らしいけど、等身大の綺麗なお人形がまさか隠密のスペシャリストだと誰が思うだろうか。
ただのメイドが持つ技術じゃ無いと泣かれたけど、私は悪くない。アリエッタが了承するなら良いって兄様も言ってたしね。
まあとにかく。
そんな経歴を持つからか、私が外出している間は好きに動き回ってると言ってたけど、まさか私のストーカーまでしてるとは。
「兄様に報告してないみたいだし、まあいいけど」
「私の主はシュゼット様ですから。シュゼット様の害になるような事はいたしませんわ」
うーん。胡散臭いけど一応信じておこう。
信頼関係大事。
「じゃあ今日も付いてきてたの?」
「ええ。遠目から見守っておりましたので会話までは分かりませんでしたが」
その後の腑抜けた様子に、何かあったのだろうと思ったのだとアリエッタは語る。
どうやら、私がきちんと帰還できたのは帰巣本能でなくアリエッタのおかげだったらしい。
「……彼が勇者だった」
その瞬間。
今まで淀みなく受け答えしていたアリエッタの動きが止まった。
まじかよ最悪じゃねぇか、とガラス玉の瞳が悠々と語っている。
そうなの。最悪なの。
「どう思う?どうしたら良いと思う?」
「そうですわね――」
アリエッタはこう見えて恋多きひとなのだ。
きっと、恋愛経験の乏しい私なんかより素晴らしい意見が――
「魔族側に寝返らせれば良いのではありません?」
無かった。
すごい。ものすごく単純かつ力業だった。
「ね、寝返らせるの?」
「ええ。御身とその方の事を思えば、それが一番堅実でしょう。当代に限っては人族に勝機などあり得ませんもの」
アリエッタの言うことも尤もだ。
兄様は、私の前でこそ威厳のない妹馬鹿だが、あれで歴代最強と言われる力を持つ魔王だ。
けれどヘルゼー君が、そうやすやすと寝返ったりするだろうか。……無いだろうなぁ。まっすぐな人だもんなぁ。
「むりでしょ。勇者よ勇者」
「まあ。惚れた女のお強請りに屈しない者は居りませんわ」
「魔族のこと憎んでるかも……」
「良いじゃありませんの。憎しみに満ちた目が恍惚に歪む様は見物ですよ」
おいヤメロ。
Sっ気あるのは何となく気付いてたけど、主の前で無表情に舌舐めずり超ヤメテ。怖い。
「他の魔族が黙ってないかも……」
「シュゼット様は魔王様の妹君なのですから。人目に触れないよう恋人を侍らせる部屋をご用意するのも簡単なのでは?」
アリエッタ強い。
だんだんそれも有りかも……と洗脳されそうになる。
いや、けどねぇ。さすがに勇者様はねぇ……
「そもそも。貴女様の周りには魔族の優秀な者が侍っておりますのに、どうしてわざわざ敵をお選びになりましたの?」
唸る私を尻目に、空になったカップに紅茶を注ぎながら、アリエッタは不思議そうに首をかしげた。
「え。それ聞いちゃう?」
「聞いちゃいますわ」
何を当たり前な事を、とアリエッタは首をかしげる。
性別不明でも外見は乙女。やはり恋の話は楽しいものらしい。
うーん。崇高な理由があるわけじゃ無いんだけど……そう前置きしつつ、私は真顔で口を開いた。
「ぶっちゃけ、魔族美味しくない」
言いそびれていたが、私は他者の精気を吸って生きる淫魔なのだ。
ちなみに言えば快楽に支配された精気が好物なんだけど、やっぱり色々と開放的な人よりも、内に秘められた感情……むっつりの方が美味しいのである。
魔族はねぇ。ほら、我慢なんてしないから。そういう性質だから薄いんだよなぁ。何がとは言わないけど。
そこら辺は兄様の意見と一致している為、箱入り状態の私が街に降りる許可を貰えている。
どうせ食べるなら美味しいものが良い。
「ああ。重要ですわね」
好みは違えど、自身も精気を吸うタイプであるアリエッタの深い同意を得たところで本題である。
「そう考えると、勇者は最大級に魅力的ではないですか。分かります。一目惚れですね」
「うんまあ、最初はね?というか、美味しそうな気配はするけど、残念なことにまだ一滴も頂けてないんだけどね?」
そう。恋人といえど私とヘルゼー君は清い関係なのです。
最初の興味は食欲だったけど、それだけじゃないのは私自身がよく分かってる。
ご馳走を目の前にして魔族の私が大人しく待てしてるって、自分で褒め称えたいほど異常なことだと思うの。
でも、ヘルゼー君と居る時は喉の渇きで気が狂いそうになるけど、それ以上に満ち足りた気持ちになるから、それも当然のこと。
触れたら気持ちいいと分かってるのに、触れる事はおろか近づくだけで心臓がぎゅううっとなるから、がっつりと精気をいただけるような関係になったら、私死んじゃうんじゃないかと思う。
ヘルゼー君怖い。
「顔がリンゴのようですよ。シュゼット様」
「自覚してるからほっといて……」
思い出すだけでこうなんだから、おそらく重傷なんだろう。
恋って怖い。ヘルゼー君超怖い。
あと顔あつい……。
「ですが……そうなると是が非でもこちらに引き込まねばなりませんわ」
「そうよね……そうなってくるわよね」
好きの種類は違えど、私はヘルゼー君も兄様も好きだ。
あと、人の世になるとしがらみが面倒くさいうえ、魔王が死んで魔族の統制が崩れると私の身が危ういのでぜひ魔族軍に勝って頂きたい。
ちょっと補足を入れておくと、魔族は魔王の存在によって欲望を制御出来る生き物なのだ。
人は知らないだろうけど、今魔族の知性や理性が多少なりとも仕事してるのは、魔王という核のおかげ。
今でさえ人と見れば襲いかかるような連中から魔王を取り上げれば、欲望のままに人の街を襲い、討伐される件数は爆発的に増える事になるだろう。
私も多分、押し倒すくらいはするだろうなぁ……誰をとは言わないけど。いや、無理矢理はさすがに女の子としての慎みが……いや、私淫魔だし。でもなぁ……。
ごほん。まあ、そんなこんなで今兄様に死なれるのは困る。すごく困る。
となれば、必然的に選択肢は限られてくるわけで。
「シュゼット様が色仕掛けで堕とすのはどうです?」
「無理。色仕掛け通じないと思うというか、それ以前に私が使い物にならなくなる」
淫魔としてそれなりに生きてきた手前、手練手管は人と比べてあると思う。
けど、ヘルゼー君の前だとそういう駆け引きが一切出来なくなるのはとっくに自覚済みだ。
そんな提案を皮切りに、アリエッタと額を付き合わせ会議を重ねること数時間。
「ふむ……。聞く限りそのヘルゼーとやら、シュゼット様が強請れば割とあっさり寝返りそうな気がしてきました」
惚気はもうお腹いっぱいですと、心なし白けたような面持ちでアリエッタが結論を出した。
惚気てた自覚は無いんだけど、メイドとして常に主を立てるアリエッタが話を遮るくらいだから、相当だったんだろう。
「そうかしら……」
「そうですわ。むしろ、それだけ惚れていて尚拒絶するようなら、勇者とは縁が無かったと諦めるしか無いでしょう」
いや、それは私の主観で喋ってるからであって、正直ヘルゼー君の好きの度合いが如何ほどかは分からないんだけど。
口を開きかけた私を黙殺し、アリエッタは息を吐く。
「とりあえず、貴方の素性を明かす方向で行ってみたらいかがです?ヘルゼー様は、貴方の素性を知ったくらいで手のひらを返すような方ですか?」
「それは無い」
そもそも、ヘルゼー君は私が魔族だって何となく気付いてると思う。
私に魔族疑惑がかかって町の人に討伐されかけた時、身を挺して守ってくれたのがそもそもの出会いだからね。
また惚気かよと呆れられそうだから黙るけど、あれは惚れるよね。しょうがない。
「ヘルゼー君は、種族とか気にしないひとだと思う」
私の即答に、そうでしょう、とアリエッタは頷いた。
「でしたら、そこから徐々に勧誘するのがよろしいかと。私もお手伝いいたしますわ」
アリエッタ、なぜかとてもやる気である。
何が彼女をこれほど駆り立てるのか……。首をかしげたくなったが、アリエッタの無言の威圧により私は大人しく頷いた。
元々考えるのはあまり得意では無いのだ。
「……そうよね!ヘルゼー君なら分かってくれるわよね!」
むしろ、良案が浮かばないんだから当たって砕けるしかない。
普段使わない頭を酷使した私が妙なテンションで掲げた計画が実を結ぶのは、数年後の事。
元勇者が魔王の右腕として君臨するのがそう遠くない未来の話だと言うことを、この時の私はまだ知らない。