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『有翼の異端者め』と断罪されたので、翼を広げて逃げます ~追手の竜人将軍が、なぜか私を匿うのですが~

作者: uta
掲載日:2026/09/15

「有翼の異端者め。神託を偽った罪で、聖女の資格を剥奪する」


王都大聖堂。ステンドグラスの光が降り注ぐ祭壇の前で、わたくしは跪かされていた。


背に生える純白の翼を、誰かの手が乱暴に掴む。


(ああ、また同じだ)


そう思った。


前世――佐倉つばさとして、ブラック企業で書類の山に埋もれ、過労死した記憶。


誰よりも働いて、誰よりも成果を出して、それでも最後は使い潰された。


今世も、同じ。


この五年間、国境の結界を維持してきたのはわたくしだ。飢饉を予言で防いだのも。


けれど、それを口にする権利すら、奪われようとしている。


「エルネスト殿下」


わたくしは顔を上げた。金髪碧眼の第二王子が、勝ち誇った笑みを浮かべている。


その隣で、派手な聖女服のロゼッタが扇で口元を隠していた。


「わたくしの翼が、偽りだと?」


「そうだ。真の聖女はロゼッタ。お前のような魔族の血を引く忌み子ではない」


「まあ、恐ろしい。翼を持つ異端者が、これまで聖女を騙っていたなんて。民が知ったら、どれほど嘆くことでしょう」


ロゼッタが芝居がかった声で嘆いてみせる。


(魔族の血、ね)


笑ってしまいそうになった。


この翼が本物の聖なる力の証だと、この人たちは死んでも気づかないのだろう。


気づいた頃には、もう遅い。


「追手を差し向けろ。翼ごと捕らえて、公開処刑だ」


嬉々として命じる声。


前世の上司が「君の代わりはいくらでもいる」と言った時と、同じ響き。


(ああ、また同じだ)


でも――今世のわたくしには、翼がある。


「……分かりました」


静かに立ち上がる。


「ふん、ようやく観念したか。最初からそうしていれば――」


誰もが「観念した」と思ったその瞬間。


わたくしは、結界維持の聖印に指を添えた。


そして、封じた。


わたくしの意思でしか、二度と再起動できないように。


「なっ……何をした!」


「結界維持の聖印を、封じました。わたくしの意思でしか、二度と再起動できないように」


「な……そ、そんなの、わたくしにだってできますわ!」


ロゼッタが金切り声を上げる。


「どうぞ。できるものなら、やってごらんなさい」


ロゼッタは、扇を握りしめたまま、一歩も動けなかった。当然だ。


「衛兵! 捕らえろ! 逃がすな!」


エルネストが喚く。


わたくしは翼を広げた。五年ぶりに、隠さず、思い切り。


「なら、飛んで逃げます」


尖塔の窓へ。


「二度と、あなた達のために働きません」


「待て――待たんか、この異端者め!」


窓を蹴破り、わたくしは夜空へ飛び立った。


(さようなら。そして――どうぞ、ご自分たちの手で招いた結末を、じっくりご覧あれ)


背後で、国境の結界が静かに綻び始める音を――誰も、まだ知らない。



逃亡三日目。辺境の廃教会に、わたくしは追い詰められていた。


傷ついた翼は、もう思うように動かない。


崩れかけた石壁に背を預け、荒い息を吐く。


月明かりの中、扉が開いた。


長身の影。褐色の肌に、首筋を這う黒い鱗。背には折り畳まれた漆黒の竜翼。


(竜人……将軍ガーヴィス)


『追跡の竜』。逃亡者を一人も逃したことがないという、国最強の追手。


終わった、と思った。


琥珀色の瞳が、わたくしを――正確には、わたくしの翼を見つめる。


剣の柄に、手がかかった。


わたくしは目を閉じた。


けれど、聞こえてきたのは、剣を鞘に納める音だった。


「……お前の翼、偽物じゃないな」


(剣を、納めた……?)


「本物の聖翼だ。俺には視える」


目を開ける。彼は無表情のまま、こちらを見下ろしていた。


表情筋が死んでいるとしか思えない顔。


「捕らえないの……ですか? 『追跡の竜』は、逃亡者を一人も逃したことがないと聞きましたが」


返事はない。


代わりに、彼はわたくしの傍らに膝をつくと、懐から取り出した薬瓶の中身を、傷ついた翼にぶっきらぼうに塗り始めた。


「っ、いた……何を、翼に……薬?」


「……動くな。傷が膿む。じっとしていろ」


手つきは、驚くほど丁寧だった。


(羽根を傷つけないように……)


塗り終えると、彼は無言で干し肉を差し出した。


「……食え」


「干し肉……なぜ、こんなことを?」


「…………」


彼はふいと顔を背けた。


(顔を背けた。……月光の下で、耳が赤い?)


「凍えるぞ」


言うが早いか、彼は自分の外套を脱いで、わたくしの肩にかけた。


「外套まで……あの、あなたが凍えてしまいます」


「俺は竜人だ。問題ない」


そのまま、教会の入口に背を向けて座り込む。まるで、外の何かからわたくしを守るように。


(この人、追手じゃないの……? 前世で見た、報われない者たちの顔に、少し似ている)


干し肉を齧りながら、わたくしは思った。


まだ、その正体を知らないまま。



「井戸が……水が、出た! 聖女様、聖女様っ……本当に、本当にありがとうございます……!」


少女の悲鳴のような歓声が、寂れた村に響いた。


リゼルという名の、村長の娘。まだ十七歳の彼女は、湧き出す水を両手で受け止め、ぼろぼろと涙をこぼしていた。


「大げさですよ。枯れた水脈が、少し離れた岩盤に堰き止められていただけです。地形を読んで、水路を引き直しただけ」


(社畜時代、インフラの資料を死ぬほど読まされたのが、まさかこんな所で役立つとは。人生、何が糧になるか分かりません)


ガーヴィスは村の入口で腕を組み、こちらを黙って見ていた。


相変わらず表情がない。けれど、村人を助けるわたくしを止めはしない。


「聖女様は、どこから来られたのですか?」


「……ただの、逃げてきた者です」


「そんなわけありません! こんなに優しくて、こんなにすごい方が、逃げてきた者だなんて!」


真っ直ぐな瞳。


(前世でも今世でも、こんな風に無条件で信じられたことなど、なかった。……胸の奥が、少し痛い)


その夜。焚き火を挟んで、ガーヴィスがぽつりと言った。


「お前は、王家に何をされた」


「……功績を全部、握り潰されました。五年分。結界のことも、飢饉を防いだ予言のことも。全部、偽物にすげ替えられて」


ガーヴィスは長い間、黙っていた。


そして。


「…………愚かだな、あの国は」


たった一言。けれど、その声には確かな怒りがあった。


(わたくしのためではなく――切り捨てられた『正しさ』のための、静かな怒り。この人は、そういう人なのですね)


翌朝、リゼルが決意した顔で駆けてきた。


「聖女様。わたし、村々を回って伝えます。本物の聖女様は誰なのか。王家が何を隠したのか。みんなに知ってもらいます!」


「リゼル、それは危険――」


「危険でも、やります!」


止められなかった。彼女の背中は、もう走り出していた。


(この子が集める声が、いつか……いえ、まさかね)


その時はまだ、わたくし自身も気づいていなかった。それが逆転の切り札になることを。


一方その頃、王都では。


国境の結界が、完全に崩壊しようとしていた。



王都は、悲鳴に包まれていた。


国境から溢れた魔物が、村を、町を、次々と呑み込んでいく。


「ロゼッタ! 予言はどうした! 魔物がどこから来るか言え!」


玉座の間。エルネスト第二王子が、偽物の聖女に詰め寄っていた。


「そ、それは……えっと……」


「早く言え! 東部が、東部が呑まれているのだぞ!」


「わ、わたくしは……聖女で……予言は……その、今日は星の巡りが悪くて……」


「使えん女め!」


王子が扇を叩き落とす。派手な装飾が床に散らばった。


「きゃっ……! お、お待ちください殿下、記録が、記録さえあれば……あの女の記録さえ……!」


「何だと? 記録……あの女の、だと?」


そこへ、蒼白な顔の伝令が飛び込んでくる。


「殿下! 東部三県、陥落! 民が、民が逃げ惑って――!」


「結界を張り直せ! すぐにだ!」


「できません! 結界の聖印は、あの……ミレイユ様にしか、再起動できないのです!」


沈黙。


エルネストの顔が、ゆっくりと歪んでいく。


「…………あの女を」


声が震えている。


「あの女を連れ戻せ! すぐに! 何をしてでもだ!」



辺境の村。焚き火を囲むわたくしのもとへ、王都からの噂が届いた。


結界崩壊。魔物の氾濫。そして、わたくしを連れ戻せという王命。


「ひどいです! 追放したくせに、都合が悪くなったら連れ戻せだなんて!」


リゼルが憤慨する。


(今さら? 都合が良すぎませんか。あの上司も、辞めた後に『戻ってきてくれ』と連絡してきました。散々使い潰しておいて)


「行きませんよ」


静かに、けれどはっきりと言った。


「聖女様……」


「わたくしはもう、あの国の聖女ではありませんから」


ガーヴィスが、火の向こうからわたくしを見ていた。琥珀色の瞳に、何か決意のような光が宿る。


「ミレイユ」


初めて、彼がわたくしの名を呼んだ。


(初めて、名前を呼ばれた)……なあに?」


「話がある。俺の――正体について」



「俺は、王国の将軍じゃない。隣国――竜人王の、密使だ」


焚き火の炎が、ガーヴィスの褐色の肌を照らす。


わたくしは息を呑んだ。


「……密使」


「本物の聖女を保護せよ。それが、俺の受けた命だ。『追跡の竜』の名を借りて王国に潜り込み、追手のふりをして……お前を、他の追手から守っていた」


(守って、いた……?)


この数日間の、ぶっきらぼうな優しさが、脳裏を巡る。薬。干し肉。外套。すべて。


「守って、いた……? あの薬も、干し肉も、外套も、全部……なら、なぜ最初に言わなかったの」


「……言葉が、足りない」


「え」


「信用されるか、分からなかった。だから、態度で示すしか……なかった」


ガーヴィスは気まずそうに顔を背けた。またしても、耳が赤い。


(また耳が赤い。強キャラのくせに、恋愛偏差値が壊滅的では?)


けれど、不思議と嫌な気はしなかった。


「俺は最初から、お前を捕らえる気はなかった」


彼はまっすぐに、わたくしを見た。仮面の下の、本当の顔で。


「――匿いに来た」


胸の奥が、熱くなる。


(前世でも今世でも、わたくしを『守る』と言ってくれた人は、いなかった。ずっと、守る側だったのに)


「ガーヴィス。あなたの国では……翼を持つ者は、どう扱われるの」


彼は、ほんの少しだけ、口元を緩めた。無表情の彼にとって、それは精一杯の微笑みだったのだろう。


「祝福だ。天翔ける、神の祝福。竜人は皆、翼を讃える」


(翼を、讃える。隠さなくて、いい場所……目の奥が、じんと熱い)


その時、村の外で馬蹄の音。


「聖女様! 王都から、使者が! それも……大勢で!」


わたくしは立ち上がった。翼を広げる。もう、隠さない。


「ちょうどいい。五年分の落とし前、つけてもらいましょう」



辺境の村の広場に、王都からの使者たちが跪いていた。


先頭の宰相らしき老人が、額を地面にこすりつける。


「ミレイユ様! どうか、どうかお戻りください! 国が、国が滅びます!」


村人たちが遠巻きに見つめる中、わたくしは静かに歩み出た。純白の翼を広げたまま。


「お顔を上げてください」


「結界を、張り直してくださるなら、どんな褒美でも――!」


わたくしは、懐から一枚の書状を取り出した。


「これは、五年分の結界維持の記録です。いつ、どこで、どれだけの魔力を注いだか。すべて書いてあります」


「そ、それは……」


もう一枚。


「これは、王家がわたくしの功績を握り潰してきた証拠の写し。そして――リゼル」


「はい! これが、村々を巡って集めた、民の証言です。誰が飢饉を防ぎ、誰が国境を守っていたのか。全部、ここにあります!」


リゼルが、証言の束を運んでくる。彼女が村々を巡って集めた、名もなき民の声。


「これらの証拠は、すでに隣国と、教皇庁に送りました」


「そ、そんな……! お待ちを! 交渉を――」


「なぜ」


言葉を、遮る。


「なぜ、断られないと思ったのですか?」


沈黙が、広場を支配した。


「あなた達は、わたくしを異端者と呼び、翼ごと処刑しようとした。五年間の献身を、偽物にすげ替えた。そして今、都合が悪くなったら『戻ってこい』と」


一歩、前へ。


「それは、その、殿下のご判断で……我々は……」


「前世でも――いえ、なんでもありません」


つい、口が滑りそうになった。前世の記憶は、わたくしだけのもの。


「とにかく。わたくしは、もう二度と、あなた達のために働きません」


使者たちは、言葉を失っていた。


「聞きましたか、みなさん! これが、本物の聖女様の答えです!」


リゼルが涙ながらに叫ぶ。


やがて、王都から続報が届く。


エルネスト第二王子は廃嫡。偽予言者ロゼッタは異端審問へ。


(失ってから、気づく。いつだって、そうです)


彼らはようやく理解した。結界も、繁栄も、平穏も――すべて、切り捨てたあの翼の少女が支えていたのだと。


ガーヴィスが、わたくしの隣に立った。


「行くか」


「ええ。息のできる場所へ」



竜人国の空は、青く、どこまでも広かった。


わたくしは翼を広げ、思い切り羽ばたいた。誰の目も気にせず。忌避されることもなく。


風が、頬を撫でる。


「見ろ、あの翼を。……祝福だ。天翔ける、神の祝福だ」


地上を歩く人々が、わたくしを見上げて微笑む。


指を差し、けれどそれは嘲りではなく――憧れと、敬意の眼差しだった。


(前世で、書類の山に埋もれて死んだわたくし。今世で、翼を隠して生きてきたわたくし。どちらも、報われなかった。でも、今は)


「逃げた先で……ようやく、息ができました」


地上に降りると、ガーヴィスが待っていた。相変わらず無表情。けれど、わたくしにはもう分かる。


「飛べたか」


「ええ。とても、気持ちよかった」


彼は、少しだけ口元を緩めた。



その頃、遠く王国では。


リゼルが、村の丘に立っていた。


空を見上げ、はるか彼方の竜人国を思う。


「本物の聖女様は……ずっと、わたし達の隣にいたのに」


涙を拭いながら、彼女は呟いた。


魔物に脅かされ、疲弊した王国の民たちも、今ようやく理解している。誰を失ったのかを。誰を、自分たちの手で追い出したのかを。


嘆きは、もう遅い。



竜人国の宮殿。


竜人王が、ガーヴィスを呼び出していた。


「よくやった、ガーヴィス。本物の聖女を、無事に連れ帰った。あれほどの聖翼は、竜人国の歴史にも稀だ」


「はっ」


「ときにガーヴィス。お前、あの聖女に、ずいぶん入れ込んでいるようだな」


「……っ」


ガーヴィスの耳が、赤くなる。


「よい、よい。ならば命じよう。次は、正式に――彼女を我が国の国宝聖女として迎えよ。そして、お前がその伴侶となれ。異存はあるまい?」


「こ、国宝、聖女……伴侶……」


ガーヴィスは、言葉に詰まった。強キャラの仮面が、音を立てて崩れていく。



その夜。


バルコニーで星を眺めるわたくしのもとへ、ガーヴィスがやってきた。


(やけに、そわそわしていますね)


「ミレイユ」


「なあに?」


「その……国宝聖女、というのを……いや、その前に……」


「その前に?」


「…………言葉が、足りない」


わたくしは、くすりと笑った。


「ふふ。ええ、知っています。だから――ゆっくりで、いいですよ」


翼を持つ聖女の、新しい物語が。


(この続きは、ゆっくり聞かせてもらいましょうか。息のできる、この空の下で)


今、始まろうとしていた。

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