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17/22

17.夕暮れ

 ……へんなにおいがする。

 ハナエはハッと目を覚ました。


「火事?!」


 慌てて起き上がり、あたりを見渡す。

 開いた窓からは、朝のきれいな空気が流れ込んでくる。木でできた壁は朝日をそっと照り返しているばかりで、どこも燃えたり焦げたりしていなかった。


「ごめんなさい、起こしてしまいましたね。換気していたつもりだったのですが」


 アデルが眉毛を八の字にして笑っている。その手の中の試験管からひとすじ、紫色の煙が立ち上っていた。


「なんだ、アデルの実験だったの。びっくりした」


 ハナエが笑っていると、奥のドアがばたんと開いた。


「朝からうるせえぞ、ハナエ」


 不機嫌が頂点に達した様子のヨシュアが顔をのぞかせる。どうやら先ほど、ハナエの叫び声でたたき起こされたらしい。


「おはようございます、ヨシュア様」


「アデルか。何やってんだよ、こんな朝早くから」


「おや、作業を始めたのは昨晩からですよ」


「……あっそ」


 ヨシュアはハナエの隣に座ると、長い足を組んでため息をついた。




 幸い、昨日の食料がまだまだ残っている。パンやチーズで簡単な朝食を済ませることにした。

 だが、ハナエとヨシュアは席についたものの、アデルは目の前の試薬と向き合ったままである。


「アデル、メシだぞ」


「後で食べます」


 ポンと音がして、手にしていた試験管から煙が上がる。


「おい、何か出てんぞ!」


「大丈夫ですよ」


 試験管の中の液が、ゆっくりと透明から青色に変わっていく。ヨシュアはその様子を、遠くから気味悪そうに眺めている。


「で、分析はできたのかよ」


「まだ下準備の段階ですよ。これから一晩かけて成分を抽出してから、分析開始です」


 アデルは別の液体を注ぎ込みながら、のんびりとした口調で言った。


「なんだ、めんどくせえな」


「はは、そうですか? おふたりに言われた通り、今日は部屋の中でじっとしていますよ」


「どうだかな」


 ヨシュアはやれやれとため息をついた。


「ねえ、ヨシュアは今日、何かやることあるの?」


 ハナエが聞くと、ヨシュアはちらりと視線を流す。

 

「別にねえけど、何だよ」


「じゃあさ、分析はアデルに任せて、あたしたちはもう少し村の人たちに話を聞いてこようよ」


「話?」


 昨日、ハンスは言っていた。王女の不調、白の騎士、魔女の呪い――そのどれもが、この村では全く話題になっていないのだと。


 では、村人たちは不作についてどう思っているのだろうか。魔女の存在を信じていないのなら、不作の原因をどう考えているのだろう。


「どんなことでもいいじゃない。変わったことはないか、困ってることはないか、聞いてみたいの」


「……いいぜ、何か発見があるかもしれねえしな」


 ヨシュアが珍しく同意する。早速ハナエは立ち上がった。


「アデルはじっとしててね! ヨシュア、行こう!」


「はいはい、わかったよ」


 ヨシュアは面倒を装って立ち上がった。その様子を見て、アデルはくすっと笑う。


「なんだよ」


「いいえ。お気をつけて」


 アデルはふたりの背中を笑顔で見送ったが、ドアが閉まると、ふっと真顔になる。そして、テーブルの上のサンプルに向き合うと、すぐに分析に没頭しはじめたのだった。



   ***



 王都と違って、リペルの道路は舗装されていない。少しほこりっぽい土の道を、ハナエはヨシュアと並んで歩く。

 農村の朝は早いのだろう。通りにはもう、人々が忙しく行き交っている。


「おーい、お前ら!」


 荷車を引いたバムじいが、ハナエたちを見つけて声をかけてきた。荷車をその場に置くと足早に駆け寄ってくる。


「おう、じいさん。朝早くから仕事か」


「お前らこそな。もう一人の兄ちゃんはどうした?」


「あいつなら療養中だよ」


「ひでえケガしてたもんな――ほれ、こいつを持っていきな」


 バムじいはポケットから麻の小袋を引っ張り出すと、ハナエの手のひらに乗せた。ふわりと漂う香りは、優しく甘やかで懐かしい。


「これ、もしかして――エールの花?」


 ハナエが言うと、バムじいはニッと笑った。


「そうさ、こいつは傷に効くんだ。昔はそこらじゅうに咲いてたもんだが、ここ最近はめっきり咲かなくなっちまった。例の「黒い雲」のせいかもなあ」


「黒い雲?」


 ハナエはヨシュアと顔を見合わせた。


「それ、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」


 ハナエがそう言うと、バムじいは不思議そうな顔をしつつも、快諾かいだくしてくれた。



   ***



 往来の真ん中で立ち話をするわけにもいかないと、ハナエたちはバムじいの作業小屋までやってきた。

 出してくれた茶からは甘い香りがしている。紅茶によく似た、ふくよかな味わいの飲み物であった。


「三年くらい前かな。『外の森』の北の方に、真っ黒い雲が沸きあがってるのが見えたのさ」


 バムじいは話し始めた。


「最初は煙かと思った。細い煙が立ち上がってるようにも見えたからな。けど、その煙は上空の低いところでぐるぐると渦を巻くと、やがて伏せた椀みたいな形になって、何日かそのまま浮かんでたんだ」


 ハナエは首を傾げた。そんな雲はこれまで見たことがない。

 バムじいは続ける。


「その数日後にふと空を見たら、雲は消えていた。何だったんだろうと思いながら、いつしか俺も忘れてしまった。けど、その少し後に、また同じ雲が現れたんだ」


「同じ場所にか?」


 ヨシュアが聞くと、バムじいは「ああ」と頷いた。


「消えたり現れたり、特に決まった周期もなく繰り返していた。俺たちもあまり気に留めていなかったんだが――考えてみたら、あの頃からだんだん作物が取れなくなってきたんだよな。今年の収穫量なんて、去年に比べたら六割程度だろうよ」


 ハナエは窓の外に目をやる。

 今は何もない。綺麗な青空が広がっている。


「あっちの方さ。ほら、黒の国との国境の、まだ向こう側だ」


 バムじいが指さした先には、国境沿いの崖がぼんやり見えている。


「作物が取れなくなった原因なんぞ、俺たちにはさっぱり分からん。だが、もしかすると『外の森』で何かおかしなことが起きてるのかもしれんな」


「『外の森』か……」


 ヨシュアは厳しい顔をして、じっと森の彼方を見つめている。

 ハナエはバムじいに向き直った。


「ほかに、変わったことはないですか?」


「うーん……そういえば、鉱石がダメなったな」


 バムじいはポケットから黒い塊を取り出すと、テーブルに置いた。

 よく見ると、規則正しい四角い結晶がくっつき合っている。金属のような光沢のある石だ。


 バムじいは結晶のひとつを指でつまむと、ぎゅっと力をこめた。

 そのとたん、パキ、と高い音を立てて、結晶にヒビが入る。


「ほらな。こんなにもろくちゃ、何の役にも立たねえ。昔はナイフを砥げるくらいの硬度があったんだが」


「質が悪くなってるってことですか」


 ああ、とバムじいは頷く。


「あと、最近やたらと黒の国の兵士を見かけるようになった。国境沿いの崖の上に立って、こっちを見てやがるんだ。どうも嫌な感じだぜ」


 黒い雲と農作物の不作、そして鉱石の質の低下。

 どういうことだろう。ハナエは少し考えてみたが、まだ何も見えてこない。


「アデルの分析が終われば、もうちょっとはっきり分かるかもしれないね」


「そうだな」


 ヨシュアは一息に茶を飲み干すと、机の上の鉱石を手に取った。


「ごちそうさん。じいさん、この石もらってもいいか」


「ああ、持っていきな」


 ハナエも茶を全部飲み切ると、コップを置いて立ち上がった。


「おじいさん、ありがとうございました。お茶おいしかったです」


「おう、また来な」


 バムじいは白い歯を見せて、ニッと笑った。



   ***



 小屋の外に出ると、もう日が傾き始めていた。


「情報はだいたい、出そろったって感じだな」


 ヨシュアは満足そうな笑みを浮かべている。


「そうだね。でもまだぐちゃぐちゃで、何がどうなってるのかわかんないよ」


「そんなのアデルが何とかするだろ」


「またそうやってアデルに頼るんだから」


「うるせえな。あいつは頭脳労働担当、俺は剣術担当!」


 そう言い切って、ヨシュアはさっさと歩いて行ってしまう。

 ハナエの足が、すこし遅くなる。


(じゃあ、あたしは何の担当なんだろう)


 自分には何ができるのだろう。

 通行人Aではなく「城田花枝しろたはなえ」には何ができるのだろう。


 足元から長く伸びた影が、田舎道の上にだらしなくへばりついている。


「白の騎士って、何なんだろう」


 夕日がまぶしい。

 まわりの麦穂も畑も、外の森も国境の崖も、周囲の全てが赤く染められている。

 夕暮れの風にゆられて、畑一面の草葉が、サア、と音を立てる。


「おい、何してんだ。さっさと来い」


 顔を上げると、ヨシュアが不機嫌な顔でこっちを振り返っている。


「ごめんごめん、ちょっと考え事してて」


 ハナエが早足で追いつくと、ヨシュアは隣にならんで、少しゆっくり歩き出す。


「なんだよ、考え事って」


「ヨシュアには言わない」


「なんでだよ」


「言ったら絶対怒るもん」


「……」


 ヨシュアの長い指が、ハナエの頬にそっと触れる。


「ヨシュア?」


 不思議そうに見上げたハナエに、ヨシュアはニッと笑う。そして、むにっと強めに頬をつまんだ。


「痛い! なにすんのよ」


「ばーか。どうせまた、くだらねえことばっか考えちまってんだろ」


「……ヨシュアから見たらくだらないかもしれないけど、あたしにとっては深刻な悩みなんだから」


 ハナエは頬をつままれたままでうつむいた。顔を上げたままでいたら、涙ぐんでしまいそうだったから。


 また馬鹿にされるかと思ったが、そうではなかった。

 ヨシュアは手を離すと、ハナエの頭を大きな手のひらでぽんぽんと叩く。


「すぐ答えが出ない悩みだったら、一旦どっかに置いとけ。いつまでも悩んでたって仕方ねえだろ」


 思いもよらない優しい言葉に、ハナエは顔を上げる。

 灰青色の瞳と目が合った。


 いつもは冷たく感じる整った顔立ちも、今日はなんだか柔らかく見える。それもすべて、この夕焼けのせいだろうか。

 ハナエが思わず見とれていると、大きな手に頭をがしっと掴まれた。


「いたたたっ、ちょっと! 何すんのよバカ!」


「うるせえ、早く行くぞ」


「わかったわよ、わかったから離して!」


「ふん」


 夕暮れの道を、ヨシュアに引っ張られて歩く。

 ぎゃあぎゃあと言い争っているうちに、いつしか悩み事は姿を消していた。

次回は3/17の夜に公開予定です。

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