#21
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「いててて!目が痛い、目の!目の中に入ってるってば!痛いんだよ、ぎゃあ!」
叫び主の声は言うまでもない。白瀬冬馬その人である。
「ちょっと動かないで。ラインが曲がるでしょう?もうちょっと濃いめのペンシルなあい?」
はいセンセ、これ。にっこりとあゆみがアイペンシルを手渡す。沙織は手慣れた様子でそれをまぶたのふちぎりぎりに描いていく。もちろん冬馬の。
「マスカラはブラック系がいいかしら、少し茶系も混ぜた方が」
「冬馬さん、髪が茶色だからあんまり真っ黒じゃない方がいいですよ」
二人の会話を隣ではらはらとしながら、それでも楽しそうに麻美子が見つめる。
またもやふち間際にビューラーをかけると、冬馬の叫び声はさらに酷くなった。
「もう、うるさいわねえ!女装くらいしたことないの?」
びしっと当たり前のように沙織に叱られ、冬馬は思わず黙った。考えようによっては、というかどう考えてもヒドイ言われようだが。
そりゃあ、冬馬のこの顔立ちだ。女装くらい何度もさせられたことはあるけれど、ここまで本格的にアイメークなんてするはずがない。
女って本当にこんな痛い思いを毎日してるっていうのかよ。冬馬はあゆみに肩をがっしと押さえられつつ、仕上げのマスカラをつけられていた。
「イマドキの女子高生はね、目がポイントなの。フルメイクで学校になんて行けないでしょう?さ、これであとはほんのり色づき桜色リップクリームで完成っと。ほら動くな!」
もともと髪は肩ぐらいまであるから、それをていねいにゆる巻きにしていく。衣装はもちろん、女子高の制服だ。
結局化粧道具を持って歩くのが面倒くさいという理由から、沙織の部屋に全員が集合してはや二時間。ようやく冬馬の支度が整った。禁煙と強く言われ、タバコも吸えずイライラしていた愁が、その姿を見るなり思いきり吹き出した。
「待ってくれ…、こ、これは女装でも何でもねえ。自然体そのものだ」
うるせえ、冬馬のこぶしは怒りで固く握りしめられていたが、愁にかなうはずもない。
ひょいと顔を出した新之介は、最初ひくりと固まり、そのあと肩を大きく震わせていた。
「冬馬さん、お気を悪くなさらないで下さいね。本当にお似合いですよ」
その場の全員が耐えきれずに笑い出す。冬馬一人が引きつり顔だ。
彼にはい、と沙織が手鏡を渡した。のぞき込む冬馬のさらなる叫び声。
「ぎゃああ!!まゆ毛が。ま、まゆ毛がねえ!!」
「ちょっと細くしただけでしょう?騒ぎすぎないの。普段はペンシルで描けばなんてことないから」
沙織は平然としたものだ。
「本当に大丈夫なんですか、冬馬さん。女の子に間違われるの気にしてるって…」
麻美子は急に心配になったのか、小声で冬馬に声をかける。病気のことを詳しく話したのも麻美子がいたからだ。まさかこいつら全員に聞かれることになるとは思いも寄らなかったけど。
「ああ、もう別に。全然気にしてないよ、それはね。女顔だろうが女装だろうが、やれと言われれば何でもやるし。でも、何かこいつらに笑われると頭来るよなあ。麻美子ちゃんだけだよ、そうやって優しい言葉をかけてくれるのは」
清楚な私服の麻美子と、そう背の変わらない女子高生姿の冬馬が手を取り合う様子は、どう見ても尋常じゃないと思う。しかし当の本人たちは真剣に見つめ合っていた。
「頑張って下さい、冬馬さん。すべての作戦の鍵はあなたにかかっているんですから」
「麻美子ちゃんのためなら、僕はどんなことだってする。だからどうか応援していてくれよな」
精一杯うなずく麻美子を見て、冬馬は新たな闘志を燃やした。女子高生姿のままで。
「本当だよな、冬バカ。おまえの働きいかんによってEXエージェンシーをぶっつぶせるかどうか決まるんだからな」
相も変わらずニヤニヤと、愁が冬馬の肩に自分の肘を載せる。重てーよ!どかせよ!冬馬が何を言おうがお構いなしだ。
「それではそろそろ行きましょうか。隠しカメラの準備はできていますね。今日は甲斐さんに目立たない車で来てもらいましたから。沙織さんと冬馬さんは彼女の車で、他の5人は狭いけれどこちらの車で参りましょう」
さっさとだんどりを決めると、新之介はみなを促した。ヤツの仕切りにはかなわない。生まれ持った支配者階級かってんだ。冬馬はふくれっ面をした。
ランサーエボリューションの運転席に沙織が、助手席に冬馬が乗り込む。
メガネもかける?沙織のからかい気味の声に、少しだけ冬馬は不機嫌そうな表情を見せた。
「本当はイヤなの?断ればよかったのに、女装なんて」
声を落として沙織が言う。笑顔の残り香はそのままに。
「別に。いつもさせられていたし、もう慣れっこだよ。そりゃこんだけ本格的にメークされたことはないけどさ」
胸元のリボンを整えながら冬馬がつぶやく。少し大きめのカーディガンの袖から半分だけ出した手。その仕草さえ女の子らしい。
「バカね。何も全部みんなの言うのを素直にきくことなんてないのよ?それは確かに似合ってて可愛いし、脚なんかすごく綺麗で。用意していたシェイバーさえいらなかったけれど」
今さらとも思えるセリフに、恨めしげに視線を送る。化粧に一番おもしろがって乗っていたのは当の沙織じゃないか。
「本当の女だったらよかった。いやせめて、心だけでも女の子だったらどんなによかったかと思うことはあるよ。でもそんなことで悩む時期はもう、とうに過ぎちまった」
開き直ってニューハーフ・ライターにでもなったら知名度上がるかな。ヤケ気味に冬馬が吐き捨てる。
「何も解決なんてしてないじゃない。まだまだ冬馬くんの心の中では葛藤があるんでしょう?」
葛藤だなんて、そんな簡単な言葉で片付けて欲しくないね。冬馬は必死にその言葉を飲み込んだ。
「だから身体症状に出る。発作が起きる。クスリを飲みたくなる。辛いのは変わらない」
静かな沙織の声に、君はカウンセラーの資格も持ってるの?と半分イヤミで返す。仕事しながら大学院に行くほどの暇はないわよ。講座は取ってるけどね。含み笑いでかわされる。
「EXエージェンシーにもう一度乗り込んでいくんだ。こっちにはもう面の割れてない女の子はいないし、他の生徒をこれ以上巻き込むわけにもいかない。かなりきわどい証拠ビデオだって撮らなきゃならないからね。だったら僕がやるしかないだろう?」
だからわたくしがやるって言ったのに。今度は沙織がふくれた。全員一致で却下されたものだから根に持ってやがる。
「だって沙織先生がやったらただのコスプレ…、わああ!ちゃんと前見て運転してよ!」
よほど腹立たしかったのか、沙織がアクセルを踏み込んだ。レブカウンターが急激に上がる。
「僕のは治る病気でもないし、別に命に別状があるわけでもない。個性の一つと考えましょう。何度も医者からそう言われたんだ。だから、それでいいよ」
赤信号で急停止したランエボの中で、それだけを口にすると冬馬は黙りこくった。
もう沙織も何も言わなかった。作戦の手順はさんざん確認してある。
僕は平気だ。僕さえ我慢すれば。それに少しでもこの「個性」が役に立つのなら。
車は、冬馬が調べ上げた新しいEXエージェンシーの事務所に向かってひた走った。
(つづく)
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