18.魔女の弟子
その夜。
机の上には、試験管に入った色水がずらっと並んでいる。ヨシュアは眉をひそめてそれを眺めていた。
「アデル。お前、本当におとなしくしてたんだろうな」
「ええ。今日はおとなしく抽出作業をしていました。夕方には全部終わらせることができましたよ。明日から分析を始められます」
そう言いながら、アデルは目を輝かせている。ヨシュアはうんざりした顔でため息をついた。
「ねえ、アデル」
ハナエは三人分の茶をテーブルに置きながら言う。
「はい、なんでしょうか」
「あのね、今日もバムおじいちゃんから話が聞けたんだけど、いろんな新事実がありすぎて、こんがらがっちゃいそうなの。一回みんなでまとめたいんだけど、いいかな」
アデルは「そうですね」と頷く。
「僕も情報を整理したいと思っていたところです。一度皆で話し合いましょう」
ヨシュアも椅子に腰かける。ハナエはメモ帳と鉛筆を取り出した。
「まず確認したいんだけど、あたしたちの目的は王女様の病気を治すことと、不作の原因をつきとめること。他に何かあったっけ?」
「主な目的はそのふたつです。さらに言うなら、王都から僕らをつけてきた相手の正体を知ることと、賊どもを操っていた『あの方』の正体を暴くことも、付け加えたいですね」
――――――――――――――――――――
・王女様の病気を治す
・不作の原因をつきとめる
・王都から尾行してきた相手の正体をつきとめる
・『あの方』の正体をつきとめる
――――――――――――――――――――
ハナエが書き終わるのを待ってから、ヨシュアが口を開いた。
「ハンスは王女の病気のことも、白の騎士が現れたことも知らなかったって言ってたよな」
「うん」
「魔女の呪いの噂は、どうでしたか?」
アデルが聞くと、ハナエは首を左右に振った。
「信じてないと思うよ。「魔女なんているわけない、おとぎ話の中だけだ」って笑われちゃったもん」
「なるほど」
ひとくち茶を飲むと、アデルは納得した様子で頷いた。ヨシュアが言う。
「バムじいは、外の森で異変が起きてるんじゃないかって言ってたぜ。真っ黒い雲が時々、『外の森』の方からわいてくるんだと」
「『外の森』ですか……」
「ああ、三年ぐらい前からだってさ。そのころから、作物が取れなくなっただけじゃなく、鉱石も質が落ちてるらしい。これを見てくれ」
ヨシュアはポケットから黒い鉱石を取り出した。
アデルは石を受け取ると、顔の前にかざしてまじまじと見つめている。
「これは……黒輝石ですね。本来はもっと透明な黒なのですが……」
アデルが石を灯りにかざす。ハナエとヨシュアは立ち上がると、アデルの肩越しに黒い石を見た。
蝋燭の光に透けた黒輝石には、たくさんの斑点が浮かんで見えている。
「不純物がかなり含まれています。これでは本来の硬度にはなり得ないでしょう」
「ああ」
ヨシュアは指を伸ばして、石の結晶を軽くつまんだ。
パキッと音を立てて、結晶は簡単に壊れてしまう。
アデルは石をテーブルに戻すと、小さく息を吐いた。
「ということは、黒の国でも同様の異変が起こっている可能性が高いですね。あの国は鉱石の産地ですから」
「バムじいによると、国境沿いで黒の国の兵士をよく見かけるようになってきたらしい」
「……やはり」
アデルは険しい顔をすると、指を組んで顎を沈める。
――――――――――――――――――――
・村では王女様の病気は知られていない
・白の騎士が現れたことも知らない
・魔女の存在は信じていない
・外の森で異変? ときどき黒い雲が現れる
・鉱石の質が下がっている
・黒の国の兵士を見かけるようになった
――――――――――――――――――――
「収穫量が落ちてきたのは、三年くらい前からだって言ってたよね」
鉛筆を置いてハナエが言うと、ヨシュアも頷く。
「ああ、今年の収穫量は去年の六割程度だってさ」
その言葉に、アデルの眉がぴくりと跳ねた。
「六割? 本当ですか、ヨシュア様」
「ああ。バムじいがそう言ってたぜ」
アデルは険しい顔で首を傾げた。
「おかしいですね。王都で調べた入荷履歴では、四割だったはず」
ハナエも身を乗り出して言う。
「でも、市場には品物がたくさんあったよ」
ヨシュアの灰青色の目が、鋭く細められる。
「誰かが記録を改ざんして、横取りした二割の作物を市場に流したのか」
「ええ。その理由に関しては、以前に推測した通りでしょうね。『王都の市民を油断させるため――現れた白の騎士によって危機が去ったと錯覚させるため』わざと品物を市場に流した」
「油断させておいて、何か起こそうとしてるのか」
「もしくは、裏で何かしら動くつもりかもしれませんね。どちらにしても、何者かが関与しているのは間違いないでしょう」
「それが『あの方』ってことか?」
「ええ。さらに言えば、王女様のご病気や魔女の呪いの噂、そして白の騎士の出現について、噂話を広めたのもその者たちかもしれません。商人にまじって王都に入り、噂を流すことは十分可能です」
「それもやっぱり、混乱と油断を誘うためってことか」
「恐らく」
ヨシュアの言葉に、アデルは頷く。
ふたりのやり取りを眺めていたハナエの頭の中に、突然「ある考え」がひらめいた。
「ねえ、ヨシュア!」
ハナエが勢いよく立ち上がる。
「なんだよ、急に」
「ヨシュアは『あの方』を見たんじゃなかったっけ? ほら、トトの弟たちを助けに行ったとき」
アデルもヨシュアに向き直る。
「そうですよ、その時の話をまだ聞いていませんでしたね」
ああ、と言って、ヨシュアは背もたれに体をあずける。椅子がギシリと音を立てた。
「あの時、俺とトトは賊のアジトにやってくる『あの方』を待ち伏せしたんだ」
ヨシュアは訥々《とつとつ》と話し始めた。
***
夜の森。
ハナエたちが賊に連れて行かれてから、どれくらい時間が経っただろう。
手ごろな木に登って枝の上に隠れ、トトとヨシュアは息を殺して待ち続けた。
やがて、冷たい空気を震わせて、遠くから蹄の音が聞こえてくる。
続いて馬車の車輪の音――木ではなく、金属だ。
「……来た」
やがて姿を見せたのは、漆黒の二頭立ての馬車であった。
明かりもなしに走ってくるのは、道を熟知している証拠だ。
馬車は、ふたりの足元にさしかかろうとしていた。
ヨシュアが剣の柄に手をかける。トトがごくりと喉を鳴らす。
「ここにいろ」と小声でささやくと、ヨシュアは馬の背中めがけて飛び降りた。
馬が大声を上げ、激しく暴れだした。突然何かが背に落ちてきて、パニックになったのだ。
慌てて手綱を取ろうとした男めがけて、ヨシュアは剣を振り下ろした。
「うわっ!」
間一髪、切っ先を逃れて男は地面に転げ落ちる。
馬たちはそのまま、やみくもに夜の森へと走り出す。
よろよろと立ち上がると、男は唾を吐き捨てた。
目の前には白刃を構えたヨシュアがいる。
逃げるべきか。それとも応戦するべきか――男は一瞬、判断に迷った。
その一瞬を、ヨシュアが見逃すはずがない。
「ぐあっ……!」
男は思わず声を上げた。
焼かれたような鋭い熱が右腕を走る。手首から肩までの熱が、どろりと一気に流れ出す。切られたのだと悟るまで、何秒かかっただろうか。痛みより焦りのせいで汗が流れ出す。
立っていられなくなって、男は地面に膝をついた。
ヨシュアは剣を構えたまま、ゆっくりと男に近づいていく。
手ごたえはあった。暗くてよく見えないが、深手を与えたのは間違いない。
「動くな、お前を拘束する」
ヨシュアがそう言って、剣を男に突きつける。
抵抗のつもりだろうか――男は血にぬれた左手を、ヨシュアの前に突き出した。
だが、次の瞬間。
男の手のひらから突然、眩い光が弾けた。
「くっ……!」
一瞬、眩しさに目がくらむ。
耳に、馬のいななきが響く――馬が戻ってきたのだ。
ヨシュアが顔を上げたときには、もう漆黒の馬車が走り出していた。馭者席にしがみつく人影が、見る見るうちに遠ざかる。
「待ちやがれ、畜生!」
ヨシュアは全速力で走ったが、さすがに馬車には追いつけない。
漆黒の馬車は、あっという間に夜の森に溶けて見えなくなってしまった。
「クソ……しくじった」
ひざに手をついて荒い息を繰り返しながら、ヨシュアは舌打ちをする。
森は何事もなかったように、もう静寂を取り戻していた。
***
「――じゃあ、顔は見てないってこと?」
ハナエがそう言うと、ヨシュアは忌々《いまいま》し気に顔をしかめた。
「そ。残念ながら、まんまと逃げられちまったよ」
「けれど、かなりの深手を負わせたのではありませんか?」
アデルがなだめるように言うと、ヨシュアは頷いた。
「ああ。命はとりとめるだろうが、傷あとは残るだろうな」
「上出来ですよ。さすがはヨシュア様ですね」
「ふん」
ヨシュアはそっぽを向いてしまった。よほど悔しかったに違いない。
ハナエは鉛筆を置くと、自分の書いた文字を眺めた。
――――――――――――――――――――
・城に黙って、王都に二割の農作物を流出させた人物がいる
・王女の病気の話と魔女の噂を流し、白の騎士の出現をばらしたのも、同じ人物の可能性大
・狙いは王都の人々を油断させるため?
・その人物=『あの方』の可能性が大
・『あの方』はヨシュアによって右腕に深手を負っている
――――――――――――――――――――
「うーん……」
世界に何が起きているのか、敵が何を考えているのか――どちらもまだ、ハナエには見えてこない。
その時。
コン、コンと、遠慮がちに扉を叩く音がした。
ヨシュアは立ち上がると、扉に歩み寄る。
「なんだよ、トトじゃねえか」
「こんばんは」
ヨシュアに促されて入ってきたのはトトだけではない。その背中に隠れるようについてきたのは、あの赤毛の女の子だった。
「どうしたのです? 子供が出歩くには遅い時間ですよ」
アデルが言うと、トトが少女の肩を軽く叩いて言った。
「わかってる。でも、ターニャがどうしても伝えたいことがあるって」
「伝えたいこと?」
ターニャはおびえた様子のまま、小さな声で言った。
「あの怖いおじちゃんたちが言ってたの。『お前たちは魔女のいけにえになるんだ』って……」
ハナエは顔を上げてアデルを見た。アデルは黙って頷く。
少し、話を聞く必要がありそうだ。
***
ターニャがアジトに連れてこられたとき、ちょうど入れ替わりに黒い馬車が出て行ったそうだ。
「タイミングが悪かったな。まあ、お前は命拾いしたわけだが」
賊の男はニタニタ笑いながら、ターニャの顔をのぞき込んだ。
そして、こう言ったという。
「次にあの馬車が来たとき、お前も魔女の生贄になるんだ。光栄に思えよ、魔女の復活に役立つんだからな」
「魔女なんかいないもん!」
ターニャが泣きながら叫ぶと、男は高笑いした。
「俺もそう思っていたさ! だが、あの方は本物だ――本当に魔法を使える『魔女の弟子』なんだよ」
その後、牢に閉じ込められてから、ターニャはずっと恐怖に震えて過ごしたという。
***
「魔女の弟子……」
ハナエの言葉に、ターニャはこくんと頷いた。
「トトやお兄ちゃんたちが助けに来てくれるまで、ずっと怖かった。魔女に食べられちゃうんだと思って、毎日泣いてたの」
まだ震えているターニャの肩を、トトがそっと支えてやる。
「よくがんばったね、ターニャ」
ハナエが言うと、ターニャの瞳からポロッと涙が転がり落ちた。
「一緒の牢屋に、イージャとマーレっていう双子のきょうだいがいたの。いつもみんなを励ましてくれて、とっても優しい子たちだった。わたしも絵本を読んであげたりしたの。ふたりがいたから、がんばれたんだよ……でも……」
「あたしたちが探しても、いなかった子たちよね」
ターニャは顔を覆ってしまった。小さな両手の隙間から、ぽたぽたと涙のしずくが落ちてくる。
「あの子たち……食べられちゃったのかなぁ……」
ヨシュアはターニャに近寄ると、赤毛をぐしぐしと撫でて言った。
「心配ねえよ。その『魔女の弟子』は、俺がやっつけたからな」
「ホント?」
ターニャはぱっと顔を上げる。ヨシュアはにっと笑った。
「ああ。少なくとも、子どもを連れていく余裕はなかったはずだ。その双子はきっと無事でいるさ」
ヨシュアの言葉に、ターニャはやっと安心した様子で笑った。
話し終えたターニャとトトを家まで送るため、ヨシュアは小屋を出て行った。
「魔女の弟子かぁ……」
ハナエはため息をついた。
これまでの聞き込みから、魔女の存在はただの噂話だと思っていた。
「魔女なんて、本当にいるのかな」
「どうでしょう。僕も、ただのおとぎ話だとばかり思っていましたが……」
アデルも難しい顔をしている。
「さっきヨシュアが言ってたよね。『あの方』を追い詰めたとき、光に目がくらんで逃げられたって」
「ええ」
「もし本当に『あの方』が魔女の弟子なら、それって魔法だったのかな」
「魔法――ですか」
ランプの軸の燃える音だけが、やけに大きく聞こえてくる。
灯がゆらめくたびに、目の前のメモの上にも光が踊る。
魔女の復活、生贄――そして、魔女の弟子。
それらと作物の不作には、関係があるのだろうか。
王女の病は、やはり魔女の仕業なのだろうか。
「うぅ、また分かんなくなってきた……」
ハナエが呻きながら机に突っ伏すと、アデルがくすっと笑った。
「なんで笑うのぉ?」
「いえ、ハナエ様があまりに一生懸命なので、なんだかほほえましくて」
「もう、からかってるでしょ」
ハナエがぷくっと膨れると、アデルは「すいません」と言ってまた笑った。
「ひとまず、僕たちはできることをしましょう。はっきりと異変が起きているのは『外の森』です。まずはそこから、何が起きているのか調べなくては」
「うん、そうだね」
ハナエは頷いた。
「ただ、あの森は特殊な場所で、白の国でも黒の国でもありません。立ち入るなら、王女様の許可状をもらってからのほうがいいでしょう。僕の分析が終わり次第、いったん白の王城に戻るべきかと思います」
「分析はどれくらいで終わりそう?」
「あと三日ください。それまでに終わらせますよ」
アデルは力強くそう言った。
次回は3/18の夜に更新予定です。




