#26
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「はい、ですから、あの、当社といたしましても、大変申し訳なく、いえ滅相も…」
モニターの画面からは、焦りまくった日浦の声が流れ出てくる。対面に座っているのはダイナモの担当者だ。こっちはもちろん腕組みをして渋い顔。にこりともしない。
隣の部屋で会議室の様子を眺めていた冬馬たちは、誰彼となくため息をついた。
「どうするんでしょう、警察に届けちゃうんですか」
あゆみはささやきながら他の連中を見回した。揃っていることはいる。冬馬に愁、あゆみの腕に手をやりながら不安げな顔の麻美子。そしてなぜか目も合わせようとはしない…沙織と新之介。
最後の仕上げとばかりに、例の証拠ビデオと写真をダイナモミュージックへと持ち込んだ。冬馬にとっては微妙におもしろくもない話だけれど、彼の頭上遙か彼方ですでにいろいろな思惑と力関係が動いているらしく、彼らのたれ込みは有り難がられた。
正確には、「安達新之介」と「高崎愁」の持ち込んだ情報が、だ。
でもこれで麻美子が救われて、他に被害者が出ないんならいい。自分のちゃっちいメンツがどうなろうと、身体を張っただけのことはある。そう冬馬は自分に言い聞かせた。
「大丈夫よ、あゆみさん。生徒たちの名前を公になんかさせないから」
濃いめの落ち着いた赤い口紅が沙織を彩っている。今日はみな私服だからか、個性が際だつ。
沙織にあゆみに…そして麻美子。こうやって揃うと確かに個性豊かだよなあ。美の基準にもいろいろあるし、綺麗と可愛いと気品があるって別もんだしな。
ぼけらっとのんきに彼女たちに目をやる冬馬の耳に、冷ややかな言葉が飛び込んできた。
「すべてはご自分の計画通り、ということでしょう?沙織さん」
新之介?おおよそ彼らしくもない口調に、冬馬は驚いて彼を見つめた。
「とっくに安達の会社とは縁の切れた僕たちが、気づけば勝手に総務部調査室の嘱託社員としての契約を交わしたことになっている。確かに仕事を探していたことは事実ですが、本人の意志は全く無視ですか。それがあなたの、いえ、お祖父さまのやり方ですか」
静かではあるけれど、新の怒りが伝わってくる。だから沙織を見ようともしなかったのか。
「今のあなたには、一般就労どころか手帳枠でも就職は無理よ」
突き放すような沙織の言葉。本心じゃないことはいくら鈍感な冬馬でもわかる。
冬馬自身が気づいていないのは、彼は鈍感どころか他人へのセンサーが過敏すぎるのだということ。自他の心の問題をきちんと切り離せない。境界線が引けない。だから他人の痛みさえも自分に取り込んでしまう。
この場を、このイヤな空気を変えなきゃ。焦るばかりの冬馬に愁は目で威圧を掛けてきた。
放っておけ、と。
その意図を十分わかりながらも、冬馬は愁をにらみ返すと二人の会話に口を挟んだ。
「ねえあのさ、事情はよくわかんないけど。ええと、意地を張ってたってダメだよ。ちゃんと本当の気持ちは言葉で表さないと」
言いかけた冬馬に、二人分の冷たい視線が飛んでくる。沙織はわかるよ?でも新にまで?なんで?
いつも冬馬には静かな笑みを絶やさないはずの新が、目を細めて唇をかみしめている。知りもしないで余計な口出しはするなってことかよ。冬馬の方こそ意地になった。
「ふだんえらそうにしてるわりには、二人して子どものけんかみたいじゃん!新にだってわかってるんでしょ?沙織先生は新のことを思って言ってくれてることなんじゃないの?」
新が仕事を探していたことも、沙織らが手を回して社員にしていたらしいことも知らなかったけれど。会話の流れなんて何もわかってはいないけれど。それでもこんなふうに傷つけ合うだけが目的の言葉のやり取りなんて、いいはずがない。でも。
「…何も知らないくせに」
そう呟いたのは沙織ではなく、新之介の方だった。冬馬の表情が凍り付く。
「やめろ新!言い過ぎだ!」
あわてて愁が口を挟むが遅すぎた。冬馬はそっと席を立つとカバンを手に取った。
「何にも知らないし、知りたくもないよ。僕は最初から部外者だったんだしね。コスプレが何の役に立ったのかもわかんないけどさ。きっと僕がいなくても新たちだけでうまくやれたんだろうし。これで全部解決したなら、僕はここに来ることもなかったって訳だ。最後まで空気読めなくてごめん。じゃ」
ドアに向かおうとした冬馬に、当然のごとく飛んできたのは雪駄だった。
ばこっ。
鈍い音の方が痛いのは誰もが経験済み。冬馬は後頭部を抱えてそのままドアに顔面からぶつかった。
「いたそー…」
ぽつっとあゆみが呟く。当の冬馬は声さえ出ない。
「バカかおまえは!!ああそうだったそうだった!!最初からおまえは冬バカだった!!この状況でこの雰囲気で、てめえが出てくのが最悪に空気読めねえってのがわかんねえのか!?」
日浦たちには聞こえはしないだろうが、隣室を一応気にして小さい声でドスを利かすのは…もちろん愁だ。
「だからって何も、雪駄は止めようよ雪駄は」
涙目の冬馬が仕方なく振り返る。大の男が泣くのもどうかと思うけれど、不意打ちの攻撃に人は弱いものだ。
「てめえはな冬馬!気を回しすぎて回しすぎて配慮しまくったあげくに、一周過ぎてズレちまうんだよ!!空気読めねえつうか読み過ぎて誰もついていけねえの!!」
それ、褒めてんの?けなしてんの?おそるおそる下手に出てみる冬馬に罵声が飛んでくる。
「けなしてんのに決まってんだろうが!?何で俺がてめえを褒めなきゃなら…」
「ツンデレ。素直じゃないのは誰なんだか」
またしてもあゆみの呟き。小さいくせにしっかりと耳に届くような声は訓練の成果なのだろうか。あの愁が思わず黙る。顔が赤いようにも見えるけど。
「大人って面倒くさいんですね。思春期の女子よりも扱いが難しいだなんて思わなかった。ね?麻美子?」
そう言うとあゆみはにっこりと我が親友へと微笑みかける。複雑そうなそれでいてうれしそうな麻美子の笑顔。
四人の大人たちは、ばつが悪そうにお互いに顔を見合わせた。
モニターの向こうでは相も変わらず日浦と片山が頭を下げまくっている。この場を何とか逃れたいのだろう。全く大人ってヤツは。
「いいですかEXさん。うちの名前を使われたと出るところへ出てもいいんですよ?」
「そ…それだけはどうか」
「この件が公になれば、うちの信用もがた落ちだ。いくら無関係だと事実を言ったところで、通る世界でもないですしね。全ての損害をそちらに請求させていただいてかまいませんよね」
ダイナモの担当者は淡々と話す。それがまた日浦たちを震え上がらせた。
「あのその、サイトはすでに閉鎖しました。キャッシュ削除の申請も行っておりますし、動画は全て閲覧できない状態にしてあります。今のところ、流出動画へ出演した女の子たちには伝えてないですが、こちらの方は」
「今後一切、接触しないでください。一度でも発信された動画はどこでどう保存されているかわかりませんからね。知らない間にオンラインへ晒されたと彼女たちに伝えたら、どんな行動を取られるか予測がつきません。そもそもうちは無関係ですし、EXさんもまさかこの先この業界でやっていけるとは思っておられないでしょう?」
裏だろうが表だろうが、げーのーかいなんてものは狭い世界だ。危ない会社が危ないやり方をしたとわかれば、近寄ってくるのはもっと危ない世界のヤツしかいない。EXは業界から締め出す、とダイナモは脅しを掛けているのだ。イヤ、事実上の廃業宣告だろう。
別件でもめていた冬馬たちも、さすがにモニターから目を離せずにいた。
「一つだけ、確認というかお願いなのですが」
ここだけは声をいくぶん和らげ、ダイナモ側が身を乗り出す。どんな条件でも飲まざるをえないだろう日浦たちは、さらに顔を引きつらせた。
「いえね、のちのち遺恨を残すのもイヤなのでね。浅倉麻美子の件ですが」
不意に自分の名前を出され、離れた部屋であっても麻美子はびくっと怯えた表情を浮かべた。あゆみがその手を優しく握りしめる。
「うちの会社、ダイナモミュージックが発掘した期待の新人ということで、大手のしっかりとした事務所に紹介してもかまいませんよね?まさかそちらにまでEXさんが乗り込むなんてことはないですよね」
ダイナモはいわゆるカラオケチェーン店を経営運営する会社であり、そもそもプロの音楽業界とはまた違った立ち位置にいる。もちろん各音楽事務所とは関係も深いけれど、自社で新人を育てられるとは思ってもいないだろう。
麻美子を発掘したのは、というか沙織らが共謀して発掘させたのはEXエージェンシーだ。彼らにも当然プロモートする力なんてない。
それでも、彼女自身が「人前で歌いたい」という思いを持つためには、殻と檻から飛び出すには、これだけの装置が必要だったと沙織は言うのだろう。
…人って案外、思いこみに縛られてるから…
動き出した麻美子には、広い広い外の世界が待っていた。
じゃあ、僕らには何があるのだろう。歳を経るごとに動けなくなる心と身体の重さ。しがらみと思惑と大人の事情ってヤツが、もともと持つ思いこみに拍車を掛ける。
「これで当分、日浦たちもおとなしいだろうよ」
「当分?この業界じゃあもうやってけないでしょ?」
全面解決だと信じた冬馬は、愁の言葉にとまどった。
「あいつらしぶとそうだからなあ。まあ大手の事務所がどこだろうと、これでもう麻美子ちゃんには手は出せないさ。あいつらが都落ちしてこそこそする分には、放っておいていんじゃね?な、作戦本部長?」
何の気なしに新へと話を振った愁が表情を硬くする。つられてそっちを見た冬馬までもが息をのむ。
新の様子がおかしい。
だいたい、冬馬に言い放ったさっきの台詞からして新らしくない。確かに新之介が本当はどんなヤツでどんな性格でどんな暮らしをしているかさえも、冬馬は知らない。
でも。
うつろだった瞳は、しだいにおどおどと視線を泳がせている。まるで幼い子どものように不安そうに沙織を見上げる…新之介。
ああそうだ、いつかもそんなことがあった。何ごとにも冷静沈着で動じないふうな新が、電話一つ掛けるのにためらっていたあの日。
「大丈夫よ、新ちゃん」
穏やかに声をかけながら近寄ろうとする沙織を、愁が止めた。
「あとは俺がやる。新を連れて帰る。真鍋さんはこっちを頼む」
「あなたに指図されたくないわ!」
険のある言葉。なぜか今度は愁と沙織がいがみ合うのか?冬馬はとっさに二人の間に割って入った。
「女の子たちは僕が面倒見るから。一番年上の白瀬冬馬様に全部まかせろって」
「てめえが!」
「あなたが!」
同時に声を出した二人は、お互いをちらっとにらんだあと、息もぴったりと言い切った。
「一番危ないっての!!」
…そげな。せっかく危機を救おうとした僕の立場はどうなるんだよ…
そわそわと爪をかみながら落ち着かない様子で何も言わずにいる新を心配しつつ、冬馬は一人寂しく泣き言を飲み込んだ。
(つづく)
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