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#1

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冬馬はいつものアメコミTシャツを無理やり無地のカッターシャツに替え、ちょっと見、くだけた感じのサラリーマンに見えるように努力した。へたすりゃ就活中の大学生だ、こりゃ。今日は何と言っても現役本物の女子高生に会うのだから、少しぐらい期待したって悪くはあるまい。


白瀬冬馬がこの街で一人暮らしを始め、ライター稼業を始めてからもう五年くらいになる。大学を卒業後、郷里には帰らないと意地を張り、何とかこの地にしがみついてきた。それもそろそろ限界になるのか、それとも。考え始めるととことん墜ちてゆくだけだ、と、冬馬は無理に思考を明るく変えようとした。

限界なんか、とっくに来ている。自嘲気味なイヤな笑い。自分の中のもう一人をあわてて打ち消す。

背が低く童顔で、格好が格好なら十代に見えなくもない。そんな自分のあざとい若ささえ本当はキライだった。



待ち合わせのにぎやかな駅前。目印は手に持ったギャル雑誌。果たして無事に彼女に会えるのか、ふと不安がよぎる。

しかし、それは全くの杞憂だった。冬馬の携帯が鳴ると同時に、ドピンクのデコケータイを振りかざした女の子が駆けよってきたのだ。


「白瀬冬馬さんですか?あゆみです!良かった逢えて」


にっこり笑う彼女は、ギャル雑誌にもデコケータイにも全く似合わない、清楚な高校生だった。女子とつけるニュアンスさえも違和感がある。とても真面目そうな一途な瞳が冬馬をじっと見つめた。

どこかに入りましょう、とにっこり微笑むと彼女は冬馬の腕を取り、どんどん歩いていった。何だか形勢は全く逆なような気がしてならなかったが、冬馬のキャラを考えると無理もないのかも知れない。


どこへ行ってもいじられキャラか。いいさそれでも。



大手カラオケ会社が主催するオーディションに合格すると、歌手デビューができる。そういうふれこみの大会があることは冬馬も聞いたことがあった。

その手の女の子を取材し、記事にする。それが今回の冬馬の仕事だった。

いつものすき間記事ではなくけっこうまとまった分量の署名つき。彼がそれに飛びついたのは言うまでもない。

取材協力者をリサーチャーに頼むだけの余裕が冬馬にあるはずがない。

彼はあちこちのサイト、ブログをたどりまくってコメントをつけまくり、何とか取材対象を探し出そうと必死になった。


そんなとき、唯一返信を寄越してきたのがあゆみ、末嗣あゆみだった。



「あ、あの、末嗣さん?どこかへってどこ?」


少なくとも彼女と十近くは離れているぞ、その辺の警官に下手に職質されたら淫行条例でしょっ引かれかねない。冬馬は腰が引けた状態でおずおずと彼女に問うたが、あゆみの耳には入らなかったらしい。

彼が連れて行かれたのは大きなコーヒーチェーン店だった。

そりゃそうだよな。どこかほっとして、遠慮する彼女の分まで何とか支払いを済ませると、二人は二階席の端っこに陣取った。


今日はこの僕がゆっくり話を聞いてやる。いつも邪魔する愁も、冷静すぎるほど冷静な目でシニカルに微笑む新之介もここにはいない。


「どうして僕のコメントに返事を書こうと思ったの?」


取材対象にまず聞くことではないだろうが、これはもう冬馬の習性だった。

自分を受け入れてくれる人がいるとはいつも思えない。どこかはすに構えてしまうところが彼にはあった。

しかしあゆみは、背の高いグラスにたくさん入れられたアイスに悪戦苦闘しながら、目だけを冬馬に向けてにっこりした。


「冬馬さんって、その雑誌にいつもコラム書いてらっしゃるでしょう?」


「えっ!?」


あわてて冬馬は自分が持ってきた『ジュリアン』というギャル雑誌を持ち上げた。

彼女の方から指定して来た本だ。確かにブックレビューの端っこに好き勝手なことを毎号書かせてもらってはいる。

文末には署名と言うほどではなく、冬馬としか書いていなかった。

彼女がそれと自分を結びつけていたとは思わなかった。かなり賢しい子、そんな印象を彼女に持った。


そのギャル雑誌に書いていたコラムは本当に埋め草記事で、マス研の先輩が「おまえなんか書け」と、わざわざ冬馬に振ってくれた仕事だった。

最近はやっている映画とかドラマとか、精一杯今の娘たちに媚びて書いていたつもりだったが、自分自身、誰がこんなものを読むだろうかと不安には思っていた。

かわいい服とアクセサリー、靴、カバン、化粧の仕方。そんなカタログ雑誌のほんの片隅。でもちゃんとこうやって目の前に、読者はいたのだ。冬馬はほんの少しドギマギした。


「私、これ読むの大好きなんですよ。けっこう冬馬さんと映画とか本の趣味とか合うなって」


「そんな、僕はこれはわりと適当に……」


「冬馬さんて、心理学とかに詳しくありません?社会病理とか精神医学とか。私そういうものにすっごく興味があるんです」


何だかほめられて面はゆかったが、これじゃどう考えても立場が逆だ。今日は僕が彼女を取材して歌手になりたいその思いを訊き出さなくちゃならない。


軽く話を振ると、彼女、あゆみはあっさりこう言った。


「ああ、自己実現の夢のためですよ」


「はあ?じ、自己実…現?」


冬馬は目を見開いて、目の前のあゆみをまじまじと見つめた。思わず飲みかけのシェイクを吹き出しそうになる。本当に目の前にいるこの子は僕よりずっと年下の女子高生なのか?


「自分はもっともっと世の中に出て、自分を精一杯表現したいんですよね。だから手っ取り早く歌手とかになって、そこからいろいろ手を広げてやってみたいっていうか」


話し続けるあゆみの瞳がキラキラ輝く。反対に冬馬は押し黙ってしまった。

ICレコーダーは回してある。だからあとで原稿に起こすことはできるはずだ。だが冬馬は彼女が生き生きと話せば話すほど、だんだんと気持ちが重くなっていった。


自己実現。


表現するだけの自己が、果たして自分にあるのだろうか。つい自分の思考に入り込みそうになった冬馬に聞き覚えのあるだみ声が聞こえてきた。



「素敵な夢だね、それ。で、何て事務所と契約するの?」


冬馬はあわてて振り向いた。濃紺の甚平に雪駄、短髪でがっしりとした体格。くわえタバコの煙を今日は横に吐き出すと、そいつは精一杯にっこりと笑ってそう言った。


冬馬はたじろいだ。なんで!なんで愁がこんなところにいるんだ?


あゆみの目が思わず大きく見開く。しかしその後ろから、背の高い華奢な新之介が顔を出すと、なぜだか彼女は頬を赤らめた。

色白に涼やかな切れ長の目。黒く短く刈った髪が爽やかさを助長している彼に、憧れる婦女子は多い。

特に京成大学病院の看護師の中では、彼の評判はぴかいちだ。


「僕の仕事まで邪魔するなよ!」


興奮する冬馬に、愁はわざと煙を吐きかけた。年かさのくせにタバコが苦手な冬馬は思わず咳き込む。ほとんど涙目で、それでもきっ、と愁をにらみつけた。


「ごめんなさい、冬馬さん。お邪魔するつもりはなかったのですが、たまたま通りかかってしまって」


「おめえがあまりに真面目な顔して仕事してるもんだからさ、ちょっくらお手伝いでもしてやろうかなっと」


冷静な新之介の声にかぶせるように、愁がちゃちゃを入れる。

言い返してやろうと思っても、冬馬にはこいつらに勝てるボキャブラリーは持ち得ていない。愁と新之介の屁理屈ごり押し、超勝手なほとんど言いがかりとも言える論理的反論には、いくらフリーライターの冬馬でもかなうはずがなかった。


それだけ弁が立てば新興宗教の教祖にもなれるよ、いつかくやしまぎれにそう言い返したのに、新之介などはまんざらでもなさそうな顔で涼やかに微笑みやがった。いいですね、それ、と。じゃあおれが広報担当な?愁までもが調子に乗って、冬馬はぐうの音も出やしなかった。


こいつらと来たら、全く。


「あ、あのEXエージェンシーです」


さっきまでとはあきらかに違ううわずった甘い声で、あゆみは新之介にそう返した。その言葉に何故か彼と愁は目を見合わせ、意味ありげにうなずいた。

もう契約はしたの?新之介のささやき声にあゆみは首を振った。


「まだマネージャーさんとメールのやりとりをしただけで。でも、来週には社長さんに会って、レコーディングとかポスター撮りとか、そういうことを決めるって」


「おれたちもさ、その手の業界には知り合いも多いんだ。社長に会うときには連絡頂戴よ、協力してあげるからさ」


いつもとは打って変わって愛想良く愁がそうあゆみに声をかけた。


彼女は力強く頷くと自らに言い聞かせるようにきっぱりと言った。


「やっぱり行動することって大事ですよね!自分から行動するからこうやって出会いも拡がっていくんですよね、ね?冬馬さん!」


あまりにポシティブな言葉に、冬馬は頷き返すのがやっとだった。






「どういうことなんだよ!!何でおまえらがあそこに現れて、僕の仕事の邪魔しなきゃならないんだよ!!」


あゆみが帰ったそのあとのコーヒー店で、冬馬は声にならない声を上げた。こんなところででかい声は出せない。しかし、顔だけを見れば彼なりにかなり怒っているつもりらしかった。


「これは僕の仕事だ!!おまえらには何の関係もないだろ?」


「でもさ、おれたちが助け船出さなきゃ、てめえはあのまま話進められなかったんじゃねねえの?」


にやにや笑いながらそう言う愁の顔までが憎らしい。それに反して新之介はちょっと深刻そうな表情でこう告げた。


「冬馬さんには悪いんですが、それとあんなに張り切っている彼女にも申し訳ないんでしょうが、余りよい評判は聞かないんですよ」


「えっ?何が?」


思わず素直にそう聞き返した冬馬に、玉露代わりの抹茶シェイクをすすりながら新之介は言った。


「EXエージェンシー、ですよ」


何でそんなことを新之介が知っているのか、冬馬の頭の中が混乱した。もとより彼らが普段何をしていてどんな生活を送っているか何て知りようも、知りたいとも思っちゃいなかった。

二週にいっぺん「フェリス」で会って馬鹿話をする。冬馬はそれで十分だと思っていた。いや、思い込もうとしていた。


しかし、EXエージェンシーのことよりもっと気になることがもう一つ彼の頭を支配していた。


「あ、あのさ。愁と新ちゃんて、普段もそうやって一緒に会ったりするんだ?」


冬馬の言葉に、二人はちょっとだけ顔を見合わせて唇を持ち上げた。それが薄笑いに見えて、冬馬の心がほんの少しだけちくりと痛んだ。


(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2011  keikitagawa All Rights Reserved

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