#25
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「天然って言われるの、冬美ちゃんは嫌い?」
それは演技と言うよりもつぶやきに近かった。名前も知らない男優の、素のままの声はかすれていた。
「他人の思うとおりに動かなければ、空気読めないって。思惑通りに言わないと天然って笑う。からかわれているくらいならいいけど、それはだんだん弾かれているような気になって」
弾かれてる…。ハブにされたってこと?彼が真剣に訊く。制服姿の冬馬はこくりとうなずいた。
「ただでさえ人とは違うからって、必死に他人に合わせてたんです。相手が望む言葉として欲しい行動を察して察して、もっともっと察して。でも正解なんか教えてもらえないから、結局は天然って笑われて。ここでもそうなんですね」
寂しげに唇をかむ冬馬に、隣に座る男は肩へと回していた腕をほどいた。
「バカにして笑ったんじゃないよ。これはホント。普通の女の子が言いそうにないことを言う冬美ちゃんのことがかわいくて」
冬馬は無言。男は下から顔をのぞき込む仕草をした。
「ねえ、俺は君を傷つけたのかな。だとしたら本当にごめん。そんなつもりじゃなかった」
この言葉が口説きの演技なら、今すぐにでもドラマのオファーが来るだろう。それくらい…複雑な思いが込められた台詞。
「いいんです。言われ慣れてるから。謝ってくれてありがとう。優しいんですね」
けなげに笑おうとする冬馬の顔もこわばっている。いつもの仮面をかぶり損ねたぎこちない笑顔。どこからどう見ても女子高生にしか思えないのが気の毒ではあるけれど。
「優しかなんかないよ。俺もおんなじだからさ」
小首をかしげる冬馬に、男は遠い目をした。
「自分で言うのも何だけど、俺ってぱっと見イケてるじゃん?でもチャラくないんだよね、ホントは見た目ほど」
田舎の男子なんてひでえもんだから、言われ放題言われてさ。女紹介しろだの、一人くらい分けろだの、付き合ってる子もいなかってのに。勝手に嫉妬されて勝手に恨まれて絡まれて。適当にあしらうなんてできないからボコボコにされて。
「それって、辛くないですか」
「辛かったなあ。だから見返してやろうと思った。一発逆転を狙った。俺が有名になればバカにしているこいつらは、逆に俺を見上げる立場に変わるんだってね」
俳優オーディションの書類を送ったら、すぐに採用されて図に乗ったんだよね。ほら見ろって。すぐにテレビに出られる映画に出られる、そのときは本当にそう信じてた。
男が苦く笑う。
「まさか、応募者全員に合格証を送ってレッスン代をふんだくるだけだなんて、田舎のガキがわかるわけないじゃん?」
エラそうに啖呵切って高校中退して、単身上京して、今さら身ぐるみはがされたからって帰るわけにもいかねえしさ。
EXの日浦たちの顔が青ざめていくのを、愁は視界にとらえてはいた。けれど新の真剣な顔が冬馬と男に向けられ続けているのを見て、彼は黙って腕を組んだ。
…どうすんだよ、冬バカ。あいつ本気で何も考えてねえな…
浮かぶ言葉の辛辣さほど、愁の表情は険しくはなかった。冬バカらしいよな、と。
「今だって立派にプロの俳優さんじゃないですか」
冬馬の言葉に、男が目を見開く。俺が俳優だって?こんな仕事が?
「やってることは犯罪すれすれ、ってか犯罪ですよね。女の子だましてるんだし。でも逆に言ったら、人をうまくその気にさせるくらいの演技力があるってことでしょ?かっこいいこともあなたの武器になるでしょ?」
自分から作戦ばらしてどうすんだよ。当のおまえがうまく騙されなきゃ、証拠ビデオも撮れねえんだし。しかし愁は、怒りよりも苦笑いでその言葉を聞いていた。
「俺はさ、まともなオーディションだって受けたんだよ。何度も何度も。バイトしまくってちゃんとしたレッスンだって通ったさ。でも、デビューできるヤツは最初から決まってて、俺なんかにチャンスは巡ってこないことになってるんだよ。やっと来た仕事が、こんな他人に言えない名前も出せないものだけだって。笑えるよな」
一発逆転どころか、もっと転落だよ。後ろ指さされて嘲笑われるだけ。
愁は、男の独白を聞きつつも不思議な感覚にとらわれていた。なぜ皆、冬馬には素直に本音を言ってしまうんだろうかと。かたくなだったはずの麻美子もそうだ。いつだって高飛車なむかつく沙織が、冬馬の前では涙を見せたのだろう。珍しく化粧の崩れたわずかな痕跡が残っていた。
新之介が笑うのも、冬馬がいるからこそ。
それがライターとしての能力だとは到底思えなかった。酷い言いぐさだけど本音だから仕方ない。あいつほど冷静な判断力がなくて取材相手に振り回されるどーしようもないライターはいないだろうし。
けれど、冬馬自身は自己否定の固まりではあるのに…相手の心を開かせてしまう。
…変なヤツ。さあて、作戦変更はどういう方向へと持って行きましょうかねえ。本部長はさっきから動かねえし…
愁がそう思うほど、そばの新之介はじっと二人の会話に耳を傾けるばかりだった。
「あなたが見返したかったのは、当時の男子たちにですか?」
「俺はそう思ってるけど」
男の顔がゆがむ。イヤな思い出が頭を駆けめぐってるんだろう。冬馬には容易に想像できた。あの思春期特有の残酷さは、女子も男子も関係なんかない。
「あの頃の、自分にじゃないですか?」
男は冬馬を見ることさえしなかった。堅く堅く目をつぶる。なんだそれ、と吐き捨てながら。
「何で言い返せなかったんだろう、何で反撃しなかったんだろう。何であいつらの言いなりになってたんだろう。悔しくて悔しくて。力があったら、今の大人の自分なら言い返せるかもしれないのにって」
「今の俺じゃ、やっぱり言い返せないよ」
寂しげな言葉に、そうでしょうか!と食らいつく。
「AV出身を堂々と売りにしている男優さんだっているご時世ですよ?あなたが今までしてきた努力を、自分くらいは認めてあげたっていいじゃないですか!ちゃんと演技したいんでしょう?そのために勉強してたんでしょう?今からじゃ遅いんですか!?遅いはずなんてない!!」
…私はね、努力してここまでこられるタイプなんです。だから大手のしっかりしたレッスンを受けて、のし上がっていく方が合ってる。でも麻美子は違う。あの子は最初から持っている、自分の世界という才能を。それに嫉妬するなって言う方が酷くないですか…
冬馬の中に、あのときのあゆみの言葉がよみがえる。自分の抱える黒い感情をまっすぐ嫉妬だと言い切った彼女は、努力してのし上がるんだと胸を張っていた。
冬馬はベッドの上にきちんと座り直すと、男に向き合った。
夢は必ず叶う訳じゃない。誰もが有名になれるはずもない。その地位を維持できる保証なんてない。
けれど、気の済むまでやることはできる。少なくともあなたはちゃんと行動を起こしたんですよね。
「行動…?」
「何もしないで大口を叩く輩の方が多いんですよ、世の中って。やりさえすれば俺だってすぐ有名になれるんだよって言うだけのヤツ。いつまで経ったってやりもしないくせにね。オーディションの書類一枚だって、送るのには勇気が要ったでしょう?あなたはそれができる人なんです」
「冬美…ちゃん」
「これも演技の勉強だと思えばいい。でも利用されて捕まってしまう前に、どうせならきちんとしたAVに挑戦してみたらどうですか?相手は台本も持ってるプロの女優さんでしょう?こんな風に素人を最初から口説いてその気にさせるより、きっとずっと簡単です!」
うまく行くか行かないかなんて、それこそあなたの言うように最初から決まってるのかもしれないけれど、でも!
「そうやって気の済むまでやってみたら、自分でちゃんと引き際がわかる。そんな気がします」
「そうか、そうだね。気の済むまで、やってみるか。もう一度だけ」
遠い目は何の風景を見ているんだろうか。スタジオは無音に包まれた。
ゆっくりと顔を冬馬に向けて、男は穏やかに笑顔を見せた。
「優しいんだね、冬美ちゃんは。本当にいい子だな」
「…そうなんですよねえ、それが悩みの種っつうか。いっつもいい人止まりで、進展がない。安全圏にいるって思われて恋愛対象にならないから、彼女の一人もできなくて…」
「えっ?彼女?」
不思議そうに訊き返す男の言葉に、今さらながらようやく己の使命を思い出した冬馬は…さあっと血の気が引いた。
やば、またやっちまった。
こわごわと愁と新の方を向けば、あの愁が薄笑いを浮かべている。怒ってくれていた方がまだましだ。
焦りまくった冬馬は、不自然なくらい唐突に大声を出した。
「あ!!あのそのええっとだから!!そんなに触りたいんだったら、あたしの腹筋触ってもいいですよ!!」
無理やり男の腕をつかむと、冬馬はぐいっと自分の制服をはだけてそこへと手を差し込ませた。
あくどさの反射神経にだけは長けているであろう愁がすかさずビデオカメラを回し、ワンテンポ遅れて新之介が手渡されたデジカメのシャッターを何度も切る。
事情が全く飲み込めない男とEXエージェンシーの日浦だけが、目を白黒させていた。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009-2011 keikitagawa All Rights Reserved