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彼女の右手は以前として震えていた。
近づきたくないものに無理矢理近づかされてゆく。
僕が見えないように背中で隠しているように思っているのだろう、顔はいつも通りに見える表情。それでも今日は影をうっすらと貼り付けていた。
それが木々に囲まれて出来た影でわからなくさせても、長年一緒に過ごしてきた僕にはわかる。
少しずつ少しずつ忍び、侵入してゆく恐怖が胸を中心に展開させてゆく。
美咲も同じかそれ以上の黒い塊が埋め込まれて行っているのかもしれない。
普段から彼女は気持ちをあまり表情に出さない。その代わり右手が感情豊かに表現している。
嬉しい時には手首がふわふわと行き場を失ったかのように彷徨うし、悲しい時には力なく通常より脱力しているし、今のように恐怖で心が壊されてしまいそうになると、激しく震えだし誰かにばれないように背中で隠そうとする。
美咲はその癖を知らないらしく、隠し事をしている時なんかは彼女なりに何事もないかのように振舞っているのだけど、右手の表現でバレバレだ。
歩みを進めるごとに、その震えは小刻みに速くなってゆく。
現実が徐々に彼女の命を蝕んでゆく。そんな実感が僕にも伝わる。
美咲の少し後ろを歩いている僕には丸見えで、それに加え意識しない限りわからないほど呼吸が荒れ始めていた。
それでも気付かないのか、前を向き続ける。
僕は見ていて、自分の無力感に打ちのめされていた。
何か状況を変化させることも思いつかない。僕も体を支配しようとする恐怖と支配権を争っている最中なのだ。余裕がない。
でも咄嗟に移した行動は僕でも驚いた。
「……!?」
突然握られた右手に目を大きく開いた表情を浮かべた顔を右に向けた美咲。
僕も左手で彼女の右手を包み込むように握っていたのだから、なぜこうなったのか、分からなかった。
でも最初は強ばっていた右手も次第に弛緩してゆき、最後には僕の左手に預けるように握り返した。
表情はさっきよりも明るく見える。
そうだ、この表情だ。
ここ一年は見せてくれなかった表情。
無理矢理作ったものとは違う、安心している顔。
僕の左手もゆっくり力を抜いて握り直した。
そして、潔癖症な人たちが住む村へと戻った。