一話 キッカケ
「ねえ黒羽! 今日ちょっとゲーセンよらない?」
放課後の教室で荷物をまとめて帰ろうとしている所、隣から俺の名を呼ぶ声が聞こえてきた。声をかけてきたのは幼馴染の草堂美恵。その表情はいつも以上にキラキラと、何かを楽しみにしている様子だ。
「ごめん無理」
俺はその提案に即答してフルフルと首を横に振った。というのもこの美恵、女の癖に極度のゲーマー。一度ハマってしまうと財布の小銭が尽きるまで遊びつくすという悪癖を持っているのだ。しかも金が尽きた後には俺に迫ってきて、俺まで余計な出費をする始末。断って正解だ。
「えーー!? なんでよ! あそぼーよー!」
高校生にもなって幼稚園児のように駄々をこねる美恵を無視して俺は帰ろうとした。耳に入る猫のような甘え声は無視……無視無視!
「あそぼー……って言ってるんでしょうが!!」
しかしこの少女の力侮ることなかれ。一度腕を掴まれたが最後、万力の如き力で締め付けて離さない。――と、言うよりはただ単に俺が貧弱なこともあるにはあるのだが。
「痛い! 痛い痛い! わかった! わかったから! まじでわかりすぎるほどわかったから!」
「ふふん。ようやく理解したようね? 女子どころか分裂直後のアメーバよりも非力な黒羽君」
滲む涙をこすりながら俺はようやく開放して貰う。
美恵の言うことに悔しいが言い返せない。いや、流石に分裂直後のアメーバぐらいには勝てるだろうけど言い返したらまた酷い目に遭わされそうで言い返さないのだ。
「それに安心して! 今日はそんなにお金使わないからさー」
「ホントかよ……」
「本当本当! だって今日は今流行りの『ドリームオンライン』ってのをやるだけだから」
「ドリームオンライン……ってあの?」
「うん。あの」
俺はそれを確認してもう一度大きくため息。
『ドリームオンライン。』
それは今現在話題沸騰中の次世代MMOだ。従来のパソコンやテレビの画面に向かうタイプと違い、これは脳にリンクし五感全てでゲームの世界を体感できる世界初のゲーム。
ここまでだったら美恵ほどのゲーマーではないにせよ俺だってやってみたい。しかしこの後にため息の出るような理由が待っているのだ。
それはこのゲームは初期段階のせいか殆どゲーム的要素がない。どういうことかといえば、そのゲームの世界には建物とかのポリゴンばかりでモンスターやらNPCが存在しない、対人戦専用ゲームかと聞かれればそういうわけでもない。
ただプレイヤーのアバターと建物ばかりの世界。 要するにやることといえばチャットぐらいしかないVR空間の無駄遣いともいえるゲームなのだ。
「ICカードの発行に800円。2時間チケットに500円。合わせて1300円! どう? これだけよ!」
「へいへい……途中で飽きても他のゲームはやらせないからな」
「大丈夫大丈夫! 私って飽きにくいタイプだから!」
しかし新しいもの好きの美恵にはそんなことを言っても聞く耳持たないだろうから、大人しく従っておく。それに俺もやることがチャットしかないとはいえ仮想現実というものがどういうものかというのをこの身で実感してみたかったのである。
◇ ◇ ◇
真っ暗。それがドリームオンラインと現実を繋ぐための機器、『ドリームエッグ』に入った感想だ。
『ドリームエッグ』とはその名の通りたまご形の機械で、そこに人間が入ってドリームオンラインにログインする。全身を読み取り、その情報からVR空間でのアバターを形成するためか必要以上に大型化し、それが理由で家庭ではなくゲーセン用に普及したとか。
『用意はいい? じゃあ同時にログインするわよ』
隣の『ドリームエッグ』から美恵の通信。俺は「はいはい」と適当に返して硬い椅子にゆっくりと腰を降ろした。ログインの為のスイッチはなく、『リンクオン』という掛け声によって自動的に動作を開始するらしい。
7、6、5、4……と美恵が秒読みに入る。俺も内心のドキドキを声には出さないよう一緒に数え始めた。残りの3から1までの間は本当に長かった。この世界にはどこにもない世界に行けるというのが未だ半信半疑で、それでもどこか期待してる自分がいる。そんな様々な感情がせめぎあって溢れそうになっていた。
そして時は訪れる。
0。
俺は肺から声をだすかのごとく大きく口を開けて、次の単語を口にする。
――――リンクオン。
瞬間。まばゆい光が全身を包み、別次元のどこかへ引きずり込まれような感触を残して俺の意識は途切れていった。
◇ ◇ ◇
気がつくと、どこかのビルの屋上にいた。呆然として周りを見渡すがこれといって変わったことのないただの屋上だ。
いや、ここは仮想現実。“これといって変わったことのない”ということは現実と何一つ遜色なく再現しているのだから凄いことだ。
「おお……なんか……! テンションあがってきたー!」
フェンスを握りしめて屋上からの景色を確認してみる。見ればそこには数え切れないぐらいの人だかりがわんさかと、それはもうわんさかと。
ヤッホーなんて言って手を振ってみれば、気づいた人はそれに返してくれる。現実よりも接しやすいのはネット上とも変わりがないようだ。
「何はしゃでんのー? さっきまでうだうだ言ってたのにー」
ログインを済ませた美恵もこちらに来て話し掛けてくる。アバターの外見はいつもの美恵と殆ど変わりがなく、変わってることといえばドリームエッグに入る前に外していた赤縁のメガネがないことぐらいだ。
これもドリームオンラインの特徴の一つで、現実の自分と全く差異無く仮想現実に行けるというもの。ルックスに自信がない者やコンプレックスを持っている者にとっては阿鼻叫喚の仕様だが、仮想現実のアバターを本来の自分と思い込んで現実へ戻れなくなる者が増加したため仕方がない対策なのだ。
「うーん。……服装までは反映されないから初期服に変換されるのか。お前とペアルックかよ、最悪だな」
「むか~! 何よその言い草! またシバかれたい?」
「おっと。ここでの暴力行為はNGだぜ? やろうとしてもシステムガードがあるからお前のその拳は俺には届かない。ハーッハッハ!」
「むかむか~!! あんた現実に戻ったら覚えてなさい!」
「げ……」
テンションが上がっていたせいかノリで挑発してしまったが、冷静になって考えたら結構まずい。この女は結構根に持つタイプで、ちょっとのことでも病院送りにするほどだ。
そんなことよりさー、と俺は美恵がこの事を忘れることを願って話を逸らす。
「ペア登録でボーナスポイントも貰ったことだし、早速なんかに使おうぜ」
「……まぁいいわ。そうだね。まずはどこかの喫茶店にでも行こうか」
「喫茶店……? なんか買えるものあるの」
「NPCはいなくとも、注文すれば商品はちゃんと出てくるわ。私、まずは味がどれだけ再現されているかが気になるのよね~」
俺はマニュアルにあったよう視界の隅に表示されてるカバンのマークのアイコンに触れ、そこから更に財布のアイコンに飛ぶ。表示されたのは10000Gというお金の単位だ。これは現実の円の0.1倍の価値なので現実に換算すると1000円分。しかしこの世界での物価は現実と変わらないため1000円で払って10000円分の買い物ができるという良心的仕様だ。
屋上から降りて舗道に出ると、そこは何かのお祭りのように人が沢山歩いてる。朝の混雑した電車の中をそのまま街にスケールアップしたと表現するのが正しいだろうか。
「これって全員プレイヤーなんだよな」
「うん。そうだけど?」
「なんでこんなに人いんだよ。というか密集しすぎ」
「仕方がないよ。当初はこんなに人が来るとは予想してなくて、サーバーは一つしか無いんだから。今や日本にはとどまらず全世界から注目されてるゲームだから、外国からも大勢ログインしてるらしいよ」
「外国人か……俺英語だってろくに話せないけど、チャットは成り立つのか?」
「それは自動的に母国語に翻訳してくれる機能があるから大丈夫だよ……っと、着いた着いた」
マップアシストによる自動歩行の結果、着いた先は木造建築のコジャレた雰囲気の喫茶店だった。ドアから窺える店の中は落ち着いた雰囲気を醸し出してる。
しかし入れば、先ほどの込み入った通路と同じく多くの人で込み合ってる。外から見た光景はフェイクかよ! とツッコミを入れつつ、開いてる席を探した。
満席、満席、満席……横からザッと見ても空いてる席はない。仕方なく場所を変えようかと提案しようと思ったその時。
「あ、ほらあそこ。空いてるじゃん」
美恵が指差した先はテーブルを挟む形で両サイドに二人分の椅子が置かれている四人用の席。それしか空いてないのだから仕方ないか、と思って進もうとしたが。
「おい……もう先約がいんじゃんか」
一番端の奥の方には金髪の少女が一人ぽつんと座り込んでいる。相席というのもいきなりは気が引けた。
「なーに。もしかして女の子には話しかけずらぃー? そうだよね~現実では私以外の女の子には一言も口聞けない可哀想な男の子だもんねぇー」
「ば、馬鹿言うな! んなわけ無いわ。見てろ、今から俺が自然に相席の許可を貰ってきてやるから!」
自分でもまんまと美恵の挑発に乗ってしまったとは思う。しかし男としてああまで言われたら黙ってはいられない。俺が女に対してテンパるような恥ずかしがり屋ではないことを証明しなくてはならないのだ。
「あ、あの~」
とりあえず笑顔で話しかけてみる。ナンパをしてるわけでもないのに自分の心臓が破裂寸前まで膨張しそうなほど緊張していた。
「は、はははははいッ!?」
しかし話しかけた少女はこちら以上のテンパりを見せた。
ズゴーンと、それはもう思いっきり飛び退いて椅子からひっくり返るほどの。
◇ ◇ ◇
「ごめんね。驚かしちゃって。この馬鹿クレハにはよく言い聞かせておくから」
その後なんだかんだあって俺たちは少女の向かい側の席に座れることになった。何故か俺が悪者になってるのはいただけないが、それに見合う収穫はあったので良しとしよう。
「あ、はい……大丈夫ですよ。私の方こそ大げさに反応してすいません。こっちで話しかけられるのはこれが初めてだったもので」
テヘヘと頬を軽く掻いて笑う少女。その姿は健気な小動物を連想させるかのような動作ででかすかな保護欲に駆られる。
そんな少女の上に表示されている名はRaine。これは普通にローマ字読みでライネと読むのだろうか。
「初めて、と言うことは今日が初ログインなんですか?」
俺が聞けば、少女はまた少しうつむき加減でぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
「いえ……これでも稼働一日目からの常連です。私、人と話すの苦手でそれを克服するためにここに来たんですけど結局現実と何も変わっていないようですね」
「そんなことないよ」
「え?」
シリアスモードに突入しそうな所で美恵が口を挟む。この女、いつも絶妙な所で口を出してくるが、案外それは的を射ているのだ。
「あんたは今こうして私達と普通に話せてるじゃない。つまりもう克服できたんだよ、口下手っていうのはさ」
「そうでしょうか……私、変われたんでしょうか」
絶賛空気中の俺はただただガールズトークの行き先を見守っていくだけだ。とりあえず少女のことは美恵に任して時刻でも確認するか。
今の時刻は午後五時半、ログインしてから一時間が経過しようとしていた。二時間チケットを使ってログインしたので残りここにいれる時間は五時間だ。
え……? 計算が違う? いやこれでいい。何故ならこのゲームは『減速システム』を採用している。つまり現実の時間の流れに対してこちらの時間の流れは少し遅く、その速度は現実の三分の一。ここで一時間遊んでも現実では二〇分しか経過していない。現実での二時間ならここでは六時間分ということになるのだ。
「ありがとうございます! 私、なんか勇気が湧いて来ました!」
「そりゃ良かった。あんたの力になれてこっちも嬉しいよ」
どうやらあっちの会話も終わったらしく、先ほど以上に少女の顔が活気に満ち溢れている。これでこっちも口を挟めるなーと思ったその時。
ブツン。
何かの電源が落ちたように辺りが一瞬にして暗闇に包まれ、椅子の感触がなくなる。それどころか何もない平地のように周りのオブジェクトが全て霧散して消えていった。一筋の光も差さない完璧な闇、それは何か不吉なことを予言しているかのように不気味さを誇張している。
「な、なんだこれ!?」
俺と同様にあちこちから困惑の声が聞こえてくる。負荷のあまりサーバーが落ちたのかとか、運営のドッキリだとか。しかしそんな楽観できるような事態ではないような気がしてならない。これはそんなチャッチなことではなく、もっと恐ろしい何かの片鱗ではないのかと、どうしても思えてしまうのだ。
「クレハ! どこ!?」
暗闇の奥から美恵の声が聞こえてくる。俺は手探りのまま美恵を探すが見つられず、そこら辺を右往左往することしか出来なかった。
焦りが加速し、仮想現実だというのに背筋に悪寒が走る。このままではまずい。なにか取り返しの付かないことが起こる。
『皆さん、落ち着いてください』
そんな時、直接頭の中に機械的な音声がなだれ込んできた。男とも女とも取れるその中性的な声は他の者にも聞こえたらしく、先ほどより少しだけざわめきが収まる。
『これは機能拡張のための臨時アップデートのために起こる現象です。データを上書きしてる最中なので、ログアウトはしないでください。もしかしたら脳に重大なダメージを被るかもしれません』
その言葉にざわめきは息を吹き返す。こんな時刻にアップデートなんて予告されていなかったし、やるとしたらプレイヤーを全員追い出してからというのが定石だ。
聞くからに怪しい。俺はシステムウインドウを開き、ログアウトのアイコンを探す。スクロールしていくと一番最下層にログアウトのアイコンはあった。
「ッッ!!」
けれどもそれだけ薄暗いグレーの色で表示されていて、押すことの出来ない状態となっていたのだ。
「どういう……ことだ?」
『一部アップデートが完了したので強制転移を開始します。場所――“聖なる一二神殿”』
疑問に対する答えを見つけられないまま転移が開始され、周りで騒いでいた男たちがドンドンと青白い光りに包まれて姿を消していく。俺はその一瞬の光を手がかりにして美恵を探した。ここで見失ったらもう二度と会えない、そんな気がしたのだ。
「美恵ッ! どこだ!?」
「ここだよ! クレハ!」
声の方へ振り向けば一瞬の光に照らされ美恵とさっきの少女が確認できた。急いで向かおうと思ったその時、俺の足元にも男たちを飛ばした光が現れた。――転移までもう時間がない。
一か八か、一気に走って美恵の方に向かった。その間にも光が俺を侵食し、気がつけば身体のほとんどが包まれていた。
「くっそおおおおおお!!」
必死に声を上げ、まだ侵食されてない方の手をおもいっきり伸ばす。
光が全てを覆い隠す瞬間俺は確かに掴んだ。小さくもぬくもりのある手を。――それは確かに少女の手だった。