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次兄は、あれから大切な用事を思い出したから、と言って庭園を後にした。その際に、とても名残惜しそうに何度もこちらを振り向きながら…。
一人残されたベティは、少し興が覚めてしまったために自分もそろそろ戻ろうとすっかり冷めってしまっていた紅茶をぐいと飲み干してティーセットを早々に片付け始めた。
ふと空を見上げれば、陽がちょうど良い時間を知らせている。
次兄はこれも見越して退場してくれたのかもしれないと、存外兄弟の中では人一倍心遣いの上手く優しい彼を思い出した。
そんな一面を持つところをたまに見せる彼。
普段はどうしてかベッタリとくっつく次兄が少し苦手ではあるが、こういう時にベティはほっこりと心を暖かくするのだった。
一方、その頃の屋敷内では大騒動が巻き起こっていた。
新人侍女の一人が主人が居なくなってしまった、と狂ったように侍従長のオグマット・バッヘルベルに泣きついた。
彼女の主人とはこの場合、レベティアナを指す。
その場に居合わせていた使用人が揃って顔を瞬時に青くさせて、オグマットを見つめた。当のオグマットは少し驚愕した後、すぐさま自分の主人であり彼女の父親であるディレストに伝達するよう近くにいた使用人に命じる。そしてオグマット自身も主人の元へ向かうべく、新人侍女を他の侍女に預けその場を後にした。
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さて、ここでリツァーデン侯爵家の一主二側近制度というものを簡単に紹介しようと思う。
脱線ではありますが、暫くお付き合い下さいませ。
まず、リツァーデン侯爵家には王族と同様に家族全員が側近を持っている。それが早い話リツァーデン家には側近が二人付くというはなしである。
その一人とは身の回りの世話等を任される侍従または侍女で、もう一人は身の回りの危険に際し武力をもって撃退することの可能な護衛騎士またはその才を持つ使用人のことである。この二人一組が幼い頃に両親、或いは自分が決めるというある意味伝統のようなもの。そしてそれは一生物であることが通常で、余程の事がない限りは続いていく。
勿論、前世の記憶はあれどもレベティアナも立派なリツァーデン家の末裔。
例外なく彼女にも両親が決めた者が付き従っている。
彼女には、侍女アーネリス・ワグナイヤー(通称アン)と護衛騎士ウィルナー・ベルシュタイン(通称ルナ)が四歳の誕生日に与えられた側近だ。
しかし彼女らとは主従関係ではなく、仲の良い友人感覚でベティは始終接している。アンやルナといった自分の付けた愛称で呼んでいることが良い例だろう。
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長々とお付き合い頂き感謝致します。
話を戻すが、騒動の発端は勿論言わずもがな、彼女である。
だが全部が全部、彼女が悪いとは言い難い。
なぜなら、色々な最悪の状況が重なってしまったのが本当の原因だと分析できるからだ。
少し前から、彼女の専属侍女が長期休暇を取った。そのために、その期間だけはと手の空いていたオグマットに泣きついてきた件の新人侍女がベティに手配されたのだった。
後で思えばここが大きな分岐点であったのだが、その時に気がついていれば良かったと言ったとしても既に後の祭りであるのは言うまでもない。
その新人侍女は、主人の奇行…すなわち、ベティの癒されモード中の行き場所を知らされていなかったのである。
屋敷の使用人の多くは、彼女の行動パターンを知っているものが殆どで最近久しぶりに入った新人侍女に伝えることを失念していた。
それも、この大惨事を招いた要因の一つと言えよう。
ちなみにこの時、専属護衛騎士はというと彼女に頼まれた買い物の使いパシリになっており、不在であった。役に立つ筈だった彼は、愛しの主人の為に必死に商店街を駆け抜けていた。
何とも言い難い存在であることは、誰もが思いしかし口に出さないことであるが、まあ今はそんな事はどうでもいい話である。
こうして、救えない状況は着実に完成していた…。
末恐ろしい事、この上ない状況はこうした日々の積み重ねで出来てしまうのであった。
きゃっ、恐ろしい…!
とか言ってる場合ではない。
ええ全く、本当に…。
この時は本当に、シャレにならないスピードであれよあれよと言う間に、着実にその火種は炎と化していった。
ベティがえっちらおっちらと私室に向けて足を勧めていた丁度その頃には、もう両親にその事が伝わってしまっていたのだ。
シュウシュウのつかないこの事件が、まさかあんな大事になろうとは誰も思うことはなかったであろう。しかし、それがリツァーデン家の摩訶不思議なところであり、彼らの人情故の出来事なのかもしれなかった…。
6:了