5.模擬決闘
城の裏手にある、兵士たちの訓練場。
その中央では、ハナエとガルシアの模擬決闘が行われていた。
当然だが、全く相手になどならなかった。
模擬決闘といえば聞こえはいいが、単にハナエが一方的に叩き伏せられているだけである。
これでも手加減しているのだろうが、振り下ろされる木刀は鋭く重い。受け止めるだけでもしびれるほど手が痛い。
ハナエには、ただひたすらガルシアの剣から逃げ回ることしかできなかった。
「形だけのダメ騎士には、お似合いの姿だな」
ヨシュアはバカにしたように笑った。
周囲を囲むように集まった兵士や侍女たちも、クスクスと笑っている。
「白の騎士殿、手加減は不要ですぞ!」
ガルシアは全く息も乱さずに、軽々と木刀を振り回す。
一方のハナエは、もう立っているのも精一杯だった。
防具の上からとはいえ、ガルシアの一撃は強烈だった。
木刀に打たれた場所が、焼けるように熱い。ドクドクと脈打つたびに、痛みの波が押し寄せてくる。気を抜くと木刀を取り落としてしまいそうだ。
骨は折れているのだろうか。血は出ているだろうか。意識もあいまいになってきて、よくわからない――目がかすんで、喉はもうガサガサで悲鳴も出ない。
「もし愛用の剣がよろしいのなら、『白い剣』をお使いいただいて結構でございますよ!」
ガルシアは余裕の笑顔でそう言った。
「白い、剣……?」
腰のベルトにつり下がっている、白い剣。
ハナエの脳裏に蘇る、白い刃を伝う、赤い血――。
(嫌だ! もう、あんなことはしたくない!)
ハナエは大きく頭を振ると、木刀を握りしめる。
「やあっ!」
「ふんっ!」
衝撃と共に、腕に激痛が走る。
ハナエは、ついに木刀を取り落としてしまった。
あまりの痛みに、息ができない。膝をつき、苦しさに喘ぐ。
そんなハナエの頭上に、とどめの一撃が振り下ろされる――。
――ガン! と、木刀どうしがぶつかる音がした。
周囲のどよめきに、ハナエはおそるおそる目を開けた。
なんと、誰かがハナエをかばうように、ガルシアの木刀を受け止めているではないか。
「ガルシア様! もうおやめください!」
聞き覚えのある声だった。確か、さっきヨシュアからかばってくれた、あの若い兵士――。
「貴様は……ガーラント一族の小僧だったな。何用だ」
「ここまでにしてください。これ以上この方を痛めつける必要はないでしょう!」
「どけ、模擬とはいえ決闘だぞ! 邪魔をするなら貴様もただではおかぬ!」
「いいえ、どきません!」
「なんだと……?!」
ガルシアの声色が変わった。
兵士たちの間に、ざわめきが走る。
「おい、やばいぞ! 誰か止めろ!」
「バカ言え、ああなったら誰も止められねえよ」
「ガルシア様、熱くなりすぎて我を忘れちまってるんだ」
「最悪、死人が出るかも……」
誰もが真っ青な顔をしてうろたえているが、どうすることもできない。
結局、誰もが息を飲んで見つめているしかなかった。
全員が注目する中、ガルシアが木刀を振り上げる。
「身の程を知れ、小僧ッ!」
周囲を揺るがす一喝とともに、木刀が青年の頭上に振り下ろされる――。
「馬鹿野郎! 逃げろ、アデル!」
ヨシュアが怒鳴った。だが、若い兵士はその場を動かない。
ハナエはとっさに『白い剣』を掴んでいた。
「だめ!」
次の瞬間――。
乾いた音が響いた。
ガルシアの木刀は、いとも簡単に空中へとはじき飛ばされていた。
いつの間にか、ハナエは青年の前に飛び出していた。
右手には、純白の柄がしっかりと握られている。
ハナエは見た。その手の甲に、白い紋章のようなものが輝いているのを。
「なに、これ……?」
戸惑うハナエの意思に関係なく、『白い剣』が向きを変える。
剣を握っているのは自分なのに、まるで『白い剣』のほうがハナエを操っているようだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
ハナエの右手が、そのままガルシアに向かって大きく振り上げられる。
一方のガルシアは、何が起きたのか理解できない様子で、その場に呆然と立ち尽くしている。
「待ってってば! 止まって『白い剣』!」
白雷一閃――!
白刃は、まっすぐにガルシアの肩を射貫いていた。
声もなく倒れるガルシア。
広場にいる誰もが、凍り付いたように動けなかった。
「どういうつもりだ、貴様!」
ヨシュアが足早にハナエに近づくと、その肩を掴み上げる。
「わからない……あたし、何をしたの……?」
「何をしたの、だと? お前、いいかげんにしろよ! よくも隊長を……」
ヨシュアの言葉を遮るように、くっくっく……と、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
「わーっはっはっは! これはしたり!」
大の字になって倒れたままで、ガルシアが笑いだした。
「隊長!」
「隊長、大丈夫ですか?!」
「お怪我は?!」
駆け寄った兵士たちに支えられて、ガルシアはゆっくり立ち上がる。
その肩には、血の赤がじわりと滲んでいた。
「ご、ごめんなさいっ! あたし、あたし……!」
「はっは、お気になさることはありません。この程度はかすり傷でございますよ。それよりも――」
ガルシアはその場に跪くと、ハナエに深く頭を下げた。
「度重なるご無礼をお許しください。このガルシア、完敗にございます」
「そ、それは!『白い剣』が勝手に――」
「いいえ、あなたこそ真の白の騎士。どうかこの国を、平和へと導いてください」
「そんな、あたし……あたしは……」
それ以上、言葉が続かなかった。
こんなはずじゃなかったのに……ガルシアを傷つけるつもりなんてなかったのに……。
「決闘はここまでじゃ! 皆、持ち場に戻れ!」
ラームのいかめしい声が響いた。
集まっていた人々はどこかほっとした様子で、逃げるようにそそくさと立ち去っていく。
「あなたもお部屋にお戻りくださいませ」
「ラームさん、あたしは……」
ラームはきつい目でハナエを黙らせると、城内へと足早に戻っていく。
突風が木々を乱暴に揺らす。
千切れた葉が数枚、ハナエの頬を打って飛んでいく。
白い剣を握りしめたままで、ハナエはその場から動けなかった。
***
夕暮れがまぶしい。
カーテンが揺れるたび、沈みかけの西日が石造りの壁を朱色に照らす。
部屋に戻ってからずっと、ハナエは床に座り込んだままでいた。
一度、ラームが食事を部屋まで運んできたが、食べる気力もなかった。
体が痛い。
胸の奥も痛い。
(どうして……あたしなんだろう)
これが夢ではないとしたら、なぜ『白い剣』は自分を選んだのだろう。
自分ではなく、例えば――もし、それが景山さんだったら――きっとこんな惨めなことにはならなかったはずだ。
きっと彼女なら、わけの分からない世界のことも、すぐに受け止めただろう。
皆に期待を押し付けられても、笑顔で背負ってみせただろう。
ガルシアとの模擬決闘でも、きっといい戦いをしたに違いない。
自分は脇役、通行人A――景山さんとは違う。
そんなこと分かっている。分かっているのに胸が痛い、こんなにも息が苦しい。
「こんな思いをするくらいなら、最初にあの悪党に殺されちゃったほうがよかったのかな……」
ハナエはぽつりとつぶやいた。
夕暮れから夜へと、空が表情を変えていく。
次第に暗くなっていく部屋の中、床に投げ出したままの『白い剣』だけが、ぼんやりとした白い光を放っている。
(あのウサちゃん、どうしてるかな……)
泉ではぐれてしまった、あの茶色いウサギーーあの子が今、ここにいてくれたらいいのに。
夕暮れの風が、カーテンを大きく揺らす。
もうすぐ夜が来る。
――ゆっくりと、二回。
ドアをノックする音が響いた。
ハナエはのろのろと立ち上がる。
「ラームさん?」
けれど、細く開けたドアの向こうにいたのは、ラームではなかった。
そこにいたのは、例の若い兵士――ヨシュアの酷い言葉から、そして、ガルシアの恐ろしい剣から自分をかばってくれた、あの青年だった。




