前編
――生きとし生けるもの、全てに魔力が宿っている。
それはこの世界では当たり前の常識だ。
勿論、森狼である私も魔力を持っている。
魔力には色がある。その色は固体それぞれで違う。
同じような色であっても必ずどこかに差異はある。それもこの世界では当たり前の常識。
けれども、広い世界の中でたったひとりだけ。同じ色を持つ個体が必ずいる。
それは魂の番と呼ばれる相手。
その相手と巡り合うと、個体同士はどうしようもなく惹かれあう。
なぜならば魔力の色が同じ相手と契れば、最も優秀な種を残せることが確約されているからだ。
だから全ての生き物は、本能で同じ魔力の色を持つものを探し求める。
人間などは数が多く、広く分布しているせいで魂の番を探すのが難しい。だから番同士で契ることに、それほど拘らないようだけれど。
しかし、私のような獣性が強いものほど、魂の番を求める傾向にある。
私は成体になり、ひとりで問題なく狩りが出来るようになると、住み慣れた森を離れ放浪を始めた。それはただ気まぐれにあちこち彷徨うだけが目的ではなく、勿論魂の番を見つけるためだ。
私は世界を彷徨いながら、魂の番を探してどこまでも独り駆けていく。
私がいつものように、狩りをしていたときのことだった。
獲物に夢中になって、いつもは近寄らない浅い森に迷い込んでしまった時のこと。
ふわりと風に乗って魔力の匂いがした。
思わず私は首を擡げて、風の流れてきた方向を見る。
――この魔力は…!
その瞬間私は一気に駆け出した。
途中、森を歩いている人間を蹴散らしたような気がするけれど知ったことではない。
小一時間ほど走ったあたりだろうか。
魔力の匂いが濃厚になってきた。
そしてたどり着いた先は、緑に埋もれるように佇む人間の住処。
大きな木に抱かれるように建っている、石で組まれた人の住処から、探していた魔力の匂いがした。
その住処の周りを一周してみたが、中に進入できそうな穴がない。
仕方がないので、透明な板がはまっている、狭い四角の枠の部分に頭から突っ込んで、無理やり入り込んだ。透明な板が割れ随分と大きな音がしたが、誰かがこちらへやってくる気配はない。
私は住処じゅうに漂う魔力の匂いを嗅ぎながら、一番その匂いが濃いであろう場所を目指す。
そっと足音を殺して、一番匂いが濃厚な区画に入り込んだ。
すると、何かが倒れているのが見える。
鼻をひくつかせながら近づいていくと、それは人間だった。
死んでいる?――いや、僅かに呼吸音がする。
私はそれの足元のほうから順に匂いを嗅いでいく。
「――…おまえ、僕を食べにきたのかい?」
急にその人間が声を発した。
意識はどうやらあったらしい。
「ああ、なんてこった。獣の腹の中に納まって人生終わりなんて…」
その人間はぐったりと力なく、私がこんなにも近くにいるのに動こうともしない。
それは何かもごもごと話していた。しかし私は森狼。人間の言葉なぞ知る訳がない。
一体何を言っているのか解らないが唯一つ確かなことがある。
…その人間の匂いこそ、永い間私の求めていたもの。
念のために、私はじっとその人間を見つめる。すると、ゆらり、とその人間のまとう魔力が見えた。
――その色は寸分違わず、私と同じ色。
私の魂の番――…、それは奇しくもこの死にかけのひ弱な人間だったのだ。
*********
人間からは血の匂いも、病を患ったもの特有の饐えた匂いもしなかった。どうやら腹が減って動けないだけのようだったので、適当に森の中から果実を見繕って運んだ。
そんなことをしながらも、私の心中は複雑だ。
一体全体どうして、森狼である私の番が人間なのだ。
人間とは住まう場所が違うため、関わり合うことは滅多にない。時たま私の縄張りに迷い込んでくるのを追い払う程度だ。けれどもこれぐらいは解る。
私が知る人間とは、足も遅いし毛も生えていない。太くて立派なしっぽもない。
鋭い牙さえなく、私が首元にひと噛みでもすれば、あっという間に死んでしまう脆弱な生き物だ。
強者として森の生態系の頂点に君臨する森狼の番として、ふさわしいとは到底思えない。
ごろり、といくつかの果実を床に転がすと、番は果実のいい香りに気づいたのか、ゆっくりと顔を動かして私をみた。
一瞬、何か言おうと口を開いた番だが、落ちている果実が目に入ったのか、がばりと体を起こして果実を鷲掴みにする。
そして躊躇なくその果実に噛み付くと、頬を赤くしてふるふると震えた。
「~~~~~~!うまあああい!」
番は何ごとかを叫び、他の果実を鷲掴みにすると次から次へと口へ運ぶ。
じゅる、じゅるると汁を吸い、顔を突っ込むようにして果実を貪る。
大量の果汁が口元から零れ、番の纏う布を汚す。
私はその果汁を何とはなしにぺろりとなめとった。
すると、番は果実へ噛り付くのを止めて、私をみて固まった。
そして、震えながら何ごとかを喚いた。
「お、お前。森狼だろ!?僕を食べないで果実を渡すなんて、ふ、太らせてから食べる算段か!」
先ほどまで死にかけていたというのに、番の声は意外にも大きくて、正直うるさい。
私はちら、と番に視線をなげた。
すると番は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げて後ろへ後ずさる。
番から私への恐れの感情が伝わってくる。
まったく、私の番はなんて貧弱なんだ。
一体どういうことなのだろう。私の番は魔力の匂いがわからないのか?私の纏う魔力も見えていない?
番は怯えるばかりで、私を魂の番だと認識していないように見える。
――まったく、呆れたものだ。人間は鼻も目も悪いのか。
だが、折角見つけた番。これと契れば、優秀な子孫が残せるのだ。
多少のことは我慢せねばなるまい。
――私は大きなあくびをして、その場で丸くなる。
番は相変わらず警戒してこちらを見ているようだ。
「な、なんだよ。なんかいえよ…って、森狼に言っても仕方ないのか」
ふっ、と番から気が抜けた気配がする。
気を緩ませるのはまだ早いんじゃないか?我が番よ。
――ぐるる。
わざと低い声を出すと、また番はびくりと体を跳ねさせて、後ろのほうへと後ずさった。
ああ、何て貧弱で軟弱。
これが番とは先がおもいやられる。
――まあ、追々鍛えれば大丈夫だろう。
私はふわ、とまた大きなあくびをして、そのまま目を瞑った。
「うわあ…そこで寝るのかい?勘弁しておくれよ」
また何か番が言っていたけれど、私は構わずに眠りにおちた。
*********
目が覚めると、私は空腹を覚えたので狩りに出掛けた。
ウサギを何羽かしとめ、腹を一杯にすると、番の住処の周辺の森を探索した。これからはあそこを拠点にするのだ。周りの地形や住んでいる獣などを把握する必要があるし、私の縄張りだと印をつけておく必要もある。
狩りをしながら広範囲に渡って探索をしたので、大分時間が掛かった。大体番に出会ってから一週間ほど経ったのだろうか。
住処に戻った私は、自分の目を疑った。
何故か私の番がまた地面に倒れこみ、虫の息だったのだ。
「…うう」
私は番が生きているのを確認すると、また森で果実を見繕って持ってくる。
そして、それを番の顔の近くに置いてやった。
「おお。一度ならず二度までも…。やっぱりお前、僕を太らせて食べるつもりなんだね?」
果実を腹いっぱい貪り食った番は、腹を撫りながら私のほうを疑わしげに見てくる。
――それにしても。
何故私の番はこうも目を離すと死に掛けるのだ。
「はあ。研究に夢中になってしまうと、ついつい食が疎かになっちゃうんだよね…」
番はなにやらぶつぶつ言っている。
もしかしたら、私の番は自分で狩りが出来ないのだろうか?
そう思った瞬間、全てが私のなかで繋がった。
――そうか。私の番はまだ赤子だったのだ!
そうなのであれば、全て納得がいく。
放って置くと食べることができずに死に掛けるのも。
つるりとして、私のようにふさふさの立派な毛が生えていないのも。
尻から尻尾が生えていないのも。
私が魂の番だと認識できないのも。
全て私の番が赤子だからなのだろう。
以前生まれたばかりの狼の赤子をみたことがある。数刻経つと、直ぐにふわふわもこもこになっていたけれど、それは生まれた瞬間はとても弱弱しく、毛も薄くみえた。尻尾も小さく立派ではなかった。
生まれた瞬間は目はあまり見えず、鼻も成体よりはるかに劣ると母親狼は言っていた。
私の番は人間だ。狼の赤子とは色々と違うのだろうけれど、たとえ人間であっても、大人になれば、狼のようにふわふわの毛も生えてくるだろうし、ふさふさの大きくて立派な尻尾も生えてくるに違いない。
なるほど、そうかそうか。
私は自分の考えに大いに満足して、まだぶつぶつ言っている番に近寄ると、その口元をべろりと舐めてやった。
あの時見た母親の狼は、赤子の体を舐めてやっていた。
この貧弱で直ぐに死んでしまいそうな私の番を、私が母親の代わりに守ってやらねば。
べろり。べろり。
「ひ、ひゃああああ!くすぐったい!や、やめろよ!味見か!?味見はお断りだぞ!」
番も何やら喚いて嬉しそうだ。
番は私に押されて腹を見せて倒れこんだ。
直ぐに腹を隠そうと暴れるかと思ったが、手足をばたばたと見苦しく動かすだけで起き上がろうとはしない。
――ふむ、やはりそうか。強い獣である私に服従の証を見せるとは。か弱い赤子だからこそ、強者に抗うことをしないのだろう。
私は顔や耳、首元など肌が見える部分を丁寧に舐めてやる。
仕方ない。番が立派な大人になるまで、私が面倒をみることにしよう。
べろり。べろり。
「うわ、やめ、耳はだめえええええ!」
番の大きな喜びの叫びは、住処中に響き渡り、それに驚いた鳥が逃げ去った羽音がした。
*********
ある日のことだ。
私は今日も番のために獲物を仕留め、沢山の果実を住処に運び込んだ。
この番は何を言っているかはさっぱりだけれども、そうすると何故か怯えながら喜んでくれる。
最近では恐る恐る私の自慢の毛並みに触れてくることもあった。
「齧るなよ…噛むなよ…吠えるなよ…」
ぶつぶつ言いながら私の毛並みをゆっくりと撫でる。
それは仲間同士が体を舐めあう感覚に似ていて、私は思わずうっとりとして目を細めて体を預ける。
すると番は、ほっとして大胆な手つきで私を更に撫でるのだ。
「おお…もふもふ…」
番もなんだか嬉しそうに声を漏らしている。
私は母親代わりであり魂の番だ。その私に触れられることに喜びを感じているのだろう。可愛いやつだ。
「…お前、雌だったんだな…」
番は何故かしんみりした雰囲気で私の腹を撫でてくる。
乳が恋しいのだろうか?残念ながら私は子を産んでいないからそんなものは出ない。
私はのっそりと立ち上がると、部屋の隅に置いておいた果実を銜えて番の手にぐいぐいと押し付けた。
――これを食べて乳恋しさを紛らわせるがいい。
「ん?ああ、まだお腹は空いていないから大丈夫だよ…さっき昼食を食べたばかりじゃないか。…はあ。お前本気で僕を太らせるつもりなのか?僕を食べるつもりなんだろう?森狼が人に懐くなんて聞いたことがないし」
番は果実を食べもせずに私の顎の辺りを撫で回している。
――腹が空いたのではないのか?番よ。
「…きゅうん」
「そんな声出すなよ…なんだか可愛く見えてくるじゃないか」
番は何故か激しく私の首元を撫でてきた。
――ぬ、ぬぬ。気持ちいい…。
乳を欲しがって甘えてきたのではなかったのだろうか?
私の頭の中は疑問符で一杯だったが、ぐしゃぐしゃに掻き混ぜられる感触がとても心地いいので、そのうちそのことはどうでも良くなってしまった。
子育てとは難しいものだ。
*********
私の番は、一日の大半を狭っ苦しい箱の中で過ごす。
そこで何やら訳のわからないものを弄繰り回し、磨り潰した草の汁を混ぜ合わせ、なにやら唸っていることが多い。
どうやら番はそれに夢中らしく、放って置くといつまでもそれに没頭して食事もしない。
「――ん。ああ…。もうそんな時間か」
そろそろ日も暮れてきたので、私は番の脚を鼻先で押す。
今日も果実と獲物をとってきたから、それを食べさせるためだ。
このことは既に毎日の日課となっていた。出会ってからもう大分経つというのに、番は住処に篭ってばかりで、一向に狩りにでる様子がない。人間の成長とはなんと遅いのだろう。まったく手間のかかることだ。
「うん。美味いなあ…。だけど、最近果実とお前の獲ってきてくれる小動物の肉ばかりだな…。たまにはパンも食べたいし…。買い物にでないとなあ」
番は果実を齧りながら、なにやらぼんやりしている。
私は番がきちんと食べているか確認するため、番の足元で寝そべり見張っていた。
「…まあ、栄養的には問題ないからいいか…たまに豆の缶詰も食べているし…」
うん、大丈夫大丈夫と番はなにやらひとりでぶつぶつと呟いている。
私はそんな番をみていたけれど、なんとなく番の口元から零れた果汁が気になったので、番を押し倒して舐めることにした。
…べろり。
「うわ、わわわわ!ちょ、お前舐めるなよ…ッ!っぎゃあ!」
この時期のこの果実の汁は甘くて美味い。私はぺろりと舌なめずりをして、今度は番の手の周りを舐めることにした。
こうして食べこぼしを綺麗にしてやるのも、母狼の仕事だと誰かが言っていたからだ。
べろべろべろり。
「頭打ったじゃないか!薬のレシピを忘れたらどうしてくれるんだ…って、ひゃあああ、やめっやめて?くすぐったくて死ぬ!」
*********
夏が過ぎ去って秋も深まる頃。
私は何だか鼻先が寒くて目が覚めた。
のそりと首を擡げて番のほうをみると、番も寒いのか丸まって寝ている。
番が寝ている台に前足を乗せて、番に異常がないか確認をする。
匂いよし。魔力よし。尻は…今日も尻尾は生えてきていない。残念だ。
そのとき私は気づいた。やけに番が乗った台がふかふかしていることを。
前足で少し押してみると、弾力があり足が沈み込む。
…さぞかしこの上で寝たら気持ちいいだろう。
私はそっと台の上に乗った。ついでに番を抱き込むようにして丸くなる。
番は寝ぼけているのか、もぞもぞと動いた後、私の毛皮に体を埋めてきた。
「…もふもふ…」
番の体温は毛皮越しにも温かく心地よい。
それに番の魔力の匂いはとても安心するのだ。
私は胸いっぱいに番の匂いを嗅いで、瞳を閉じる。
「ううん…いいにおい、だなあ…」
番が何か寝言を言っている。
番の顔は果てしなく緩んでいて、とても心地良さそうに見える。
私は冷たくなった鼻を尻尾で隠して、そのまま眠りについた。
「うわあああああああああ!」
翌朝、番のけたたましい悲鳴で目が覚めた。
…不快だ。
*********
「兎に角帰ってくれ。僕は王都へは帰るつもりはない!」
「そんなこといわないで?王都に帰って、わたくしと結婚するの。そして国のために貴方の研究を役立てれば、貴方は出世街道まっしぐらなのよ?」
「煩い!僕は戦争のために研究をしているわけではないんだ!帰れ!」
「あら、婚約者に対してその態度は何?…まあ、いいわ。またくるわね」
「来なくていい!」
「…聞こえないわね。ああ、それとあなた」
人間の雌が番を蔑むように薄目で見て、鼻で笑った。
「獣臭いわよ?」
――ガンッ!
番が暴れている。住処の壁を足で蹴りつけ、棚の上のものを落としては踏みつけ、息を荒げている。
「くそっくそっくそっくそっ!何が婚約者だ、あのくそ女!親同士が勝手に決めた婚約だと、ずっと僕のことを見下して、他の男と付き合っていたのを知っているんだぞ!それがっ!」
――ガンッ!ガンッ!
「僕の研究が金になると解った途端擦り寄ってきやがって…!金の亡者め!」
――ガンッ!
「……くそお……。僕は研究室に篭って好きなことが出来ればそれで充分なんだ。あいつに金を毟られるのも、国に好きでもない研究を押し付けられるのも…ごめんだ…」
暴れまわっていた番は、漸く落ち着いたのか床に座り込んでしまった。
あの人間の雌は時たまやってきては、番と話をして帰っていく。
その度に番は荒れに荒れ、数日沈み込むのだ。
番の顔が濡れている。私はぺろりとそれを舐めとると、すこししょっぱい味がした。
「お前…お前は優しいなあ…。お前はこんなにも良い匂いだし、ふかふかなのに。あの女、金以外のことは目が曇ってよく見えないんじゃないか」
番は私の体に顔を埋めてじっとしていたかと思うと、暫くして寝息をたてはじめた。
――番が苦しんでいる。あの雌が来た後の番の様子は見ていられない。
私はそっと番を床に降ろして、住処を抜け出した。
住処を守るようにして立つ大樹。その目の前に私は立つと、思念を飛ばしその大樹の中のものに呼びかけた。
『――おい。お前』
『なんだ、獣。お主が私に呼びかけてくるとは珍しい』
住処の傍の大木は唯の木ではない。この木は長い時間をかけて魔物化した魔木だ。
この場所にはじめてきたときに、その木が普通の植物では無いことにすぐに気がついた。
トレントは意思を持つ、樹木を装った魔物だ。
魔力の濃い深い森に迷い込んできた人間を、さらに森の奥のほうへ誘い込み、その生気を吸う魔物。
ただ、このトレントは生まれたばかりのようで、それほど強くはない。
こんな人の匂いがぷんぷんする、魔力が薄く浅い森にいること自体が、力が無い証拠だ。
『お前、私に滅ぼされたくなければ力を貸せ』
『唐突に何をいいだすのかと思えば…。獣風情が私をどうこうできるとはおもえないね』
トレントはざわざわと葉をざわめかせ、私を馬鹿にしたように言う。
私は鋭い牙を剥き出しにして唸り、姿勢を低くした。
『その場から動けぬような、幼い木の魔物など、どうとでもできるわ!』
『おお怖い怖い。獣め。一体何を考えておるのか知らぬが、私に手を出したらお前の住処を押しつぶすぞ』
…番が今も眠る住処を潰されては適わない。
私は唸るのをやめ、その場に伏せた。
『なんだ、やけにあっさり引き下がるじゃないか。…ふむ。そんなに力を貸して欲しいのか。獣の願い。面白そうだ、俄然興味が沸いてきた』
『……』
『どうせ力がつくまで、此処から動けぬのだ。獣の願い、きいてやらんこともない』
『…ならば、お前の魔力でここを迷いの森にしてくれないか』
『おやまあ。獣はやはり獣だね。それを成すには魔力が圧倒的に足りない。私にそんな力があれば、とっくにこんなところを離れて、もっと深い森の奥に移動をしているよ』
『そんなことは解っている!…私の魔力をお前にやる。それで少しずつでいい。この森を変えていって欲しい。それくらいならば、お前にだって出来るだろう。ただし、狩りにいかない日だけ、それに死ぬまで吸うのは無しだ。私の魔力を吸い続けることで、お前の成長も早まるだろう。悪くないだろう?』
私の言葉にトレントは愉快そうに大きく葉を揺らした。
ばらばらと沢山の葉が落ちてきて、住処の上や地面に降り積もる。
『ははははは!自ら私の餌になるというのか?面白い!いいだろう!』
『ならば、直ぐにでも吸え。それで、この森に誰も立ち入れないようにしておくれ』
私がそう告げると、トレントは更に愉快そうに葉を揺らす。そして、その直後躊躇なく私に向かって触手を伸ばしてきた。
――ぱち、ぱち、ぱち…
火の爆ぜる音が聞こえる。
ゆっくりと目を開けると、私は住処のなかの、炎が燃え盛る穴の目の前で寝ていたようで、温かな炎の光が私を照らしていた。
むくりと体を起こすと、ぐらりと眩暈がして、直ぐにまた体を横たえる。
――あいつめ。私が気を失うほど、魔力を吸い取ったな…。
あの若いトレントを思い出し、苦く思っていると、私の目の前に肉の入った皿が置かれた。
見上げると番が心配そうに私を見つめている。
「目が覚めたかい?外で枯葉に埋もれていたのを見つけたときは、びっくりして心臓が止まるかと思ったよ」
番は私の毛を優しく撫でる。
「お前が死ぬかと思って、慌てて中に運び込んだんだ。心配させないでくれよ…お前まで、僕を置いていってしまったかと」
そう、何ごとかを言って、番は私の毛に顔を埋めて黙り込んでしまった。
――番の安堵と、悲しみが伝わってくる。
どのくらい寝ていたのかわからないが、私の眠っている間に、またあの雌が来たのだろうか。
だからこんなにも悲しそうにしているのだろうか。
「きゅうん…」
――番?番、どうしたんだ。
「なあ…お前、僕を食べるんじゃなかったのか?随分と時間が掛かっているじゃないか。僕を太らせる作戦は上手いこといっているのか?なんで、そんな目で僕をみるんだ…?」
「きゅう…」
――泣くな、番。私の番。お前は泣き虫だな、まあ赤子だからな。仕方がないか。
「なあ、僕を食べてもいいから。暫くでいいから。僕と一緒にいてくれないかい…」
――可愛い、可愛い私の番。もっと守ってやるから、早く大人になれ。お前が弱いうちは私が守るから。だから泣くな。
「なあ、一緒にいておくれよ。ひとりは寂しいんだ。ずっととは言わないからさ」