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7.伝承

 朝が来た。

 小鳥の鳴き声が耳に心地よい。


 ハナエはゆっくりと体を起こす。


 昨日の模擬決闘(もぎけっとう)でガルシアに打たれた右手首には、しっかりアザが残っている。

 だが、腫れはすっかり引いていた。触らなければ痛みもない。

 鼻を近づけると、まだほんのりと良い香りがする。


(エールの軟膏(なんこう)のおかげ、だよね)


 癒されたのは傷だけではない。

 軟膏の送り主は、ハナエを孤独の(ふち)から救ってくれたのだから。


 ――コン、コン。

 ノックの音に続いて、ラームの声がした。


「白の騎士様、朝食の支度(したく)が整いました。食堂までご案内いたします」


「はぁい! ちょっと待って!」


 ハナエは慌てて服に袖を通しながら、頭の中で、昨日考えたことを復唱する。


・敬語を使わない

・王女様に了解を取る


「よし」


 腰のベルトに白い剣を下げると、ハナエはドアの外へと飛び出した。


「お待たせ、ラームさん!」


「え……ええ、参りましょう」


 なぜか元気なハナエを目の当たりにして、ラームは少々戸惑っている様子である。


(さあ、今日はやってやるんだからね!)


 ハナエは無意識に(ゆる)んでくる頬をぺちんと叩くと、ラームと共に食堂へと向かった。



   ***



 食堂は、ひどく静かであった。


 時折、小さく食器が音を立てるだけ。言葉を失ってしまった王女を気遣ってか、誰もが沈黙を保ったまま、食事を続けていた。


 王女やラームのほかに、ガルシアの姿もある。どうやら、昨日の傷はそう深手ではなかったらしい。


 目の前の食事を口へと運びながら、ハナエにはひとつの疑問が浮かんでいた。


 この食事、味はとても凝っている。

 だが、材料が驚くほど質素なのだ。王宮で食べられる食事にしては、あまりにも。


(どうしてだろう、貧しい国には見えないんだけど)


 首をかしげるも、それは後だと思い直す。

 今やらねばならないことは、別のことなのだ。


(――よし!)


 良い香りの茶がカップに注がれる。そのタイミングで、ハナエは口を開いた。


「ねえ、王女様。お願いがあるんだけど」


 周囲が少しざわついたが、ハナエは気づかないふりをして王女を見つめた。

 王女は『何?』と問うように、小さく首をかしげている。


「白の騎士としての役目を果たすために、相談役としてアデルを貸してほしいの」


 さっきより大きなざわめきが起きる。


「アデル、というのは――昨日のガーラントの小僧ですな」


 ガルシアがハナエの方を向いた。


「白の騎士殿、相談役ならラーム殿や侍女たちがおりますぞ。なぜわざわざ、あの小僧をご指名になられるのですかな」


 ハナエはひとつ深呼吸をすると、昨日考えたセリフを口にした。


「昨日、夢でお告げがあったの。『この国を救うには、アデルの助けが必要だ』って!」


 誰もが浮かない顔をしている。半信半疑なのか、それとも「どうしてアデルが?」という思いなのか。


 だが、それも想定していたこと。

 ほかの連中が何を言おうが、もうかまわないのだ。


 ハナエは王女を見つめて言った。


「いいよね、王女様!」


 王女はにこりと笑うと、大きく頷いた。



   ***



 それから数時間後――。

 ハナエの部屋のドアが、コンコンと音を立てた。


「ハナエ様、アデルです」


「いらっしゃい、待ってたよ」


 ハナエがドアを開けると、両手に本を抱えたアデルが立っていた。


「どうすればハナエ様とお話できるかと考えていたのですが……まさか王女様からご指名があるとは思っておりませんでした」


「へへっ、うまくいったでしょ」


「いけない人ですね、国のお偉方(えらがた)をだますなんて」


 口ではそう言いながら、アデルも笑っている。


「いろいろとお話をしなければいけませんので、少し話が長くなってしまいます。お疲れになったら、そうおっしゃってくださいね」


「うん。あ、アデル、その前に」


「どうしました?」


「何か紙と、書くものがないかな――鉛筆とか、ペンとか」


「筆記用具ですか、少々お待ちください」


 アデルは自分の荷物を探って、紙束と鉛筆のようなものを取り出した。


「これでよろしいですか?」


 ハナエの良く知る鉛筆とは少々違うが、書き心地はそう変わらないようだ。これなら、問題なくメモを取ることができる。


「うん、ありがとう」


 アデルは頷くと、ハナエの向かいに座った。


「では、順を追ってご説明いたしましょう。この国に何が起きたのか――そして今、何が起こっているのかを」


 アデルはそう言うと、地図を広げた。



   ***



「この世界には、ふたつの国が存在します。ひとつは、この『白の国』。もうひとつは、谷を国境として北側に位置する『黒の国』です」


 周囲を森に囲まれた地図の南側には、なだらかな丘が描かれている。こちら側が白の国なのだろう。

 地図のほぼ中央には川が描かれ、その北側はごつごつとした岩山が描かれていた。


「この地図にもあるとおり、白の国は丘陵地が多いです。なだらかな地形と穏やかな気候が特徴で、おもな産業は農業です。対して黒の国は山岳地帯が多くを占め、火山などもあります。鉱物資源が豊富で、鉄鋼業などが盛んな工業国です」


「それ以外のところは、全部森なの?」


「そうです。ただ、森がどこまで続いているのか、その向こう側がどうなっているのかは分かっていません」


 アデルの指先が、地図の右下を指す。


「ここが『白鹿の泉』――ハナエ様が王女様とお会いになった場所ですね。そしてここが、私たちのいる『白の王城』。なんとなく、距離感は分かりますか?」


「うん。そんなに大きな国ではないのね」


「はい。白の国も黒の国も、そう広い国ではありません」


 アデルは頷くと、説明を続ける。


「白の国を治めているのは、白の王女様。そして黒の国を治めているのは、黒の王と呼ばれるお方です。僕はお会いしたことがありませんが、大変美しい方だと聞いています」


「へえ」


 白の王女と初めて会ったときは、泉の女神かと思ったものだ。きっと同じように、黒の王も見目麗しいのだろう。 


「おふたりが王位についたのは五年ほど前。それまでは先代が治めていたのですが、その頃の両国は争いが絶えませんでした。現在では、両国が戦になるようなことも起きていませんから、ずいぶん平和になったと言えそうです」


「そっかぁ」


「ここまでのお話が、この世界の概要となります。分からないところはないですか?」


「えっと、ちょっと待ってね」


 ハナエはそう言うと、鉛筆を手に取った。


――――――――――――――――――――

 ・白の国 農業の国 白の王女が統治

 ・黒の国 工業の国 黒の王が統治

――――――――――――――――――――


「なるほど――物事を簡潔に記すことで、頭の中を整理しておられるのですね」


 アデルが手元をのぞき込んで感心している。書いてある言葉は読めなくても、ハナエの意図は理解できたようだ。


「納得しないと先に進めない性格なの。周りの人が何を言っても、自分が納得できないと受け入れられなくて……正直、自分自身が面倒くさい」


 ハナエは苦笑いを浮かべた。が、アデルは優しい瞳でハナエを見返した。


「僕は良いことだと思いますよ。あなたはちゃんと考えている。自分の頭で考えて、自分の言葉で理解しようとしている。それはとても大事なことだと思います」


 ハナエは嬉しくて、けれどちょっと照れくさくなって、思わずうつむいた。


「そんな風に言ってもらったの、初めてだ」


「そうですか?」


「でも、面倒くさいでしょ?」


「いつかその面倒くさい部分が、ハナエ様を助ける時が来ますよ」


「そうかなあ」


「ええ、きっと」


 アデルはニコニコ笑っている。


「ねえ、アデル。平和になった白の国が、どうして救世主を待ち望むようになっちゃったの?」


「まず初めの異変は、作物が取れなくなってきたことでした」


 ハナエは「あっ」と声を上げた。

 朝食の時に気づいた違和感――王宮の食事なのに内容が質素なのは、こういう理由だったのだ。


「まだ飢餓(きが)が起こるほどではありませんが、それも時間の問題でしょう。農作物は黒の国にも輸出しておりましたが、ここ数年は激減。それにともなって、両国の間も徐々に険悪になっていったのです」


「原因は何なの?」


「全く不明です。天候のせいでも、降雨量のせいでもない。何が原因か分からないまま、収穫量だけでなく、栽培できる作物の種類も減る一方です」


「そっか……」


 アデルは険しい表情で頷くと、さらに続ける。


「謎の不作に国中が苦しむ中、さらなる異変が起こりました。王女様の口がきけなくなってしまったのです」


 ハナエは、王女の悲し気な瞳を――か細い手を思い出して、小さくうつむいた。


「王女様はこの国の要です。口がきけなくなった事実は伏せられていたのですが、どこかから話が漏れたのでしょうね。一部の国民には知られてしまったようです」


 アデルは深くため息をついた。


「そうして不安と猜疑心(さいぎしん)が広がった人々の間に、とある噂が広がっていきました」


「噂?」


「これはすべて、魔女の仕業だ――と」


「えっ、魔女?」


 目を丸くしたハナエに、アデルは真面目な顔で頷いた。


「はるか昔、この国に魔女が現れ、数々の悪事を働いたという伝承が残っているのです。その魔女が復活し、世界を今一度恐怖に陥れているのだ、と」


「それ、本当なの?」


「今のところは、ただの伝承にすぎません。ですが、不安と恐れにとらわれた人々にとっては、それで十分でした」


「どういうこと?」


「作物が取れないのも、王女様の不調も、すべて魔女の呪いだと……国民だけでなく城の重鎮(じゅうちん)たちまでもが、皆そう信じ切っています」


 アデルは立ち上がると、大きな窓へと歩み寄った。カーテンを閉めようと伸ばしたその手が、一瞬止まる。


「この国の人々は、考えることをやめてしまったのです――不安に駆られ、恐れ、すべてを魔女の呪いのせいにしてしまおうとしている。僕は魔女の呪いより、そんな人々が作る未来の方が怖いのです」


 まぶしい昼の光が、アデルの背に影を落とす。


「分からないことを呪いで片付けてしまうのは簡単です。でも、それでは何も解決しない。原因を知らなければ、解決方法は見つからないのです」


 アデルが静かにカーテンを引く。やわらいだ日差しは、テーブルの上をきらきらと優しく照らす。


――――――――――――――――――――

 ・作物が取れなくなった

 ・王女様の口がきけなくなった

 ・魔女の呪い?

――――――――――――――――――――


 アデルはふたたび席に着くと、口を開く。


「伝承では、魔女は書物に封印されたとされています。ですから人々は、手当たり次第に書物を焼き捨ててしまいました」


「ええっ?!」


「ですが、王女様は一向に良くならない。作物も相変わらず取れなくなっていくばかりです」


「そりゃそうだよ!」


「魔女を倒すしかないと言って、討伐隊も結成されました。ですが、誰も戻ってきませんでした」


「どうして?」


「分かりません。下調べもせずに深い森へと踏み込んだため、迷ってしまったのではないかと」


「そんな……」


「出口のない迷路をさまようような日々に、人々は次第に疲れていきました。そんなとき、あなたが現れたのです。『白い剣』を携えて……」


――――――――――――――――――――

 ・白い剣

――――――――――――――――――――


「『白い剣』って、いったい何なの?」


「これも古い伝承です」


 アデルは慣れた手つきで本をめくると、あるページを広げて見せた。ハナエには読めない記号のような文字が描かれている。


「運命さえも断ち切る『白い剣』。途切れた思いすらつなぐ『黒い剣』。邪悪な影に沈むとき、光もまた現れる。剣は魂――それが世界を照らすとき、約束は果たされる」


 アデルの言葉が、朗々と部屋に響く。ハナエはじっと耳を傾けていた。


「伝えられているのはこれだけです。『白の剣を携えた者こそが救世主だ』という解釈が正しいかどうかは、実は分かっていないのです」


「じゃあ、過去に白の騎士が現れたとかいう話は?」


「僕は聞いたことがありません。正直に申しますと、ただのおとぎ話だとばかり思っていました」


「うん、私もまだ、夢なのかもしれないって思ってる」


――――――――――――――――――――

 ・白い剣 運命さえ断ち切る

 ・黒い剣 思いすらつなぐ

――――――――――――――――――――


「『黒い剣』っていうのもあるんだね。じゃあ、黒の騎士もいるのかな」


「いるかもしれませんね――さて、ハナエ様。少しは現状が把握できたでしょうか」


「うーん……」


 ハナエはメモを見ながら頭を抱えた。

 アデルは優しく微笑んで、そんなハナエの様子を眺めている。


「ねえ、アデル」


 ハナエはふと顔を上げた。


「はい、何でしょう」


「アデルはどうしてそんなに詳しいの?」


「じつは……」


 アデルは苦笑いを浮かべて言った。


「僕も、納得がいかないことがあると先に進めない性格なのです。納得がいくまで、徹底的に調べずにはいられない性分なのですよ」


「うわあ、面倒くさい!」


 アデルは「あはは!」と大声で笑った。ハナエも笑う。

 真剣にならなくてはいけないのに、どうしてこんなにおかしいのだろう。


「それで、自分なりにいろいろと調べていたのです。魔女の呪いというのが、どうもピンとこなくて」


「呪いとか、非科学的な事は信じてない、ってこと?」


「いいえ、そうではありません。科学がすべてではありませんから。ただ、この時点で呪いだと決めつけるのは、尚早(しょうそう)なのではないかと」


 アデルは指を組むと、考え込むように言った。


「まだ、僕たちは何も知らない状態です。まずは知らなければ、何も始まりません」


 ハナエは、ほーっと息をついた。


「アデルはすごいね。見ている世界が広いのね」


「いいえ、とんでもない。すごくなどありません。僕は見てのとおり、兵士の中でも落ちこぼれですし……」


「そんなことない!」


 突然。

 自分でも驚くほど、強い言葉が飛び出した。


 アデルも目を丸くしている。


「アデルはすごいよ! 私はそう思う。ほかの人がどう思っていようが、関係ないよ!」


 アデルはしばらく固まっていたが、やがてうつむいて言った。


「そのように言ってもらえたのは、初めてです」


 それは照れたような、嬉しそうな声だった。


 なんとなく気恥ずかしい、こそばゆいような少しの沈黙。

 さまよう視線は、自分が書いたメモの上で止まった。


――――――――――――――――――――

 ・作物が取れなくなった

 ・王女様の口がきけなくなった

 ・魔女の呪い?

――――――――――――――――――――


「アデルは、王女様の口がきけない原因について、どう思っているの?」


「健康上の問題ではなさそうだ、とは思っています。王女様は顔色も悪くありませんし、急にお痩せになったということもありませんので」


「作物が取れなくなったことは?」


「それが……」


 アデルは急に肩を落とす。


「どうかしたの?」


「詳しく調べてみたいのですが、僕には自由に城から出る権限がないのです」


「えっ、どうして?」


「宮仕えとはそういうものなのです。一般の近衛兵は、勝手に外に出てはいけないのです。ガルシア様の隊にいる一部の近衛兵だけが、外を巡回しています」


「けっこう窮屈(きゅうくつ)なんだね」


「ははは、そうですか? 僕はもう慣れました」


 ハナエはぐっと拳を握ると、「よし!」と言って立ち上がった。


「ど、どうなさいました?」


「アデル、お城の外に行こう!」


「えっ?」


「だって、原因を知らないと、解決策は見つからないんでしょ?」


「は、はい……」


 まだ戸惑っているアデルの両手を、ハナエがぎゅっと掴んだ。


「一緒に行こう! ううん、私と一緒に行ってほしい。お願い、アデル!」


「も、もちろんです! このアデル、どこまでもお供いたします!」


 アデルも椅子を鳴らして立ち上がる。

 ハナエはアデルの手を握ったまま、ぱっと笑った。

次回は3/7の夜に公開予定です。

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