#11
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心配だから部屋まで送るという二人を振り切って、冬馬は自分の安マンションの前で下ろしてもらった。派手ではないがボルボのS80にお抱え運転手。こんな超高級車、庶民がおいそれと買えるもんじゃない。こいつら一体。
それに…元婚約者。
新之介は冬馬より五つは下のはずだからまだ二十二だろ?なんで婚約?元ってどういうこと?
考えれば考えるほどわからなくなった。
知りたいなんて思ってなかった。僕たちはみんな園山先生の患者で、たまたま同じ病室に入院していた仲間で、それ以来気があってフェリスで会うようになっただけなのに。
無職でぶらぶらしてんだ、といつも言っていた愁。家で養ってもらってる立派なニートです、と言い切ってた新之介。通院しながらも、きちんと自立している冬馬さんは偉いと思っています。そんな言葉をよくかけてくれた新。
何だよ結局、あいつらにとって働く必要なんてもともとなかったんじゃないか。
進学率の高い方ではない男子高から必死になって逃げ出すように、都内の大学に進んだ。それも途中で燃え尽きたように行けなくなった。仕事こそ回してもらえるようになったけど、こんな生活いつまでできるかわからない。不安を抱えての毎日。冬馬の気持ちなんてあいつらにはわかりっこない。
不意にわき上がる寂しさに、冬馬はひざを抱えた。一番年上のくせして何やってんだ、おれ。友人は別にあの二人だけって訳でもないだろ?
でも、わかり合える同志だと思っていた。辛い症状にも必死に耐え、お互いを励まし合いながら過ごしてきたからこそ、何かがつながっていると思っていた。
だけどそれは冬馬一人の思いこみに過ぎなかったのか。
どんどん気持ちが底に沈んでゆく。放っておけばまた、冬馬はいつもの作業をくり返すだろう。ストックしてあるたくさんの抗不安剤。アルコールと一緒に摂取すればどれだけ危険かわからない睡眠導入剤。手を伸ばすのも時間の問題。
そのとき、マナーモードにし忘れていた冬馬の携帯がけたたましく鳴り響いた。
慌ててポケットから取り出して出てみると、聞こえてきたのはハイテンションなあゆみの声だった。
「冬馬さんですかあ?もし暇してたらカラオケ行きません?」
「はあ?」
「例のオーディションに行った子たちと、これから歌いに行こって盛り上がっちゃって。せっかくなら冬馬さんも呼び出そうってことになって」
あ、あの僕はカラオケは……。そんなに得意じゃない冬馬は腰が引けておずおずと答えた。
「女子高生ですよ?制服ですよ?チェックのミニスカが五人ですけど、断ってもいいんですか?」
ミニスカ、チェック。確かあの中にはセルフレームのかわいいメガネの女の子もいたはずだよな。誰もいないことをいいことに、思わず冬馬は生唾を飲み込んだ。
あゆみはさらに声をひそめて、なぞめいた言葉をささやいた。
「それにちょっと聴いて欲しいっていうか、冬馬さんに客観的に見てもらいたいことがあるんです」
「?」
頭の中に疑問符をたくさん詰め込んだまま、冬馬は呼び出されたカラオケ屋に向かった。昼間のフリータイムとあって、学生たちが制服のままそりゃもう、盛り上がっている。
歌で盛り上がるならいいさ。スプリングの壊れたソファに飛び乗ってジャンプして怒鳴り合っている。楽しいのか?楽しいんだろうな。こういうとき、冬馬はいやがおうにも自分の歳を自覚させられる。
「冬馬さーん!!」
それでも、あゆみの甘い声に呼ばれると悪い気はしない。童顔でちょっと見、かわいい系の冬馬は、女子高生にしたら親しみやすいのだろう。
「やーん、やっぱりぃ冬馬さんってぇ、かわいくない?」
「やばまじかわいいよねぇ」
「もう美貴ちゃんたら、やばまじとか古い言葉使うの好きだよねえ~」
何がおかしいのか、あゆみを入れて六人の女子高生は冬馬の顔を見るだけでずっと笑い続けていた。
「ほらもう、時間もったいないから早く部屋入ろうよ!」
こういうとき、やはり仕切るのは末嗣あゆみだった。思い思いのグラスに飲み物を入れると、中くらいの部屋に入ってゆく。
ミニスカ六人に男一人ですか。こんなおいしい思いしても、罰は当たりませんよね。
そりゃ冬馬だって年頃というか、もう十分いつ何してもおかしくない年齢なんだから、このシチュエーションが嬉しくない訳がない。まあこれで万が一手を出そうものなら、僕は警察行きだろうけどね。冬馬は複雑な思いを抱え、ドアを押さえてみんなを入れてあげていた。
「何歌う?」
「やっぱ最初は冬馬さんでしょ」
え?僕?いやあの僕はそんなに得意じゃないし、みんなの方は歌手志望だし……。そんな言い訳は全く聞いてもらえず、冬馬は狭いステージに押し出された。勝手に曲まで入れられてしまう。
「猫先輩歌ってね!振り付けもねーー!」
ね、猫先輩?あのにゃーにゃにゃにゃにゃにゃってずっと歌ってるヤツ?部屋の中は手拍子ですっかり大盛り上がりだ。できないなんて今さら引っ込みもつかない。
こうなりゃ、やけだ!冬馬は聞きっかじりとテレビで微かに見た記憶を引っ張り出して、もうそりゃでたらめに猫先輩を歌い上げた。女子高生はそれをげらげら笑いながら、苦しげにしている。
「もうやだー!!冬馬さんおかしすぎーー」
と、とりあえず第一段階はクリアー?ほっとして椅子に座ると、もう誰も冬馬になど目もくれず、ひたすら大画面のリモコンの争奪戦が始まっていた。
冬馬だってこんな仕事をしているのだ。最深のヒットチャートくらい知らなくては話にならない。それにしても女子高生の情報網ってのはどうしてこんなに早いんだろうな。一般メディアに載ってもいないような曲までもう歌い上げている。
ただ、聴いているうちにとてつもなく違和感を覚えた。あゆみの方をそっと見る。彼女は「でしょ?」とでも言いたげに意味深な視線を返してきた。
やっと解放されてカラオケ屋を出られたのはフリータイムが終わる六時間後だった。冬馬にとって、本当はあんな狭い空間で大音量なんて一番危険な場所なのに、必死に「仕事仕事」と唱え続けていたのだ。それに他には一曲も歌わずに済んだ、というより歌わせてもらえなかった。みんなよく体力が持つよなあ。
方向が同じだからと理由をつけて、ようやくあゆみと二人きりになる。さっそく彼女は冬馬の方を向いた。
「どう思いました?彼女たちの歌」
冬馬はちょっとためらいつつも正直に答えた。悪いけど歌手になろうというレベルというよりもネットに載せるのさえためらうよね。
「そう思うでしょ?実は私もずっとそう思ってたんです。もちろん本人には言いませんよ。だからやっぱりあのEXエージェンシーはいい加減な事務所なんだって確信したんです。でもゆうべ、こんな曲が配信されてきて…」
あゆみがためらいながら自分の携帯を差し出す。冬馬がイヤホンを耳にしてみると、そこからは透明感ある歌声が流れてきた。知らない曲。オリジナルか。
「これは?」
「そのEXエージェンシーからの配信なんです。こんなの初めてで。それにこの声、きっと……」
あゆみは言いよどんだ。
まさか、この声が。きっと顔を上げるとあゆみは冬馬に向かってきっぱりと言った。
「これ、麻美子の声です。あの子が歌ってるんです。いい加減なサイトの適当な音じゃなくて、ちゃんとした楽曲として彼女が歌ってる、そんな気がするんです」
あゆみは複雑そうな表情で唇を噛んだ。
冬馬はその完成度の高さにまず驚き、その声を麻美子だと言い切る彼女にも驚いた。そしてEXエージェンシーは、何をしようとしているんだろう。
この曲を不正にではあるがコピーさせてもらって、よく聴いてみようと冬馬は思った。そして、まだ見ぬ浅倉麻美子になぜか思いをはせた。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009-2011 keikitagawa All Rights Reserved