三話 ナカマ
「いやーー感心感心。あのヴォルフの長を一人で倒してくるとは」
「それ以上はいい。だから早く報酬くれ」
クエスト後の決まりきった台詞パターンに辟易しながら俺は酒場のカウンターで店長のNPCと退屈な会話を繰り広げていた。
この村の酒場は住民たちの依頼を俺たち冒険者に提供している場でもあり、レベル上げついでに報酬も得れるなんともありがたい場所なのだ。現に俺はこの村での最高難易度のクエスト、『ヴォルフの群れ』を何度も繰り返して、レベル上げとGの貯蓄に努めている。
「んじゃ。これが今回の報酬だ。また何かあったらよろしく頼むよ」
長い会話の末にようやく店長から受け取ったのは袋に入った金貨。その数およそ20枚――金額にして2000Gと言ったところだ。宿屋で言うと五日分の宿泊代金になるのだが、これもすぐ無に帰すことになるだろう。
俺は酒場から抜けて、ある者との待ち合わせの場所である訓練場前に訪れた。時刻は午前九時、あの子がそろそろ出てきてもおかしくない頃だ。
「あっ! クレハさん! 待っててくれたんですか! ありが……」
ズザァァ! と思いっきりずっこけて待ち合わせ場所に現れたのは訓練服を身にまとった金髪の少女。彼女が初めてログインした時に知り合ったあの時の少女だ。
「ライネさん……スライディングしながら現れるのこれで何回目ですか? ウケ狙ってるなら正直サムいですよ」
「スライディングじゃありません! これはですね、たまたま転んだだけなのですよ」
「たまたまって、もう五回目。まぁいいや。……あと、スカートめくれてますよ」
「はわわっ! そ、それを先に言ってください! うぅ……恥ずかしい」
パンパンとお尻を払って立ち上がると、少し恥ずかしながらもにこやかな笑みをこちらに向けてくるライネ。その愛らしさに思わず愛でたくなってしまうが、その感情を悟られるわけには行かず俺はゴホンと咳き込んで、話を切り出した。
「今日はどうでしたか? 命中率《Hit》以外にどれか上がったものはありますか?」
「え、えーとですね……」
「攻撃力《Atk》が2、防御力《Def》が1、それから敏捷性《Spd》が3の上昇だよ」
ライネの代わりに答えたのは、ここ訓練所の教官であるレービットという女性だ。もちろんこの人も酒場の店長と同じくNPCなのだが、あまりの人間らしさに時折NPCであることを忘れてしまうほどだ。余談だがあと胸がでかい。
「はい! そういうことです、クレハさん。これで私も戦いに出れるでしょうか……?」
ライネは大きな目をパチパチとしてこちらを不安そうに窺ってくるが、俺ははっきりと言い放つ。
「まだまだですね」
「えっ……まだなんですか。も、もう全パラメーターはこれで10を超えましたよ? クレハさん言ったじゃないですか、すべての項目が10以上になったら訓練所通いは終わりだって」
確かに言った。村周辺の低レベルモンスターならばそれだけあれば十分に倒せることを。
しかし俺は素直に賛成できないのだ。この少女を死ぬかもしれない戦いに連れて行くことを。それは少女を失って俺が一人になってしまうことを危惧しているせいかもしれない。
思えば、一ヶ月前。あの時俺たちプレイヤーは十二の初期位置《スタート地点》に送られ、離れ離れとなってしまった。その一つであるこの村でさえプレイヤー人口は二千人以上いるのだろうから総人口は二万人を越すであろう。
しかし今まだ生存か確認されてるのは何人くらいだ? この村でも、もう百人以上のプレイヤー名が墓場に刻まれている。全体の一割は、今日俺が殺してきたモンスターのようにテクスチャの塊となって消えてしまったんではないか。
人間はあっさりと死んでしまうんだ。こんなくそったれなお遊戯で何も残せず、虚しく消えていくんだ。
そんな風にあっさりライネまでも消えてしまうことを俺は恐れている。
「クレハ、あんたもちょっと過保護じゃないかい? 確かに初期パラメータ設定をミスった者や実際の戦闘に恐怖を抱いてる者の救済措置がこの訓練所だけど、指導できるのも限界がある。あとはライネが現地で学ぶしかないと私は思うけどね」
珍しくレービットはライネの肩を持った。
この訓練所を利用する者は大まかに分けて『初期能力未設定者』と『戦意喪失者』という二通りだ。
初期能力未設定者というのはこのデスゲームが開始された直後に自分で決められる能力の数値、すなわち『攻撃力《Atk》』、『魔法力《Mgc》』、『防御力《Def》』、『命中率《Hit》』、『敏捷性《Spd》』、『精神力《Mnt》』、『幸運《Luk》』の七つの項目に一つもポイントを振らずに進めてしまった者のこと。
もう一方の戦意喪失者というのは文字通り、戦闘に対しての恐怖が拭えず、まともに戦うことの出来ない状態の者のことだ。別にこのゲームは戦闘を強制してるわけではないが、俺たちが暮らしを立てていくには戦闘で金を稼ぐしかない。特殊なスキルも持たない内から情報屋や鍛冶師になることはできないのだから。
そしてライネの場合は前者だった。
と言っても全く何にも数値を降らなかったのではなく、何を血迷ったのか命中率《Hit》に140あるポイントを全振りしてしまったらしい。(ちなみに俺は全項目20のバランス型にした。)
それではまずいということで俺がここに毎日通わせるようになったのが一ヶ月前、その間でライネは指示通り最低限のステータスを得ることが出来たのであった。
「訓練所だって無料じゃない。一日の訓練に300Gも消費するんだ。うちのほとんどの生徒は戦えるようになったら払わせるということにしてるけど、あんたはこの子のために毎日こうして300Gを持ってきている。それも結構な負担になってるんだろ?」
「それは……」
「そうですよクレハさん! 私何時まで経ってもクレハさんのお荷物は嫌です。この恩を返すためにも私も一緒に戦わせてください!」
ギュウと袖口を掴んで懇願してくるライネに俺は「駄目だ」とは言えなかった。あの時と同じように、俺はどこかこの少女に甘いところがあるのだろうか。
それでも煮え切らない俺は硬直したままうんともすんとも言えない。それを見かねてかレービットは何やらニヤついて、
「ははぁん、甘いぞライネ。そういう時はな……こう胸を当ててお願いするんだ。これで大抵の男はイチコロさ」
背中に巨大なお山を二つずっしりと押し付けてきた。――この人本当にNPCか!?
「わ、わ、わかりかかり……ました。こ、こうで――」
「やらんでいい!」
振り切って、二人から二、三歩距離をとる。心臓はボスモンスターに追い詰められた時以上に激しくなって(いるような気がして)、思わず慌てふためいた行動を取ってしまった。
「……わかったから。うん、わかった。……これからは一緒に戦ってくれライネさん」
半ば強制的に言わされたような言葉だが、それを言ってみた後は何故かつきものが落ちたようにスッキリした気がする。もし彼女が共に戦地へ赴くというのならそれを守るのが俺の役目だ。そう認識すれば恐れることなんて何もなかった。
「ありがとうございます! 私、クレハさんの役に立てるよう精一杯努力します!」
「あ……だけど条件が一つ」
「なんですか?」
「その、なんて言うか……『クレハ』でいいよ、俺への呼び方は。さん付けだとよそよそしくてやり辛いからさ」
「……じゃあ、私も『ライネ』でいいです。私のほうがお世話になっているのにさん付けされるのはおかしいですから」
俺が提案したことではあるが、敬称からいきなり呼び捨てにするのは些かの抵抗がある。見た目から言えば俺とライネはそう歳は離れていないように思えるが、それでももどかしいのはもどかしい。
「ふふ。初々しくていいねぇ。私にもこんな時があったよ」
見守るレービットはまたもNPCらしからぬ発言。気楽でいいよあんたは。
◇ ◇ ◇
最後となる訓練代を払い終えた後、ライネがこれから冒険者となるに必要な武器やアイテムを取り揃えるため、武具屋へと赴いていた。
ここの村の武具屋は初期装備しか売っておらず、俺も含めここで暮らすプレイヤーは大抵がモンスターからドロップした武器や鍛冶師に頼んで強化された武器を使っているのだが、右も左も分からない初心者にはまだ店売りので十分だろう。
「ふわ~。武器の種類ってこんなにあるんですね~!」
目を輝かせながら棚にかけられた武器を眺めるライネ。訓練では武器の中で最も使いやすい中剣しか使わせてもらえなかったので、目に映る物全てが目新しいのだろう。
「やっぱ、無駄に高い命中率《Hit》を活かすには遠距離用の武器じゃないかな」
俺が提案したのはこの村にある十種類の武器の内、唯一遠距離からの攻撃が可能な大弓だ。これなら不用意にモンスターに近づくこともないので剣士よりも安全だろう。
「あっ、いいですね。実は私、昔弓道をやっていたことがあるんですよ」
にこりと微笑んで、ライネはおもちゃを見つけた子供のように展示品の大弓を弄り始める。イメージとしては弓道と言うよりアーチェリーの方が近いような気がするが、この際それはどちらでもいいだろう。
「私、決めました。この弓を使うことにします」
手に取ったのは安い鋼材で作られた『ビギンシューター』という大弓。初心者用のビギンシリーズの一つで、扱いやすさと安価という両方のいい面を兼ね備えてるすぐれものだ。
「んじゃ、次は『ストライクアーツ《SA》』と『マジックアーツ《MA》』を決めないとな」
「えーと……たしかそれ、必殺技みたいなものでしたっけ?」
訓練所も戦闘の基本的なシステムは教えてくれていたらしく、ライネに説明の手間が省けるのは正直嬉しい。
このゲームには三つの消費パラメーターがあり、ライフポイント《Lp》、ストライクポイント《Sp》、マジックポイント《Mp》に大別される。
Lpはプレイヤーの体力を示すものであり、これが0になったらゲームオーバー。――ここでは“死”を意味する。
Spは武器を使う者全般に必要とされるものであり、武器を使ったストライクアーツを撃つために必要なもの、Mpは主に魔法使いが使うもので炎水土雷風の五属性に由来するマジックアーツなどを発動するのに必要なものだ。
「まあ魔法使いでもなければ。マジックアーツは入れなくてもいいんだが、使えなくはないから回復魔法を一つ入れておくというのも手だな」
「でも確か最初のうちはアーツスロットは三つしかないんですよね? それだと入れる枠はないかもしれません」
そう、問題はそこだ。
このゲーム、初期の段階ではアーツを三つしか組み込むことが出来ない。戦場においては様々な手が必要なのにこっちが出せる必殺の攻撃が三つしかないというのはなんとも理不尽なものだ。
もちろんレベルが上がるにつれ開放されていくのは確かなのだが、それでもそれまでの間は不便を強いられるのには変わりはない。
「そうだな、それに弓を使う場合は剣士以上に多彩な攻撃が必要になる。さっきのは忘れてくれ」
「はい。じゃあ弓専用のストライクアーツから三つ選んできますね」
数分後、ライネが選んできたのは『ミラージュシュート』、『ストレートシュート』、『パラライズシュート』の三つだった。
状態異常の『麻痺』を引き起こす『パラライズシュート』は他のと比べて割高だが、値段相応の働きはしてくれるので文句はない。
これで攻撃面においては用意ができた。後は防御面に関するものなのだが……
「えっ!? 防具ってないんですか?」
「ああ。ない」
RPGとして防具がないなんていうのは戦場を裸で歩くのも同然、とも思われるが案外そうでもない。
このゲームに置いて防御力は全て個人の能力に依存するため、オミットされても進行にさほど影響はないのだ。
それに俺としては性能や効果を無視して服装を選べるのは嬉しかった。過去の携帯ゲームで皆が皆性能を重視するあまり、全員が同じ装備になって面白みがなくなったという苦い経験もあったので。
「じゃあ職業は……」
「それは決める必要はない」
そして職業システムというも概念もここには存在しない。存在しないというより職業ではなく称号のようなものになってると言った方が正しいか。
俺のように『大剣』にジャンル分けされてる武器を使う者は『大剣使い』。ライネのように弓を使えば『弓使い』。そして『大杖』を使って魔法を操る者は『魔法使い』となる。
補足しておくとこの称号は自分のプレイスタイルで変わってくることもある。例えば同じ魔法使いだが攻撃魔法をメインに使う者は『黒魔道士』になるし、補助魔法で味方のサポートを主にする者は『白魔道士』となるということだ。
「職業によって行動が決まるのではなく、行動によって職業が決まるということですね。こっちの方が現実に近い感じもします」
「そうだね。俺としてもスッキリしていていいよ。職ごとにレベル上げとかなくて楽だし」
そんな会話を繰り広げつつ俺とライネは武具屋を後にした。今日の買い物はこれでひとまず終了。今から村周辺の平野に赴いてライネの初陣に付き合う予定だ。
「ふふ、私クレハさんと一緒に戦えるのが楽しみです」
「そうかな。あと、またさん付けになってるよ」
「あっ! すいません。でもさっきからクレハさ……ゴホンゴホン、クレハだって私の名前呼ぶの避けてるじゃないですか」
「……バレてた?」
「バレてますよ。そんなに私の名前呼ぶのが嫌ですか?」
潤んだ双眸がこちらを弱々しく睨んでくる。
そんなこと言われるとなおさら気を使ってしまうではないか。
「わかったよライネ。……これでいいか?」
「ちょっと照れ恥ずかしいけど……嬉しいです。これからも『ライネ』でお願いしますね! クレハ!」
門が開くとライネは一人先に駆け出していった。これからの戦闘での緊張とゲーム的な楽しみ。それが一即多になっているようだ。
「まったく、気楽なもんだよ」
俺は忘れていた笑みをそんな光景を見てこぼす。
今までは一人で戦い続けてきた。それは仲間が死ぬのを見たくなかったし自分が死ぬのを仲間に見られたくなかったからだ。
しかしその選択は辛くもあった。誰にも頼れない、助けてももらえない、そんな重圧とも闘いながら生き続けないといけないのだから。
今日ライネという仲間ができた。まだ彼女は仲間としては頼りないかもしれないが、その存在だけで俺の心は少し安らいでいるのだと思う。
彼女がいるだけでどこにでも行ける、どこまでも頑張れる。単純かもしれないが今の俺の心境はこんな感じだ。
「ひゃわわッ! クレハ早く来てください! この変なネバネバがーーッ!」
「『ペドン・スライム』だなそりゃ。レベル1なんだから落ち着いてやればすぐに倒せるよ」
言って、ライネの元へとゆっくりと歩んでいく。表情は、自分でもわかるくらいに穏やかに笑っていた。