22.月下の誓い
ハナエがアヤと和やかに話し始めたのを見届けると、ヨシュアは長い足を伸ばしてバラの垣根を乗り越え、そのまま城壁の外へと飛び降りた。
次に、古い樫の木の張り出した枝に飛び移ると、幹を伝って地面に降りる。
雑木が茂る林を少し歩くと、突然目の前が開けた。
そこはちょっとした広場のようであった。中央には桃の木が植えられ、周囲には背の低い草が生い茂っている。
薬のようなすっきりと澄んだ香りが、夜風に乗って漂う。それもそのはず、雑然としているように見えるが、あたりに見えるそれらは、すべて薬草である。
「来ましたね、ヨシュア」
桃の木の陰から、アデルが顔をのぞかせた。
「ったく、人の昼寝場所を見事に農場にしちまいやがって……」
そう、ここいらを薬草畑に変えてしまったのは、外ならぬアデルであった。
「内緒にしていてくれて、感謝しています。薬草や茶を育てているなど、皆に知れたら大目玉ですから」
「好きにすればいいけど、チクるのもめんどくせえし」
ヨシュアは大きく伸びをしながら、桃の木にもたれて地面に座る。
「で? 気になることってのは何だよ」
草を揺らし、夜風が吹く。
エールの白い花びらが、音もなく夜の闇を舞う。
「黒の国からの使者は『白の騎士が現れたそうですね』と言いましたよね」
「ああ、それが何か?」
「ハナエ様が現れたのはつい先日のことです。国交がないはずの黒の国に、ハナエ様の存在を知られているはずがありません」
はっとした様子のヨシュアに、アデルは頷いてから言葉を続ける。
「しかも、彼らは王女様のご病気も知っていた。両国の緊張が高まっている中、国のトップの体調不良は致命的です。当然、最重要機密事項のはず。それなのになぜ、彼らはその事実を知っていたのでしょうか」
「間者か?」
ヨシュアの答えに、アデルは「いいえ」と首を振る。
「間者は確かにいます。城下町に行った時、僕らを尾行してきた何者かがいましたよね。仮にそいつを『A』としますが、Aはもうこれ以上は関わってこないと思います」
「なんでだよ」
「僕らのリペル行きを賊に伝えたのは、Aに間違いないでしょう。賊はその情報通り、僕らを襲いました。だけど失敗した。それどころか、『あの方』は深手を負う羽目になりました。Aは『あの方』と手を結ぶつもりだったのでしょうが、その計画は潰えてしまったはずです。ならばAはどうするか――恐らく、しばらくは様子見に徹するでしょうね。自分の手を汚すようなタイプには思えませんし、とりあえずは放っておいてもいいでしょう」
「だったら、お前は何を心配しているんだよ」
「『あの方』――魔女の弟子とつながっている者が、黒の国にいるのではないかと思うのです」
「なに?」
「というか、黒の国に情報を流したのは『あの方』ではないでしょうか。奴は白の国に出入りし、賊とも手を結んでいた。王女様の不調も白の騎士の登場も、知ることができたはずです」
アデルは空を見上げた。
夜の帳の真ん中で、月が冷たく輝いている。
「これまで僕は、魔女の存在など信じていませんでした。不作や王女様のご病気に乗じた何者かが、魔女の噂を流して人々を混乱させ、国の転覆を狙っているのだと思っていました。ですが、ターニャの話を聞いてから、別の可能性を考えています。『魔女の弟子』や『生贄』という言葉――そして何より、白の剣の力を目の当たりにした今なら、その可能性の方が高いように思えてならないのです」
「その、別の可能性ってのは?」
「国をわざと危機に陥れることで、伝説の白の騎士を呼び出したのではないか、と」
「おい、ちょっと待ってくれ。もしそうだとしたら、この不作も王女の不調も、その何者かの仕業だってことかよ」
「はい。そうなると、魔女の呪いという説も、案外正しいのかもしれません」
ヨシュアは唸り声を上げてうつむいてしまった。理解が追いつかないらしい。
アデルは改めてヨシュアに向き直る。
「僕が知りたいことはふたつです。『あの方』――魔女の弟子とは何者なのか、そして、そいつが手を結んでいるのは、軍部と王のどちらなのか」
「ちょ、ちょっと待てよ」
ヨシュアは思わず立ち上がる。
「それって、つまり――ああ、話がややこしくなってきた! 俺にも分かるように説明しろよ!」
「この程度で音を上げないでくださいよ」
アデルは苦笑いを浮かべている。
「うるせえな、難しい話は苦手なんだよ」
その様子を眺めながら、アデルはふふっと笑みをこぼす。だが、すぐにぐっと表情を引き締めて言った。
「これからの動きですが――恐らく、和平交渉のための使者を、こちら側からも出すことになるでしょう。黒の騎士が来たということは、返礼にハナエ様が赴くことになると思います」
「だろうな」
「ハナエ様にはお伝えしておりませんが、僕はこの和平交渉が罠だと思っています」
「何だと?」
「さっきも言いましたが、今起こっている危機はすべて、白の騎士を呼び出すためのものかもしれない。もしそうなら、初めから狙いはハナエ様――というより、白い剣の力でしょうね」
ざあ、と風が木々を大きく揺らす。
エールの花が、夜に甘く香る。
「白の剣とは何なのか――僕には少し、分かってきた気がします。ハナエ様から片時も離れず、その身を守るもの。そしてハナエ様が『誰かを守りたい』と強く願ったとき、その障壁となるすべてを断ち切るもの。敵が白い剣を欲しているのか、逆に厭わしく思っているのかは分かりません。どちらにしても、それを扱うハナエ様は狙われることになります」
ヨシュアは大きく頷くと、アデルに向き合った。
「わかった、ハナエには俺が付く。難しい話は苦手だが、戦闘なら任せとけ。お前はこっちに残って怪我でも治してろ」
「いいえ、僕も共に行きます」
「無理すんじゃねえよ、足手まといだ」
「でも、ヨシュアに難しい話はできないしょう?」
ぐっと言葉に詰まるヨシュアを見て、アデルは笑顔を見せた。
「僕たちは黒の国に行き、実情を知る必要があります。一体、世界に何が起きているのか――そのうえで、僕たちは何をすべきなのか。白の騎士であるハナエ様に、何を託すべきなのか」
「けど、本当に罠だったらどうすんだよ! その足で逃げ切れると思ってんのか?」
ふたりの間を、風が吹き抜ける。
アデルが静かに言った。
「もし罠だったら、あなたがハナエ様を連れて逃げてください」
そしてアデルは腰の剣を鞘ごと外すと、そのままヨシュアの胸の前に差し出す。
鞘に施された意匠は『菖蒲』――名門ガーラント家の正当な紋章であった。
「おい……」
「僕の心は決まっています。どうか力を貸してください。僕が頼れるのは、あなただけ――僕自身の名を呼ぶ友人、ヨシュアしかいないのです」
ヨシュアはしばらく、睨むようにアデルを見つめていた。アデルも真っすぐに視線を返す。
ふたりとも、何も言わなかった。
沈黙が夜を満たす。
透明な夜風が吹き抜けていく。
やがてヨシュアも剣を外すと、アデルの胸に鞘ごと突きつけた。
鞘の意匠は『月桂樹』――隊一番の使い手に許された、強さの証である。
「言っとくが、死に急ぐ奴は嫌いだ」
「分かっています。僕も別に死にたいわけではありませんよ」
ふたりは同時に、互いの剣を取った。
そしてそのまま、互いの剣を腰に佩く。
「……ありがとう、ヨシュア」
「うるせえ、バカ」
アデルはふっと笑った。
それは、死地に赴く覚悟と誓い――白の国の剣士に伝わる、古い習わしであった。
ハナエとアヤ、そしてアデルとヨシュア――それぞれの想いが重なる夜は、月明りの下、静かに更けていった。
***
翌日。
ハナエたちは、朝から謁見の間へと集められた。
「王女様に、黒の王からの言伝を申し上げます」
アヤは王女の前にひざまづくと、親書を広げ、よく通る声で読み上げ始めた。
「我が国の特産であるはずの鉱石ですが、質が低下するという異常事態に見舞われております。さらに、国の王である私の聴覚が、ある日突然失われてしまいました。国民は不安を募らせ、これはすべて魔女の呪いではないかとの噂が広がっております。このままでは深刻な物資不足、ひいては暴動の引き金になりかねないと考え、まずは白の国との和平を実現したいと願っております」
アヤは親書を畳むと、そばにいたラームに差し出す。ラームはそれを受け取ると、王女に恭しく差し出した。
王女は親書を手に取ると、アヤを見つめて頷く。アヤは深く頭を下げると、口を開いた。
「王は民を案じ、国の脅威に立ち向かおうとお考えです。もし、白の国でも同様の異変が起きているなら、手を取り合ってこの異常な事態に立ち向かいたい――どうか、お力をお貸しください!」
シン、と、広間が静まり返る。痛いほどの緊張に、だれもが体を硬くしている。
けれど、王女だけは違っていた。
玉座からしなやかに立ち上がると、腕を伸ばしてハナエを手招きする。
ハナエは王女の側へと歩み出て、ぎこちなく片膝をつく。王女は優しく微笑むと、ラームから書状を受け取り、ハナエの前に差し出した。
受け取ろうと伸ばしたハナエの手を、王女が強く握りしめた。
驚いて顔を上げたハナエの目の前――王女の長いまつ毛が、ハナエの頬に触れそうな距離だ――その紫玉の瞳が、不安げに揺れていた。
「王女様?」
ハナエが小さく問うと、王女は無言のままに唇を動かす。
(き、を、つ、け、て)
強く握られた白い手に、ハナエは自分の手を重ねた。
冷えた手の甲を温めるように、そっと握る。
――安心して、大丈夫。
想いを込めて、ハナエはニッと笑ってみせた。
ハナエが王女の親書を受け取ったことを見届けると、ラームが宣言した。
「では、こちらからも使者として、白の騎士を遣わします」
ハナエも立ち上がると、広間を見渡して言った。
「私とアデル、それとヨシュアが、使者としてお伺いします」
「……白の騎士様、ちょっと」
ラームが小声で言う。
「騎士様、ガーラントはかまいませんが、ヨシュアはいけません」
「どうして?」
「彼は腕が立ちますが、使者にするには、その、家柄が……」
「そんなの関係ないわ。私、彼がいいんです」
ハナエがはっきり言うと、ラームは目を丸くして黙ってしまった。王女は玉座に腰掛けると、にっこり笑ってもう一度頷いた。
***
できるだけ早く出立したいという黒の勅使の希望で、ハナエたちはすぐに出発する運びとなった。
六人乗りの立派な馬車は、リペルに赴いたときに比べて、はるかに乗り心地の良いものだった。スピードも段違いに早い。それでも黒の王城まで、四日ほどはかかるという。
「アデル、怪我は大丈夫?」
顔を曇らせてハナエが言う。
杖なしで歩けるようになったとはいえ、アデルの足にはまだ厚く包帯が巻かれている。ゆっくり休ませてあげたいけれど、アデルの頭脳と優しい心遣いは、ハナエにとって絶対に不可欠なものだった。
「ええ、平気ですよ」
アデルはいつもどおりの笑顔で言う。ヨシュアは、ふたりの会話をぼんやりと聞きながら、窓の外を見つめていた。
(もし罠だったら――)
腰に佩いた『菖蒲紋の剣』が、馬車の揺れに合わせ、小さく音を立てた。
次回は3/22の夜に更新予定です。




