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#17

#17


「そんな、だって歳が合わないじゃないです…か」


「彼ね、高卒で入ったのにあまりにできがいいからって大抜擢受けた逸材と言われて。それ以上は本人に訊いて」


この僕が訊けるはずない!叫びたかったのに沙織のあまりの辛そうな表情に、冬馬は何も言えなかった。


「今度会うまでの宿題ね」


もう二度と会えない。愁にも新之介にも。フェリスには行けない。彼らの過去を知った今、どんな顔をして会えというんだ。


「誰にだって人に言えない過去も秘密も持っている。冬馬くんだけじゃない。苦しんでいるのも辛いのもあなただけじゃないのよ」


「……聞き飽きました、そのセリフは」


珍しく棘のある冬馬の言葉。文字通り何度言われたことだろう。君だけじゃない、おれだって辛いことを乗り越えて今があるんだ。中学の担任も高校の学年主任も、そうやって僕を説教し続けた。

体育教師はもっと酷かった。おまえは自分だけがそうやって可哀想だとか特別だとか思っているだろう、と。甘ったれるんじゃない。もっと大変な苦労をしている人はいくらだっているんだぞ!その人たちはみんな、前を向いて努力しているじゃないか。おまえのは甘えだ!根性が足りないんだよ!病気を言い訳に使うな。俺が、俺たちがおまえに腹を立ててるとしたらそこだ。おまえは何もかも病気だと言って何もしようとしない。そんな逃げの人生でこれから一生過ごすつもりか!!


『みんな辛いんだ』だから何だ。辛いのは…僕だ。苦しんでいるのは僕自身だ。あんたじゃない。誰にもわかってもらえなかった思い。


じゃあおまえは、千人に一人と言われる生まれついての病気にかかり、意味もなく周りから弾かれて、将来を考えることさえあきらめざるを得ない思いをしたことがあるのか。そりゃ、病気だって前向きに生きている人は大勢いる。この病気だから何もかもあきらめている人ばかりじゃない。それはわかっているさ。でも僕にはできない、できないんだ!!



「もう、あの二人には会いません。麻美子ちゃんだってこうやって助け出せたんだし、もう必要もないし」


「どうしてあきらめちゃうのよ!!あの二人があんな表情で笑ってるなんて、あれから初めて見たのよ!!あの二人の心を開かせられるのは、冬馬くんじゃなきゃダメなの!」


「じゃあ、沙織先生がやればいいでしょう!!」


ヤケになって冬馬は吐き捨てるように言った。僕は愁とも新とも仲間なんかじゃなかった。僕一人またいつものように…。

やばい!沙織にどうせ百倍になって言い返される、言ってしまってから冬馬は激しく後悔した。目をつぶって身構える。しかし、流れるのは沈黙の時間だけ。


そうっと目を開けてみると、沙織のきらびやかなアイラインに縁取られた瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

冬馬の目の前に、その美しい光が輝いて見える。

弱ったなあどうしよう。こういうシチュエーション慣れてないし、キャラでもないんだけどな。

それでも冬馬は、両手で彼女の頬をそっと包み込むと、つややかに光る唇に優しく触れた。泣いている女性を放っておけるほど、ガキじゃない。それは時に残酷なほどの冬馬の優しさ。

いい香り。女の人の唇はこんなに柔らかかったっけ。触れるだけのつもりだった冬馬は思わず髪の後ろに回した手のひらを引き寄せて、ルージュをなぞる。

手で押し返そうとする沙織をさらに抱きしめようとしたが、ふと身体を離した。


「……ごめんなさい。落ち着きましたか?」


沙織は巻いた豊かな髪をかき上げると、ふっと笑った。


「そうね、新之介くんよりは下手かもね」


はいーっ?がくっと落ち込む冬馬に沙織はころころと笑い声を上げて、バカねうそよと笑顔を見せた。


「冬馬くんの方がずっと優しくて上手。とても甘くてとろけそうで…」


潤んだ瞳で見つめる沙織に、やり過ぎたかなという思いと下心が交差してもう一度冬馬が手を差し出す。

ふと、何かの気配を感じる。それはとても何だかイヤーな……。

女子高生二人は目をぱっちり開けて、助手席と運転席にいる彼らを見つめていた。


「コンタクトがずれちゃって、アハハ…」


「あ、あのね。そのあの、さあ帰ろ!」


冬馬が四点式シートベルトに手間取っている間も待たずに、沙織はランエボを急発進させた。




「それにね!!」


急に大声で沙織が叫ぶ。それは冬馬にというよりも他の三人すべてに向けてなのだろう。


「この話はまだ終わっちゃいないわ。放って置いていいの?」


放って置いてって、何をですか?あゆみも叫ぶ。叫ばないとこの車の中では会話ができないから。もう少ししたらいい舗装路に出るだろう。それまでの辛抱。


「もちろん、EXエージェンシーよ!!やられっぱなしでいいの?」


その場の三人は、深く考え込んだ。





麻美子の養父母は学校へ怒鳴り込み、それでもらちがあかないと見ると市役所に抗議に行ったらしい。何しろ唯一の金づるがいなくなってしまっては一大事だろう。

しかし、すでに児童相談所経由で浅倉の家に置くよりも安全であろうということで、とりあえずは沙織の部屋での共同生活が始まった。

冬馬にとっては、というは三人ともそっちの方がずっと心配なのではという思いがぬぐいきれなかったが…。



「さてこれからどうするんだ?作戦本部長」


「そうだなあ、まず大手カラオケ店に行って…」


意気揚々と話し出した冬馬を、またも雪駄で思いきり頭を叩いた愁は、バカかおまえはとしっかり罵倒しやがった。


「何で冬バカが作戦本部長なんだよ。こういう陰険かつ底意地の悪い作戦の計画は、新之介と相場が決まってるだろうが」


頭を叩くなと言ってるだろうが!!冬馬が涙目で訴える。

結局行かないなんて言っておきながら、三人は当たり前のようにフェリスにいるのだった。


「でも僕も冬馬さんのおっしゃることには一理あると思いますよ。何らかの被害を受けているのなら資料も情報も掴んでいることでしょうし、提携先と記載されているダイナモミュージックに当たってみるのもいいですね」


にこりともせず、定番の玉露をすする新之介は、フェリスで見るいつもの新だった。

あの夜は何だったんだろう。

高次脳機能障害。

冬馬は言葉は知ってはいたけれど、あえて調べようとは思わなかった。必要なら新之介は自分から話すだろうし、関係ないのならあえて訊くことなんてない。そして僕が彼から相談を受ける確率なんて、ほぼ無いに等しいのだろうから。


…どうしてあきらめちゃうのよ!!あの二人があんな表情で笑ってるなんて、あれから初めて見たのよ!!あの二人の心を開かせられるのは、冬馬くんじゃなきゃダメなの!…


沙織の叫んだ言葉。僕には荷が重い。そう、僕は誰の心にも踏み込まない。それでいいじゃないか。

愁が「こういうときに黙り込むからてめえは空気読めねえって言われるんだよ」とぶつくさ言っている。おれがいじめてるみてえじゃねえか、って。


「おや、いじめて喜ばれているのではなかったのですか。それは初めて気がつきました。僕はてっきり愁さんがどえすで冬馬さんがどえむの…」


うわあ!!冬馬は叫び声を上げた。頼むから新之介までそんな言葉を覚えて使うなよ!


「と、とりあえずその会社に行ってみようよ。EXの情報をとにかく集めないことには」


冬馬はこれ以上新之介が何を言い出すか怖くなって、急いで席を立とうとする。


「あっとわりい、これからおれたち用事があるんだ。ダイナモには実行部隊長、君が行ってくれたまえ」


二人は気づかれないようにそっと目を合わせた。冬馬はわざと下を向いて携帯をいじっているフリをした。


「はいはい、暇な零細著述業者が行きますよ。ついでに取材もしてどっかの雑誌に売りつけてきますよ」


「働きもんじゃん、さすがだね」


貧乏人は働かないと食えませんから。冬馬はその言葉を飲み込んだ。僕さえ気づかないふりをしていればこの関係は壊れない。二週にいっぺんのフェリス。深く入り込まないバカ話。それで僕が満足していれば、いつまで続く友達。


沙織の言葉が冬馬には重かった。教えてなんて欲しくなかった。誰がどんな関係で何の悩みを抱えていて、苦しんでいるかなんてこと。

軽く軽く、表面だけのつきあい。飲み込んだ水さえ苦く感じて、冬馬は後ろも見ずに店をあとにした。





「EXさんにはねえ、手を焼いてたんですよ」


自分をアピールする為に冬馬は、大手出版社の担当者の名刺と一緒に自分のも差し出す。

あたかもいつもそこから仕事をもらっているかのように。本当は二、三回くらいしか付き合いはなかったのだけれど。しかし人の良い担当者は、わざわざ時間を割いて冬馬にいろいろと話してくれた。


「ご存じだったんですか?オーディションをやっているということ自体は」


「ええ、話はありました。でも結局はどの子にも合格を出して金を巻き上げ、ちょっと見かわいい子には他の業者を斡旋させるという、違法すれすれというかもう違法行為ですよね、それをやっていると聞いて。うちもそろそろ話をしなきゃねとは言っていたところだったんです」


今、何処にいるかなどの情報は教えていただけませんか。冬馬の問いには少々渋い顔をした。いやあ、いくら大手のマスコミさんでもそこまでは、と。


「でも、評判になっていた子がいたでしょう」


冬馬はわざと麻美子の方に話を持っていった。うまく食いついてくれないかと思ったのだ。


「よくご存じですね。さすが情報関係のライターさんは違う」


いやあそこまでは、面はゆくて頭をかくがそんな場合ではないと冬馬は気を引き締めた。


「もし、彼女の情報を少しでもお知らせしたら、EXエージェンシーのことを…」


「掴んでらっしゃるのですか?」


佐久間と名乗った担当者のあまりの反応ぶりに、逆に冬馬は面食らった。

彼曰く、ダイナモミュージック名義になっているだけに、各方面から彼女についての問い合わせが多くて参っているのだという。


「そんなに評判がいいんですか」


「お聴きになったことがおありですか?」


ええ目の前で、と言いたいところをぐっとこらえて冬馬は首を振った。

佐久間は機材を取り出し、さっと再生して見せた。透明な麻美子の歌声が響く。


「確かに訓練されていない素人の声です。でも天性の何かが彼女にはある。そう思いませんか?いえね私なんかこの業界と言っても玄人じゃないし、詳しいことは言えませんが、この子は売れますよ。とてもEXさんなんかで終わらせちゃもったいない」


名前だけでも掴めればという佐久間に、あてがありますからと交換条件を出した。

名前どころか、麻美子は東峰学園に通い、夜はあの沙織と一緒に住んでいるのだ。

まんまとEXの日浦と片山の住所氏名、それと会社の詳しい情報を手にして、意気揚々と自室に帰ってきた冬馬は、これを誰にまず知らせようかと携帯を取りだした。

そのとき、不意に思い出した昼間の言葉。


…これからおれたち、用事が…


そうだ、あいつらには今、連絡しても迷惑なだけだろう。だいたいなぜ三人でやる必要があるんだ。僕は一人、いつも一人。彼らと知り合ったのはただの偶然。じゃあ、沙織先生に伝えるのが一番か。

沙織?何でそこで沙織先生が出てくるんだ。もともと麻美子を追いかけたのは僕だ。


心の奥に何か冷たいものがすうっと通ってゆくのを感じる。イヤな予感。

冬馬は自分に必死に言い聞かせる。ここは自分の部屋だ。誰もいない。そう、誰も。

僕を傷つけるヤツなど誰もいないんだ。僕は一人、たった一…人。

目をつぶる。息が乱れ始める。呼吸法を思い出せ。なんてことない。クスリ投入か。

冬馬の思考が混乱し、思わず床に寝転がる。

怪しい手つきでいつものようにソラナックスを一錠。これ以上は飲まないと約束したんだ。園山先生と。


だから人と深く関わるのはいやなんだ。ライターなんて毎日違う人と会えばいい。取材相手の顔なんて二度と見ることはない。そういう生活が僕には合っている。

愁と新之介の表情が浮かぶ。彼らの苦しみを無意識に考えてしまう。僕とは関係ないのに。


冬馬の身体が少しずつ震え始める。来るな、来るな。発作なんて来るんじゃねえ!

思わず引き寄せた携帯で、なぜか冬馬は沙織の登録番号を押していた。


(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2011  keikitagawa All Rights Reserved

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