『有翼の異端者め』と断罪されたので、翼を広げて逃げます ~追手の竜人将軍が、なぜか私を匿うのですが~
「有翼の異端者め。神託を偽った罪で、聖女の資格を剥奪する」
王都大聖堂。ステンドグラスの光が降り注ぐ祭壇の前で、わたくしは跪かされていた。
背に生える純白の翼を、誰かの手が乱暴に掴む。
(ああ、また同じだ)
そう思った。
前世――佐倉つばさとして、ブラック企業で書類の山に埋もれ、過労死した記憶。
誰よりも働いて、誰よりも成果を出して、それでも最後は使い潰された。
今世も、同じ。
この五年間、国境の結界を維持してきたのはわたくしだ。飢饉を予言で防いだのも。
けれど、それを口にする権利すら、奪われようとしている。
「エルネスト殿下」
わたくしは顔を上げた。金髪碧眼の第二王子が、勝ち誇った笑みを浮かべている。
その隣で、派手な聖女服のロゼッタが扇で口元を隠していた。
「わたくしの翼が、偽りだと?」
「そうだ。真の聖女はロゼッタ。お前のような魔族の血を引く忌み子ではない」
「まあ、恐ろしい。翼を持つ異端者が、これまで聖女を騙っていたなんて。民が知ったら、どれほど嘆くことでしょう」
ロゼッタが芝居がかった声で嘆いてみせる。
(魔族の血、ね)
笑ってしまいそうになった。
この翼が本物の聖なる力の証だと、この人たちは死んでも気づかないのだろう。
気づいた頃には、もう遅い。
「追手を差し向けろ。翼ごと捕らえて、公開処刑だ」
嬉々として命じる声。
前世の上司が「君の代わりはいくらでもいる」と言った時と、同じ響き。
(ああ、また同じだ)
でも――今世のわたくしには、翼がある。
「……分かりました」
静かに立ち上がる。
「ふん、ようやく観念したか。最初からそうしていれば――」
誰もが「観念した」と思ったその瞬間。
わたくしは、結界維持の聖印に指を添えた。
そして、封じた。
わたくしの意思でしか、二度と再起動できないように。
「なっ……何をした!」
「結界維持の聖印を、封じました。わたくしの意思でしか、二度と再起動できないように」
「な……そ、そんなの、わたくしにだってできますわ!」
ロゼッタが金切り声を上げる。
「どうぞ。できるものなら、やってごらんなさい」
ロゼッタは、扇を握りしめたまま、一歩も動けなかった。当然だ。
「衛兵! 捕らえろ! 逃がすな!」
エルネストが喚く。
わたくしは翼を広げた。五年ぶりに、隠さず、思い切り。
「なら、飛んで逃げます」
尖塔の窓へ。
「二度と、あなた達のために働きません」
「待て――待たんか、この異端者め!」
窓を蹴破り、わたくしは夜空へ飛び立った。
(さようなら。そして――どうぞ、ご自分たちの手で招いた結末を、じっくりご覧あれ)
背後で、国境の結界が静かに綻び始める音を――誰も、まだ知らない。
◇
逃亡三日目。辺境の廃教会に、わたくしは追い詰められていた。
傷ついた翼は、もう思うように動かない。
崩れかけた石壁に背を預け、荒い息を吐く。
月明かりの中、扉が開いた。
長身の影。褐色の肌に、首筋を這う黒い鱗。背には折り畳まれた漆黒の竜翼。
(竜人……将軍ガーヴィス)
『追跡の竜』。逃亡者を一人も逃したことがないという、国最強の追手。
終わった、と思った。
琥珀色の瞳が、わたくしを――正確には、わたくしの翼を見つめる。
剣の柄に、手がかかった。
わたくしは目を閉じた。
けれど、聞こえてきたのは、剣を鞘に納める音だった。
「……お前の翼、偽物じゃないな」
(剣を、納めた……?)
「本物の聖翼だ。俺には視える」
目を開ける。彼は無表情のまま、こちらを見下ろしていた。
表情筋が死んでいるとしか思えない顔。
「捕らえないの……ですか? 『追跡の竜』は、逃亡者を一人も逃したことがないと聞きましたが」
返事はない。
代わりに、彼はわたくしの傍らに膝をつくと、懐から取り出した薬瓶の中身を、傷ついた翼にぶっきらぼうに塗り始めた。
「っ、いた……何を、翼に……薬?」
「……動くな。傷が膿む。じっとしていろ」
手つきは、驚くほど丁寧だった。
(羽根を傷つけないように……)
塗り終えると、彼は無言で干し肉を差し出した。
「……食え」
「干し肉……なぜ、こんなことを?」
「…………」
彼はふいと顔を背けた。
(顔を背けた。……月光の下で、耳が赤い?)
「凍えるぞ」
言うが早いか、彼は自分の外套を脱いで、わたくしの肩にかけた。
「外套まで……あの、あなたが凍えてしまいます」
「俺は竜人だ。問題ない」
そのまま、教会の入口に背を向けて座り込む。まるで、外の何かからわたくしを守るように。
(この人、追手じゃないの……? 前世で見た、報われない者たちの顔に、少し似ている)
干し肉を齧りながら、わたくしは思った。
まだ、その正体を知らないまま。
◇
「井戸が……水が、出た! 聖女様、聖女様っ……本当に、本当にありがとうございます……!」
少女の悲鳴のような歓声が、寂れた村に響いた。
リゼルという名の、村長の娘。まだ十七歳の彼女は、湧き出す水を両手で受け止め、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「大げさですよ。枯れた水脈が、少し離れた岩盤に堰き止められていただけです。地形を読んで、水路を引き直しただけ」
(社畜時代、インフラの資料を死ぬほど読まされたのが、まさかこんな所で役立つとは。人生、何が糧になるか分かりません)
ガーヴィスは村の入口で腕を組み、こちらを黙って見ていた。
相変わらず表情がない。けれど、村人を助けるわたくしを止めはしない。
「聖女様は、どこから来られたのですか?」
「……ただの、逃げてきた者です」
「そんなわけありません! こんなに優しくて、こんなにすごい方が、逃げてきた者だなんて!」
真っ直ぐな瞳。
(前世でも今世でも、こんな風に無条件で信じられたことなど、なかった。……胸の奥が、少し痛い)
その夜。焚き火を挟んで、ガーヴィスがぽつりと言った。
「お前は、王家に何をされた」
「……功績を全部、握り潰されました。五年分。結界のことも、飢饉を防いだ予言のことも。全部、偽物にすげ替えられて」
ガーヴィスは長い間、黙っていた。
そして。
「…………愚かだな、あの国は」
たった一言。けれど、その声には確かな怒りがあった。
(わたくしのためではなく――切り捨てられた『正しさ』のための、静かな怒り。この人は、そういう人なのですね)
翌朝、リゼルが決意した顔で駆けてきた。
「聖女様。わたし、村々を回って伝えます。本物の聖女様は誰なのか。王家が何を隠したのか。みんなに知ってもらいます!」
「リゼル、それは危険――」
「危険でも、やります!」
止められなかった。彼女の背中は、もう走り出していた。
(この子が集める声が、いつか……いえ、まさかね)
その時はまだ、わたくし自身も気づいていなかった。それが逆転の切り札になることを。
一方その頃、王都では。
国境の結界が、完全に崩壊しようとしていた。
◇
王都は、悲鳴に包まれていた。
国境から溢れた魔物が、村を、町を、次々と呑み込んでいく。
「ロゼッタ! 予言はどうした! 魔物がどこから来るか言え!」
玉座の間。エルネスト第二王子が、偽物の聖女に詰め寄っていた。
「そ、それは……えっと……」
「早く言え! 東部が、東部が呑まれているのだぞ!」
「わ、わたくしは……聖女で……予言は……その、今日は星の巡りが悪くて……」
「使えん女め!」
王子が扇を叩き落とす。派手な装飾が床に散らばった。
「きゃっ……! お、お待ちください殿下、記録が、記録さえあれば……あの女の記録さえ……!」
「何だと? 記録……あの女の、だと?」
そこへ、蒼白な顔の伝令が飛び込んでくる。
「殿下! 東部三県、陥落! 民が、民が逃げ惑って――!」
「結界を張り直せ! すぐにだ!」
「できません! 結界の聖印は、あの……ミレイユ様にしか、再起動できないのです!」
沈黙。
エルネストの顔が、ゆっくりと歪んでいく。
「…………あの女を」
声が震えている。
「あの女を連れ戻せ! すぐに! 何をしてでもだ!」
◇
辺境の村。焚き火を囲むわたくしのもとへ、王都からの噂が届いた。
結界崩壊。魔物の氾濫。そして、わたくしを連れ戻せという王命。
「ひどいです! 追放したくせに、都合が悪くなったら連れ戻せだなんて!」
リゼルが憤慨する。
(今さら? 都合が良すぎませんか。あの上司も、辞めた後に『戻ってきてくれ』と連絡してきました。散々使い潰しておいて)
「行きませんよ」
静かに、けれどはっきりと言った。
「聖女様……」
「わたくしはもう、あの国の聖女ではありませんから」
ガーヴィスが、火の向こうからわたくしを見ていた。琥珀色の瞳に、何か決意のような光が宿る。
「ミレイユ」
初めて、彼がわたくしの名を呼んだ。
(初めて、名前を呼ばれた)……なあに?」
「話がある。俺の――正体について」
◇
「俺は、王国の将軍じゃない。隣国――竜人王の、密使だ」
焚き火の炎が、ガーヴィスの褐色の肌を照らす。
わたくしは息を呑んだ。
「……密使」
「本物の聖女を保護せよ。それが、俺の受けた命だ。『追跡の竜』の名を借りて王国に潜り込み、追手のふりをして……お前を、他の追手から守っていた」
(守って、いた……?)
この数日間の、ぶっきらぼうな優しさが、脳裏を巡る。薬。干し肉。外套。すべて。
「守って、いた……? あの薬も、干し肉も、外套も、全部……なら、なぜ最初に言わなかったの」
「……言葉が、足りない」
「え」
「信用されるか、分からなかった。だから、態度で示すしか……なかった」
ガーヴィスは気まずそうに顔を背けた。またしても、耳が赤い。
(また耳が赤い。強キャラのくせに、恋愛偏差値が壊滅的では?)
けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
「俺は最初から、お前を捕らえる気はなかった」
彼はまっすぐに、わたくしを見た。仮面の下の、本当の顔で。
「――匿いに来た」
胸の奥が、熱くなる。
(前世でも今世でも、わたくしを『守る』と言ってくれた人は、いなかった。ずっと、守る側だったのに)
「ガーヴィス。あなたの国では……翼を持つ者は、どう扱われるの」
彼は、ほんの少しだけ、口元を緩めた。無表情の彼にとって、それは精一杯の微笑みだったのだろう。
「祝福だ。天翔ける、神の祝福。竜人は皆、翼を讃える」
(翼を、讃える。隠さなくて、いい場所……目の奥が、じんと熱い)
その時、村の外で馬蹄の音。
「聖女様! 王都から、使者が! それも……大勢で!」
わたくしは立ち上がった。翼を広げる。もう、隠さない。
「ちょうどいい。五年分の落とし前、つけてもらいましょう」
◇
辺境の村の広場に、王都からの使者たちが跪いていた。
先頭の宰相らしき老人が、額を地面にこすりつける。
「ミレイユ様! どうか、どうかお戻りください! 国が、国が滅びます!」
村人たちが遠巻きに見つめる中、わたくしは静かに歩み出た。純白の翼を広げたまま。
「お顔を上げてください」
「結界を、張り直してくださるなら、どんな褒美でも――!」
わたくしは、懐から一枚の書状を取り出した。
「これは、五年分の結界維持の記録です。いつ、どこで、どれだけの魔力を注いだか。すべて書いてあります」
「そ、それは……」
もう一枚。
「これは、王家がわたくしの功績を握り潰してきた証拠の写し。そして――リゼル」
「はい! これが、村々を巡って集めた、民の証言です。誰が飢饉を防ぎ、誰が国境を守っていたのか。全部、ここにあります!」
リゼルが、証言の束を運んでくる。彼女が村々を巡って集めた、名もなき民の声。
「これらの証拠は、すでに隣国と、教皇庁に送りました」
「そ、そんな……! お待ちを! 交渉を――」
「なぜ」
言葉を、遮る。
「なぜ、断られないと思ったのですか?」
沈黙が、広場を支配した。
「あなた達は、わたくしを異端者と呼び、翼ごと処刑しようとした。五年間の献身を、偽物にすげ替えた。そして今、都合が悪くなったら『戻ってこい』と」
一歩、前へ。
「それは、その、殿下のご判断で……我々は……」
「前世でも――いえ、なんでもありません」
つい、口が滑りそうになった。前世の記憶は、わたくしだけのもの。
「とにかく。わたくしは、もう二度と、あなた達のために働きません」
使者たちは、言葉を失っていた。
「聞きましたか、みなさん! これが、本物の聖女様の答えです!」
リゼルが涙ながらに叫ぶ。
やがて、王都から続報が届く。
エルネスト第二王子は廃嫡。偽予言者ロゼッタは異端審問へ。
(失ってから、気づく。いつだって、そうです)
彼らはようやく理解した。結界も、繁栄も、平穏も――すべて、切り捨てたあの翼の少女が支えていたのだと。
ガーヴィスが、わたくしの隣に立った。
「行くか」
「ええ。息のできる場所へ」
◇
竜人国の空は、青く、どこまでも広かった。
わたくしは翼を広げ、思い切り羽ばたいた。誰の目も気にせず。忌避されることもなく。
風が、頬を撫でる。
「見ろ、あの翼を。……祝福だ。天翔ける、神の祝福だ」
地上を歩く人々が、わたくしを見上げて微笑む。
指を差し、けれどそれは嘲りではなく――憧れと、敬意の眼差しだった。
(前世で、書類の山に埋もれて死んだわたくし。今世で、翼を隠して生きてきたわたくし。どちらも、報われなかった。でも、今は)
「逃げた先で……ようやく、息ができました」
地上に降りると、ガーヴィスが待っていた。相変わらず無表情。けれど、わたくしにはもう分かる。
「飛べたか」
「ええ。とても、気持ちよかった」
彼は、少しだけ口元を緩めた。
◇
その頃、遠く王国では。
リゼルが、村の丘に立っていた。
空を見上げ、はるか彼方の竜人国を思う。
「本物の聖女様は……ずっと、わたし達の隣にいたのに」
涙を拭いながら、彼女は呟いた。
魔物に脅かされ、疲弊した王国の民たちも、今ようやく理解している。誰を失ったのかを。誰を、自分たちの手で追い出したのかを。
嘆きは、もう遅い。
◇
竜人国の宮殿。
竜人王が、ガーヴィスを呼び出していた。
「よくやった、ガーヴィス。本物の聖女を、無事に連れ帰った。あれほどの聖翼は、竜人国の歴史にも稀だ」
「はっ」
「ときにガーヴィス。お前、あの聖女に、ずいぶん入れ込んでいるようだな」
「……っ」
ガーヴィスの耳が、赤くなる。
「よい、よい。ならば命じよう。次は、正式に――彼女を我が国の国宝聖女として迎えよ。そして、お前がその伴侶となれ。異存はあるまい?」
「こ、国宝、聖女……伴侶……」
ガーヴィスは、言葉に詰まった。強キャラの仮面が、音を立てて崩れていく。
◇
その夜。
バルコニーで星を眺めるわたくしのもとへ、ガーヴィスがやってきた。
(やけに、そわそわしていますね)
「ミレイユ」
「なあに?」
「その……国宝聖女、というのを……いや、その前に……」
「その前に?」
「…………言葉が、足りない」
わたくしは、くすりと笑った。
「ふふ。ええ、知っています。だから――ゆっくりで、いいですよ」
翼を持つ聖女の、新しい物語が。
(この続きは、ゆっくり聞かせてもらいましょうか。息のできる、この空の下で)
今、始まろうとしていた。




