#3
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「君、いいねえ。モデル事務所にも所属しない?いや私はね、この業界長いからいろいろと顔、利くんだけどね。このグンバツの美人がお笑いやってもおもしろいねえ。ずっと歌手のプロモートやってた知り合いの事務所がね、今度お笑い部門をね…」
社長の日浦だと名乗った男は、あゆみを見るなりいきなりまくし立てた。
そりゃ、これだけかわいくて歌もうまいというのならそうも言いたくなるのもわかるけれど、ここはまたずいぶんと質素というか何というか。
だだっ広いフロアはパーテーションで仕切られ、その向こうには制服姿の女性たちがひたすら電話をとりまくっていた。ここが音楽事務所?どっちかっつうと通販のコールセンターかなんかじゃないの?
そこへ、危なっかしい手つきでむさ苦しい男がお茶を持ってきた。
あゆみ、僕ら三人、そして自分たちへと茶碗を置くものだから狭いテーブルはさらにぎちぎちになった。
「あ、あのとりあえず。初めまして、私立東峰学園三年、末嗣あゆみと申します。よろしくお願いいたします」
あゆみはここにいる大人どもの誰よりも、ていねいに挨拶をした。あわてて日浦が名刺を出す。
「EXエージェンシー代表取締役社長の日浦です。こっちは専務の片山。そちらの男性がたは?」
不思議そうに三人のおまけに目をやる日浦に、涼しい顔で新之介は答えた。
「兄で三男の新之介です。妹の付き添いでやって参りました。どうぞよろしく」
は、はあ。上品さに押されて彼らは何も言えない。新之介は優雅な手つきで薄いお茶をすっと手に持った。
愁までが悪のりする。
「次男の愁です。あゆみは大事な妹なんで、今日は一緒にお話しをと思いまして」
何気なく僕に視線が集中してる?冬馬はあわててそのあとに続いた。
「ちょ、長男の白瀬冬馬です」
冬馬が言うか早いか、テーブルの下で双方から蹴りが飛んできた。いってえ!涙目になるが必死に耐える。このバーカ!声にならない声で愁が罵声を浴びせる。
「ご長男だけご苗字が?」
日浦がいぶかしげな顔をする。
「長兄は結婚して婿養子に。僕ら兄弟はこれだけ数がいますからね」
新之介が何も動じずにっこり笑うと、その場は何となく治まった。恐るべし新之介パワー。愁だけは相変わらず冬馬をにらみ、あゆみの肩はおかしさに震えていた。
「さ、じゃあ時間ももったいないので契約書にサインを。そのあと事務所のサイトに載せる顔写真を撮るから。歌も今日録っちゃえるといいんだけどなあ」
その言葉にせっせと片山は目の前の茶碗を片付け、テーブルを拭き始めた。こんなときはやたら手際がいい。細かい文字の契約書と朱肉を空き箱から取り出す。
ボールペンのキャップを外してあゆみに渡し、署名するように促す日浦をよそに、愁はその紙をさっと手に取った。
メガネの縁を持ち、じっと書面を読み始める。
日浦は焦り始めた。
「何なんですか、お兄さん。こちらとしても応募者が多くてですね、時間がないのですよ」
そんな言葉を聞くような愁じゃない。非常に細かい文字サイズの文章を一つ一つ入念にチェックしていく。
「こちらの事務所のサイトに顔写真をアップし、クリックすると本人の歌声が流れる、と。その他のフォローは?」
低い声で愁が社長に問いかける。ガタイがいいだけに何とも言えない威圧感がある。
圧倒されつつも日浦は、言い慣れているであろう説明をよどみなく続けた。
「本名は載せません。こちらとしては楽曲提供者が現れた時点で、きちんと保護者と契約書を交わし、正式にこちらの事務所に所属していただきます。今はその前段階ということで。申し訳ありませんがお兄さん方では……」
「私はそれでいいですから、早く契約してください。夢を叶えるにはとにかく急ぎたいんです」
「あゆみちゃん、ちょっとよく考えた方が」
冬馬は必死に引き留めにかかったが、不思議に残りの二人は黙ったままだった。
じゃあ契約料をと、なぜかあゆみが払わされた。五万円。高校生には大金だろう。しかし財布から諭吉先輩を惜しげなく出すと、彼女はためらわず社長らに渡した。
「領収証を切ってくださいね」
新之介がくぎを刺す。焦りつつも専務とやらが書類ケースをあさりだし、ようやく奥から古くさい束を取り出した。
「え?携帯画像でいいんですか?ちゃんとした撮影スタジオでカメラマンが撮ってくれるんじゃ…」
「プリクラって手もあるよ。自然な女子高生の感じが好評なんだな。いかにも作り込んだってのじゃなくてね」
別の会議室には、一応証明写真に使うような白い幕が天井から吊されていた。
そこに立ち、ポーズを取るあゆみは確かにかわいかったけど、せめて専門のカメラマンにでも撮らせてやってくれよ。
日浦は調子のいい言葉を次々と並べ、次第に彼女をその気にしていく。その物言いだけを聞いていると確かにこいつも業界の人間には違いない。
新之介はまるで妹かわいさにスナップ写真を撮るかのように、デジカメでさっきからあちこちを写しまくっていた。あの上品な笑顔には何の邪気も感じられず、誰も注意するものはいなかった。
冬馬はポケットに忍ばせたICレコーダーのスイッチをこっそり入れ、彼らの言葉を逐一記録していた。僕だって全くのアホじゃないところを、かわいい彼女に見せてやらなくちゃ。
ふと、愁の方に視線を向ける。あの男が黙っていることが何やら不安というか不気味で、冬馬は『今度こそ蹴られませんように』と自分のために祈った。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009-2011 keikitagawa All Rights Reserved