4.王城にて
「開門!」
勇ましい兵士の声を合図に、門は重々しく開いていく。
「うわぁ……」
巨大な城壁を見上げて、ハナエは思わずため息をついた。
「さあ、白の騎士様。参りましょう」
ラームと名乗った侍女が、にっこりとハナエに笑いかける。
(白の騎士って、何だろう……)
ハナエは首をかしげつつも、促されるまま城内へと足を踏み入れたのだった。
森を抜け、街道から馬車に乗って一時間ほどだろうか。
ハナエが連れてこられたのは、中世ヨーロッパにありそうな洋風の城であった。
さきほどの泉も美しかったが、この城もまた、夢のように美しかった。
立ち並ぶ尖塔や石造りの壁は、まるで童話の世界から抜け出してきたようである。
庭園の緑は、しぼりたての絵の具のように鮮やかにきらめいている。柵や装飾品にも凝った意匠が施されており、錆にさえ品格をまとってたたずんでいる。
そのすべてを輝かせているのは、まばゆいほどに白い城壁だった。
「綺麗なお城ですね」
ハナエが思わずそう言うと、ラームは誇らしげに頷いた。
「なんといってもこの王城は、『白の国』を象徴する建物ですから」
「白の国?」
「あら、お戯れを。白の騎士様ともあろうお方が、我が国をご存じないなど……ふふふっ」
「え、あ、ああ……まあ」
ハナエは曖昧に笑っておいた。
(メモ帳が欲しいなぁ。考えがまとまらないよ……)
頭の中で必死に考えをめぐらせているが、一向に話が見えてこない。
そんなハナエの混乱をよそに、一行は城内へと進んでいった。
***
二十人ほども横並びに歩けそうな広い階段を上り、長く伸びた回廊を進む。
しばらくすると、ひときわ豪華な装飾のされた、大きな扉が見えてきた。
側に控えていた兵士が、うやうやしく扉を開ける。
足元から真っ直ぐに伸びた、鮮やかな緋色の絨毯。
その終点には、天井に届くほど高い背もたれの、空の玉座がひとつ。
銀色の髪が、ハナエの横をすり抜ける。
王女は真っすぐに絨毯の上を進むと、やがて花が舞うようにふわりと振り返り、静かに玉座に腰を下ろしたのだった。
彼女は甘く微笑むと、口を開けたまま見とれているハナエに手招きをする。
「白の騎士様、王女様がお呼びです。さあ、早く」
「え、あ……は、はい!」
王女の優雅さとは雲泥の差で、ハナエはぎくしゃくと赤い絨毯の上を進んでいく。
長い直線を歩ききって、何とか王女の前までたどり着いた。
「白の騎士様に、敬礼!」
いかめしい兵士の声と同時に、広間に並んでいた人々が一斉に首を垂れる。
ハナエはどうしていいか分からず、おろおろと王女を見つめるばかりだった。
「あ、あの……王女様、お伺いしたいことがあるんですけど」
王女は少し困った顔で、それでも優しくハナエを見つめ返す。
「あの、王女様……?」
戸惑うハナエに、ラームが沈んだ声で告げた。
「王女様はお声を失っておられます」
「声を?」
「はい。ですから、ご質問ならわたくしに」
「あ、はい……あの、『白の騎士』って何ですか?」
広間は、一瞬で沈黙に包まれた。
「……騎士様、ご冗談を」
「いえ、冗談ではなくて、本当に何のことかわからないんです」
困り果てた様子のハナエに、ラームは少し険しい表情を浮かべながら口を開いた。
「白の騎士とは、伝説の『白い剣』を携えし者。この『白の国』にとって、救世主となるお方のことでございます」
「救世主?」
「そうです。まさに今、この国には危機が訪れつつあります。王女様のお声が失われ、隣国である『黒の国』からの脅威も日に日に増している――城下では盗みや人さらい、さらには魔女なるものの噂まで囁かれております。そんな時だからこそ、白の騎士様が現れたのでしょう? この国を救うために」
「で、でも……そんなのどうやって?」
「どうやって、ですと?」
ラームは、今度は呆れたように笑う。
「白の騎士が現れ、この国を救う――我ら白の国の民には、そう伝えられております。あなた様がここに現れたということは、我らはもう安心してもよいということ。あとはあなた様のお仕事でございます」
「ちょ、ちょっと待ってください! 国の一大事を、私ひとりでどうにかするなんて無理です! 何をしたらいいのか、せめて一緒に考えてください!」
「我々の考えなど不要でございましょう。『白い剣』はあなた様を選んだのです。ならば全てが上手くいくはず――もし、あなた様が本物ならば」
一斉にざわめきが広がる。
「……おかしいと思ったのよ。あんなみすぼらしい格好だし」
「人違いじゃない? 白の騎士様といえば、素敵な殿方なんじゃないの」
「あの『白い剣』だって、本物かどうか……」
集まった人々の囁き声が聞こえてくる。
ハナエはぎゅっと目をつぶった。
(ああ、嫌だ……だから目立つことはしたくないのに)
胸の奥が、じくりと痛む。
人々の無遠慮な悪意が、音もなくにじり寄ってくる。
耐えるように握りしめた右手に、そっと、あたたかいものが触れた。
目を開けると、いつの間にか王女が隣に立っていた。
(ご、め、ん、な、さ、い)
王女の口が、音もなくそうつぶやいた。
広間から、ひそひそと囁く声が聞こえてくる。
「……王女様の『祈りの儀式』が、失敗したんじゃないかしら」
「お声をなくされたままでは、きっと不完全だったのよ」
「先代王は、失敗なんてなさらなかったでしょうに……」
「まだお若いから、仕方ないのかしらねぇ……」
つないだ手が、小さく震えている。
ハナエは、腹の底が煮えるように熱くなるのを感じた。
自分の事なら構わない。
確かにハナエは、救世主にふさわしく見えないのだろう。
(だけど、この子が何をしたっていうの? この国のために、必死に助けを求めていたんじゃないの!)
ハナエはか細い手を強く握り返すと、大きく息を吸い込む。
煮え立つような熱が、喉の奥からこみあげてくる。
目立つことは怖い。
(だけど――こんなの見過ごせるわけないじゃない!)
ハナエは、顔を上げた。
「いい加減にしなさいよ!」
鋭い怒声が、広場に響く。
水を打ったように、ざわめきがぴたりと止まった。
「白の騎士に全部まかせておけばいい? 自分たちの考えは不要? なにそれ、全部人まかせじゃない! 自分たちの国の問題なんでしょう? だったら少しは自分たちでも考えなさいよ!」
強い言葉が次々に飛び出してくる。自分が自分ではない気がした。それでも、もう黙ってうつむいているわけにはいかない――この小さな手を、二度と離したりはしない。
「挙句の果てに王女様まで悪く言うなんて、恥ずかしくないの? 揃いも揃って、みんな自分勝手すぎるわよ!」
向けられる目が、徐々に憎悪へと変わるのを感じる。
それでもハナエは、まっすぐに立っていた。
震えて逃げ出しそうになる足に力を込めて、広場を睨み返す。
その時であった。
「ガタガタうるせえんだよ、お前」
群衆の中から、不躾な声が響いた。
ひとりの兵士が、ハナエの前へと歩み出る。
「まあ、ヨシュア様よ」
「いつ見ても素敵よね」
侍女たちが華やいだ声でささやき合っている。
それも当然だろう――彼は若く、そして美しかった。
漆黒の髪、精悍な顔立ち。
背は高く、すらりとしていながらも鍛え上げられた体つきは、いかにも腕の立ちそうな様子である。
『通行人A』のハナエとは違って、彼は間違いなく『中心人物』なのだろう――そう、同じクラスの景山綾のように。
冷たく整ったその顔立ちの中で、シルバーブルーの瞳だけが怒りに燃え、ハナエを睨みつけている。
「『白い剣』に選ばれておきながら、喚いてんじゃねえよ。お前なんかが『白の騎士』になったせいで、皆が迷惑してんだろうが」
その兵士――ヨシュアは長い足でハナエに歩み寄ると、腰に佩いた白い剣を強引に掴む。
「よこせ! その剣のチカラがあれば、お前になんて用はねえんだよ!」
そしてハナエを突き飛ばすようにして、ヨシュアは『白い剣』を奪い取ってしまった。
よろけて倒れ込んだハナエをかばうように、王女がその肩を抱き起こす。
その様子に、広場の人々は冷たく笑った。
だが――。
『白い剣』がヨシュアの手の中にあったのは、ほんの数秒だけであった。
『白い剣』は淡く輝くと、光の粒へと姿を変えてはじけ飛んだ。
光の粒はくるくると舞いながら、次々とハナエの腰に集まる。そして、ひときわ強く輝くと、再び一本の剣へと姿を変えたのである。
「おお……!」
皆が息を飲んだ。
「これぞ伝説の『白い剣』!」
「確か言い伝えでは、騎士と剣は一心同体、離れることはないというぞ」
「素晴らしい、まさに騎士様の一部だな」
ヨシュアは一瞬、驚愕したような表情を浮かべた。だが、すぐに再び不愛想にハナエを睨みつける。
「ふぅん……こんなヤツでも、『白い剣』にとっちゃ主人ってわけかよ。だったら――」
王女がハナエをかばうように飛び出す。
だが、それより一瞬早く、ヨシュアの剣の切っ先が、ハナエの目の前につきつけられていた。
「お前をここで殺せば、その剣はどうなるんだろうな。新しい騎士が召喚されるのなら、そのほうがいいだろ。やってみるか?」
息ができない――命を貫く冷たい切っ先が、真っすぐこちらを向いている。
怖い。ハナエの背中を、凍り付くような恐怖が滑り落ちていく。
広間中の誰もが、息を殺して状況を見つめている。
そのときであった。
「おやめください、ヨシュア様!」
声がした。
ひとりの兵士が、ハナエとヨシュアの間へ飛び出してくる。
「アデルか、お前みたいな弱虫が何の用だ」
「おやめください、あまりに乱暴ですよ! 女性に剣を向けるなど、剣士としての行いにふさわしくありません!」
「ハァ? お前が剣士を語るとはな……一人前に剣を振れるようになってから言えってんだ!」
鼻で笑うと、ヨシュアは長い足で兵士の鎧を蹴飛ばす。
兵士はよろけ、その場に尻餅をついてしまった。
ヨシュアは再びハナエを睨み付ける。
「覚悟のない奴など、この国にはいらん。たとえそれが伝説の騎士でもだ。どうせ、『白い剣』に偶然選ばれただけの役立たずだろうがな」
ハナエはぎゅっと唇を噛んだが、それでも目は逸らさなかった。
確かにこの男の言う通り、自分は偶然選ばれてしまっただけの存在だろう。
だけど。
(だけど王女様にはもう、他に頼れる人間はいないんだ)
ハナエにも理解できる。ここにはこんなに人がいるのに、きっと彼女はひとりぼっちなのだ――と。
(あたしはもう、この手を振り払ったりしない――何を言われたって、絶対に)
ハナエは真正面からヨシュアに視線をぶつけてやった。
ヨシュアはふんと頬をゆがめ、そんなハナエを見下したように笑った。
そのときだった。
バン! と、部屋の扉が勢いよく開いた。
「王女様っ、ただいま戻りましたぞぉっ!」
ビリビリとシャンデリアが震えるほどの大声だ。
飛び込んできたのは、ひとりの大柄な兵士だった。
ライオンのたてがみを思わせる、茶褐色の髪とひげ。立派な鎧を身に着け、巨大な剣を背中に背負っている。
「まあ、ガルシア隊長。そのような大声を出されては、王女様が驚いてしまいますわ」
「おお! これはすまぬ、ラーム殿! わっはっは!」
ラームは顔をしかめてみせたが、目が笑っている。
広間の冷たい緊張はすっかり解け去り、皆の顔にもほっとした柔らかさが戻ったようだ。
隊長と呼ばれていたのだから、ヨシュアの上官ということになるだろう。
なるほど、豪快で快活、そしてどこか憎めない笑顔は、人の中心に立つ魅力を十分感じさせる。
いきいきと輝く大きな瞳が、ふいにハナエを捕らえた。
「ん? こちらの姫君はいったいどなたかな?」
「こちらの方が、『白い剣』を携えておりましたの」
ハナエが答える前に、ラームが告げる。
「なんと……真か?」
「どうやら、『白い剣』は本物のようですわ」
ラームは含みのある言い方で、冷たく笑った。
「それは、大変失礼をいたしました! いやあ、ついに我が国に現れし白の騎士、これはぜひともお手合わせ願いたいものだ!」
「えっ?」
ガルシアは陽気に笑っている。息を飲んだハナエをちらりと見やると、ラームがパチンと手を叩いた。
「それはよいお考えですわ! すぐに兵士の練習場で、模擬決闘を行いましょう」
(模擬決闘……って!)
そんなこと、ハナエにできるわけがない。剣道だって、授業でしかやったことがないのに。
見るからに強そうなガルシアと手合わせするなど、子猫がライオンに戦いを挑むようなもの――いや、それ以下か。子猫にはキバも爪もあるが、ハナエには何もない。
「では、白の騎士殿、こちらへ。動きやすい服装にお召し替えください。なあに、ご心配なく。ほんの腕試しでございますよ!」
目を見開いて振り返ると、ラームが意地の悪い笑顔を浮かべている。他の侍女や兵士たちも、小馬鹿にしたような薄笑いでハナエを眺めている。
もう、断れる雰囲気ではなかった。
第5話は3/4の21:45投稿予定です。




