君は唯一無二の愛しい子
まるで鏡に映したかのようにそっくりな顔をした二人が溶けそうなほどに潤んだ瞳で互いを見つめていた。
隅から隅まで全く同じに見える二人の唯一違うところといえば、片方が男で片方が女だということくらいだろうか。
ほんの数年前ならば誰もが見分けがつかなかっただろう二人が男女で分かれていることすら不思議に思える。
けれど、それさえも些細なことに思えるほどに二人はそっくりだった。姿形だけでなく、心の奥深くまで。
「……いいのかな、こんなことして」
女の方がぽつりと呟いた。しかし言葉に反して大して気にしているような素振りは見せていない。
念のため、例えば男の気持ちを確かめるためだけに発した言葉のようだった。その証拠に女は悪戯っぽく笑っている。
なにが? と男が笑いながら問いかける。何を言いたいかなんて全部分かっていると言いたげに。
「だって、私たち兄妹なのに」
気にしていない証拠のように女はひっそりと笑みを浮かべている。男はそんな女に手を伸ばしながら、全く同じように口角を上げる。
「いいよ、だって、好きなんだから」
仕方ないよね、そう答えながら、二人の身体が重なる。
どちらがどちらか分からないほどに、二人は一つだった。
***
恋人の慎司と連絡が取れなくなって、もう三日が経とうとしていた。
電話をしても出ないし、メールの返信も来ない。住んでいるアパートにも帰っていないし、念の為に実家に確認を入れても帰っていないみたいだった。
それどころか誰も慎司を見ていないというのだから、もう探しようがない。
慎司は私の連絡にはすぐに返してくれていたし、いつだって私を一番に考えてくれていた。
今までこんなことは一度もなかったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
そんなことをぐるぐると思いながら、慎司と連絡が付かないのだと、同じ大学の友人に告げた。
学食で人気のカレーを口に運んでいた友人は私の言葉にカラカラと笑い声を上げた。
「心配性だなぁ、真由は」
失礼な話だと思う。私はこうして学食に足を運んでも食欲が全く湧かないほど心配しているのに。
私がムッと眉をひそめるのを気にもとめず、友人はペラペラと言葉を続けた。
「もういい年なんだから、ちょっとどっかで遊んでるだけでしょ。そのうち帰って来るって」
なんでそんなに軽く言えるんだ、と怒りさえ込み上げて来るけど、ここで怒ったらもっと笑われてしまうのだろうからぐっと堪える。
所詮他人事だからこんな風に思えるのだ。自分の立場になって考えればそんなこと口が裂けても言えないはずだ。
恋人がいなくなったと考えてみろと怒れないことが悔しくて仕方ない。
ああ、もう、周りの些細な話し声にさえイライラとしてしまう。
「真由もちょっとは慎司くん離れしないと」
揶揄うような言葉になんとかぎこちない笑みを浮かべて頷く。上手く出来ている自信はない。離れる、なんてそんなの馬鹿馬鹿しい。
もしも何か分かったら教えてね、となんとか言うことは忘れなかった。
相談なんてするんじゃなかったな、と思いながら私は無理やり水だけを空っぽの胃に流し込んだ。
家に帰っても、もちろんゆっくりなんて出来ない。だって慎司がいない。隣にいて私の言葉に欲しい答えをすぐにくれる慎司がいない。
自分の声よりも聴き慣れた慎司の声を思い出す。耳障りのいいほんの少しだけ高めの掠れた声。あの声が隣から聞こえて来ないなんて。
はあ、と沈み込みそうな深い深いため息を吐きながら、重い体をソファーに埋めた。
他にどうしろと言うのだ。なんの手掛かりもないのに。
警察、と考えてみないでもなかったけど、大袈裟すぎると親に叱られるのは面倒だった。
何か、何かないだろうか。何か慎司がいなくなった理由はさっぱり分からないけど、何かおかしな様子とか、何か、何か。
「……そういえば」
ふ、と何かが浮かび上がるように思い出したことがあった。
そうだ、確か、慎司の行方が分からなくなる前の日に、こんなことを言っていたのだ。男女の双子に会ったのだ、と。
顔がそっくりだからきっと一卵性だろう。男女の一卵性なんて本当に珍しいよな、ちょっと感動した。なんて、慎司にしては珍しいくらいに楽しそうに言っていたのだ。
私もそのことには驚いたし、偶然ってあるものなのだと思わずにはいられなかったから、特に気にも留めなかった。
でも、やっぱりおかしかったのかもしれない。慎司は普段から私以外の人に興味を持たないのに、あんな風に興奮して話すなんて。
ただの世間話だ。関係ない。考え過ぎだ。慎司に会いたくてなんでも関連性を見つけたがっているだけなのだ。
そう自分に言い聞かせようとしても、そうとしか考えられなくなっていく。
だって、だって、慎司はこうも言ってはいなかっただろうか。
また、会いに行くんだ、と。もしかして、その双子が、慎司を、
「まさか」
自分のあまりの突拍子のない考えに思わず笑ってしまう。それでもすぐに笑みも引く。笑い飛ばせるほど私に余裕なんてない。
少しでも可能性があるならその双子を探さなければ。慎司を、私の唯一を、見つけないと。
男女の双子なんて珍しいことはよく知っているから、きっと探せば見つかる。
そう思って立ち上がり、早速行動に移そうとしたのに、突如として酷い眠気に襲われた。慎司のことが気になって眠れなかったからだろうか。
そんなことも満足に考えられないほどに急激な眠気に私は争うことも出来ず、踊り込むようにソファーに戻ってしまう。
そしてそのまま、深い深い夢の中に落ちて行った。
***
暗い暗い闇の中。ぽつん、と一筋の光が灯っていた。
けれど、例えばここで暮らすにして、それだけに頼るにはあまりに頼りない小さな光だ。
その光に埋もれるようにして、小さな人影が二つあった。
それは最初うっかり一つと数えてしまいそうなほどに寄り添いあっていた。
まるで一つになりたいとでも言うように、二人は互いを深く深く抱き締めている。
お世辞にも綺麗とは言えない粗末な着物を身に纏った二人の顔は青白く、そして怖いほどにそっくりだった。
違うところなど一つもない、鏡に映した合ったかのように似通った二人。
誰も入る隙間がないほどに近く、そして互いのことしか見えていないかのように見つめ合っていた二人が唐突にぐるりと顔の向きを変えた。
その動作はまるで壊れかけた人形のように不気味で人間離れしていた。
***
慎司は人通りが多い場所に行くことを好まなかった。昔からよく人に見られていたからかもしれない。
私も見られることも人通りが多い場所も好きではないから、慎司の気持ちはよく分かる。
でも今は人通りの多い所に行きたくないなんて言っていられない。
早く、早く慎司を探さないと、そんな想いに急き立てられて、大学にも行かず私は闇雲に人が多い場所を探し回っている。
今朝は昨日より更に早く慎司を探さなければという気持ちが高まったのだ。だからなんの確証もないのに、こうして慎司を探している。
こんな所にいるはずがないと分かっていながらも、何故かここに足が向かったのだから仕方ない。
なんだかおかしい、とは少し思っていた。慎司が自分からこんな場所に来ることはないだろうし、もし何かの事件に巻き込まれていたとしてもこんな場所をうろつける余裕があるなら家に帰るだろう。
それに例の男女の双子を探すなら、こんな所より学校の近くや住宅街の方がいい。こんな平日の歓楽街にはいないだろう。
それでも、どうしてもこちらに来いと心が騒ぐのだ。それは昨日おかしな夢を見たからかもしれない。
「……なんだったの、あの夢」
昨日の夢の不可解さに思わず声が漏れた。何を取ってもおかしなところしかない夢だった。
そしてとても怖い夢でもあった。あの二人は人間のようでいて、それ以外の何かに見えた。
私があの場にいたはずがないのに、私は気づいていたのだ。二人の目線が明確にこちらを向いていると、何故か気づいていた。それは確かなことだと私は確信していた。
ああ、それにしても、あの二人は明らかに双子だった。間違いない。
だから目が覚めた時、あり得ないと思いながらもこう考えてしまったのだ。
あれは慎司が会ったという双子だったのではないだろうか、と。
そこまで考えて、我ながら馬鹿だとは思う。ろくに食べたり寝たりしていないから、こんなことを考えてしまうのかもしれない。
見知らぬ双子が慎司を攫う? 慎司がいなくなった原因? 馬鹿馬鹿しい。そう思っても、そうだと思ってしまう考えが止まらなかった。
だって、会ったこともない人がどうして夢に出てくるのだ。想像だけで夢に出てきたというのなら、あまりにもあれは鮮明過ぎた。
あの双子が何か私では理解できない存在で、慎司を攫っていったとしたら、説明がつくのではないだろうか? やっぱりそれも馬鹿で愚かな考えだろうか。
ああ、もう、私の頭では理解できないことが多すぎる。こんな時に慎司がいれば落ち着けるのに。
そこまで考えて、そもそも慎司がいなくなったからこんなことになったのではないかと気づき、泣き崩れそうになってしまう。
慎司がいない人生なんて、そんなの考えられない。だって知らないもの。
泣いても隣に慎司がいないのなら泣くだけ虚しくなるだけだ。涙を抑え込むように俯いていた顔を上げた時、それは起きた。
一瞬、時が止まったように見えた。横断歩道の向こう。人混みに紛れるようにして、その子たちはいた。
二人でぴったり寄り添ってそっくりな顔をこちらに見せつけているようだった。
その二人の顔は夢に出てきたあの双子と怖いほどに瓜二つだった。
「みいつけた」
にい、と笑みを浮かべた二人の口が同時にそう動く。ぞわり、と背筋に震えが走った。
これだけ離れていたのに、あの二人が何を口にしたのか分かることがとても恐ろしく、二人の顔に喜びの表情が浮かんでいるのも怖かった。
それなのに、足が動こうとするのだ。あの二人の元に行くのが正しいのだというように。あの二人は慎司の居場所を知っているのだとでも言うように。
信号の色が変わるのを待つ間も惜しく、歩き始めようとした私の耳に不意にブツリと不安を誘う音が聞こえた。
え、と思って足を止めると、地面にストラップが落ちていた。慎司とお揃いで買ったものだと気づき、慌てて拾い上げる。
この間買ったばかりだし、頑丈そうだったのにどうして壊れてしまったのだろう。
不思議に思いながらあの二人がいた場所に目を戻すと、そこにはもう二人の姿はなかった。
せっかく慎司を見つける手掛かりだったのにと思うのと同時に、あまりに慎司に会いたい私の妄想だったのではないかと思って背筋が冷える。
根元から引きちぎったかのように壊れてしまったストラップをぎゅうと握り締め、私はまた慎司の姿を探して歩き始めた。
***
二本の手が目の前を踊っている。不健康そうな細く青白い二本の腕が闇の中で私を誘うように、おいでおいでと子ども染みた仕草で私を招く。
闇に目が慣れるように、仄かな灯りの下でも腕がはっきりと見えるようになってくる。
そこには二人の幼い姿をしたがいた。どこも違うところなど無いそっくりな二人だというのに、男と女だということが何故か分かった。
二人はうっそりと笑い、こちらに向けている手とは逆の手をお互いに絡めていた。それはひどく艶めいた仕草で子どもが持つものには見えない。
時折掠めるように近づきあっている互いの顔は徐々に歓喜に満ちてくる。手招きがだんだん力強くなり、唐突に男の手が女の腹に触れた。
状況にそぐわない喜びに満ちた顔をした二人。女が大きくこちらに手を差し出してくる。
「来るな!」
脳を揺さぶるような大きな声。悲痛な叫び。断固とした拒絶。
ああ、この声は、この聞き慣れた声は、慎司だ。
そう気づいた瞬間、真っ逆さまに落ちるように夢から覚めていった。
***
一瞬にして夢から覚め、私はベッドから飛び起きた。
慎司だ。あれは確かに慎司の声だった。夢の中でもはっきりと分かった。あれは慎司だ。
なんて言ったかはさほど気にすることではないように思えた。だって慎司だったのだ。
それが確かなのだから、私はやっぱり慎司を探さなければいけない。
私がベッドから勢いよく降りた時、慎司のお気に入りだったタオルケットの端がびりりと破れたけど、気にしない。慎司が帰って来たら一緒に繕おう。
手を伸ばして一番近かった場所の服を手に取って着替えようとした時、それが慎司が褒めてくれた服だと気付いて胸が苦しくなる。
慎司、と呟いた瞬間、何故か服のボタンがぼろぼろと幾つも零れ落ちてしまった。何故だろうと考える間も惜しいから、他の服に着替える。ボタンも慎司が帰って来て直せばいい。
今日も大学を休むと友人に連絡した時、手が滑って床にスマホが叩きつけられた。
割れた画面が痛々しかったけど、今はやっぱり慎司の方が大切だから気にしない。慎司が帰って来てから買い換えればいいのだから。
それからも私が家から出るまでの極僅かな時間に慎司と関係するものが幾つも壊れた。
どうしてだろうと思わないでもないけど、きっとたまたまだ。だって私が持っているもので慎司と関わりがないものなんてない。
私と慎司はいつだって一心同体だったのだから当然だろう。壊れたのはきっと私が急いでいたから乱暴に扱ってしまっていたに違いない。
落ちて砕けた目覚まし時計も取っ手の取れた電子レンジも割れた鉢植えも私は気にしない。気にしてなんていられない。私は慎司を探さないといけないのだから。
靴を履くことさえもどかしく、適当に足を突っ込んで私は外に出た。依然として慎司の居場所なんて分からない。それでも私はもう心のどこかで分かっていた。
あの双子が関係している。慎司がいなくなったのはあの双子が関わっているのだ。だから昨日それらしき二人を見かけたあそこに行くのが、きっと一番の近道だと私は思っていた。
それは、あの騒がしい歓楽街に向かう為に家の近くの道路に飛び出した時だった。
「みつけた!」
朝早くの閑散とした道路にまるで相応しくない甲高くはしゃいだ子どもの声だった。
二人の声がそっくりに揃っていて、まるで一人の声のように聞こえた。
ぶつりと音を立ててスニーカーの紐が切れたのが、私を振り向かないように押し留めているようだった。
でもやっぱり私はそれを気にも留めないで、声のする方へと振り返った。
そこにいたのは間違いなく昨日の二人で、ああと口から声が漏れる。よかった、これで、きっと、慎司に会える。
私が安堵したのもつかの間、二人はきゃらきゃらと笑い始める。それは最初に夢で見た時の表情とはまるで正反対だった。
「ああ、よかった。やっと会えた」
「やっと会えた。邪魔されて会えないかと思った。よかった」
「よかった。これで助けてもらえる」
よかった、よかった、よかったねえ、と無邪気な口調と笑顔。
きつく互いの手を握りしめた二人は私の顔なんて見てやいない。一体なんなんだと目眩がした。
「ねえ、あなたたち、慎司を知ってるの?」
そう問いかけると、ようやく真っ直ぐに私を見て、それからきょとんと首を傾げた。
「慎司を何処にやったの!」
知らないなんて言わせない、と私が噛み付くように言うと、ようやく口を開き始める。
時代にそぐわない着物は夢の中のように汚れてはいなかったけど、その分だけ生からも遠ざかっているようで、二人がいる場所だけどうも浮世離れだけでは言い表せないほどの何かがある。
「しんじ? えーと、うん、そう、慎司」
「そう、慎司。慎司に助けてもらったの。助けてって言ったの」
「助けてって言ったの。そしたらいいよって言ったの。私達のところに来てくれたの」
ねえ、ねえ、と互いに顔を見て言い合う姿に、どうしても絆されかかってしまうのは、私と慎司を思い出すからか。
ぱつりと切り揃えられた髪を振って、二人は私に笑いかけた。
「貴女も来て」
その言葉に体を突き抜けるようにぶわりと風が吹いたような、そんな気がした。
「そしたら、慎司に会えるの?」
私の問いかけに、にんまりと笑って二人は歌うように続ける。
「うん、会えるよ」
「会えるよ。ずっと一緒だよ」
その妙に明るい声に恐怖を感じるのに、断ろうとは思わなかった。だって慎司に会えるのだ。それ以上に欲しいものなんてない。
「なら、案内して」
震える声で確かにそう言ったのに、二人はまるで聞き分けのない幼子を見るような目をしてゆらりゆらりと首を振った。
「貴女の足で、意志で、来なきゃ駄目だよ」
「駄目だよ、ちゃんと一人で来ないと。待ってるから」
「待ってるから。先に帰って、慎司と私達で待ってるから」
とん、とん、とん、と軽い足取りで二人が私の側までやって来る。
ぞわり、と本能がこの二人に近づいてはいけないと叫んでいて、思わず一歩下がってしまう。
「だから、早くおいで」
二人が声をぴたりと揃えて言い、それから私の手にさあっと二人の手が触れた。
ひどく冷たく、ぐにゃりとおかしな感触をした手だった。何処かで似たようなものに触れたことがある、と私はふと思った。
そして思い出して、背中が震えた。祖母の手だ。死んでしまって棺に眠る祖母の手に、この二人の手はひどく似ていた。
死人の手だ。私いま、死んだ二人に触れているのかもしれない。祖母の時は隣に慎司がいて、熱い生きた手で私の手を握っていた。なのに今は私しかいない。
「弟と私とかわいいあの子のお家においで」
「姉と僕と愛しいあの子のお家においで」
二人が笑いながらそう言うと、まるで記憶が脳に流し込まれるように断片的な記憶が幾つも幾つも見えた。
寂れた無人駅。草の生えた道並み。掠れた標識。暗く人気の無い廃村。大きいけれど壊れかかった御屋敷。そして、座敷牢。
それらが見えて、私はここに行けば良いのだと、怖いほどはっきりと理解した。
ちゃんと行くから待ってて、と私が口を開こうとした時にはもう、双子の姿はなかった。
ただ、つい先程まで触れていた手の冷たさだけが残っていた。
私は真っ直ぐに駅に向かった。行くべきところは、不思議なほどにはっきりと分かっていた。
片道切符を買って電車に乗り込む。こんな状況、どう考えてもおかしいのに不思議と怖くはなかった。まるで夢でも見ているみたいだ。
ガタガタと鳴る電車の中で慎司が隣にいないことだけが不思議だった。遠くへ行く時はいつだって慎司も一緒だった。私達はいつだって二人で一人だった。
慎司が数日前に私と同じようにこの電車に乗り込んだと思えば、何も怖くはなかった。
そういえば、と私はふと思う。あの双子が言っていたあの子とは慎司のことだろうか。それとも他に誰かいるのだろうか。
とても愛おしそうに呼んでいたあの子とやらが少し気になって、でも電車に揺られてここしばらくの睡眠不足が刺激されてしまう。
うとうと、と私は慎司に会えることを心待ちにしながらいつしか眠りに就いていた。
***
暗い部屋に二人の男女が身を寄せ合うようにして座り込んでいる。
二人は錆び付いた柵の向こうにいた。そこは座敷牢だった。お世辞にも衛生的とは言えないその空間に二人はいた。暗く寂しい場所なのに二人は笑っている。
「もうすぐだ」
「もうすぐたね」
くすくす、と薄暗い部屋に二人の笑い声が響く。
「あの子を大きくしてあげなくちゃ」
「子どもはいっぱい食べなきゃいけないからね」
「お腹が空くのは辛いもんね」
二人は互いの薄っぺらい腹を見つめ、それから男が女の腹を柔く何度か撫でた。
そして、まるでお互いを食い合うかのように唇を寄せ合った。
それは口づけなどと称するにはあまりに原始的で本能じみたやり取りだった。
ぐちゃぐちゃと似通った顔が混ざり合うように周りの空間がぐるぐると歪む。
白や黒が混沌と揺れ始めたところで、誰かが身動ぎしたような、不気味な音が響いた。
こちらに来るな、と言いたげなその音は数度響いた後に、力尽きたように消えた。
***
ふ、とまるで肩でも叩かれたかのように自然に目が覚めた。そこは私が降りる駅だった。
ふらふらと覚束ない足取りで電車を降り、改札を抜けて、道を歩き始めた。見覚えのある道。どちらへ向かえばいいのか怖いほどによくわかる。
人通りは少ないけれど、でも確かに数人は歩いている道をどんどん通り過ぎて、いつしか寂しい道になる。それでも私の足は止まらない。
草が生えた道に不意に掠れて読めない標識を通り過ぎると、もう誰も住んでいないであろう壊れかけた家が見えた。
その奥にもまばらに家が見える。ここだ。私が来るべきだったのはここだ。
そう誰に言われるでもなく分かった。私の慎司はここにいる。
早く、早く慎司の元へ行かないと。そう思って一歩足を踏み出した時、さあっと風が通り過ぎて、不意に背後からカサカサと風によるものではない物音がした。
慌てて振り返ると、そこには腰の曲がった小さな老人がいた。老人は皺の入った顔をくしゃくしゃに歪めて、大きく目を見開いていた。
「こんなところに、なんの用で……」
嗄れた声が私に向けられているのだと、一拍置いてようやく気づく。
ただ事ではない様子に私は少し躊躇ってから口を開く。
いつもの返答をしようとして、それならこんなところで何を繕う必要があるのかと正直に答えることにした。
「……恋人を、探しに来ました」
あなたは、と尋ねると墓参りだと短く答えられる。この人はどこから来たのだろう。
さっき幾つか新しそうな家も見かけたから、そちらから来たのかもしれない。
老人はとてもおかしなものでも見るかのように私を見つめていた。その手には何も握られていない。
そして悩んだ挙句仕方なくだとでもいうように、私がもう行ってもいいだろうかと思った時に、老人はもごもごと口を開いた。
「ずっと昔にこの村は壊れた」
自分は結婚してこの村を出たから詳しくは知らないのだけど、と前置きをしてからその人は語り始めた。
私にとってはさして興味のない話ではあったが、あしらって追いかけられたり心配されて警察なんて呼ばれるのは御免だったから、少しだけ聞いてあげることにした。
この村にはいくつかのおかしな風習があったのだという。それはこの村の村長に子どもが生まれれば十の歳になるまで座敷牢で育てるというものだ。
今ではあり得ないおかしな風習ではあるが、当時はこの村の村長の一族はとても優秀で力のある人間で、この村から出て行ってしまわないようにとそれが魂にまで染み込むように座敷牢に閉じ込めたのだという。
それは村の中で秘匿され、表に出ることはなかった。十を過ぎれば今までは病気をしていたようやく治ったのだと言って表に出るのだから、別段目立たなかったのだという?
しかしもう一つ、おかしな風習があった。それは子どもがもしも双子であったなら、大人になるまでつまりは倍の二十になるまで閉じ込めておかなければいけないということだ。
双子は普通の子どもとは違い他の子ども以上に力があると思われていたからだという。
そしてそれと同時に双子は忌まわしきものだという古くからの教えに従い他の村長の子どものように丁重には扱われず、食事を減らし痛めつけ、早く力がその身に大人しく眠るようにと躾けられたのだという。
そして、二人はその痛めつけに耐えきれなかったと、その人は語った。
あの二人だ、と私はそう確信した。それ以外に考えられなかった。
「……二人は死んだ」
老人は打ちひしがれたような目をしていた。どうして二人は死んでしまったのだろうと少し不思議に思う。
死なせるつもりはなかったように話の流れでは思ったのだけど、どうして二人は。殺さなければいけないような事態になったとでもいうのか。それはなんだというのか。
「ややこができた」
は、と声が漏れた。村から一瞬目を離す。それくらい衝撃で、そして、ああそうかと納得してしまうものがあった。
あの二人は、あの双子は、姉弟を思うだけの目をしていなかった。熱い肉欲の情を背負って愛を持った瞳だった。子どもに似合わない目をしていた。
「同じ座敷牢に閉じ込めていたからだ。離しておけば良かった。村長がせっかく一緒に生まれてきたのに、離れ離れになるのは可哀想だと言った。自分も座敷牢の中はとても寂しく孤独だったから、せめてこの子達は一緒に居させてくれと」
この人はどうしてこんなに知っているのだろうと少し不思議に思う。まるで見てきたかのようだ。もしかしてその双子の世話でもしていたのだろうか。
「そうして、子どもが出来た。まだ本人たちも子どもだったのに、見張りは何人もいたのに、それでもややこが腹に宿ったと知った時、皆半狂乱だった……そう風の噂で聞いた」
あくまで聞いた話だという風に老人は続ける。
あの子、とはそのややこのことだったのだろうか。あの双子の片割れは愛する片割れの象徴をその身に宿したのだろうか。
いいな、と少し思う。常識に囚われず、してはいけないことだとも思わず、愛を腹に宿せたのはどれほどの幸せだっただろう。
私と慎司の間では議論するまでもなく、互いの人生のために徹底的に排除されたその可能性を少し羨ましく思う。
「ややこを殺せと、こんなことはあってはならないと、座敷牢にいる間は危険なのに、双子の片割れの女を引っ張り出そうとして、双子の片割れの男がたいそう抵抗したらしい」
その光景がまるで眼に浮かぶようだった。そんなことは許さないだろう。だって二人は二人である以上にひとつだっただろう。
それを引き離すなんて、身体を半分に割くのと同じだ。それがどれだけ苦しいかなんて、私が一番よく知っている。
「そして、力が暴走して、村が少しずつ壊れて、そして、そして、こうなった」
老人がふっと村に目をやって、それからすぐに視線を逸らす。
力、というのは抽象的な、ありはしない架空の何かなのかと思っていたのだけど、そうではなかったのだろうか。
現実にある何か、現実に作用するような、そんなものだったとしたら、この村が滅びたのも仕方ないだろう。
愛する者の為ならば、村一つなんてどれだけの足枷になるか。消してしまって何の後悔があるものか。
「もう誰もここには寄り付かん」
生き残った者はみんな出ていった、と老人はひどく悲しそうに続けた。
「まともな人間がこんな所に来るはずがない。道を間違えたんだ。あんたの恋人はきっと他の場所にいる」
「でも……」
「あんたも早く帰りなさい」
老人は激しく、激しく首を振った。私は老人が手を伸ばしてくるのを咄嗟に振り払った。
「言いたいのは、それだけですか」
そう言い残して、私は村へと走った。もう待てなかった。だってそこに慎司がいるのだ。私にはわかる。私の足が急ぐのだ。
「あの時、止めていれば……」
背後から微かに声がした。後悔に満ちた叫びだった。
ああ、やっぱり見逃した人がいたのかと私は目を細めた。そうでないとおかしい。
見張りがいたというその中で、誰かが二人を哀れに思って互いの傷の舐め合いだと行為を見過ごしてあげたのだろう。
完璧に隠し通すというのは、時にとても難しい。それが子どもであるなら尚更だ。でも時に人はそれを知っていて見逃すことがある。
それは指摘するのを恐れたり、自分の勘違いだと言い聞かせたり、いつか大人になれば普通になるからだと信じたい心からだったりする。
それを私は誰よりも知っている。
走って走って走って、私は大きな屋敷の前に来た。損傷が激しく、今にも崩れ落ちそうなそこに一歩足を踏み入れる。
「慎司?」
そう呼びかけて、ゆっくりゆっくり中へと入る。どこまで行けばいいのだろう。座敷牢とはどこにあるのだろう。ちゃんと聞けば良かった。
そう思った瞬間、視界の端に錆びついた柵が映った。
「みいつけた」
そして、そちらを見たその時、後ろから二本の手が私の背中を押して、ぐるぐると何かに巻き込まれるように私は意識を失った。
***
何かに囲まれている気配がして、私は重い頭を起こした。
「起きた?」
「起きたねえ、起きちゃったね」
「起きなくても、良かったのにねえ」
あーあ、と落胆したような子どもの声にハッとして上を見ると、そこにはあの双子が立っていて、私を正しく見下ろしていた。
「慎司は? 慎司はどこ?」
私が何よりも先にそう尋ねると、しんじ? と二人は不思議そうな顔をして、それから、そういえばと言いたげに同時に頷いた。
「ああ、慎司ならあそこだよ」
二人が指差した方に目を向ける。慎司は向こう側に顔を向けていたけど、それでも間違いなく慎司だった。
本当は今すぐに駆け寄りたいのに、体がなかなか動かない。どうしてだろう。
必死に身動きをしている私のことなど気にも留めず、二人はきゃらきゃらと楽しんそうに話をしている。
「私たちの子ども、好き嫌いが激しいから、私たちと同じ食料しか食べたくないんだって」
「そう、僕たちと同じ二人がいいんだって」
「一緒に生まれて、ずっと愛し合ってる二人がいいんだって」
二人の声に何か違和感を覚えた。慎司の顔は横顔だけなら見える。私と同じ顔をした、髪型以外は全て同じ、横顔が確かに見える。
それは確かに慎司なのに、どうしてだろう、途方も無い違和感がある。慎司、慎司、私はここにいるのに、どうしてこちらを見ないの。靄のかかった頭で私は懸命にもがく。
「困っちゃったよね、なかなか会えないから」
「愛の力だねえ、慎司は妹のこと、守りたかったんだねえ」
「わかるよ、でも、だめだよねえ。赤ちゃんはいっぱい食べなきゃいけないんだから」
ねえ、と二人が声を張り上げた途端、慎司の体が不気味にごろりと動いた。
慎司の顔が見える。私と同じ顔が。でもそこに、顔はなかった。顔の半分が獣に食い千切られたかのように、そこには空しかなかった。
私の双子の片割れで、兄で、唯一無二の恋人は、無惨に左半身が全てもぎ取られたようにしてそこにあった。
「あ、いや、いやああああああ」
私の口から耐え切れないように悲鳴が溢れた。それでも頭は妙に冴えていて、泣くこともできなくて、ただただ叫んでいた。
冴えた頭が私の身体がどうして動かないのかという答えを導き出す。足が誰かに掴まれているからだ。
恐る恐る下を見ると、そこには何かがいた。
何か、としか言いようのない、けれどそれがあの子と呼ばれる子どもであることだけは本能で分かった。
紅い肉のようなものが剥き出しになり、顔も体も何もかも分からないほどにぐちゃぐちゃで、手の残骸らしきものが考えられないほど凄まじい力で私の足を抑え込んでいる。
「いっぱい、お食べ」
「ちゃんと食べられてね、そしたら」
「ずうっと、一緒だよ」
双子の楽しげな声が響く。子どもをあやしているものに近く、けれどそんな二人も変わらず子どもで、子どもしか持てない残酷な無邪気さが虚空に響いていた。
足に篭った鋭い痛さに口は悲痛の叫びを上げるけど、どこか他人事で私は慎司だけを見つめていた。少しでも慎司の側にいたくて、慎司、慎司と呼びかけた。
こんなになってまで私を守ろうとしてくれた愛しい人に涙が浮かぶ。
慎司、慎司、ごめんね。来るなと言ったのに来てしまって。
でもね、こんなことになるって分かってても私は来てたと思うよ。だって慎司のいない世界なんてなんの意味もない。
私の伸ばした指が慎司のどこにも触れないまま痛みによって引き攣って、虚空をかく。
こうなってしまった今、慎司とずっと一緒に居られるということだけが、私にとっての唯一無二の救いだった。
読んでくださってありがとうございます。
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