#イントロダクション
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「冬馬!冬馬!返事くらいしろ、この冬バカ!」
「うるせえ!人が必死こいて原稿の追い込みにかかってるときに声かけんな!」
適度なざわめきがいいBGMとなっていた喫茶室の店内に、あざけり声と必死な叫びが交差した。冬バカと名指しされた男は、鉛筆を振り回すと相手に向かって文句を言い始めた。
「言っただろ?あと一時間で締め切りなんだって。この原稿落としてみろ、また僕の唯一のツテがだな……」
「バーカ、だったらここに来る前にさっさとやっちまえばいいだろうが。だいたいな、今どき鉛筆で原稿書くライターなんざ、てめえくらいなもんだよ」
「し、仕方ないだろ!ここにどうやってパソコン持ちこめってんだよ!」
言い返す言葉に力がない。冬バカもとい、白瀬冬馬は何とか自分を抑え、細かいレイアウト用紙に自ら字を書き付けていった。
「依頼されたのだって昨日の夜だ。それで今日の午後には原稿上げろって言われてんだよ。こっちだっていろいろ忙しいんだから、愁の相手はしてられねえの!」
「はいはいはい、大変ねえ使い捨てライターは。で?今日のお仕事は何?」
うまいこと言ったつもりかよ、まだぶつぶつ言う冬馬の持っていた資料をさっと奪い、相手、高崎愁は素早くそれに目を通した。
「女子高生、衝撃の告白?また冬馬ちゃん、でっち上げ記事のゴーストライターやらされてんの?零細著述業者ってのは、そこまでやらないといけないのかねえ」
「無職に言われたかないね!」
かっとなって思わず冬馬がそう言い返す。愁の顔がほんの少しこわばるのを見てはっとして彼は次の言葉を飲んだ。
「……ごめん、言い過ぎた」
真剣に頭を下げる冬馬に、愁はもう一度バーカと笑い声で返した。
「てめえの空気の読めなさは今に始まったことじゃねえかなら。年季入ってんもんな、なあ、新?」
二人のやりとりを全く我関せずと一人玉露をすすっていた新、こと、安達新之介はその言葉にようやく顔を上げた。
「冬馬さん、それより急いだ方がいいのではないですか?添付ファイルで送らないのであればFAXでしょう?余計手間がかかりますよ。原稿は早めに仕上げられた方が」
落ち着き払った声に、冬馬はあわてて鉛筆を持ち直した。
京成大学病院地下二階、喫茶室「フェリス」。
スペイン語で「幸福な」とか「幸運な」という意味を持つ言葉だが、彼ら三人に関して言えば「おめでたい」と訳すのが一番似合っていた。
歳も服装も、醸し出す雰囲気さえ全く違う三人が、それでも二週間に一度はここへ顔を出すようになって、もう一年以上にもなる。
ただの習慣で約束した訳でも何でもないのだから、今日のように忙しいのなら来なければいいだけなのだろうが、何故か彼らは律儀にも必ずここへ集まっては、ああでもないこうでもないと、くだらない話でぐだぐだ過ごしていた。
もっとも、文句を言うのはたいてい愁で、言われる方は冬馬、涼しい顔でいつもの玉露をたしなむのが新之介だという役割分担だけは当初から代わりはなかった。
(つづく)
北川圭 Copyright© 2009-2011 keikitagawa All Rights Reserved