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#33

#33


「僕…になる?」


とりあえず口にはしてみたけれど、冬馬自身もどうしていいのかがわからなかった。人並みに他人をうらやんだり嫉妬したりだなんて、いくら彼でもしたことがある。そんなことしょっちゅうだ。

けれど、何も持っていないはずの自分になりたいというヤツがいるなんて思いもよらなくて。


「あのさ、それって…病気持ちで臆病で、人付き合いもうまくできなくて、フリーターとどっこいどっこいのワーキングプアーで、ええと、空気読めなくて愁からいつだって雪駄でぶん殴られて、周りから舐められきってる僕になりたいってこと?」


「ええ、そうですよ」


にっこりと微笑んで新之介は涼やかに言い切る。きっとここでいつもの玉露が欲しいところだろう。


「ちょっとは否定するとかさ、いえいえそんなことありませんよとか…何かないの!?」


「だって、それが冬馬さんではないですか」


あくまでも新の笑顔は変わらない。

冬馬は、どう考えても褒められているとは思わない反応にむかついて見せた。その表情にさらに新はふわりと笑う。


…笑顔一つ見せたことがない、と。なぜあなたの前では新之介は笑うの!?と騒いでたっけ…


うすらぼんやりと沙織の言葉がよみがえる。僕は静かに微笑む新之介しか知らない、逆にね。彼はそういうもんだと思っていた。辛さなんかちっとも知らなかったから。




「高崎には感謝しています。それはまぎれもない僕の本心です。けれども同時に…彼が僕に見せ続ける自責感に、自分も押しつぶされそうになることも事実です」


何も変わらない穏やかさで、新之介は静かに言った。誰にも言えないだろう本心は、なぜか冬馬の前には開かれる。


「それは…僕みたいに事情も何も知らない人の前になら平気でいられるってこと?」


「まさか、冬馬さん以外には無理でしょうね」


不思議ですね、と言い添える。ほうっと小さなため息をついて、新は続けた。



誰が悪いわけではない。まあ、この事故の場合は加害者がいるわけだけれど。その人を憎んだところで自分が元通りになることもない。二度と。

憎んだら憎みきったら、僕らは自由になれるんでしょうか。心が軽くなるんでしょうか。なりはしないことを、僕も高崎もわかりすぎるほどわかってしまっている。

だから、高崎は自分だけを責め続けてすべてを捨てて…僕の介助をしている。それを黙って受け入れている自分こそが、一番…罪は重いのでしょうね。



「新はさ、愁を憎んでるの?」


新之介はしばらく無言だった。追い詰めてはいないだろうか、こんなに話していて大丈夫なんだろうか。冬馬は彼の心自体が心配でならない。


けれど、新は再び口を開いた。


「だったらむしろ彼こそを憎めばよかったのだと思います、八つ当たりでも何でも。おまえのせいだと酷くなじり罵り、二度と顔も見たくないと突き放してしまえばよかった。それがおそらく、最良の形で高崎を救うことになったはずです。僕は…弱いから……とても…そんなこ…と…」


できなかった。


ささやくようなかすれ声。麻美子も冬馬も押し黙る。

離れたいのにしがみつく。共依存はゆがんでいると切り捨ててしまうことは簡単だ。でもそうじゃない。現実は誰かの手が必要で、誰かと関わることでしか人は生きていけない。


すうっと息を吸うと、すっかり回復した身体を起こして冬馬は口元をきゅっと上げた。


「全くさあ、新もまだまだ子どもだね」


エラそうな口調で目を細める。今だけは雪駄が飛んでこないだろう。こんなチャンスめったにない。


「えっ?」


新之介の驚く姿が見れることだけでも気分がいい。


「あのさ、愁だって大人なんだよ?あいつこそ計算高くてずるがしこいじゃん。同情や贖罪のためだけに新を面倒見てると本気で思ってんの?」


新にくっついてれば、食いっぱぐれない。このさき自分だって病気を抱えて、働くこともままならない。だったらこんな強力なコネクションをあいつが手放すと思うか?



「だいたいさあ」


得意げに続けようとした冬馬の後頭部に衝撃が走る。ばこっ。またもや鈍い音。


「……ってええ」


頭を抱えてうずくまる。ただし、発作とは全く関係のない痛みで。


「ほっんとにてめえってヤツは!言わせておけば言いたい放題言いやがってこの大バカ冬バカ底なしバカ!」


振り向く勇気が冬馬にあるはずもなかった。上がっては来ないだろうと高をくくっていた愁が、薄笑いを交えた最悪の声で冬馬を罵倒する。手にはもう片方の雪駄代わりの革靴を持ちながら。


新之介は、と言えば。


とうとう声を上げて笑い出した。冬馬さんには似合いませんよ、そのようなセリフは、と付け加えながら。


「な!何だよ!?いくらフリーでもライター稼業で培った洞察力と世間の腹黒さを十分見知った僕から言わせればこれくらいのことはわかって当然で!……」


二発目がきれいに決まり、冬馬はさらに頭を抱えた。


「ガキが悪ぶってるようにしか見えねえの、てめえの場合は。無理すんなって」


「愁は…」


今の新の言葉を聞いてしまったんだろうか。それが彼らの関係性を壊すようなことにならないんだろうか。いつもみたいに情けない顔で見上げながら、さすがに冬馬も内心は深刻にはとらえていたのだ、この問題を。


しかし愁は、これまたふだん通り平然としたエラそうな態度で靴をはき直していた。さすがに薄い靴下でコンクリートを歩くのはイヤなのか。


「確かに俺は金もねえし、頼れるご実家もねえし。新之介様っつう金づる見つけたら誰が離すかってんだ。だろ?大人の洞察力をお持ちの白瀬冬馬大先生?」


イヤミで言ってるんじゃない。その証拠に苦い笑いの中には温かさがかいま見える。口が悪くて乱暴で態度でかくて…この上なく繊細な高崎愁。



「僕らが怖くて口に出せなかった想いを、危ういバランスを崩してくれたのが、冬馬さんなんですよ」


冬馬は思わず、二人の顔をまじまじと見た。どういうこと?また僕の空気読めないド天然発言のせいにされるの?

身構える彼に、それまで黙っていた麻美子が呟く。


「口に出して何かが壊れてしまっても、特別大変なことは起きないんですよね。私たちはきっと、言ってしまったら今いるこの場所がすべて崩れてしまって、全部なくしてしまうって思っていたんです。さっきまでの私もそう。でも、でも何も変わらないし誰も去ってなんかいかない。大切なものは見えないだけでちゃんと残るんだなって。それをわからせてくれたのが…冬馬さんなんです」


麻美子ちゃん。

言われたことのほとんどを理解できないまま、冬馬は彼女を見つめ返した。壊して褒められるってどういうことなんだ?


「バカはホントにとことんバカだよな。自分のすごさだけは一生わからねえんじゃね?」


「ですから僕らは、どうあがいても冬馬さんにはなれないんでしょうね」


冬馬一人が置いてかれて、頭上を会話が飛び交う。自分はけなされてるのか褒められてるのか。前に訊いたときはぶん殴られて終わった気がするけど。


「褒めてんだよ、バーカバーカ。大バカ冬バカあほんだら」


がっくりと肩を落とし、小学生じゃないんだからさあ、と愁へと言い返す声にも力がない。これが褒めてる態度かってんだよ、ったく。




「ほらよ、忘れもん」


そろそろ帰るか、という愁の態度にみなが立ち上がろうとした。新へ携帯を何気なく渡した、つもりだった。


かたん。


取り落とした新之介は、コンクリへと転がる電話に伸ばした手を、怯えるように引っ込めた。

不安げな表情を浮かべ、愁を探すために視線が泳ぐ。それはまるで小さい子が叱られるの怖さに震えるかのように。


麻美子ははっとして口を開きかける。それに冬馬は大丈夫だからという思いを込めて目でうなずく。

愁は携帯をさっと取り上げると、新の手にしっかりと握らせた。身体を支え立ち上がらせると、手のひらではなくひじあたりをそっと持って歩くのをうながす。反対側を守るかのように運転手の甲斐さんが回り込む。

幼い子どもに戻ったみたいな新之介は、お守りのように携帯電話を握りしめた。


これも、新なんだ。


発作を起こしてうずくまる冬馬も、フラバで頭を抱える愁も、今の新も、これが現実の姿であって。


沙織には受け入れがたいことだったんだろう。そりゃそうだ。本人たちだって受け入れられてないんだから。


それでも僕らは、今の状態で今を生きなきゃならない。明日奇跡が起こって治ったとしても、今はこの状態であることには変わりない。スタートはそこから、それを受け入れてから。


全部を包み隠して笑って日常を暮らそうとも、僕らは知っている。マイノリティは孤独なことを。

それを他人に言えたとき、理解されなくても知ってもらえるということを。知ってもらえたら、自分はここにいてもいいのかなとほんの少し思えるようになるってことを。



低く大きな月が、自分では光ることのできない明かりをはね返して、彼らを包み込んでいた。


(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2011  keikitagawa All Rights Reserved

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