猿も木から落ちる
時は明治2年、多くの死者を出した戊辰戦争が終結した、その年である。明治天皇睦仁が東京に入り、東京への遷都が完了したのもこの年のことだ。
この物語はそんな明治2年の東京を舞台にして、作者によって都合よく解釈された史実と紛れもない想像を混ぜ合わせて作られた、フィクションである。
朝、砂利道に霜がおりた。日の出とともに長屋がひしめく裏町に住む長吉の一日が始まる。
長吉は今年で二十四歳、大工である。腕っぷしは少しばかり頼りないが、細かい作業はお手の物だ。彫師にでも付けばよかったのに、馬鹿なものだ。
今日は久しぶりに休みである。
と言っても終日家にいるわけではない。無論、遊びに出るわけではない。第一彼にそんな金はないし、連れもない。
まめでおせっかいな大家が店賃の催促に来るのだ。大家はほぼ毎日のように戸口を叩いて催促に来る。休みと知れれば何回来るか皆目見当もつかぬ。因みに「おせっかい」というのは、その催促とともに「お前もそろそろ嫁をもらったほうがいい」と見合いの世話をやいてくることだ。良い人であることは間違いないが、付き合うのはたいへんだ。
「こんな大家につかまっては難儀だ」長吉はコソ泥のように慎重な足取りで表にでた。忍び足、忍び足。