説明するのもお仕事です。
「死、神……?」
「はい。と言いましても、まだ見習いですが」
「えっと…………あぁ、なるほど、冗談ね。そう、冗談だわ。テレビなんかの企画なのでしょう? さっきの空中に浮いてた人もきっと多分マジシャン見習いの子で、こんな田舎までわざわざ人をからかいに来たんでしょ、分かるわ。ほら、企画もバレたことだしネタばらししないといけないんじゃない? あ、それとも、父さんか母さんの知り合いかしら? 見た目からして外国人よね。世界を飛び回って、色んな人と交流があるあの人たちらしいわね。しかも今回はマジシャンときた……で、あなたのご両親はどこにいるのかしら? まさか一人で来たわけじゃないでしょう?」
「何を言ってるか分かりませんが、人間ではありませんよ?」
そう答えられると、薄々ヒビキ自身も分かっていた。
「ちょっと待って、少し状況を整理するわ」
「どうぞ」
死神を名乗った少女(エルディニアなんちゃらと言ったか)の言ったことが本当ならば、二週間後にヒビキは死ぬらしい。そして、死んだときのヒビキの魂をこの小さな少女、死神が狩っていく。
「ぜっっっっっんぜん理解できないわ。全くもって、米粒ほども、髪の毛の細さも理解できないわ。何なの? あなた、一体全体何なのよ?」
「ですから死神です、と」
「あー、違うの。そういうことじゃなくて……そういうことでもあるんだけど、やっぱりそういう意味でもなくて…………あー、訳がわからないわ」
頭を抱えて「意味わかんない……」としょぼくれるヒビキ。
そんなしょぼくれて小さくなっているヒビキに、軽めの声をかけてくる死神少女。
「死ぬことがですか? それともウチが死神だからですか?」
「どっちもよ! どっちもだし、全部よ! この状況が、私の置かれてる立場すら意味が分からないと言ってるの! ……あぁ、ごめんなさい、声を荒げてしまって」
「ですから――」
「もういいわ……」
「はあ」
「ため息を吐きたいのはこっちよ!」と口から出そうになり、ギリギリでヒビキはそれを押し留めた。言ったところで堂々巡り、同じ話を何度も繰り返す羽目になるだろうと心の底で感じ取っていたからだ。
「で、エルディニアさんと言ったかしら?」
「エルダーで構いません。よろしければエルとお呼びください」
「じゃあエルダー」
「エルが良かったのですが……」
心底どうでもよかったので、ヒビキはあえてエルダーの言葉を無視した。
「とにもかくにも、ここじゃ暑いから家に行きましょう。お茶でも出すから詳しい話はその時にお願いするわ」
「暑い…………はい、分かりました」
色々と今すぐにでもエルダーに詰問したいところではあるが、長くなるかもしれない話をこの炎天下でするのは無理だった。せっかくコンビニで氷とお茶、アイスクリームまで買ったというのに、それを無駄にするのは気が引けたせいでもある。正直、アイスクリームはほぼ絶望的と言っても良かったが……。
「ほぅ、これが人間の住んでいる家なのですか。中々快適そうで羨ましい限りです。が、少々住むには手狭かもしれませんね。お? これは知ってます。たしかゴザ、と呼ばれるこの国ならではの敷物ですね」
「それは茣蓙じゃなくて畳よ。うろちょろしないでリビング、そっちの部屋に座って待ってもらってもいいかしら?」
「はい」
先ほど買ったお茶と氷をグラスに入れてリビングにヒビキが戻ると、エルダーは何故か正座で、何故かきちんと下座に座っていた。ちなみにアイスクリームはほぼ溶けて濃厚なジュースに変わってしまったので、冷蔵庫に放り込んで見ないことにした。
「……おまたせ。色々と聞きたいことはあるけど先に一つだけ」
「なんでしょうか?」
「その衣装、何とかならない? 死神の貴女にとっては外気温なんてどうでもいいでしょうけど、見てるこっちが暑苦しいって思うのよ。できれば脱いでもらえないかしら?」
「そう、ですか……分かりました」
嫌味を言われたにも関わらず、表情を変えないままエルダーは着ている黒装束に手をかけ、ためらいもなく素直に服を脱いだ。
次の光景はエルダーにとって当たり前の結果であっても、ヒビキにとっては常識を逸脱した結果になるのは当然だった。
「ぶっ――! は、はあ? あ、あな、あななた……えっ? 何? 何なの? 貴女、その服の下、何も着てないじゃない!? 頭おかしいんじゃないの!?」
「死神に衣服は不必要なものですから。それに先ほどヒビキも言いました。ウチたち死神にとって現世の外気温なんてものは関係ありません。ですが、ありのままであれば現世に住んでいる生き物たちにとって不利益なことが起こり得るため、あのような黒い衣装を身にまとっているのです。そもそも、衣服というものは行動するのに邪魔です。重さがありますし、防具としての機能もないですし」
エルダーの言っていることは死神としてはきっと正しい。原理はさておいても、あの炎天下の中に黒装束という服を身にまとっていても汗一つかかないなら、死神に与えられた一つの特殊能力みたいなものであると理解できる。
が、それと見た目は違う。
たとえ本人がどんなに快適であっても、他人から見れば真っ裸。痴女であって、なおかつ変態と言える。変質者がヒビキの隣にいる。家の中だけなら、と思いたいところではあるが、ヒビキの家の周りには一軒も家が建っていない。なんてことはないのだ。世間の目が、あるのだ。
「こんなの、恥をかくだけでなく、下手しなくても警察沙汰じゃない……分かった、私の服を貸すからそれを着て。お願いだから」
「ウチは別にこのままでも――」
「聞こえなかった? 服を貸すから『着ろ』と言ったのよ?」
「は、はい! ありがたく、お借りします……」
「人間の私的感情を理解するのはウチには無理ですね」と、のちにエルダーは語る。有無を言わせぬ言葉と態度。怒っているというわけではないのに、怒気が含まれているような語力と目力。どう考えてもそこを理解できるとは思えなかった……。
「まあ、事情はさておき、私の魂を狩りに来たと言ってる死神に服を貸そうとしてる私もどうかと思うわね。しっかし、これはあれかしら、私が『日常を変えてしまう刺激』を望んだからこんな状況になっているのかしら?」
今更ながら。とヒビキは思う。
望んでいた『刺激』。これが、自分の望んでいた『刺激』?
「急転直下もいいとこだわ、これ」
人の形をしていても、彼女……彼女たちは人間ではなく、自分の魂を狩りに、つまり殺そうとしている異形の者たち。それらを受け入れ(正確には受け入れきれていないが)、あまつさえもてなそうとしている。真っ裸でリビングに座っている死神を。
どうすればいいのかは、分からない。
生きている以上、最期は必ずやってくる。
「そんなの……分かりきってるわよ…………」
テレビドラマなんかではよく、余命を宣告されるにしても半年から一年以上の期間があったりする。だが、ヒビキの場合はたったの二週間。ちょうど二学期が始まった直後に、死ぬ、らしい……。
十五年。人が成長しきるにはあまりにも短い。そして、これからを考えるにしても経験が浅すぎる。
「柔らかい脳で、思考は固まってたと思ったら、その思いこそ浅すぎるのよね」
今をどうするのか? ではなく、これからをどうするのか。
後悔はきっとするだろう。あれをしておけば良かった、これがしたかった、食べたいもの、行きたいところ、見たいもの。たくさんの後悔を……そして、それがきっと正しい。後悔しなければ本当に自分が『やりたかったこと』が見つからないままで終わるだろうから。
だからこそ、後悔の数は一〇〇あるよりかは、九〇、八〇と少しでも少ない方が最期の満足感はたぶん、高い……。たぶん。
「自分の命を見つめ直しましょうなんて、小学校の道徳以来ね」
何はともあれ、後の二週間は快適に過ごすことを目標とすればいい。可能な限り後悔が残らないように。
そう、これは自分が望んだ『刺激』の形。固形化されて目に見える形で現れた、自分を変えるだろう『刺激』。
「物足りないのは、これが二週間で終わることよね……ま、しょうがないか」
自分の部屋からリビングに戻り、数分前と全く変わらない姿で正座をしているエルダーに向かって服を放り投げた。
「ブラは明日買いに行くわ。ムカつくことに貴女の方が胸が大きくてね、私のじゃサイズが合わないから。ま、一日くらいノーブラでも大丈夫でしょ。あ、下のショーツから履いてね。その白いやつ」
「はい、ありがとうございます…………?」
ヒビキから投げられた下着を手に取ったエルダーだったが、自身の手前まで持ってきてそのまま止まった。頭の上にクエッションマークを浮かべながら、受け取った下着を回したり、返したり、片手で持ってみたりする。どうやらどこに着ける物なのか分からないらしい。
そして、一通り下着を弄んだ後、おもむろに顔へ持っていき匂いを嗅ぐ。
「あんたバカじゃないの……?」
「む? そうはおっしゃっても、どうすればいいのか分からないですから。あ、食べ物でないことだけは分かります」
当たり前だ。服を着ろと言って持ってきたのに、何故食べ物を渡すのか。
「貴女の世界は服を食べるの? 死神の食事が分からないから、食べても何ら不思議には思わないけど……服の着け方が分からないことぐらい貴女を見てれば分かるわ。着け方が分からずに、振り回したり、頭の上に乗せてしまったのはしょうがないでしょう。でもね、匂いを嗅ぐのはいただけないわ。別に変な匂いがする訳でもないと思うけど、その、倫理的というか、道徳的というか……」
「不快な匂いはしま――」
「言わなくていい、分かった?」
「はい……」
大きなため息を吐きながらヒビキは手際良くエルダーに自分の下着を付けていく。上、下、その上からエルダーには少し大きめの袖のないパーカー。パンツは動きやすさを重視してホットパンツを着させる。
ヒビキに服を着させてもらっている間、一言も言葉を発しなかったエルダーだったが、着替えが最後まで終わると眉をハの字にして困った顔でヒビキに言う。
「ヒビキ、少し言いづらいのですが――」
「言わなくてもいいわ、大体分かるから。えぇ、しっかりと聞こえていたから」
ヒビキが少し大きめのパーカーを選んだ理由は二つある。一つは死神の体質でどんな服を着ても暑さ、寒さは関係ないため。秋物だろうが冬物だろうが、オールシーズンに対応できるから。しかも袖がなければ見た感じのファッションとしては及第点にもとれる。もう一つはシャツをブラの代わりにしてエルダーの体型を少しでも隠すためである。流石にシャツ一枚で周囲をウロウロされるのはヒビキ的にイラッとするから。これ見よがしに体型とは似合わない豊満な身体を四六時中見せつけられると、ヒビキの精神的な部分を根こそぎ壊していく。そんな気がしたから。
ヒビキ自身、自分の身体にフィットする肌着を好んで買っていることもあり、胸回りを気にしたことはなかった。そもそも自分の服を他人に貸す機会がなく、胸囲の格差など気にするはずもなかった――この時までは。
エルダーの頭から胸上までは良かったのだが、胸を肌着が通過する際、ミチミチと不穏な音がしたと思ったら、エルダーが腕を上げれば確実にお腹が見える位置で落ち着いた。肌着の位置が落ち着いてしまったのだ。下手すればへそまで見える。
「なんでこんなにデカいものを付けてるのよ!」
「いたっ、痛いですよ、ヒビキ。そんなに強く握らないでください」
「死神でしょ? 貴女、死神よね? なんで不必要にこんなものを付けてるのよ。不必要じゃない? 服よりも不必要よね? しかも……こんな、形が良いなんて…………信じられないわ」
「そんなことをウチに言われても困ります。ウチの身体は、別に自分の意思で生成されるものではありませんから。それに、ウチにはヒビキの身体の方が理想なのですが……」
「はあ? それは私の胸がないことに対してケンカを売ってるの?」
「いえいえ、決してそのようなことは。闘いにおいて重要なのは体躯ですから。小さいと小回りが利きますが、それでも純粋な力比べになるとどうしても」
「その言い方だと私が力のあるゴリラみたいじゃない」
「起源が同じであれば種族も変わりないのでは?」
そんなことを言ってしまえば、全ての生物の起源は単細胞生物、バクテリアなのだから細菌があなたのお友達です。と言われるものではないのだろうか。
「…………そういえば、結局貴女たちは何をしにきたの? 私が死んだあとの魂を狩りに来たと言ったわよね? なら別に死神は一人で良い訳だし、まるでさっきの死神もそうだけど、貴女たちが争うような言い方だけど?」
「そうです! それを説明するために来たのです!」
ヒビキの言葉にエルダーは「今思い出した」という顔になり、鼻息荒く、何故か誇らしげに説明を始めた。それでもヒビキが思いのほか胸を強く握ったせいなのか「まだ、ヒビキの手の感触が残ってます」と何故か気恥ずかしそうに追加して。
「おほん……では僭越ながらナンバー・ウーノの称号をもつウチが説明をさせていただきます。そのヒビキが死んでしまう、ウチたちの言葉では『運命の刻』と呼んでいるのですが、それまでに最大参加者十三名による昇格試験を行うんです。その中で勝ち残った者が『運命者』、今回はヒビキのことですね。その人間の魂を狩ることができるようになるんです」
「昇格試験? 死神にも階級とかあるの?」
「ありますよ。ウチたちもやたらめったら生き物の魂を狩っているわけではないので。ちゃんとした責任をもって魂を狩っているのです。ちなみに、威張って言うことではないですが、ウチはまだまだヒヨッ子の見習い死団に所属する死神です」
確かに威張って言うことではない。自分のことを「ヒヨっ子」と表現してしまうあたりも、言葉を理解しているのかいないのか。
「それでですね、ヒビキ、死神の昇格試験というのは――」
エルダーの説明があまりにも長すぎたため割愛。
要約すると、死神の昇格試験とは運命者と呼ばれる現世の生き物(今回はヒビキ、時には人間以外)の魂を狩る権利を得るために最大で十三名の死神たちが責任感を持って闘いを繰り広げるものであり、ナンバー・ウーノ(今回はエルダー)に決定された死神が運命者の元へと試験の説明、通達を行うために現世へと昇る。
また、試験には規約があり、その規約を破った死神には次回の昇格試験参加剥奪などの罰則が与えられる。規約には闘技中と闘技中以外での縛りがある。
これは死神としての責任感を育てるだけでなく、己に課せられた存在意義に対する証明を行うのも理由であり――
「あー、なんか要約されても、いまいちピンとこないわね。そもそも要約されてるって言えるの、これ?」
「ふむ、ではもっと簡潔にしましょう。そうですね…………ズバリ、貴女を十三の死神が取り合うのです! 現世の言葉でハーレムというやつですよ、ハーレム。羨ましいですね。言葉が食べ物にありそうですし。たしか、ボンレスハムでしたっけ?」
「さっきよりもずっと分かりやすいけど、まっ――――たく嬉しくないわね」
しかも、自分が死んだ後の魂を取り合うのだからヒビキ自身に寄ってきている訳ではないし、寄ってこられても死んでいる本人には自覚がないことに対してハーレムと言われても、嬉しいはずがなかった。さらにボンレスハムなんかに例える意味も分からない。一々食べ物を絡めてこないと、この死神は会話ができないのだろうか。
「えーと、まあ結局私は、死ぬの?」
「はい、残念ですが。死因は交通事故死ってやつですね」
ちっとも残念そうな口調でもなく、流すようにエルダーは答えた。まるでどうでもいいことのように。
いや、本当にどうでもいいことなのだろう。事実として人間と死神の死生観が異なっている以上、ヒビキの気持ちをエルダーが察することができるのは二週間では短い。そもそも、エルダーが『察する』という人間独特の感性を取得する気があるのか、にもよるが。
「なるほどね……」
だが不思議と、エルダーに塩対応されたせいなのか、ヒビキの中では自分が死ぬという実感が持てた。理由は分からない。理由を強いて挙げるなら、目の前に死神という理不尽な存在がいるからだと思う。
ただ一つ――
「ま、解せない話ではあるわね」
「何がでしょうか?」
「貴女……いえ、貴女たちは要するに私の魂を狩って喰い物にしているのでしょう? 死神がどうだか知らないけど、人間には少なからず道徳的感情があるのよ。一方的に殺されると分かって喜べるはずもないわ。それも、昇格試験のためだなんて。まるで私の命をおもちゃにして遊んでいるみたい。そう思ったのよ」
「はあ…………」
ヒビキの話にエルダーは「意味が分からない」と言いそうな表情になり、その後、顎に手を当てて何かを思案する顔になる。その表情はまるで「今のヒビキの言葉は、本気で言ったのか冗談で言ったのか」の判断を迷っているようにも見えた。
そして、
「一方的というのは語弊があります。ウチたちが狩っているのは動物の魂であって生命ではありませんから、殺されるという表現は適しません。それにヒビキは他人に殺されますし。あと、ヒビキは命を遊んでいるみたいだとおっしゃいましたが、ウチたちから見れば人間ほど命で遊んでいるものはないと思います」
「…………どういう意味かしら?」
「言葉通りの意味です。ヒビキは動物たちの肉を食べますよね? 育てている家畜を食べるために殺すのは一方的とは呼べないのでしょうか? 人間に害を成すから殺すのは一方的と呼べませんか? ウチたち死神からしてみれば感謝だの建前を並べて、言葉の通じない他種族をわざわざ育てて殺す方が一方的だと思っただけです。そして、狩った他種族の皮を革として、自分たちの欲求を満たしている方が命で遊んでいると思いますが。彼らは生きるために他種族をご飯とします。娯楽の代わりに他種族を殺すなんてこと、していません」
考えたこともなかった。
言われてみればそうなのかもしれない。と思えなくもない。
「だったら、死神から見て私たち人間は『害悪』なのかしら」
「いいえ、ウチはそんなこと思っていません。どんな生物であれ、種族特有のサイクルがあるのですから。人間は今までそうやって生きてきた、それだけのことです。ですが、どちらかといえば被害者よりも加害者側に立っている自覚があるべきでは? …………と、ウチの勝手な意見ですけど」
「そう、ね。ありがとうエルダー」
「どうしてお礼を?」
「なんとなくよ。気にしなくていいわ」
「はあ……」
面白い。楽しい。ワクワクする。
様々な好奇の感情がヒビキの中に湧いてくる。
考えもしなかった。考えてこなかった。
だがどうだろう。改めて死生観を自分に尋ねれば、当たり前だと思ってきたことは他にとって当たり前じゃないことに気付く。死神の感性がどこまでのものかは計り知れないが、思考の域は人間と比較はできない。それは当然で、必然で、漫然としたこの世界の中で唯一無二のことなのかもしれない。
「勿体ないわね、貴女と二週間しかいられないなんて」
「ん? 何故ですか?」
「何でもないわ。貴女は気にしなくていいの」
「むぅ、またですか」
「エルダー、一応聞いておくわ。貴女たちの食事ってどうなってるの? まあ、食べなくてもいいのは何となく分かるけど、さっきから何かと食べ物に例えようとしている貴女は単純に食いしん坊なのかしら?」
「食いしん坊とは失礼ですよ。ウチは今までこの現世に来たことがありません。つまり、ヒビキの言う現世の食べ物を食したことがないのです。冥府に残っている資料からきっと、現世にある食べ物は甘美なのかもしれない。そういった欲求が出ているだけなのです。なので今のウチを『食いしん坊』と例えるのは如何なものかと」
「その例えてる物が食べ物だから食いしん坊と言っているのよ。言い換えるなら食い意地が張ってる、と言ってもいいわ。何? 貴女はこの世界の食べ物をよく知らないから似たような語感だけで、自分が知っている近しい食べ物の単語に都合よく変換しているのでしょう?」
「ヒビキの言う通りかもしれません。先ほども言いましたがウチはまだ見習いで、この現世には一度も昇ったことがないのです。なので、先神の知識がここでの全てです。本来であれば仕事、つまり現世の魂を狩った後は冥府に戻るのですが、大半の死神は戻ってこないのです。理由の一つとして食べ物が魅力的であることが伝えられているので、その先神たちをこの現世に留まらせている人間の食文化に興味があるのです」
「なるほどね。興味のあるものが常々口に出るのね、貴女は」
「その通りです!」
鼻息を荒くしてまで応える答えではない気がする。とは思うものの、エルダーはきっと根が正直なのだろう。見たこともない物を自分が知りえた知識で例えても、それは経験ではないことを素直に白状できている。
だからこそ、確かめてみたい……と。
一人得心したヒビキは夕食のデザートにとっていたそれを冷蔵庫から取り出し、リビングに戻りエルダーの前に差し出す。
「ごめんなさいね、貴女の言ったボンレスハムはこの家に今無いから。口に合うか分からないけど、食べる?」
「こちらは?」
「シュークリーム。人間が作りだしたスイーツね。これはちゃんと食べ物だから」
「では……」と言ってエルダーはシュークリームを手に取る。が、すぐには口に入れず、気になるのか一度だけ匂いを嗅ぐ。死神の嗅覚がどれほどのものなのかは不明だが、「甘そうな香りです」と言っているあたり、嗅覚も見た目同様、人間とほぼ同じくらいなのだろう。ただ、行動は犬などと似ている気はするが。
「あむ……ぱはぱはしまふ……ん? んん? 甘い、甘いです、ヒビキ! これ、これは、なんと言いましたか?」
「シュークリームよ。喜んでいただいて何より」
「しゅうーくりぃむ……こんな甘い食べ物があるとは。素晴らしいです、人間とは素晴らしいじゃないかですか!」
「鼻息を荒くして興奮しないでよ……ほら、口元にクリームがついてるわよ? みっともないわね」
「お、これは失礼しました。しかし、これが人間の作り出した食文化の究極形ですか。なるほど、先神のおっしゃっていた現世に残りたくなる気持ちというものが理解できました」
うんうんと頷きながら、あっという間にシュークリームを平らげるエルダー。本当に美味しかったのか、ヒビキの許可なく箱に入っていた他のシュークリームを一つ、二つと平らげてしまった。
その姿が見た目の歳相応というのか、小さい子らしい反応にヒビキは何故だか嬉しくなり、ただ目を細めてエルダーの食べている仕草を見つめていた。
「ホント、貴女って何も喋らなければ可愛いのにね。私に妹がいたら、こんな感じに接することができていたのかしら……」
くすぐられる母性本能。
こうやって他人と過ごす時間も、ほんの少しだけ悪くないと思えた一時。彼女を、エルダーを死神だと忘れてしまう、錯覚に陥った一時。
「さて、と。夕食は適当に作っちゃうけど、食べられない物とかある?」
「食べられない物、ですか? ウチたち死神は現世で食べられない物はありませんが、食べる必要が基本的にはありませんよ?」
キッチンに向かおうとしていたヒビキの動きがピタリと止まる。
この死神は今何と言ったのだろう?
「私の聞き間違いだったら悪いから、もう一度言ってもらえる?」
「食べられない物はありません、と」
「わざと言っているならビンタするけど、そのもうちょっとあと」
「食べる必要が基本的にはありません、です」
「必要が、ない?」
「はい。ウチたち死神は現世にいる人間たちと違い、ヒビキたちのように食物からエネルギーを摂取しないのです……いえ、正確にはできないですね。人間の見た目はしていますが中身の構造が人間とは違い、食物をエネルギーに変換できないため結果的に食事を摂る必要もなくなるのです。ですが五感はちゃんとあるので、匂いを嗅いでそれが食べ物かどうかの判断もできますし、食べてみて甘いや辛いなどの情報も得ることが可能です。なので、死神の中には現世の料理が美味し過ぎて留まり続けている者もいます。現世の料理は色や味が多彩で目移りするのは分かりますね。いくらでも食べていられる先神たちの気持ちも理解できますし。ウチもヒビキに食べさせていただいたしゅうーくりぃむ、これは特に美味でふさわしい言葉が見つかりません」
「じゃあ……食べた物は、いったい、どこに行くのかしらぁ……?」
「行先ですか? そうですね…………消えてなくなるので、現世の空気と一体化していると言えばいいのでしょうか?」
ヒビキの中で何かが切れる音がした。ブチッと。勢いでこめかみ辺りから真っ赤な血が――実際には切れておらず、こめかみの血管が浮き出ているだけなのだが、彼女の中では切れてもおかしくないほどの勢いで頭に血が上ったことに間違いなかった。
本人には全く悪気のないエルダーの発言は、全世界と大げさに表現してもいいほどの女性たちの憧れをいとも簡単に、サラリと、ポロリと口にした。当然だと。当たり前だと。自然の摂理だと。
誰もが口を揃えて言う。
「ふざけるな」
ある程度運動をしていなくても、好きな物を好きなだけ食べて太らない体質、という人間は確かに存在する。他人よりも脂肪燃焼効率が優れていたり、代謝が良かったりするなど、恵まれた身体を生まれつき持っていれば、多少なりとも羨ましがられる人間であると言える。
だが、それでも限界はあるもの。
三食脂肪分の高い食べ物、間食は当たり前、飲料も糖分の高い炭酸飲料、運動しない、働かない、家事もしなければ寝ているばかり。そんな生活をしていればいくら恵まれた体質であろうとも、体型に悪影響を及ぼすだろう。及ぼさなかった場合は何かしら別の病気の可能性だって出てくる。
それを目の前の死神は「消えてなくなる」と言った。軽々しく軽んじた言葉を言い放った。
頭に血が上った後の行動はきっと、ヒビキが意識的にしたものではないだろう。脳が行動を起こせと命令する前に、身体が本能的に動いていただろうから。
ノーモーションで目視が難しいほどの早さから伸ばされた左手はスルリとエルダーの柔肌を滑り、速度を落とすこと無く、そして容赦なくエルダーの頬を掴んで捻った。
「むぐぅっ! にゃ、にゃにをするのです! いくらウチ側からヒビキに手が出せないとは言っても、そちらから手を出していい理由には――いははは、いはい、いはいへふ。ほっへは、ほほ、ほっへはぁはははっ……あはは……はぁ」
「なに? エルダー、貴女はもしかしなくても、いくらご飯を食べたところで、お肉も、スイーツを食べても、炭酸飲料を飲んでも、お菓子をつまんでも太らないということ、かしら?」
「うぅ? ほれよりもヒひキ、手を離していたらけませんか? 話しにくいれす」
「今の貴女に私の問いに関する答え以外の発言を許可したつもりはないわ」
そう言ってヒビキは左腕に力を込める。
「いひゃひゃひゃひゃ。分かりました! 答えます! そうれす、私たち死神はどれだけ現世の料理を食べても太りまへん!」
「なんだと?」
「みぎゃーーーー! いたぁい! 力、力が込められてます!」
このままこいつの頬を引き千切ってやろうか、と本気でヒビキは考えてみたものの、そんなことをしたところで事実は何も変わらないし、ましてや自分の虚しさが増すだけのこと。
(そうよ、そうだわ。冷静に考えてみたらそうでしょう? 私の目の前にいる彼女は人間じゃない。私の命を狙いに来た死神、人外、化け物なのだから。当たり前よ。化け物が人間にとって必要なエネルギー摂取を必要としないのは分かりきってるわ……分かり、きりたいわ)
「あふんっ」
どんなに自分に言い聞かせてみても怒りを抑えることはできない。
理不尽極まりない。人間が他の動物に行なっている理不尽な行動よりも、目の前にいる死神の体質は理不尽極まりないことだと、全世界の女性を代表してヒビキは勝手に思った。どうせなら、死ぬまでの数週間、数日でもいいから彼女の体質を体験したい、とも。
「うぅ……ほっぺたが千切られるかと思いましたよ~」
「私としては、本気で千切るつもりだったけどね?」
「なぜそこまでして体型にこだわるのですか? 先ほども言いましたが、ウチにとってはヒビキのような体型が――」
「体型が、なに?」
「いえ…………申し訳ございません」
また頬を捻られると思ったのだろう。エルダーは謝ると同時に両手で自分の両頬を隠すように押さえ、ヒビキから咄嗟に目をそらした。
その仕草がなんとも可愛らしく、親に怒られた子供のように見えてついヒビキの口から笑い声が漏れる。
「ふふっ、あははは……」
「なぜ笑うのですか?」
「あはっ、ごめんなさい、どうしてか可笑しくてね。いやー、ホント、貴女って面白い性格をしていると思うわ」
「面白い? 性格が、ですか?」
「えぇ。言葉の意味を理解しなくてもいいのよ。この世界独特の感性、みたいなものかしら」
「なるほど。ではきっと、ウチからすればヒビキも十分面白い性格なのかもしれません」
「ん? どうして?」
「この世界でウチたち死神という存在は畏怖されていると見聞しました。ですが、最初の驚きはあったものの、ヒビキには畏まりも怖さも感じていないように見受けられます。これが俗にいう『変わった性格』だと、ウチは分析します。それはおそらくウチが分からないだけで、面白い性格と呼べるものに繋がるのではと」
「あら、意外に賢いのね。まあ、たしかにそうね。そうだわ、きっと」
ヒビキはイスから立ち上がり呆れ顔で、しかし表情はどことなく嬉しそうにして。
「あーあ、さっきの怒りはどこにいったのかしらね」
「ウチに聞かれても分かりません」
「貴女には聞いてないわ」
「なら口に出さないで下さいよ……」
自分の魂を取り合う死神の一人が、こんなも子供っぽくて、その上食いしん坊で、頭がキレるようなおバカさん。だからこそ、ヒビキはこの異常とも受け取れる状態を受け入れ、自分の死を覚悟できているのかもしれない。いや、きっとそうだろう。
「ねえ、約束してくれる? 私の運命。私の初めて。私の最期。貴女が……エルダーが貰ってくれるって」
「もちろんです。ウチは昇格試験を二の次にしてでも、ヒビキのために勝ち残ってみせます。ヒビキの最期を、ウチが看取らせていただきます」
「夕食、作るわ。貴女には必要ないものだろうけど、食べてくれると嬉しいわね」
「はい! ヒビキに作っていただいたのですから、どんなものであろうとも食べさせていただきます」
「……ふふっ、ありがとう」
奇妙な関係で、奇抜な約束事だなとヒビキは思う。老衰の寿命ではなく、事故という偶然の寿命で死ぬ生命を看取ってほしいと頼む人間と、残酷な最期を看取ると約束する死神。しかもその最期を看取るには死神同士が争う、昇格試験で勝ち残らなければならないことだと。自分が求めた今の自分に足りない刺激はこういったことではないだろうけど、これはこれで面白いのかもと、ヒビキは思った。
死を宣告された人間と、死を宣告した死神との不思議な共同生活が幕を上げる。
――運命の刻まで、残り十四日。