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#29

#29


百人が一列になって登る山。先頭がスタート地点を歩き出す。ドベは僕。見晴らしのいい景色を見ながら、山登りは楽しいと浮かれる先頭。息も絶え絶えの僕を、他の九十九人が待つ。中腹で休憩しながら。


何とか必死にそこへたどり着くと「今まで待っててやったんだからな」と恩着せがましく言われ、さあ行くぞ!と登山は再開される。


待ってよ。


あんたらは今まで思いっきり休んでただろ?疲れもとれただろ?

僕は今、ようやくここまで来たのに、休む間もなくまた歩き出せって言うの!?


「スタート地点でのんびりしてたじゃないか」


強者はそううそぶく。

違うだろ?僕はあんたが歩き出す百人分も後ろから歩いてるんだ。スタートがマイナスなのに、どうして比べようとするんだ!?

努力が足りないと言われ、やればできるのだからやらないおまえが悪いと罵られ、ゴールが見えてくれば知らないうちにまた到着地点は勝手に引き延ばされ。





「『そのままの君でいい』なんて、僕らには誰も言ってくれない」


沙織は黙ったまま。


「高い切り立った崖をいくつもよじ登ってる僕らに、『誰にだって辛いことはある。みんな乗り越えてきたんだ』と言いながら軽々と横の階段を上っていく」


こわばった身体が、膝枕の寝心地を悪くしてく。それでも冬馬の言葉は止まらない、止められない。


「必死にしがみついてるんだ、僕らだって。でも…いつ手が滑るかもわからない。これ以上自分の体重を支えることなんて無理。階段やエスカレーターやエレベーターで上がりきった人たちは、『おれたちができてどうしておまえにできないんだ!?』と僕らを簡単に切り捨てる」


ここまで死ぬ気で這い上がってこい!……そう言うんだ。


「僕らは一日を一瞬を、文字通り死ぬ気で這い上がってるのに、まだ足りないと急かされ続けて責め立てられて」



「じゃあ、どうすればいいのよ!!」


たまりかねて沙織は叫んだ。目を開けた冬馬が言葉を切る。


「期待してはいけないの!?あの頃に戻ってと、もっと良くなってと、どうかそこから立ち直ってと願うことはいけないことなの!?」


だから手を差し伸べる、引っ張り上げようとする、助けようとする。全部それを払いのけるのはそっちじゃない!!



沙織が本音の声を上げれば上げるほど、冬馬は逆に醒めてゆく。どこかあきらめを含みつつ。


「僕らの姿かたちがマジョリティに近づかない限り…許してはもらえないんだよね。そんなこと無理なのに」


どうして、やる前から無理と決めつける…の?


かみしめた唇からもれる言葉に、冬馬はため息をつく。

そうだよね、どうしたってわかり合えるなんてできないよね。あなたたちにとっては、大多数のヒトの形しか見えない。違うものは想像することさえできない。理解できずに怖いから、自分の見知っているものに早く変わって欲しいと願う。


「新は新のままでそこにいるのに、誰も今の新之介を見てはくれてないんだ。あなたも」


「彼の抱える症状も辛さも理解しようとしているわ。今の新之介ができることと考え得る予後を想定して、その中でできることをサポートすると言っているのよ」


かすれ声が、彼女のせいいっぱいの意地なのかもと冬馬は思った。でももう止められない。言い出した本音は止まることを知らない。



「違うよ、沙織センセ」


ずたずたに切り裂いてしまいたい。他人の心を。思いやりを。善意に見せかけた勝手な押しつけを。

冬馬の言葉が持つ素直な残酷さを、自分自身はよくわかっていたのかもしれない。だからこそ冬馬は…今まで誰にも言えずにしまっていたのだろう。こうやって周りを、大事な人を傷つけるから。

本当のことは誰だって見たくないんだよ。辛すぎるから。それを突きつけられるから、マジョリティはマイノリティを恐れるのかもね。


「あなたはやればできるのよ、って簡単に人は言う。信じているからって。それはさ、逆に言ったら…できてない今のあなたは私は認めないって言われてるようなもんだよね」


「どうしてそう、ひねくれて受け取るの!?あなただって麻美子ちゃんには言ったじゃない!!歌えばいいのに、やればできる……」


不意に沙織は言葉を切った。聡明な彼女のことだから、そのセリフの持つ意味の違いに気づいたんだろう。

気づいてしまって、深く深く傷ついているんだろう。



目を堅くつぶったまま、沙織は何も言えずにいた。今度の沈黙は長く…とても長く続いた。

冬馬もまた、何も言わずにいた。言いたくなんかなかった。だから他人と深く関わるのはイヤなんだ。


それでも沙織は口を開く。ああ、強い人だなと思う。それは皮肉でも何でもなくただ素直に。


「冬馬くんは、誰にも予測なんかできない不確定な未来の話はしない。けれど、本人が気づいていない今の姿を気づかせてあげることができる。あなたは今、こんなところを歩いているじゃないって。ねえ見てごらんよ、もうここまで歩いてきたんだよって。それってすごいことなんだよって。裏付けもない変な期待だけを持たせて、はしごをとっぱらうことだけはしない。だってあなたの言葉はみな、事実その人がしてきたことだけなのだもの」


一気に言い切ると、沙織は今までにないくらい優しげに微笑んだ。


「だから、だからあなたにだけは新之介は笑顔を見せる…のね」


そんな立派なもんじゃないよ。バカだし空気読めないし、誰とも打ち解けられないし。こいつよりバカはいないって、みんな安心するんじゃね?


自嘲気味に笑う。一番他人に冷たいのは冬馬自身かもしれないと自分で思いながら。



「あーあ。もう少し私は自分のこと『できる女』だと自信たっぷりに思ってなのになあ。完敗だわ。あのね?誰もがそう簡単には白瀬冬馬にはなれないってこと」


へっ?これ以上のバカにはなれないってわけ?深刻な話をしてたつもりなのに、条件反射でホントにバカなことをぼうっと考えた。日頃、愁から冬バカ呼ばわりされる後遺症だこれ。


「誰も白瀬冬馬みたいにはなれない。だからあなたは他人に与えることができても、他人からそれを受け取ることができない。わかる?第二の冬馬くんをあなた自身が見つけるのはかなり困難だと思うわよ?」


そこまで言うと、ようやく沙織の表情がほぐれた。しょうがないなあという苦笑い。


もちろん、言われた冬馬本人が一番わかってないし、冬バカという名にふさわしいくらい間抜けな顔で口をぽかんと開けてるし。


「わたくしじゃあ、とても力不足だわ。どうあがいても冬馬くんには勝てないし、あなたの相手としてはふさわしくないってことよねえ」


「えっと、何が何だかよくわかんないんだけど…それって僕は完璧にふられてるって感じ?」


自分がどれほどのことを言ったのかわからないまま、冬馬は情けない顔で沙織を見た。恋愛対象とかではないと言い聞かせながらも、ちょっとくらいの下心は男なら持っててもいいかなと内心思ってたのに。



「やっぱ、新が好きなの?」


「そうね。はっきりと気づかせてくれてありがとう。わたくしはわたくしでしかないし、自分の持ち物を変えることもできない。それは誰でも同じなのよね。わかりあえることができないまでも、わたくしのやり方でサポートすることはできる。ただし、冬馬くんの言葉はしっかりと大切にしながら…ね」


そう言いながらも、沙織は冬馬を起き上がらせた。小柄な彼女とそう変わらないほどの華奢な冬馬の頬を両手で包み込む。


彼の両腕に手を添えて、沙織は軽く唇を重ね合わせた。感謝の意味を表す挨拶程度のつもりかもしれないさ。けれど冬馬にとってはめったにない千載一遇のこのチャンス、逃すわけにはいかない。


彼女の背中に手を回し引き寄せる。肩から頭に手のひらを動かし、もっと深くキスをした。唇で優しくかむように、吐息を感じた一瞬を逃さずに彼女の舌先に触れる。


思わず引きかけた身体を離さないで手に力を込める。絡まる舌にお互いの息が乱れる。少しは感じてくれなきゃ。こっちは十分気持ちが高まってるんだから。高まってるのは気持ちだけじゃないし。


息すらできない。でも発作とはえらい違いだ。こんな呼吸困難ならいくらでも沙織センセに治療してもらおうか。パニック発作を持つ患者さんから袋だたきに遭いそうな不謹慎な思いで、何度も彼女の舌を吸う。



これって脈ありだよな。行けるよな。このシチュエーションなら許されるよな。

本格的に次へ行こうかと唇を耳元へと移そうとした瞬間。


沙織はあっさりと立ち上がった。


がつっ。


ひじ!!ひじ!!ひじが僕の顔面に当たってるし!!



あごを押さえてベッドに倒れ込み、痛みをこらえる冬馬をよそに、沙織は涼しい顔で言い添えた。


「あー、本発作のあとは激しい運動厳禁だから。十分わかってると思うけど。眠剤あるなら飲んで寝た方がいいわよー、寝不足が一番よくないのは知ってるでしょ?まあ、それだけ元気があるなら安心かなあ」


えっ?見上げる冬馬の顔はかなり情けなかったと思う。そ、そげなまさか。


「飲んでないからランエボで帰れるしー。まあ感謝の気持ちはとてもまだ伝えきれてないから、あと五回くらいは膝枕してあげてもいいけどー。じゃあお休みなさいね」


これ以上ないくらいの笑顔で手を振ると、沙織はさっさとドアから出て行った。ぱたんという音さえカンに触る。



…な、生殺し。これじゃよけー寝れねえよ…



僕が何をしたってんだろ。流れはちゃんと読んだぞ!今回は!!


ベッドに一人寂しく倒れ込むと、女ってわかんねと冬馬は頭を抱えた。


(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2011  keikitagawa All Rights Reserved

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