#13
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そこには一人の男が、横になりながら競馬新聞を眺めていた。そばには日本酒のびん。周りを小さな子どもたちが走り回る。そんなに幼い子の父親という歳には見えないが。
「何だ、てめえたちゃ」
ふりむきざまに低い声で唸る。顔が赤い。これが麻美子の…父親?
「あ、あの白瀬と申します。浅倉麻美子さんのことで」
麻美子ならいねえよ。一言でばっさりと切られる。
「わたくし東條学園養護教諭の真鍋と…」
学校のことならかあちゃんに言ってくれ。パチンコに行っててそのうち帰ってくんだろ。さすがの真鍋でもとりつく島もなかった。
小太りの身体にその辺の量販店で売っているようなシャツ。こんなことを言ってはいけないのだろうが東條学園のイメージとはほど遠い。そして、話しを聞く限りの麻美子とも。
赤ら顔にごま塩の無精ひげは、勢揃いした麻美子捜索隊をうさんくさそうに見回した。
「おやっさんよ、娘さんの居場所教えてもらえないかなあ」
てめえたちゃ何か?借金取りか?それともこないだ来た事務所の連中の仲間か?
その言葉に、みなは顔を見合わせた。愁でさえダメか。
「娘さんが二週間も学校を休んでいらっしゃることはご存じなんですか?」
新之介はこんなときでさえ優雅な口調をくずさなかった。きちんと正座して親父に向き直る。思わずつられて相手も居住まいを正した。
「休むも何も、あいつが学校行ってるかどうかなんて知らねえからな」
「どういうことですか」
新の声はあくまでも静かだった。それが親父を素直にさせていたのか。
「自分の娘でもねえのにここに住まわせてやってんだ。感謝してもらいてえな」
ではどうしてここへ麻美子さんが?新の声は続く。
「かあちゃんの前の亭主の連れ子だよ。おれには何の関係もねえのによ。飯は食わせる、寝るとこはある、これ以上何がいるってんだ。贅沢抜かすにも程があるよなあ」
「金になるからって、あんたが強引に引き取ったんじゃないか。あたしはこれ以上無理だって言ったのに」
いつのまに帰ってきたのか、玄関とおぼしき土間の辺りで声がする。これが麻美子の母親か。だらけたTシャツにゴムの入ったスパッツ。手にはビニール袋。
その姿に一番絶句していたのがあゆみだった。信じらんないと聞こえないようにつぶやく。
「お母様、少し外でお話しなさいませんか」
さすがにこういう場面に慣れているのかどうか、真鍋がそっと母親を促す。
冬馬たちは少し離れた場所で子どもたちが遊ぶのを眺めていた。
見てよかったんだろうか。彼女の育った家や環境を。あゆみはともかく冬馬たちのような関係のないものまでが。
重苦しい空気が流れる。
東條学園は私立のお嬢さま学校だけあって学費も半端じゃない。送り迎えに国産車なんか見ないと言われ、バザーの品に何を出すかで噂が広まると言われるほどだ。
そんな中で麻美子はどんな思いで過ごしてきたのだろう。中等部そして高等部の六年間を。
ゆっくりと時間が過ぎてゆく。誰もが無言だった。川べりの町並みは見たこともないけれど懐かしさという言葉がぴったりで、ちょっと前に流行った映画を思い起こさせた。
ピンヒールの革に傷がつくのも気にせず、真鍋がこちらへと帰ってきた。彼女にしたら珍しく憂い気味の表情。それがなぜか冬馬の心を切なくさせた。こんな気持ちはもう持ってはいけないのに。わかっているのに。
麻美子の母親は殊勝な顔つきで家へと入ってゆく。真鍋は近くにいた少女に話しかける。
「麻美子お姉ちゃん、優しい?」
穏やかな笑顔。それに、うん!とはつらつに答える子ども。どんなにいつも一緒に遊んでくれるかを身振り手振りで一生懸命伝えようとしてくれる。微笑ましい光景。
真鍋はうんと伸びをすると、さあ捜しましょ!とみなにハッパをかけた。
「えっ!?こ、これから?」
「あの家には誰も今の麻美子ちゃんに関心を持つ人がいないみたいよ」
どうして?誰もが抱く疑問。母親の前の旦那の連れ子、全く血がつながってないってことか。
「どうやらね、曰くありげの名家だったみたいで金は出すから麻美子ちゃんの存在を隠して欲しかったらしいのよ。それでも、本当の父親だけはせめて私立の女子校に入れたかったらしくて」
麻美子がいることで金が入ってくる。入学金に支度金、学費に生活費。おそらく相当の額を入れているはずだ。もちろんそれを麻美子に使うはずがないだろうに。そういうことだったのか。
じゃあなぜ彼女は家を出たんだ?消えた歌声は?
「お金を持っているとは思えないし、交通機関を使って遠くに行くとも考えにくい。いてもこの辺りだと思うんだけど」
真鍋はそう話した。
「二週間も?」
「マン喫、ネカフェ、ファミレス、ファストフード。いようと思えばいつまでもいられる」
愁が冷静に答える。そりゃそうだけど、そんな薄幸の美少女、目立ちすぎるよ。もう冬馬の頭の中にはそういうイメージがすっかりできあがっている。
「いるなら、二十四時間のカラボじゃない?」
あゆみが口を挟む。
「何それ、カラボ?」
「カラオケボックスだろうが。それくらい判れよ」
珍しく冬馬が勝ち誇ったように愁へ講釈をたれると、逆ギレされてまた雪駄で頭をぶったたかれた。ちっきしょう、何でだよ!
冬馬は慌てて自分のネットブックを取材バッグから取り出した。携帯でちまちま検索するよりは速いだろう。一番速いのはカーナビだが、新之介の美意識からしてあんな高級車につけているとは思えない。
歩いていける範囲をとにかく画面上に映し出す。思ったより多い。それを新之介がパッパと振り分けてゆく。こいつはどうしてこういった場面になると、人に有無を言わせない迫力があるんだろう。
誰も文句を言わずに、携帯の番号も確認し合い、大捜索は始まった。
もちろん彼女がカラオケボックスにいるなんて、何の確証もない。交通費だって持っていて、この辺にいるかどうかも判らない。だけど行動しなきゃ何も始まらないんだ。
冬馬たちは陽が落ちるまではとにかく必死に捜してみようと、それぞれの分担に向かって走り出した。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009-2011 keikitagawa All Rights Reserved