#23
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「そこに腰掛けて。ええとそうだなあ、頬杖とかついてみようか。いい感じじゃん」
完全に遊んでやがる、愁のヤツ。引きつった笑顔で応えながら、冬馬はこっそりこぶしを振るわせていた。
今時のデジタル一眼レフなんて、どれほど立派でも、ただ撮るだけならド素人でも撮れる。タッパのある愁がビデオの脇でまずデジカメを構えるとそれなりに見えるからしゃくに障る。
何のためにビデオカメラまであるのか。プロフ写真に動画は要らないだろうに。よく他の女子高生は不審にも思わずについてくるよな。それとも、ネットに出回っているようなきわどいシーン続出の動画はみんな納得済みのタレント出演か。
意味もなくいろんなポーズを取らされながら、冬馬はなんだかやり切れなくなってきていた。
熊のストリップって言葉があった。それが一部のエリアだけで流行った言葉なのか市民権を得ていたのかはわからない。自己顕示欲だけが強くて何も持たないオンナノコたちは、ためらうことなく自分をさらけ出す。
名前と顔をさらして世間に出ていくってことは、自分のマジョリティを捨てることになるのに。
せっかく持っている匿名性という強力な武器を、自らマイノリティ側に入り込むことで手放してしまうのに。
ものになればいい。でもそんなヤツは数千人に一人。イヤもっと確率は低いかもしれない。
dreams come true
夢は念じればかなう。それを信じられるほどの若さはもう冬馬にはない。かなったヤツだけがこの言葉を言っているのだから。夢破れて山河あり…って、山河どころか全部をなくしたヤツを山ほど見てきたから。
けれど、麻美子は違うだろう。あゆみも違う。
どこがどう違うのかなんてはっきり言えないけれど、彼女たちはたぶん世間の方が放ってはおかない。
彼女たちはたとえ客が一人もいない舞台でも、演じるだろう。歌うだろう。名が売れるだなんてそれは後からついてくるもので、あの子たちは生きるためにPLAYする。
そこに意味をつけるのは周りの客だ。傍観者で観察者で当事者になることのない安全な客どもだ。
浮き沈みの怖さも足のすくむ思いもしたくない大衆っていう名前のマジョリティが、あの子たちを見つめる。
あこがれと崇拝と、はたしてこの子たちはいつまで持つのかという残酷な興味とを併せ持ちながら。
愁の浮わっついたわざとらしい業界言葉も上の空で、そんなことをつらつらと考えていた冬馬は、不意に人の気配を感じてあわてて顔を上げた。
細面ののっぺりとした顔にうっすらメイク。完全に撮影向け表情を作った若い男がすぐそばに座っていた。冬馬よりはやや若いか。
ヤツはにっこりと微笑むと馴れ馴れしく冬馬の肩に手を回した。思わず身体が引いてしまうのを必死にこらえる。
シャツにストレートのジーンズ。さわやかというよりも個性の目立たない服。そもそも男優に個性は要らないし、服も…要らないよなあ。
僕はっていうかあたしは歌手になりたくてプロフを取りに来ただけなんだし、と自分に言い聞かす。今はまだ事の成り行きをわかっていないおバカな女子高生でいなくちゃならない。
…いいよなあ「バカ」役が素でやれるのは冬バカくらいなもんだ…
衣装合わせの場で愁のにやけた笑い声が思い出される。いいよ、いくらでも笑えよったく。
冬馬は、イケメンに見えなくもない相手役をぽうっとしたような顔で見上げた。
「ふゆみ…ちゃんだっけ。君かわいいね」
「え、あ、あのえっと」
間近でこんな声をささやかれたら、現場の空気に飲まれることもありかもなあ。でも現実に僕は男であって、どれだけのイケメンが至近距離で近寄ってきてもときめくはずがないわけであって。
男臭さというよりはごっつい手の感触とか肌の凹凸とかに目がいって、どうしたって女性との違いを比べてしまう。
ああそうだよなあ。甘い香りと華奢な肩と、潤んだ瞳にはどうやったって勝てねえよなあ。
自分が女子の制服を着ていたことなどすっかり忘れて男目線で観察していた冬馬は、唐突にあのときの柔らかさを思い出していた。
シャイニーピンク。
もし目の前にいるのが男優ではなく……沙織だったら。
あまりにも突然、脈が速くなる。発作じゃねえよな。冗談じゃない。こんなところで起こしてたまるか。てか完全に誤解されるぞそれ!男に言い寄られて発作を起こしただなんて勘違いでもされたら。
あたふたする冬馬の鼓動はでも、落ち着くことはなかった。パニック症状じゃない。ただの、顔がほてってどうしようもないほど焦る思い。
沙織先生を思い出したからって、何で僕がこんなにならなきゃなんねえの!?
冷や汗さえもかきそうなくらいあわてまくっている冬馬は、はたから見ればイケメンにのぼせるウブな女子高生にしか見えなかった。実際ほっぺまで真っ赤になっている。
うつむいてなぜか前髪を引っ張る。その仕草が板につきすぎていて愁と新が笑いをこらえていることにすら、気づく余裕が冬馬にはなかった。
若い男はわざとらしくくすくすと笑い声を上げると、本当にかわいんだなあと繰り返しささやいた。
「ねえ、肩抱いてもらうなんて初めて?」
はいいいいっ!?ふっざけんなてめえ。抱いたことはあっても肩抱かれたことは…ああ、いやんなるほど経験済みだった。とたんに思い出すイヤな過去。
その気があろうとなかろうと、ふざけて冬馬をオンナノコ扱いしたヤツなんか数え切れない。酔っぱらいに完全に女と間違われて絡まれたことも数知れず。冬馬の顔は、今度は八つ当たりの怒りで赤くなる。それをどうとらえたのか、男はさらに力を込める。
「まさかさあ、ヴァージンとか」
そんなこと、ないし。怒りを抑えて小声でドスを利かせる。ええと利かせたつもりの冬馬の声は、ただのかすれ声にしかならなかった。これじゃまるっきり恥ずかしさに耐えかねてってしか見えないじゃんか!!
「じゃあ、初体験いつ?」
冬馬の悪い癖が始まる。適当にあしらえばいいものを、生真面目に受け止めるのは直らない。それが冬馬の良さでもあるのだけれど、と周りは薄目笑いでいつも言うが本人には納得がいかないらしい。
「じゅう、えっと十八」
バカ正直に応えた彼に、男は「え?最近?君今いくつだっけ」と意外そうに目を見開く。
愁のため息顔を見てやばいと感じた冬馬は、あわててぎこちなく笑った。
「変かなあ。やっぱ遅い?」
「ううん、冬美ちゃんらしいなって思ってさ。相手はどんな人?」
「三歳年上のOL」
言い切ってしまってから口元を両手で押さえる。案の定、男がきょとんとする。
愁は笑うか怒るかどっちを優先しようかと複雑そうな顔をしているし、あの新でさえ耐えきれずに下を向いてしまっていた。
「ああ、あのええとだから、OBって言ったんだけど。OB、OB!」
「へえ、先輩かあ。何の部活?」
しつこいなあこいつ。そう思いながら素直に誘導されて答えまくるのはやっぱり冬馬だ。
「ええと柔道部」
「柔道部?それって冬美ちゃんもやってたの?まさかねえ。マネージャーかあ」
柔道部にいたのは事実だ。三ヶ月で辞めたけど。あの頃はまだ、少しでも男らしくなろうと努力していたんだ、僕自身だって。
「やったんだけど、続かなくて」
「でもOBとは付き合ったんでしょ?意外にマッチョ好きなんだね」
マッチョと言うよりあれって筋肉脳だよなあ。頭んなか全部筋肉。条件反射だけで暮らせる単細胞生物だし。体育会系の悪口ならいくらでも出てくるぞ!!
「こう見えてもさ、俺も鍛えてるんだよ。腹筋割れてるし」
自慢げに男はそう言うと、冬馬の手を取ってシャツの上から自分の腹に当てさせる。引っ込めようとするのをわざとぐいと押しつける。
「ね?わかる?服の上からじゃわかんないか。ほら」
言うが早いか、ボタンを外してある下側から手を滑り込ませて、直に肌に押し当てる。冬馬が叫び出さなかったのは幸いだ。誰が二十七にもなって、男の腹筋なんか触らなきゃならねえんだよ!!
「…すご」
ようやくそれだけを言うと、我慢我慢我慢我慢と己に言い聞かせる。これも作戦のうちなんだから。敵は本能寺にあり。あれ?ここでこうやって使っていいんだっけ?
「でしょう?他も鍛えてるんだけど。冬美ちゃんに触って欲しいなあ」
冬馬の嫌悪感いっぱいの顔を警戒心ととらえたのか、男は手を戻してもう一度肩を引き寄せた。仕草も何もかも手慣れている。
「ねえ、俺のも触らせたんだから冬美ちゃんのも見せてよ。ボディピアスとかしてないの?おへそとかもかわいいんだろうなあ」
「はいいいいい?でも、ぼ…あたし腹筋割れてませんけど」
細いことは細いけど、鍛えてなんかない。本心で言った言葉に男はとうとう吹き出して笑い始めた。
「君のが割れてたら笑えるよ。ホントにおもしろいよね、冬美ちゃんの反応ってさ。よく人から天然って言われない?」
万人受けするような笑顔で男はそう言う。けれど、冬馬は「天然…」とつぶやいた。
「真面目に受け止める。真剣に応える。一生懸命話す。それが少しでも他人とずれてたら<天然>ですか?」
背の低い冬馬が、まっすぐ彼を見上げて言い返すと男の顔から笑顔が消えた。
…時と場合を考えろっつうんだよ。空気読めねえ冬バカはやっぱり本物のバカか…
愁が頭を抱え、人知れずため息をつく様子を、当の冬馬が気づくはずもなかった。
(つづく)
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