23.黒の国
白の王城を出発してから、ちょうど四日目。
こんもりと茂る緑の木々が多かった風景は、いつしか細長い針葉樹が立ち並ぶモノクロームの景色へと変わっていた。
地形も、ゆるやかな丘陵帯ではなく、急な岩壁や切り立った崖などが目に付く。
渓谷をひとつ越えただけで、これほど違う風土だとは。ハナエは呆然と周囲を見渡していた。
「見えてきたわ。あれが黒の王城よ」
遠くを見つめて、アヤが言った。
切り立った崖を背に、巨大な黒い鉄の箱が鎮座している――それがハナエにとっての、黒の王城の第一印象だった。あたりに薄く霧がかかっているのは、背後の崖から流れ落ちる滝のせいだろう。
黒を基調に作られた黒の王城は、優雅でたおやかな白の王城に比べて、武骨で威圧的な造りをしていた。
装飾などはとくにない。そびえたつ城壁、そして鉄でできた堅牢な城門。城の内部も、大砲や矢の発射台ばかりが目に付く。
中で働く兵士たちも、甲冑に身を固め、誰もが武器を手にしている。
ハナエは気圧されないように、背筋を伸ばして馬車を降りた。
それでも、なんとなくヨシュアの影に隠れてしまう。
「なんだよ」
「ちょっと緊張して……」
「ったく……しっかりしろ、バカ」
ヨシュアはそう言いつつも、アデルとハナエをかばうように前を歩いてくれた。
***
アヤはハナエたちを連れ、真っすぐに謁見の間へと向かった。
しかし、そこに黒の王が現れることはなかった。
「よくぞおいでくださいました、白の騎士、そして勅使の皆さま。黒の国はあなた方を歓迎いたします――が、王様のお体の具合が芳しくないため、本日の謁見は延期とさせていただきたく存じます。王様のお体が回復次第、すぐに謁見の場を設けさせていただきます故、今しばらくこの国にご滞在ください」
申し訳ありません、と言って初老の男性が深く頭を下げた。服装からして武官ではない。白の国では文官は女性だけだと決まっているようだったが、黒の国には男性の文官もいるのだろう。
「マルド様、王様のお具合はいかがなのですか?」
アヤが悲痛な声で尋ねる。文官の男性――マルドは難しそうな表情を浮かべた。
「かなり苦しんでおられて、誰も近づけるなとのご命令です」
「誰も、とは……わたくしもですか?」
「はい。例外はなく、誰も近づけるな、とのことです」
マルドが頷くのを見て、アヤの目がきつく閉じられる。
心配で、会いたくて、でも会うことを拒まれて……アヤの横顔に刻まれた悲しみを、ハナエはどうすることもできないまま見つめていた。
「長旅でお疲れでしょう。お部屋へご案内いたします」
立ち尽くしたままのアヤを残して、マルドが歩き出す。
かける言葉を探し当てられないまま、ハナエも謁見の間を後にした。
***
ハナエたちが通されたのは、ずいぶんと広い客室だった。三人で使うのはもったいないくらい、あと四人は泊まれそうだ。
マルドが立ち去って三人だけになると、ハナエはベッドにごろんと転がった。
いくら良い馬車とはいえ、四日も乗っていると腰が痛くなってしまう。ハナエは広いベッドの上で、うーんと体を伸ばした。
「ベッド、ふかふかだよ。ふたりも寝ころんでみたら?」
ハナエがそう言って顔を上げたが、ふたりはドアに耳をべったりとつけて、じっと息を殺している。
「――カギはかけられていませんね。ただ、見張りが廊下を巡回しているようです」
「会話までは聞かれてないみたいだな」
そうやって真剣に話し合うふたりを、ハナエがぽかんとした顔で見つめている。
ヨシュアが派手にため息をついた。
「ハナエ、お前もうちょっと緊張感持てよ。ここは敵国なんだぞ」
「変なの。なんでそんなにピリピリしてるの?」
チッと舌打ちをして何かを言いかけたヨシュアの肩を、アデルが軽く叩いて止める。
「ハナエ様は、それでいいのです。何も心配せずともよいのですよ」
「お前はまた、そうやってコイツを甘やかす」
「甘やかしているわけではありません。ハナエ様の心は、自由な方がいいのです」
「ふん、どうだかな」
ヨシュアは不服そうな顔をしている。
「心配いりませんよ。ヨシュア、あなたは『魔女の弟子』に傷を負わせたのでしょう?」
「ああ。右の手首から肩口まで、かなりの深手になってるはずだが」
「黒の騎士と二人の従者、それに、先ほど広間にいた者たちには、傷を負っている様子はありませんでした。つまり、『魔女の弟子』は今のところ、我々の近くにいない。これは間違いないでしょう」
それでもまだヨシュアは不服そうな顔をしている。
アデルは「困った人ですねえ」と笑いながら、ハナエに向き直った。
「ハナエ様、これだけはお伝えしておきます。白の剣が従うのは、ハナエ様の『心』そのものです。すべてを断ち切るその剣は、ハナエ様の思いに応える力――ですから、むやみに不安を抱えては、いざという時に『心』が動けなくなってしまいます」
「う、うん……」
「大丈夫ですよ、僕もヨシュアも側におります。何も心配なさることはありません。あなたはあなたの感じるままに、この世界のありようを見つめてください」
そう言って、アデルはにこりと笑った。
そんな時。
コツリと、窓が音を立てた。
ヨシュアが早足で窓に近寄る。
「あいつ……」
そうつぶやくと、ヨシュアはハナエを呼ぶ。
側に寄って窓から下を覗くと、暗がりの中にアヤが立っているのが見えた。
「何か、話したいことがあるのかもな」
どうする、と言ってヨシュアは振り返る。アデルは言った。
「ハナエ様は、どうしたいですか?」
「あたしは――」
ハナエは少し考えると、「うん」と頷いて言った。
「あたしは、みんなでアヤに会いに行きたい!」
「みんなで、って俺たちもか?」
「うん。アヤは「こっちで信頼できる人がいない」って言ってたし。友達は多い方がいいじゃない!」
ハナエが言うと、アデルも頷いた。
「たしかに、今は単独行動は危険です。三人一緒にいるほうがいいでしょう」
「ま、それはそうだな」
ヨシュアもようやく納得したらしい。
三人は立ち上がると、階下へと足を向けた。
***
白の国の中庭は「花の芸術」であったが、黒の国の中庭は、まさに「水の芸術」であった。
広場の中央にある浅い池では、噴水がいくつもの形を描く。吹き上げられた水は、高さを刻々と変えていく。半欠けになった月が、跳ね上げられた水しぶきをきらきらと輝かせる。
「すごーい! 綺麗!」
「ヘェ」
ハナエはもちろん、ヨシュアも感心した様子で噴水に見とれている。
「動力なしの噴水ですか――水源との高低差を利用して水を噴き上げているのでしょう」
アデルが言うと、アヤは頷いた。
「城の後方にある細い塔が見える? あれが給水塔よ。水路から水を引き込んで、あの中に貯めているの。そこから噴水の水を引いているのだそうよ」
「なるほど。では、噴き上がる水の高さが変化するのは、水路から引き込む水の量で調整しているというわけですね。塔内部の水面が上昇すれば、それだけ水は高く噴き上がりますし、逆に水面が降りてくれば、水の吹き上げは緩やかになる」
アヤはそれを聞くと、肩をすくめて笑った。
「一目で見抜いてしまうなんて、すごいわね。こんな味方がいるなんて、ハナエは心強いんじゃない?」
「どうでしょう、少しはお力になれているとよいのですが」
「謙遜するのね、もったいない。私なら絶対、あなたのことを大臣にするわ――ねえ、黒の国に来ない?」
いたずらっぽく言うアヤに、ハナエは慌てて詰め寄った。
「ちょっとアヤ、ダメだからね! スカウト禁止!」
そして目を合わせると、ふたりは同時に噴き出した。
皆でひとしきり笑った後、アヤが涙を拭いながら言う。
「ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだわ。ありがと、ハナエ。それと――」
「彼はアデル。こっちはヨシュア。よろしくね」
ヨシュアは黙ったまま、持っていた筒をアヤに差し出した。
アヤは不思議そうな顔でそれを受け取ると、蓋を外す。
ふわりと花の香りが広がった。
「これは……」
筒の中には、一輪の白いバラが収められていた。切り花だが、長旅でもみずみずしいままだ。切り口に何か加工を施してあるのだろう。
「王様にやれよ。少しは気がまぎれるかも」
「わざわざ持ってきてくれたの?」
アヤが言うと、ヨシュアはふいっとそっぽを向いた。アデルがくすくすと笑っている。
「どうすれば切り花が長持ちするか、ずいぶんしつこく問い詰められましたが――こういうことだったのですね、ヨシュア」
「うるさい」
アヤは白い花に鼻を近づける。そしてぽつりと言った。
「ありがとう」
あたりにはただ、噴水の涼し気な水音だけが響いていた。
半欠けの月が、夜空のてっぺんを飾っている。
星々も精一杯輝いている。美しい夜だった。
「アヤ様は、王様の命で和平条約を?」
アデルが聞くと、アヤは素直に頷いた。
「ええ。王様は戦争を避けたいの。自分が国を追われてもいいという覚悟でね」
「それはつまり、戦争の危険性を感じておられる、ということになりますが……」
アヤは頷くと、軽く息を吐いた。
「この国は今、真っ二つに分かれているのよ。王様のお体が危うくなってからは、より一層、軍が力を持つようになってしまったわ。今はまだ、王様が軍を抑えておられるけれど、このままでは……」
「戦争の危険もあるだろうが、王様の命も危険なんじゃねえのか」
突然、ヨシュアがそう言った。アヤもハナエも、はっと顔を上げる。
「だってそうだろ。戦争をしかけたい連中にしてみれば、和平条約なんてもってのほかだ。黙って見てるとは思えない」
アヤは唇を噛みしめ、うつむいた。
現に王の体調は、面会ができないほどに悪いのだ。だが、アヤは側にいることもできない――当の王が、それを拒んでいるのだから。
自分には何もできないと、アヤもまた苦しんでいる。
無力であることがどれほど苦しいか、ハナエだって知っている。知ってはいるが、どうすればいいかは分からないままだ。
ハナエはただ黙って、流れ落ちる水の音を聞いているしかなかった。
「魔女はどうして、呪いをかけたのかしらね……ひとりぼっちで孤独で、誰かを呪ってしまいたかったのかしら」
噴水が緩やかに噴き上がる。飛沫がきらきらと落ちていく。
アヤの言葉は、今にも水音に消えてしまいそうだった。
「――アヤは、ある? 誰かを呪いたかったこと」
あたしはあるわ、とハナエは思った。
今この瞬間、ほかでもない自分自身を呪いたかった。何もできず、アヤにかける言葉も見つけられず、うろうろと困っているだけのつまらない自分を呪いたかった。それで王様と王女様が救われるなら、あたしは今すぐにそうするのに――。
だが、アヤはきっぱりと首を振った。
「ないわ。だって無意味でしょう? だれかを呪ったところで、何も解決しない。人のせいにしたって、むなしくなるだけよ」
(やっぱり強いな、このひとは)
それに比べて、自分は――。
いや、比べるのは違う。
そうじゃない。それじゃあ、これまでと同じだ。
ハナエはぎゅっと拳を握ると、思い切って顔を上げた。
「やっぱり、王様と王女様の病気を治すしかないよね!」
明るい声で、ハナエは言った。
方法なんて分からない。正直、カラ元気なのだと自分でも分かっている。だけどそれでもハナエは言った。うっかり選ばれただけのダメ騎士だからこそ、能天気に言える言葉があるのだ。
「そうですよ、アヤ様。そのために、騎士であるお二人がここにいるのです。僕たちもいます。きっと成し遂げられますよ」
アデルが言うと、ヨシュアもにやりと笑う。
「そうさ、そんな奴らに好きにさせるなよ。お前、黒の騎士なんだろ?」
アヤはしばらく呆然と聞いていたが、やがて小さく笑った。
「変なの。あなたたちは白の国の民――敵同士のはずなのに」
「敵同士なんて、誰かが勝手に決めただけよ。そんなの放っておけばいい。あたしたちにできることがあるなら、力になるよ!」
ハナエはニッと笑った。アデルもいる。ヨシュアもいる。アヤだってここにいる。あたしにも何か、きっと何かできることがあるはずだ。
アヤは突然立ち上がると、ぎゅっとハナエに抱きついた。
「……ありがと、ハナエ」
そう言ったアヤの声は、少しかすれて震えていた。
噴き上がる水が白い弧を描く。細かな水飛沫が夜に散る。
ひやりとした空気が心地よい。
月はいつの間にか、頂上からずいぶんと傾いていた。
それでも四人は無言のままで、静かに響く水音をしばらく聞いていた。
次回は3/23の夜に更新予定です。




